38.王家承継魔導図書群
訊問を受けていた軍の施設、その地下牢にエフォート達は監禁された。
ただし王城地下の結界牢と違い、対魔術用の措置など一切取られておらず、いつでも出る事ができる。
エフォート達にしてみれば魔物の警戒をせずに休める、現時点で理想的な環境だった。
「焦ったよ……管理兵団のトップが、あんな無能オブザ無能だと思わなかった……」
「サリィお姉ちゃん、なんか疲れてるね」
「あ、芝居はもういいよ。兄貴もお疲れ様」
「なんだ、ようやく慣れてきたとこだったのに」
おまけに三人とも同じ牢で、拘束もされていない。
バーブフとかいう団長はともかく、実質的リーダーのギールというオーガ混じりは、そんなことをしても無意味だと気づいているのだろう。
「では殿下、俺はこれから本格的な瞑想に入って、魔力を大回復します。殿下も後でアイテム・ボックスから承継図書を出してもらうので、休んでいて下さい」
「あ、あのフォート……」
淡々と語るエフォートに、サフィーネはおずおずと声をかける。何を言いたいかはエフォートには分かりきっていた。
「……次からは、退路を断つ前に相談して下さい」
「……ごめん」
「俺を信用できなかったんですか?」
「違うよ、フォートのことはいつも一番に信じてる! ……でもフォート、私を都市連合に亡命させる為なら、〈魔王創造種の暴走〉を止めるつもりなかったでしょう?」
「それは俺たちの仕事じゃないからです」
「ハーミットは村や領地の三つ四つ潰されても、私たちの……承継図書の確保を優先する。都市連合との国境に配置するだろう軍を、あいつはこの状況で絶対に動かさないわ」
「だからと言って、呼び寄せるような真似は危険過ぎます。必要な時には非情に、と言ったのは殿下ですよ」
「でも……」
下を向くサフィーネに、エフォートはふっと笑った。
「まあ、殿下に国の民を見捨てる真似ができないのは、分かりきっていた事でした。エリオット王子のように、それを素直に言ってくれれば良かったですね」
「……ん?」
名前が出てエリオットは首を傾げるが、口は挟まない。
「……そうだね、次からは」
サフィーネは素直に頷いた。
実際に、サフィーネが戦う力を持っているわけではない。苦労させることになるのはエフォートなのだ。
そのエフォートの意思を問わずに状況を進める卑劣さを、サフィーネは自覚していた。
領民の命を天秤にかけられないなど、サフィーネのエゴでしかない。
今はパタリと、横になる。
「寝る。おやすみ」
「はい」
目を瞑るサフィーネ。
エフォートも胡座をかいて、本格的な瞑想を始めた。
そんな二人を、ぼんやりと眺めているエリオット。
「……面倒くさい二人だなあ」
ぼそりと呟くと、エリオットは牢屋の格子近くに移動してから座り、警戒しつつ目を瞑った。
***
「開け、我が秘せし扉」
翌朝。
牢の中で、サフィーネはアイテム・ボックスを開き、とうとう王家承継魔導図書群の数冊を取り出した。
「全部で百二十三冊ある内の、とりあえず五冊だよ」
「異空間収納している状態では、どんな魔術構築式について記した本かは分からないんでしたね」
「うん。私のレベルだと、収納している物の形は分かるんだけど、視えはしないんだ。まあ、視えたとしても読めないけど」
石の床に並べられた五冊の魔導図書は、一見して何処にでもありそうな古い書物だ。
だが、エフォートに比べたら素人同然のサフィーネにも、その古い書物がとんでもない力を秘めた魔導書であることが、感覚で理解できた。
得体の知れない迫力、としか言いようがない。
「表紙の文字は、フォート読めるの?」
「古代語です。かなり古くまで遡って勉強しておいたのですが……無理ですね。中身に期待するしかありません」
「どういう意味?」
「こういった古代の魔導書は、魔法の内容を構築式の形で記してあることが一般的です。大抵は見るだけで覚えることができる。ただし」
「ただし?」
「覚える魔法のレベルに見合った、相応の魔力を強制的に消費させられます」
「……魔王を倒せる魔法に、相応の魔力……」
サフィーネはゴクリと唾を飲む。
「だから、安全な場所に来るまで本を開けませんでした。正直、どれだけ消費するか想像もできない。しかも全部で百二十三冊。中には直接的には使いどころのない魔法もあるでしょう。今の俺の魔力は、全快の三割くらいです。もしハズレを引いて、その上魔力をほとんど消費するようなことになれば」
「今の状況だと……まずいね」
緊迫した空気が流れたところで。
「……ぐがあ……ぐぅ……」
一人爆睡していたエリオットのイビキが響いた。
二人は苦笑する。
「……兄貴ったら」
「休ませてあげましょう。俺たちが魔力回復している間、気を張ってくれていたようです」
サフィーネは頷いた。
エフォートは承継図書に視線を戻す。
「さて、迷っていても埒があかない。最悪、本を開いた瞬間に俺が気絶する事態も覚悟しておいて下さい」
「そこまで……?」
「もしそんな代物なら、それこそ無限の魔力を持つ転生勇者のような存在にしか扱えない力ですね」
「そうじゃないこと、祈ってるよ」
見つめ合い、頷き合ってから。
エフォートは一番右の承継図書を手に取り、サフィーネからは見えないようにして、ページを開いた。
「……っ!?」
即座に本を閉じるエフォート。
離した場所に置いてから、両手を床について蹲った。
「……エフォート?」
パタパタッと石の床に血が落ちる。エフォートは鼻血を流していた。
「フォート!? 大丈夫っ、フォート!?」
「あは……あはは……あははははっ……!」
最初、サフィーネはエフォートが狂ってしまったかと思った。
それほどにエフォートの笑い声は歓喜に満ちていたのだ。
「やった……! やったぞ、信じられない……!!……あはははは」
「ちょっと、どうしちゃったのフォート!? 何がどうなったのよ!」
妹の緊迫した声に、エリオットが目を覚ました。
「ん……どうしたサフィーネ……おい、エフォート!?」
跳ね起きるエリオットに、大丈夫という風にエフォートは手のひらを向ける。そして鼻血を拭いながら、笑った。
「……サフィ、いい報告と悪い報告がある。どっちからがいい?」
「えっ?」
エフォートから敬語が消えている。それほど高揚しているのだろう。
逆にサフィーネは怖くなる。
「えと……じゃあ、悪い知らせから」
「魔術構築式の一部分を見ただけで、今の魔力ほぼ全部、持っていかれた。たぶんこの本の魔法を手に入れるには、俺の全快の魔力が必要だ」
「……そんな」
一晩瞑想して、三割程度回復するエフォートの魔力。一冊の習得に全快状態の魔力を必要とするならば、すべての承継図書の魔法を手に入れるのに、単純計算したとしても何日かかるのか。
「百二十三冊すべて覚えるには、最低でも四百日以上は必要だな。魔力のすべてを承継図書の習得に費やすわけにもいかない……くくく」
それでも、笑っているエフォート。
エリオットはその不気味な迫力に引き気味だ。
サフィーネも恐る恐る、口を開く。
「じゃあ……いい知らせは?」
その問いに、生き生きとした表情でエフォートは頷いた。
「……一発目で当たりを引いた。この承継図書に記された魔法は、魂魄快癒。生命の魂をあるべき姿に戻す魔法だ」
「……それって、つまり」
「魂に刻まれた隷属の紋を消すことができる。……やったぞサフィ! 奴隷解放の魔法だ! 俺たちは念願の魔法を、ついに手に入れたんだっ!!」
「きゃっ!」
エフォートは喜びのあまり、サフィーネに抱きついた。
その唐突な行動に、サフィーネは硬直し頬を赤らめる。
だが視界に入ったエリオットのニヤけ顔に、サフィーネは慌てた。
「ちょ、ちょっとフォート……」
手足をジタバタさせるが、エフォートは抱き締めた腕を離さない。
「ありがとう、ありがとうサフィ、君のお陰だ……本当にありがとう!」
「……もう」
暴れるのを諦め、エフォートの柔らかい髪をポンポンと撫でるサフィーネ。
「これで……これでようやく、リリンを取り戻せるんだ……!」
サフィーネの手が止まる。
抱きついているエフォートには、彼女の顔は見えない。
「……サフィーネ……」
ただエリオットだけが、妹の凍りついた表情を見ていた。
パチ、パチ、パチ、パチ……
あらぬ方向から、乾いた拍手の音が響いた。
「おめでとうなのじゃ。百二十三分の一を最初に引くとは、大した強運なのじゃ」
エフォートがバッとサフィーネから離れ、振り返った。
いつの間にか三人のいた地下牢は、漆黒の空間に置き換わっている。
「な……なんだっ? なんだここっ!?」
エリオットが初めての現象に驚愕の声を上げた。
「……誰お前っ!?」
「初めましてなのじゃ、エリオット王子。吾は魔王の分体、復活前の精神体じゃ」
黒の幼女が、その姿を現していた。
***
「いやー、何というクジ運じゃ! 確率なら0.8パーセントじゃぞ! ガチャでリセマラせずに一発Sレア引くようなものじゃ! すごいすごい!」
「……遅かったな。お前には聞きたいことが山程ある」
抑えた声で、黒の幼女に話しかけるエフォート。
だが幼女はからかうように笑った。
「なーにカッコつけとるのじゃ。さっきまで『ありがとう〜サフィ〜』とか言っとったくせに」
「黙れ、覗き見趣味の悪趣味魔王が」
「……まあ、ひとまずはおめでとうなのじゃ。これもひとえに、そなたの幼馴染への愛情ゆえの奇跡かの?」
そう言って黒の幼女は、今度はサフィーネを見てニタリと笑った。
何もかも見透かした、それこそ悪趣味な笑顔。
(こいつ……!)
心が荒れ狂うが、サフィーネは口を開かない。開けば、何を口走るか自分でも分からなかった。そこまで理解した上で、この黒の幼女は挑発しているのだ。
「何? 何なの? 復活前の魔王……? なんでそんなのが親しげに、話しに来てんの!? 敵でしょ!?」
「敵です。王子、後で説明します。……おい、早く要件を言え。からかいに来ただけなら帰れ。俺たちは忙しい」
混乱するエリオットを宥め、エフォートは黒の幼女を睨みつける。
「そう邪険にするでない。これでしばらく、会えなくなるのじゃから、別れを言いに来たというのに」
「なに?」
漆黒の空間に、百二十三冊の承継魔導図書群が浮かび上がった。
「!! 何をする!」
「落ち着くのじゃ。持ち逃げするわけではない。復活前の吾には、したくともできぬしの」
一冊の魔導図書が、黒の幼女の前に降りてきた。エフォートが最初に手にしたものだ。
「魂魄快癒。これをそなたが覚えれば、もう吾はこうして会いにくることも、覗き見することもできなくなる。吾はそなたの魂に取り憑いておったからの」
「……なるほどな。それはあの白いクソ女神も同じか?」
エフォートの問いに幼女は頷く。
「おそらくな。ラーゼリオンの小僧が残した承継図書は、神の力にも届かんとする技術じゃ。あやつとて簡単に破れるものではない。もちろんあのガキの回復術師の身体を使って、直接出向かれては分からぬがの」
「それでは意味がないんだ。また前のように邪魔をされては、たまったものじゃない」
「リーゲルト殺しと転移の妨害のことじゃな? 吾もあれはルール違反だと責めたのじゃが、なんでもこちらも似たような事をしておると、奴は言っておったぞ」
「……は?」
エフォートには、それがどういう意味か分からない。
女神の介入と同じようなことと言えば。
「お前、何か俺たちに利するようなことをしたのか?」
「まあそう考えるのが自然じゃな。うーむ……確かに吾は吸血鬼にちょっかい出したが、奴がした事と釣り合いが取れるとは思えん」
「……とにかく、今後あいつの介入がなければいい。どうなんだ」
「こちらがルール違反しない限りは介入しない、だそうじゃぞ」
「……ちっ。だからそれは何なんだ」
それが分からなければ注意のしようがないと、エフォートは舌打ちする。
「吾にも分からぬ。まあまあ、あのミンミンとかいう回復術師にだけ、警戒しとればよいのじゃ。後は頑張るのじゃ」
「適当なことを」
あまりにも雑な黒の幼女の発言に、エフォートは吐き捨てた。
幼女の目が、すうっと細まる。
「……期待しているのじゃ、エフォート・フィン・レオニング。見事、吾を殺してみせよ」
「言われるまでもない」
幼女はその場でクルリと回って、元の人を馬鹿にしたような笑顔に戻った。
「ではでは、しばしのお別れなのじゃっ! 次に会う時は、吾が復活した時かの!」
「そのまま起きずに眠ってろ。その方が殺しやすい」
「ひどっ、酷いのじゃ! 吾とて遊びたいのじゃ、せいぜい楽しもうぞ!」
瞬きのように黒の幼女が一瞬消え、サフィーネの前にまた現れる。
「……っ!」
「せいぜい頑張るのじゃ、王女様。吾はそなた、嫌いではないぞ?」
「……私は大嫌いよ」
また幼女は消え、最後にエリオットの前に現れる。
「うわあっ!?」
「エリオット王子よ」
すっと顔を寄せ、幼女はエリオットの耳元に口を近づける。
「……」
「……お、おう」
黒の幼女は何言か呟き、エリオットは曖昧に頷いた。
「ではっ! さらばじゃまた会おうぞっ!」
唐突に。
三人は元の地下牢の床に、向かい合わせで座り込んでいた。
もう、あの幼女の気配はどこにも無い。
「……なんだ、今の……夢……?」
「夢じゃないよ兄貴。あれが魔王。私たちがあいつを倒さないといけないの、転生勇者が倒す前に」
「……そうなんだ」
まだ現実感が湧かないようで、エリオットは呆然としていた。
「……王子、最後に奴に何を言われたんですか?」
「えっ? ……ああ、なんか、イケメンじゃなって」
「はあ!?」
「いや、本当にそう言ったんだよ!」
サフィーネがエリオットの顔を覗き込んで本当に? と問い質すが、エリオットの反応を見る限りは嘘はついていないようだった。
「なんなんだ、あいつ……。ん?」
「……誰か来るね」
エフォートとエリオットが、ほぼ同時に牢の外に目を向けた。
やがて響いてきた足音に続いて、階段の上から誰か降りてくる。
「あの……朝ご飯、お待ちしたべ」
コボルト混じりの雑種の少女が、お盆の上に食事を乗せて現れた。
「ミカちゃん! 怪我は大丈夫? ごめん、痛い思いをさせて!」
「そんな、オラこそ礼も言わないで……! 昨日は、ありがとうだ」
牢の格子の隙間から、ミカは食べ物を差し入れる。
「食べてけれ。……美味いもんではねえけど」
エリオットが真っ先に飛びついた。
「やった! 腹が減ってたんだ、ありがと!」
「……奴隷に、礼なんか言わないでけれ」
ボソリと小さな声で、ミカは呟く。
誰に言ったわけでもない呟きにエリオットは気づかず、サフィーネとエフォートは、今は応えることはしなかった。
「……あの、あんた方、王都から来たんだべ?」
やがて発したミカの問いに、サフィーネは少し考えてから正直に答える。
「そうだよ」
「あの……その……」
下を向いて言い淀んでから、ミカは意を決して拳を握り、顔を上げた。
「もし知ってたらっ……ルースってオーガ混じりの女戦士、会ってねえべか? 金髪のえらい強い男の人と一緒に、王都に行ってるはずなんだべ!」
ミカにとってその質問は、前に進む為に大事な一歩だった。
君のおかげだと感謝され、抱きつかれながら、口にされたのは違う人の名前。
サフィーネが不憫でなりません。
けれど王女もまた、彼女の正義の為にエフォートに戦わせようとしていた。
二人の関係は複雑です。
次回、「ミカとルース」。
お楽しみに!




