85.評議会の行方(1)
評議会議場の中は、大きな円卓を二千人が収容できる傍聴席が囲んでいる作りになっていた。
ただし、今回は緊急の評議会でまた傍聴は厳しく制限されている為、傍聴席には最前列に数十人しか座っていない。
なお、その内の一人はつるっ禿げになった眼鏡の小太りロイド市長だ。
円卓の入り口から最奧の席についているのは、連合評議会議長ダグラス・レイ。
その表情はとても朗らかだった。
「はいはい、もうすぐみんな揃うかなぁ? こんな夜中に緊急招集されて嫌ぁな感じだろうけど、恨むんなら呼びつけたタリアたんを恨んでね~」
「……議場でたん付けは、止めて下さい」
「えっ、じゃあ外でならいいの? やったあ」
横に座った副議長のタリア・ハートは、いつも通りの彼の軽口にまたため息をついた。
円卓の席の数は、全部で二十五。
八都市の代表が評議会議員として集まっているが、議席数はそれぞれの都市ごとの人口比で割り振られいる。
最大都市ルトリアの議席数は十二。
建前的には半数以下だが、あと一人を抑えれば過半数を越える現状は、充分にルトリアの独裁を可能にしていた。
「ねえねえ、ダグラス。いいよね? やっぱり、やっちゃっていいよね?」
そのルトリア代表でもある最高権力者ダグラス・レイの後ろで、金髪ツインテールを揺らした美少女キャロル・キャロラインが、彼の肩をガクガクと揺すっていた。
「こらこら。ダメだって言ったろ、キャロ。彼は敵じゃなくなったんだって。……これからの話し合いで、違う結論が出ない限りはね」
「やった! 話し合いが終わったら、やっていいんだね!」
「だから結論次第だってば」
キャロルの方は分からないが、ダグラスは明らかにサフィーネへのプレッシャーとして、話していた。
だが。
円卓の中央に設けられた特別席に座る王女は、それどころではなかった。
「あのさ……フォート……」
問題は、横に座っているエフォートだった。
他称虐殺の反射魔法士は人目も憚らず、卓上に羊皮紙をまき散らしガリガリと大量の構築式や計算式を書き出している。
「構築式が破損していなかったということは反射魔法の起動・発動シークエンスは阻害されていなかったことになる。なら考えられるケースは現象の誤認つまり〈ストーン・バレット〉による攻撃魔法が攻撃魔法として認識されなかった。ということは〈ストーン・バレット〉に別の構築式が上書きされていた。だが魔法を魔法として認識させない構築式? そうだ魔力を認識させないなら俺も王城で使ったディスターブ鉱があるじゃないか、あれの原理を応用すれば、待て。あの鉱石の自然現象を構築式で再現するならとんでもない量の式になるぞ。そんなことは現実的に不可能だ。いや可能だから反射を無効化できたのか。待てそんな技術が存在するならこの国の魔法がこのレベルで留まってるはずがない。だったら次の可能性は」
聞き取れない程の小声でブツブツ呟きながら、ペンを持った手は反射を無効・無視できる可能性のある魔術構築式をズラズラと書き綴り続けている。
その様子を、この国の魔法士たちは最初は遠巻きに眺めていた。しかし今では円卓の中に入り込み、喰いつかんばかりの近さで羊皮紙を覗き込んでいる。
「ねえ……ねえフォート、フォートってば! みんな見てるよ? いいの!?」
「構わない。核になる反射式は描いてないし、それにこの国では構築式は隠さずに公開する流儀だろう。それにどうせ見られたところで理解できるはずがない」
「いや、それは馬鹿にし過ぎだ反射の魔法士」
「レオニングよ。反射の式がどんな物だとしても、そこの構築式は間違っているぞ」
プライドを刺激されたのか、エフォートの書いた式に口を出してくる魔法士たち。
間違いだと言われ苛立ったのか、エフォートは指摘してきた魔法士を睨みつけた。
「そんなことは分かってる。だが実際この式でしか表現できないことが、目の前で起こったんだ。ならまず現象を構築式に起こしてだな」
「その式が破綻しているということは、現象の捉え方が間違っているということだぞ」
「だから! それも分かった上で否定する材料を……って待て、お前らはあのふざけた魔法士の反射無効の理屈を分かってるんじゃないのか!?」
「いやそれが」
「あの女、特に隠している構築式はないと言ってだな」
「我らも理屈が分からなくて、皆で悩んでいたところだ」
「それは……既存の構築式しか使ってないという意味か!?」
エフォートは連合の魔法士たちの話に喰いつく。
「本人曰くな。だがそれを前提で、我らにもいくつか推論がある」
「聞かせろ」
「いいだろう。まずは魔法をマナレベルから計算する微細魔法論から紐解くが」
「ああ」
「紐解くな縛っとけ!」
ダグラスは思わず声を張り上げてしまう。
「そこの魔法オタクども、ストップだストップ……!」
そこでムキになってしまった自分にハッとして、ダグラスは咳払いした。
「んんっ……君たち、ここを何処だと思ってるのかなっ? これから大事な評議会を始めるんだから、そんな話すんだったら議場の外でやれっつーの」
「分かった。では外に行こう」
エフォートが率先して立ち上がり、魔法士たちもついていこうとする。
「ちょちょちょっ、待ってフォート!?」
「オイオイオイッ! 虐殺の反射魔法士! テメーは駄目に決まってるだろーが!?」
「ちっ」
慌てたサフィーネとダグラスに止められ、エフォートは舌打ちして席に戻った。
魔法士たちも残念そうに傍聴席に戻る。
「……サフィ。この会議、速攻で終わらせるぞ」
「それあの人達と魔法談義したいだけだよね!? この会議、私たちと世界の運命がかかってるんだけど!?」
久しぶりに見た魔法のことになると周りが見えなくなるエフォートに、怒りながらもサフィーネはどこか安心する。使命感だけでは辛いだけだろうと。
対してダグラスは、軽薄な表情のままではあるが、内心では苛立っていた。
評議会の直前に彼らの最大の武器である反射魔法を破ってみせ、簡単に身の安全は保障しないぞとプレッシャーを掛けているというのに。
王女はともかく、反射の魔術師の方はどこ吹く風なのだ。
むしろ、これまで都市連合に対して最強だった反射を破った未知のロジックに、心を躍らせているようにすら見える。
お陰でせっかく動揺させたサフィーネまで、落ち着きを取り戻したようだ。
(ちっ……まったく魔法士という連中は、これだから……ま、親父がこいつらに金をかけてくれたお陰で、今があるんだけどな)
ダグラスは振り返って、キャロルを見る。
「ん?」
「いやなんでもない。……それでは諸君!」
ダグラスは立ち上がると、揃った二十五名の議員たちを見回した。
「時間だね、これより緊急評議会を開会するよっ!」
***
「なあ。どうして俺たち、会議に参加できないんだ?」
「仕方ないでしょう。帯剣しての議場入りは禁止とのことです。中での姫様の警護はエフォート殿に任せて、我らは何かあれば突入しましょう」
議場の外のベンチで、エリオットとギールは控えていた。
エリオットはポケットから携帯糧食を取り出して、齧る。
「美味しくないなー。早く都市連合のモウラでオリエンタな料理が食いてー」
「そういえば、エリオット殿下」
「うん?」
「前からお聞きしたかったのですが。殿下の剣技、あれはどこで覚えられたんですか?」
エリオットは口から糧食を吹き出した。
「で、殿下?」
「えー……ああ……うん……頑張ったんだ」
「は?」
「頑張って稽古したんだ。それだけだよ」
「……勇者の仲間のリリン殿と、同じ技を使うと聞きましたが」
「んん? んー、んー、あの子のを見て、真似をしたんだ」
「はあ……前にルースと殿下が戦っていたのを見て、すごい剣技だと思ったので。教えてもらおうと思ったのですが」
「あんまり参考にならないと思うよお? ほら、俺って天才だから?」
「……そうですね。ですが機会があれば、ぜひ手合わせを」
「分かった分かった~」
壊れた玩具のように、エリオットはコクコクと頷いた。
エリオットはこれまでの旅の途中、妹やエフォートから折に触れその力の正体について、厳しい追及を受けてきた。だがエリオットがこんな調子なのに、なぜ今に至るまで、力の正体が判明していないのか。それは。
(本当に……覚えてないんだもんなあ)
そして覚えてはいないのだが、隠さなくては駄目だという実感だけが昔からある。
(なんなんだろ、これ)
いつの間にか治っていたが、前に女神の分体に「処置」とやらをされた時、エリオットは頭の中に靄がかかったような感覚になった。いや正確に言えば、戻った。
それは、物心がついた時からずっと感じていた感覚と同じだったのだ。
靄が初めて晴れたのは、承継魔道図書群が収められている宝物庫の封印を解いた時。
その時から、影写魔晶で見て訓練してみたが出来なかったリリンの剣技まで使えるようになり、さらに上位の奥義まで使えるようになった。
(俺……なんなんだろ)
ひとつだけハッキリしていることと言えば。
それはエリオットが、妹のサフィーネとそのパートナーであるエフォートを助けるために存在しているということ。
それだけは、確信できた。
***
「それではまずサフィーネ・フィル・ラーゼリオン殿下より、今回の亡命の目的を聞かせて頂きましょう。発言を許可します」
議事を進行するのは、今回の緊急評議会を召集したタリアの役目だった。
事前の打ち合わせは済んでいる。
予定通りの段取りに、サフィーネは立ち上がった。
だが。
「あー、いいよいいよ。時間の無駄だから、タリアたん」
王女が口を開く前に、ダグラスが横槍をいれた。
タリアがギッと睨む。
「……レイ議長、どういう意味でしょうか」
「だって王女様、ここに来る前に市民たちに演説ぶったでしょ? 奴隷制を無くして魔王も倒して、世界のすべてを自由にする為にこの国に来たーって。いやあ、流血までして熱の籠った名演説だったらしいねえ。直接見たかったなぁ! 亡命お姫様の名演技! 違った名演説!」
「……っ!」
「でも、わざわざ顔に傷まで残して議場に来たのは、演出が過ぎたんじゃない? すごい魔法士いるんだから、パパッと治せるでしょお?」
議員たちからクスクスと笑い声が起こった。
サフィーネが、エフォートとともに身を切る覚悟で市民たちに直接伝えた、決意と覚悟。
その価値を、ダグラスは軽口ひとつで大きく下げてみせた。
「……議長、反射魔法士は女神の禁忌を犯しており、回復魔法を使えません。殿下の治癒は私がしました」
タリアは拳を握り締め怒りに耐えながら、サフィーネの名誉を挽回しようとする。
「へえー、そうなの。知らんけど」
「……それに! 議長ご自身を含め、ここにいる議員の皆さんはまだ、王女殿下ご自身の口からは何も聞いていません! この場でもう一度」
「あー、大丈夫大丈夫。僕んとこのスタッフが全部聞いてて、一言一句違わずに文字に起こして、評議会が始まる前にみんなに配っておいたからさっ」
「なっ……!」
正式な評議会用の書類であれば捏造はしなかっただろうが、同じ内容でも文字で読むのと熱意を込めて語られるのでは、受ける印象がまるで違う。
語られた言葉が高尚であればある程、夢を語っているだけの理想論に堕してしまう危険がある。
「……そのような資料、私は知りませんが」
「事務局の手違いかなあ? 後で叱っておくねぇ」
「く……その文字起こしに、誤りがあってはいけません。ここはやはり、殿下にもう一度」
「ハート副議長、僕んとこのスタッフがそんなミスをするって思ってるんだ」
目を細め、低い声を出すダグラス。
タリアはぐっと息を飲む。
すぐにダグラスはニパッと笑った。
「そーんな怖い顔しないで、タリアたん! 僕はこんな時間に緊急招集された皆さんの負担にならないようにって、時間を節約したかっただけなんだからさっ」
(……やっぱり手強い、ダグラス・レイ)
サフィーネは歯嚙みする。
(ハーミットとはタイプが違う。兄は相手に喋らせて、その隙を突く。コイツは……)
ダグラスはサフィーネと目が合うと、意地の悪い笑いをにんまりと浮かべた。
(そもそも、こっちに何も言わせない気だ!)
その為の周到すぎる手回しの早さ。
その若さで父親を追い落とし、評議会議長に就任したという手腕は伊達ではないということだろう。
(……けど、裏を返せば)
話させたくないということは、それだけこちらが持っているカードを怖れているということだ。
ダグラスは場の空気を支配しているだけだ。だからエフォートが連合の魔法士達と良い空気になった時に、僅かだが動揺した。
それはダグラスが作り出したい空気とは異なるものだったからだと、サフィーネは考える。
(なら……突破口はある!)
様子見は終わり。
サフィーネは攻めに転じることにした。




