84.黄昏に交錯する思惑
「アテクシ、忘れられている気がするでござーます」
ラーゼリオン王国軍団長ヴォルフラムの執務室で、冒険者ギルドのギルドマスター・ガイルスは盛大なため息をついた。
「なんの話だ、ガイルス」
「なんの話って、ハーミット陛下でござーますよ。あの方は、我が国に冒険者ギルドの本部があることを絶対、忘れてらっしゃるかと。ここまで無視され続けるのは、先王リーゲルト様の時代にはなかったことでござーますよ」
「仕方ないだろう。近いうちに都市連合との戦争が再開するのだ」
応接ソファに腰掛けているガイルスの愚痴に、ヴォルフラムはデスクワークの手を止めないまま応じる。
「大陸中にネットワークがある各ギルドは、事実はどうであれ建前上は公平中立だ。魔王対策や魔物対策ならともかく、戦争準備に冒険者ギルドを加担させるわけにはいかないだろう」
「本気で言ってござーますか? ヴォルフラム卿。ならば都市連合の魔法兵団は、どこの組織から技術供与を受けているとおっしゃるので?」
「私に聞くな。表向きの話をしただけだ」
「そもそもあのハーミット陛下が、そんな建前を気にするわけがないでござーましょう」
「……気にしているフリは、お好きそうだがな」
「……それはそうでござーますね」
「なにか意図がお有りなのだろうが、こんなところで油を売っていても分かる訳はないぞ、ガイルス。今は自分の仕事をしているがいい」
「ハイハイ。卿は良いでござーますね。仕事が沢山お有りで」
「皮肉か? 見たことも触ったこともない新兵器の訓練計画を立てろと、そう言われる身になってみろ」
「ほう新兵器。それは何でござーますか?」
「失言だ。忘れろ、見るんじゃない」
資料を覗き込もうとしてくるガイルズを、ヴォルフラムはシッシッと手を振って追いやる。
本気で隠そうとなどはしていない。今の王国軍と冒険者ギルドは、そういう関係だ。
「ふうん……ヴォルフラム卿」
「なんだ」
「その新兵器とやらの出所は?」
「おいおい、さすがにそこまで言えるはずないだろう」
「ではこれだけ。……もしや、〈ライト・ハイド〉ではないでござーますね?」
いつの間に真顔になっていたガイルスの問いに、ヴォルフラムはデスクワークの手を止める。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「違う。もしあの忌々しい闇ギルドの怨霊どもが絡んでいれば、ガイルス・シーザー。必ずお前には伝える」
「それを聞いて安心したでござーますわ」
ガイルスは背を向けて、ひらひらと手を振る。
「なら『銃』の情報の出所は、例の異世界の叡智でござーますね」
「お前な」
目星はついていたくせに、それをネタにカマをかけてくるあたり、この旧友は油断ならないとヴォルフラムは痛感する。
「その情報、くれぐれも教会には流さないで下さーまし」
「分かっておる! もう失態は繰り返さぬよ!」
そしてリーゲルトを失った過去の過ちを蒸し返すほど性格も悪いと、部屋を出ていく優男の背中に向けて怒鳴り声を上げた。
***
(ちっ、ハーミットめ。こちらから動かなければ情報も寄越さない……。いや、アテクシがどこまで察しているかで、王国内の情報経路を把握するつもりでござーますか)
だとしたらヴォルフラムから情報を得た程度では、新国王は小揺るぎもしないだろう。
ニコニコした表情で王城内を歩きながら、内心でガイルスは苛ついていた。
その為か、自身も高ランクの冒険者でありながら、彼はそれに気づくことができなかった。
「――っ!?」
体が動かせない。
声も出すこともできない。
(呪術!?)
王城の人気のない廊下。
その柱の陰から、術者と思われる曲刀を下げた獣人が姿を現した。
ガイルスは息を呑む。
(この猫の獣人……たしかニャリスとかいう、勇者の仲間でござーますか!?)
ガイルスは自らの油断を呪う。
ニャリスは動けない彼に、ツカツカと歩み寄ってきた。
そして。
「……乱暴な真似してごめんニャ。危害を加えるつもりはニャいから」
囁くような声で詫びる。
「自分の意思で動けるのは、一日に一刻も満たニャいんだ。だから時間が惜しくてこんな方法しかとれニャい。許してほしいニャ」
ニャリスはびっしょり汗だくで息も荒く、話すのも精一杯の様子だった。
「……意思……を、奪われ……て? そんな……隷属魔法、が……?」
「あ、まだ喋れるニャんて凄い。……簡潔に話すニャ、ギルドマスターさん」
この時、ニャリスから伝えられた情報。それがこれからのガイルス自身と冒険者ギルドの運命を、大きく変えていくこととなる。
***
タリアに先導されて、サフィーネ達四人は評議会議場に向かってルトリア市街を歩いていた。
「属性変容魔法……ここまで使えるとはな。あとは反射だけで、大抵の状況には対応できそうだ」
「油断しないでよ、フォート。あの吸魔錠っていうのだって、聖霊獣の角が無かったら、破れなかったでしょう?」
「あれはサフィが必要もないのに、わざわざ」
「あ・れ・は・演・出。最初っからフォートの実力を見せつけておく必要があったのよ。評議会で舐められたら終わりだから。まさか議場で魔法ぶっ放すわけにもいかないし」
前で聞いていたタリアが、顔だけ振り返る。
「市街の個人宅で戦略級撃たせるのも、充分頭がオカシイと思うけどね。殿下」
「あっ……あはは」
サフィーネは乾いた笑いを返す。
タリアは、昔馴染みのこの王女がこの都市についてからもう何度目か数えたくもない、深いため息をついた。
「あははじゃないよ、お騒がせ王女め。おい反射魔法士」
そして横を歩くエフォートに、タリアは視線を移す。
「なんだいさっきの魔法は。人体や建築物に一切被害を与えないで、武器防具だけを破壊する? あの市長に至っては毛髪だけ吹き飛ばすとか、器用な真似までしていたじゃないか」
「はい」
「どういう構築式だあれは。どうやればあんな事ができる?」
ストレートなタリアの問いに、エフォートは少し驚いて、それから軽く頭を下げる。
「……すみません。サフィに味方して下さるタリア様には、できる限り話したいのですが」
「! ああ……そうだった。わかってる」
気づいたタリアは、優美な仕草で髪をかきあげた。
「本来、魔術構築式は秘中の秘とすべき物で、軽々しく他人に伝えていいものじゃない。……ダメだね、この国にいるとそんな常識を忘れてしまう」
「都市連合では、スクリプト研究の成果を互いに公開し合っていると聞きました」
「ああ。同じような研究を複数のチームが成果を隠しながら行うなど、時間と労力の無駄だからな。先の評議会議長が、魔術ギルドに連合内では戦術級以下の構築式の秘匿を禁じたんだ」
「国内限定とはいえ、よくギルドが承諾しましたね」
「それはもう、裏で血で血を洗う計略策謀があったらしいよ」
そこまでタリアが話した時だった。
唐突に、エリオットが右側に、ギールが左側に飛び出してくる。
「抜かないで!」
サフィーネの鋭い声は、剣を抜くなという意味だった。
指示どおりに、二人は剣の鞘で飛んできたそれを弾く。
「……この悪魔!」
「人殺しめ! 息子を返せ!」
二人が弾いたそれは、ただの小さな石。
だが抑えきれない憎しみの感情が、投げさせた石だった。
議場に向かって歩いているエフォート達を、集団で遠巻きにずっと睨みつけていた、ルトリア市民たち。
愛する者を殺した実行犯を目の前にして、彼らは感情を抑えられなくなったのだ。
「待ってみんな、やめてくれっ!」
タリアは市民達に向かって叫ぶ。
「虐殺の反射魔法士はもう、ラーゼリオンの人間じゃない! それにあれは、国と国の戦争の中で起きたことだ! 今の彼らはこの国に亡命を」
「黙れっ! 裏切者め!」
今度はタリアに向かって、侮蔑の叫びとともに石が投げられた。
エリオットがそれをカツンと弾く。
反射を使うまでもなく、市民の投石は物理的な意味で脅威ではない。
だがサフィーネたちの足は止まり、市民たちはますますヒートアップしていく。
「わたしの夫は、その魔法士に殺されたのよ!!」
「ワシの息子もだ!」
「亡命なんて許すな! 死刑だ、死刑にしろ!!」
「パパを返せぇっ!」
「お兄ちゃんを返してぇっ!」
「悪魔! 反射の悪魔め!!」
反射魔法士に怯えて控えていたのだろうが、まばらな投石に対しエリオットとギールだけが対処していることに安心したのか、市民からの投石はどんどん増え、激しくなっていく。
「……すまない、エフォート君」
「それは大丈夫なんですが」
詫びるタリアに、冷静極まりないエフォートは別の心配をしていた。
「サフィ、どうする?」
「……」
一方でサフィーネが、これまでのカラ元気は鳴りを潜め、自分が名指しで非難されているかのように青い顔をしている。
「……兄貴、ギールさん」
そして少しの間の後、ぎこちなく口を開いた。
「ヘタにフォートの反射を使って、市民を刺激したくない。議場に着くまで、投石にはこのまま二人で対処してほしい。できる?」
「楽勝だよ」
「はい」
「ダメだ」
二人が了承したサフィの指示を、エフォートが否定する。
ビクッと肩を震わせるサフィーネ。
「違うだろうサフィ。ここまできて躊躇うな」
「でも……フォートが」
「軍に入った時から覚悟はできている。既に血で汚れきった身だ。それはたとえ直接ではなくても、自分も同じだとサフィは感じてたんじゃないのか?」
「……フォート」
エフォートは、この世で誰よりも自分を理解してくれている。
そう信じられるサフィーネは、笑った。
「……逃してくれないね」
「共犯だからな」
「うん!」
震えが止まったサフィーネは、顔を上げて市民たちの前に歩み出る。
「都市連合の皆さん!!」
小さな体のどこからそんな大きな声を出せるのか。
王女の言葉は街に響き渡る。
「私はサフィーネ・フィル・ラーゼリオン! 皆さんが石を投げるこの者に、戦略級大魔法の反射を命じた王族です!」
ざわっとどよめきが、市民達の間に広がった。
「私は、奴隷制を否定するこの国と手を取り合う為に、ルトリアへと参りました! 今のラーゼリオン王国と共存はできない、その意味では皆様と志を共にする者です! ……ですが!」
まもなく、日が沈もうという夕刻。
建物の隙間から差し込む茜色の日差しが、サフィーネを照らしている。
「皆様の同胞を殺めた、罪は罪! 逃れるつもりはありません! ……それでも、このまま憎しみの石を受け倒れるわけにも、いかないのです!」
胸に手を当て、正々堂々と市民たちへとその身を晒す。
逃げも隠れもしないと。
「多くの人々の自由を奪い、戦わせてきた兵士たちの血を啜って、私は今日まで生きてきました。その私には、為さねばならないことがあります。それは、ここにいる虐殺の反射魔法士を従えて、ラーゼリオンを悪しき奴隷制度から解き放つこと。そして魔王を倒し、都市連合を含む世界のすべてを自由にすることです! どうかその時までは! 私たちがこの国の末席に座ることをお許し下さい!!」
王女の声は、どこまでも通った。
それはエフォートが無詠唱で風の魔法を起こし、音を運んだ為だけではない。
揺るぎない覚悟と決意。
見た目は幼いが、その意志の強さは初めて声を聞く者にも、その言葉を信じさせる誇りが感じられたのだ。
投石や罵声は落ち着き、少なくとも今この場でエフォート達を排斥しようという空気は薄れていく。
「……ちっ」
それでは困る者たちがいた。
「信じられるものか! ラーゼリオンの小娘が!」
「敵だ! その女も悪魔の仲間、敵なんだ!」
「殺せっ、この場で殺すんだ!!」
再びの投石が始まった。
冷えかけた狂熱の空気に、また火が灯り始めていく。
「先導している奴らがいるね。……あいつめ、相変わらずいやらしい手を使う」
「構いません、想定内です」
吐き捨てるタリアに、サフィーネが小声で応じた。
そして、投石の中で更に前に出る。
「姫様っ、駄目です」
「サフィーネ、危ないから下がって!」
盾になろうとするギールとエリオットだったが、王女はそれを押しのけた。
「……サフィ」
「まだだよ、フォート」
ゴッ!!
サフィーネの額を、石が掠めた。
「姫様!!」
「サフィーネ!!」
「……!」
流れる血が、王女の視界の半分を赤く染める。
だがそれでも、サフィーネは倒れない。
前だけを見て、市民たちを見据え続ける。
「……ちょっと……」
「ま、待ちなよ、みんな……」
「あの王女様、怪我を」
「まだ子どもじゃないか、もう止めようぜ……」
流血を見て手を止める者たちが、徐々に増え始めた。
だが。
「ふざけんな!」
「俺は家族を殺されたんだ!」
「ぶっ殺してやろうぜ、ラーゼリオンめ!!」
それでもまだ民衆を焚きつけようとする者達がいた。
エフォートは目に届く範囲で扇動者たちを確認すると、視線をサフィーネに送る。
「……申し訳ございません、皆さん!」
サフィーネは流れる自らの血を拭って、再び叫んだ
「私はこのまま、倒れるわけにはいかないのです! ……エフォート!!」
「天地返すは、星体の自明! 反駁の命を我は紡ぐ! 〈マテリアル・リフレクト〉!!」
エフォート一行に向けられていた投石の雨が、一斉に反射された。
「きゃあああっ」
意図的に長く紡がれた詠唱によって、それが反射の悪魔による反射魔法だと一般市民たちにも認識されて悲鳴が上がる。
「うわああっ!?」
「わあああっ、し、死ぬぅっ……え?」
投石の雨は、ひどく偏って反射されていた。
すべて、暴動を扇動していた男たちを狙って撃ち返されている。
その者たちにしても、怪我は何一つ負っていない。その足元や背後を狙って掠めるように反射されていた。
「なっ……なっ……」
「……ちっ」
男の一人がその石を拾い上げ、自らの頭に打ちつけた。
「ぎゃああっ!」
流血して倒れ、わざとらしくのたうち回る。
「や、やられたぁっ! 虐殺の反射魔法士に」
「おいおい、それは無理あるだろう?」
「っ!?」
いつの間にか、タニアが男のすぐ近くに立っていた。
一芝居打とうとしていた男の手を取って、無理やり立ち上がらせる。
「なっ!?」
「ねえボク、今、見てたよね。このおじちゃん、何してた?」
横にいた少年に、タリアはにっこり笑って問いかける。
少年は、とてもいい子だった。
「このおじさんね、落ちてた石を拾って、自分で自分のことを叩いてたよ! 他にもねえ、お姫様に意地悪なこと、いーっぱい叫んでた!」
「だ、黙れこのガキ!!」
「おっと」
少年に掴みかかろうとした男の腕を、タリアはひねり上げる。
「おや? よく見たらお前、どっかの誰かさんの議員事務所で、よく見かける顔だねえ?」
「く……!」
「悪ふざけはここまでだよ。今この場で正体を暴かれたくなかったら、とっととお仲間を引き上げさせな!」
タリアに突き飛ばされた男は、這々の態で逃げ出す。
その他の煽動者たちも、いつの間にか姿を消していた。
***
「これが、都市連合評議会議場……ですか……大きいですね」
タリアに最低限の治癒魔法で出血を止めてもらったサフィーネは、額に傷を残したままの顔で、ようやく着いた評議会議場を見上げていた。
「……サフィ」
「なんて顔してるのフォート。ああもう、兄貴もギールさんも! 大丈夫だって。こんな傷、後でミンミンが綺麗さっぱり消してくれるから」
そう笑ったサフィーネは、評議会の職員に促されて会議場の正門を通り抜け、開かれた扉の向こうに足を踏み入れた。
「わーい、いらっしゃい! そして死ねえ! 〈ストーン・バレット〉ぉ!」
「サフィ!!」
今度こそ本気で、エフォートは王女の前に飛び出し反射壁を展開する。
石礫が空気を切り裂く音が、エフォートの耳元を通過した。
「な……に?」
エフォートの頬に、すっと一筋の血が滲む。
(反射壁を抜かれた……まさか!?)
反射魔法はまだ、エフォートの前に展開されている。つまり魔旋のように砕かれたのではなく、すり抜けられたのだ。
それも、ただの初級の土魔法で。
「やったぁ成功ぉ! あーでも、ちょっちズレちった?」
会議場の扉の正面で待ち構えていたのは、エフォートと同じ年頃の美少女。
長い金髪を頭の横で2つに束ね、二つの尻尾のような奇抜な髪型をしている。
「あーもう悔しー! よし、もう一回だ!」
「はいストップー。 キャロ、残念だけど時間切れぇー」
再び魔法を放とうとしたツインテールの少女。その肩を、背の高い優男が軽いノリで止めた。
「えっ、時間切れ? 嘘でしょ?」
「ほーんと。さっき事務局が、ハート議員が申請した亡命承認書を正式に受理しちゃった。虐殺の反射魔法士は、もう敵じゃないよー」
「ええー、そんなの納得いかなーい」
「まあまあ、落ち着きなってばさっ」
人を殺しかけておいて、目の前で軽いノリの会話を続ける二人に、サフィーネ達は声も出ない。
「な……な……なんなんですか……貴女たちは……!」
「んー? キャロのこと?」
ようやくサフィーネが絞り出した誰何に、ツインテールは小首を傾げる。
そして、愉しげにニイッと笑った。
「キャロは、キャロル・キャロラインだよ! ここでは、ふざけた女魔法士って呼ばれてるよっ!」
クルリと回ってまた笑うキャロルの口には、ギザギザの獣のような歯が覗いていた。
そして今度は、軽い優男の方が前に出てきて頭を下げる。
「僕は、ダグラス・レイだよ。ここでは評議会議長なんていう、つまらない仕事をしてる。よろしくねっ」
「な……!」
「お前がぁ?」
驚愕するギールにエリオット。
顔を上げたダグラスは、にこやかに両手を広げた。
「ようこそ都市連合へ、一瞬前まで敵だった皆さん! 僕と都市連合は、皆さんを大いに歓迎するよ!」
(……ヤバい、コイツがあの男と同種だ……)
サフィーネはこれから始まる緊急評議会の困難さを実感して、改めて気を引き締めた。




