61.ナイトメア・バインド
「先手必勝ぉッ!」
ルースは突貫する。
本格的に精霊術を行使されれば、火力で負ける。
いかに高い防御力を持つルースでも、エルミーが誇る最大の精霊術、七大上位精霊の一斉攻撃を受ければただでは済まないだろう。
だからその前に。
「その精霊ごとッ! 叩き潰す!!」
「ひどいね、ルース。〈魔旋〉ッ!」
ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリ!!
エルミーは精霊術に使うと思われた高めた魔力を、片手杖に注ぎ込んでいた。
魔旋と魔旋が激突する。
「ワタシを、殺して、モチヅキ様を、裏切って、逃げるんだね!」
「だからアタシはッ!」
「もう嘘ついても、無駄。ルースは正気。精霊が言ってる、裏切り者、確定だって!!」
ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリ!!
激しさを増す魔旋の嵐の中で、女たちは吠え続ける。
「ルースも……エルカードと同じッ!!」
「誰それ!? アタシは裏切ってないっ! 目が覚めただけだ! だから分かってほしいんだ!」
「殺そうとしてる、くせに! モチヅキ様から貰った、その斧で!」
「違う!! アタシが潰したいのは!!」
ピシ、ピシ、ピシ……!
「その……シロウ様の力だぁっ!」
バキィィン!
斧と片手杖が同時に砕け散った。
「やっ……た!」
「何が、やった、なの?」
全力を使い果たして膝をつくルースに対し、エルミーはまだ魔力に余裕があった。
「上位氷雪精霊! 上位火精霊! 氷結と劫炎、二つの力で、いくら鈍感オーガの、あんたでもっ!!」
エルミーの精霊術による、分子結合を破壊する絶対温度差攻撃。
「いけえッ!!」
無慈悲な精霊魔法が、ルースに向かって放たれた。魔旋を纏う戦斧を失ったルースに、防御手段はない。
しかし。
「ううん、アタシの役目はここまでなんだ」
「えっ?」
キィィィィッ……ン!
破滅の魔法はルースの前に斜めに出現した反射壁に阻まれ、上空へと跳ね返された。
「よくやった、ルース」
不可視の魔法インビジブルが解除され、ルースの顔の横から伸ばされた腕が現れた。
そして姿を見せたのは、王国最強の反射魔術師。
「後は、俺の仕事だ」
「……エフォート・フィン・レオニング……!!」
ギリッとエルミーは歯噛みする。
「お前さえっ、いなければっ! 風精……」
「遅い」
キィン!
精霊術を放たれる前に、半透明の輝く反射壁がエルミーを囲い込んだ。
「く!?」
それは三角錐の結界が敷かれた形だ。エルミーは精霊術も含めて、完全に身動きを封じられる。
「片手杖がなければ〈魔旋〉は使えないだろう。お前はにもう、その反射の牢獄を脱出するすべはない。俺たちの勝ちだ、エルフの精霊術士」
「やったね、レオニング!」
ルースは掌を上げる。そして、つられて同じように上げられたエフォートの掌をパァンと叩いた。ハイタッチだ。
「!? ち、違うだろ、お前は俺に操られて……」
「あ、そうだった。ごめんごめん」
まだ演技が通用しているつもりのエフォートは慌てるが、ルースは悪びれもせずテヘッと舌を出した。
「なんなんだ!」
半透明の反射壁の中から、エルミーは叫ぶ。
以前の勇者選定の儀でシロウと自分自身を囲んだ時と違い、一定の光と音は透過させている為、鏡のようにはなっていない。
エルミーの側からも、外のエフォートとルースの様子はうかがうことができた。
「この、裏切り者と、卑怯者! ワタシを、ここから出せ!」
「ルースは俺の操り人形だ。お前も同じように支配されたくなければ……」
「芝居は、たくさんだ! この、大根役者!」
「ダイコン……」
王城の時といい、今といい、ことごとく芝居を見破られてエフォートは軽く凹む。
ルースはその肩をポンポンと叩いた。
「まあまあ。お前そういうの向いてないんだって、レオニング。……エルミー、落ち着いて聞いてほしいんだ」
ルースはエフォートを慰めてから、反射壁の向こうのかつての仲間に向き直る。
「何を? 言い訳を?」
「……さっきアタシに、『エルカードと同じ』って言ってたよね。それってもしかして、いつかアタシとリリンに話してくれた前カレの名前?」
「! 関係、ないでしょ」
「……エルミーがシロウ様の奴隷になった時、本当は何があったの?」
「関係ないでしょ!」
「関係はある」
気を取り直したエフォートが、口を挟んだ。
「六年前に起きた、聖霊獣エル・グローリアによる破滅の危機。エルフは王国の、王国はエルフの大森林破壊が原因と主張していたな」
「……」
「そして今また、森に火をかける輩が現れた」
「あんたの仲間、でしょ。反射の魔術師」
「そう、シロウに言われたのか?」
「……」
エフォートの反問に、エルミーは口を閉ざす。
「俺たちが森を焼いて、エルフの谷を滅ぼすと言われたのか?」
「事実、でしょ?」
「それでどうしろと言われた? 森が焼かれるのを防げと言われたわけじゃないんだろ」
「……」
エルミーは視線を逸らした。もとより本人にその気はないだろうが、隷属魔法の支配下にあるエルミーはシロウに不利になる情報を喋ることはない。尋問に意味はないのだ。
だからエフォートは、一方的に話を続ける。
「では六年前の話だ。シロウは聖霊獣を倒し、戦略級魔法〈グロリアス・ノヴァ〉のスクリプトを奪ったな?」
「……」
「断言するが、森を破壊して聖霊獣を目覚めさせたのはシロウ・モチヅキだ。エルカード、とやらじゃない」
「……黙って」
「ルースから聞いていたが、やはりその男が濡れ衣を着せられていたんだな。どこかで聞いたような話だ」
「黙ってって、言ってる!」
「それをお前は分かっていたのか。分かっていて、シロウについていったのか。何故だ?」
「関係ない! 関係ない! お前達に、関係ない! ここから、ワタシを出せ!」
エルミーは中から反射壁を殴りつけた。
当然、同じ力で拳を殴り返され、エルミーは顔をしかめる。
「……その時のこと、六年前に起きたことを詳しく話せ。そうすれば、そこから出してやる」
「な、に?」
「交換条件だ。 過去の聖霊獣の復活と封印、それにお前が奴の奴隷になった経緯。すべてを話せ」
「……お前が、その条件を守る、保証なんてない」
「約束する、と言っても信じないだろうが 、ならずっとお前はそのままだ。それでシロウの命令は果たせるのか?」
「……!」
「嘘はつくな。もし少しでも嘘だと感じたら、反射壁はずっとそのままだ」
エルミーはギリッとまた歯噛みする。
そして少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
***
ミンミンは、後ろから自分に銃をつきつけているサフィーネの手が、まったく震えていないことに気がついた。
ためらいがない。迷いがない。
それは、彼女が自分の正しさを確信しているということ。
ミンミンがサフィーネ王女を知ってからの時間は短かったが、それでもその人となりを知るには充分な出来事が多くあった。
だから、分かる。
目の前ではシルヴィアが呆れたような表情を浮かべていた。
「この妾を相手に人質じゃと? 王女殿下。本心なら愚か、妾を謀るつもりならもっと愚かじゃ」
「ーーッ!?」
ググッと、銃を持ったサフィーネの腕が本人の意思に反して動いた。
ミンミンの頭に向けていた銃口は、何もない上の空へと向けられる。
「……く、傀儡眼……!?」
「その気になれば、殿下自身も撃たせることはできるのじゃぞ? 妾は女の子には優しいからの」
バン! バンバンバンバン……!
十二発の銃声が木霊した。
「シロウの坊やから聞いたことがある。『銃』とやらは弾丸に限りがあるのじゃろ? 空っぽになったその銃で何ができるかの」
「く……そ」
強制的に弾丸を無駄にさせられたサフィーネは、傀儡眼を解かれて地面にへたり込んだ。
「さて、ミンミンよ。妾と共に来るのじゃ。どうかシロウを見捨てないでやっておくれ」
黙して俯いているミンミンに、シルヴィアは優しく声をかける。
ミンミンは下を向いて前髪で表情を隠しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ボク、本当は九歳なんだよ」
「うん?」
ミンミンの言葉の意味を、シルヴィアは計りかねる。
「だから、ボクに見捨てないでって頼む人より……ボクを見捨てないでくれる人たちと、一緒にいたいよ」
「ミンミン? 何を言って」
バァン!
一発の銃声が響いた。
「……な、何故じゃ……その銃の弾は、撃ち尽くしたはず……」
額に穴を穿たれたシルヴィアは、硝煙の上がる銃口を向けているサフィーネに驚愕の目を向ける。
サフィーネは、そしてミンミンは視線をシルヴィアに向けたまま薄く笑った。
「間に合ったみたいだね、お姫様」
「最後の一発がね。ありがと、ミンちゃん……開け! 我が秘せし扉っ!」
サフィーネは右手で銃を操作し空になった弾倉を排出すると同時に、左手に新たな弾倉を出現させ、ジャコン! 銃底に押し込んだ。
「リロードッ!」
「……させぬ!」
シルヴィアの瞳が妖しく光る。
同時にミンミンが両手杖を突き出した。
「〈マインド・ガード〉ッ!」
「ミンミン!? ……そうか、さっきも王女に!」
「ごめんシルヴィア、ボクはもう絶対に戻らない!」
「いけえっ!!」
ガンガンガンガンガンガン!!
サフィーネは両手で拳銃を構え直し、連射する。
シルヴィアの身体に次々と紅い華が咲くように、鮮血が弾ける。しかし。
ガチッガチッガチッ!
「……くくく」
本当にリロードした弾倉が空になるまで撃ち尽くしたサフィーネ。だが、目の前の吸血鬼は倒れる様子を見せなかった。
「無駄じゃ、王女よ。所詮は鉛玉を飛ばすだけの武器。吸血鬼の真祖たる妾を斃すことはできぬ」
「……鉛玉? なんのことかしら」
「なに?」
ビクン、と身体を震わせるシルヴィア。再生されない己の身体に視線を移す。
「まさか、サフィーネ王女……」
「吸血鬼には、銀の武器を。道具創造で銀の弾丸を無から創るのは大変だったけど……こんなこともあろうかと、ね」
冷や汗を流しながらも、サフィーネは笑ってみせた。
「開け、我が秘せし扉」
そしてまた、新たな弾倉を装填し直して、銃口を向けた。
「ふふ……ふはは、ふははははっ!」
血みどろの身体で、シルヴィアは愉しげに笑う。
「見事じゃ殿下! 異世界の知識と承継図書、そしてミンミンの力を借りたとはいえ、この妾を相手にここまで戦うとは! じゃがーー」
「ここまで?」
「まだまだ、続くぜ」
男たちの声は、シルヴィアの背中から響いた。
「とりゃあ!!」
「なっ?」
エリオットの剛剣が、一瞬早く身を翻したシルヴィアが居た空間を裂いた。
「焼き尽くせっ! 〈フレイム・バースト〉!」
「ちぃっ!」
ガラフの放った戦術級魔法が吸血鬼を焼く。だがシルヴィアは圧倒的な魔力を行使してレジスト、火焔を跳ね飛ばした。
「〈マインド・リフレッシュ〉で仲間を目覚めさせおったか! 止めよミンミン、妾の話をーー」
「ああああ!」
ガンガンガンガンガンガン!
サフィーネの手で再び銀弾が連射され、シルヴィアはまたその身に銃痕を増やしていく。
「く、しかたないっ……ここは……!」
シルヴィアはその身を無数の蝙蝠に変えていく。一度退却し、体勢を立て直すつもりだった。だが。
「逃がさないっ! 裂空斬・嵐!!」
エリオットの剣閃の嵐が吹きすさぶ。蝙蝠たちは次々と両断され消滅していく。
「ミンちゃん! ガラフ君にもう一度、力を!」
「力の根源、魔の泉! 今こそ溢れ器を満たせ! 〈マインド・アップ〉!」
サフィーネの指示に従い、ミンミンはガラフに魔力増強魔法をかけた。
「サンキュー! よっしゃ〜、これならいけるぜ! グレムリン混じりの本領発揮だ!!」
ガラフの叫びとともに、シルヴィアの周りを囲むように紫色の火柱が上がった。それは実際に熱を持つ炎ではなく、精神を蝕む闇の具現化。
「戒めの夢、妖鬼の束縛! 汝縛るは漠たる鎖! おりゃー! 〈ナイトメア・バインド〉!!」
闇の炎柱から暗黒の鎖が飛び出し、蝙蝠に変化しようとしていたシルヴィアの本体に巻きついていく。
「くだらぬ! このような低級な闇魔法が、夜の王たる妾に……何!?」
レジストを試みたシルヴィアだったが、逆に変化を強制的に解除され、そのまま身動きを封じられていった。
夜の王は驚愕に目を見張る。
「な、なぜっ……」
「やったぁ! うまくいったぜ!」
「小僧! 何故じゃ、なぜ妾を封じることが!?」
「へへん! オイラの実力さ!」
ガラフは胸を張ったが、シルヴィアはそれを可能とする存在をすぐに思い出した。
「……そうか、承継図書じゃな」
「げっ」
「あっ、いきなしバレた」
「兄貴! シーッ!」
今朝未明。エフォートは驚異的な魔力回復速度を持つガラフに、一冊の承継魔導図書を読ませていたのだ。
魔導書ガチャは小当たり、といったところで、相手の精神を束縛することで肉体の封印を可能にする、精神操作系の延長にある闇魔法だった。
物理的な耐性は弱く、また長時間の効果も見込めないが、対魔力に限定すればレベル差に関係なく効果絶大。グレムリン混じりのガラフと相性がよく、消費魔力も少なく小回りが利く魔術構築式で、エフォートは大当たりだと喜んでいたのだ。
「馬鹿な、なぜ貴重な承継魔法をそんな簡単に、魔物混じりの亜人にまで渡すのじゃ……!」
「……フォートは、そんな意味のない差別をしないわ」
サフィーネは縛についたシルヴィアにも油断せず、銃を向けたまま言い放つ。
「才能がある者には、それに適した力を渡す。独占することしか頭にない転生勇者には、理解できないでしょうね」
「ふ……そうか、そうじゃな」
シルヴィアは、あっさりと諦めたように座り込んだ。
紫色の鎖の束縛を甘んじて受け、苦笑いを浮かべる。
「滅ぼされるとは思わぬが……しばし抵抗はできぬな。この場は、おとなしく負けを認めるのじゃ」
「……シルヴィア」
ミンミンが、銀弾により傷だらけのシルヴィアに回復魔法をかけた。
銀の力により吸血鬼が自力で治せなかった傷の血が止まり、シルヴィアの身体は急速に治癒されていく。
「ミンミン……?」
「シルヴィア、本気じゃなかったでしょ? お姫様の仲間、殺しておけば良かったのにそうしなかった」
「……まだルースを取り返さねばならなかったのでな。それこそ人質とするつもりであったよ。それより」
シルヴィアはサフィーネ達を見る。
「良いのか? 妾を回復させて。この承継魔法にそれほど自信があるのか?」
「あ、そういえばあんま長い時間は無理だったよな? その魔法」
「兄貴、もう黙って! ……はあ」
迂闊な発言を続けるエリオットに、サフィーネはため息をついた。
「……そういうわけだから、こっちも貴女に色々と協力して貰わないと困るのよ」
「治癒を見逃したのはギブアンドテイクというつもりか? 言うておくが、妾の命はカードにならぬぞ。妾は不死じゃ」
吸血鬼の真祖は事も無げにさらりと言う。
「けど貴女にはシロウの為に、望みがあるんでしょう?」
サフィーネはミンミンの肩に、ポンと手を置いた。一瞬ギョッとするミンミン。
「無駄じゃ。そなたにミンミンを見捨てることはできぬ」
「……それは分からないわよ」
「サフィーネ殿下。そなたもレオニング並みに、芝居が下手じゃの」
「……傷つくわね」
ミンミンの肩から手を離して、サフィーネは割と本気で凹んだ。
「ふははっ……よかろう。サフィーネ殿下、そなたの望みはなんじゃ? 聖霊獣の復活阻止は無理じゃぞ? 策は妾の手の届かぬところで動いておる」
「……ハーミットね」
シルヴィアは沈黙するが、サフィーネはそれを肯定と受け取る。
「……なら、六年前のエル・グローリアの復活と再封印について教えて。対処方法があるはずよ」
「よかろう。じゃが、妾の要求にも答えてもらうぞ?」
「内容によるわ」
シルヴィアは一呼吸おいてから、語り始めた。
***
「……嘘よ」
「僕は嘘をついていないよ」
語り終えたエルカードを前にして、リリンはうなだれていた。
「嘘よ……だって、それが本当なら、シロウは」
「もし嘘なら、僕はここに六年も繋がれていない。それくらいは、分かるよね?」
「……信じない」
「ならそれでもいいよ。僕は霊水と、君がエルミーの友達になってくれたお礼に真実を伝えたかっただけ。君が信じたくなければ……それでもいい。僕はエルミーが幸せなら、それでいいんだ」
ポツンと、リリンの汗が地面に落ちる。暑くもないのに、リリンはビッショリと汗をかいていた。
今のエルカードのように、まるで悪夢の鎖に全身を繋がれているかのような気分だった。




