131.最後の問いかけ
気づけば晴人は、介護用ベッドの上で身動きできずにいた。
(なっ……!?)
脚が、腕が、動かない。
僅かに動くのは指先だけで、そこには専用のキーボードが置かれていた。
目の前には、キーボード端末から操作できるパソコンに繋がった薄型ディスプレイが、ベッドの手すりに固定されたアームで設置されている。
(バカなっ……! オレは異世界に転生して、母と姉を出し抜いて、神になったはずだ……!!)
「望月晴人。それがお前の、転生前の姿か」
枕元に人影が立つ。
聞こえてきたのは、女の声だ。
(叶、姉、さん……!?)
「そしてこれが、俺の二度転生する前の姿か。この空間に鏡が無くて良かった。お前たちに似ている顔など見てしまったら、余計な感情を持ってしまうかもしれないからな」
晴人が憎む姉の姿で、その声で語るのは。
まごうことなきエフォート・フィン・レオニングだ。
「……ど、どいういう……状態だ、これはっ……」
「声を出し難かったら昔のように手元の端末を、パソコンと言ったか? それを使うといい。病気が克服する前は、ここまでの状態だったんだな。正直、想像もできなかった」
淡々と語るエフォート。
体がろくに動かない晴人は、枕元に立つ姉の姿の彼を、正面から睨みつけることもできない。
「説明……しろ、どういう事だ、オレと貴様は……んんッ……神術を、撃ち合って……」
咳払いしながら、晴人は懸命に問い質す。
エフォートはふっと息を吐いた。
「『オレ』。か。済ました顔で『私は』などと言っていたが、こうなると本性が出るんだな」
「黙、れ……!」
「説明してやるさ。俺とお前が撃ち合った熱量の衝突は、あの箱庭世界の許容量を超えていた。だから俺は次元に穴を開け、力を外に逃がしたんだ。そして、お前もその穴に吸い込まれた」
「そんな……いや、ありえない、神と互角の力を放って……なお、そのような」
「〈構築式無限並行展開〉と〈魔術同期〉の合わせ技だ」
「そうか……サフィーネ、我が妹、あの女が!」
「サフィだけじゃない」
淡々と落ち着いた物言いで、エフォートは続ける。
「雑種と蔑まれてきたガラフ、女神に憑依されて幼少期の自我を奪われたミンミン、魔幻界の転生者から己を取り返したエリオット、キャロルを始めとした都市連合の魔法士たち、帝国の魔法師団……この時代に転移してきた俺は、大陸で魔術の心得が有る全ての者たちと同期したんだ」
「……全て……そんな、ことが」
「望月晴人。異世界転生チート勇者であるお前は、箱庭とバカにしたこの世界の住人たちに敗北したんだ」
「……」
エフォートの言葉に、晴人は視線を逸らした。
長い沈黙が流れてから、またエフォートが口を開く。
「……晴人。俺とお前が撃ち合った膨大なエネルギーは、世界の壁を越え、時間を超え、因果を歪めた。辿り着いた場所がここだ。擬似的に、お前の魂がその力を蓄え憎しみを育てた場所が再現されている」
「……そういう、ことか」
「正直に言う。俺はお前を称賛しよう」
望月叶の姿のまま、エフォートはベッドの横を通って晴人の正面に立った。
そして介護ベッドに固定されたパソコンのモニターの脇から、晴人を見つめる。
「かつてのお前の世界は、そのベッドひとつだったんだな。そこでお前は母親に、姉に疎まれ、弟に身の回りを世話されながら、それでも自分を諦めず、外の世界に手を伸ばし続けた」
エフォートは手を伸ばして、晴人の前のモニターに触れる。
「〈インターネット〉というんだろう? 場所を問わず僅かな操作で、人の積み上げてきた叡智に瞬時にアクセス可能な道具。それでお前は知識を蓄え、ゲンダイニホンでは事業を成功させ、そして俺たちの世界では神にまで至った」
晴人はその言葉を聞きながら、顔を歪める。
「皮肉、か……? そしてお前たちに、破れたということだろう……いや叶、お前に!」
「俺はカナエじゃない。分かっているだろう」
「なら……その姿は、なんだと、いうんだ……?」
「この場所では、この姿にならざるを得ない。お前の魂が表した過去の牢獄だからな」
エフォートは慣れない女の長髪を指で撫ぜる。
「お前を挑発する気はない。俺はあくまでエフォート・フィン・レオニングのままだ。神となったお前を皆とともに倒す為、エルカードとエルミーの子に転生してからもな」
「はっ……ならばさっさと……望月叶として覚醒しても……大した違いは」
「それは違う。エルカードとエルミーの子は、あくまで俺たちの世界の存在だ。異世界の魂を受け入れることと、訳が違う」
「詭弁だ」
「かもしれない。それでも俺は拘る。異世界転生勇者に救われることを俺たちは……いや、俺は拒絶する」
言いながらエフォートは、優しげな目で晴人を見た。
ギリ、と晴人は歯を食いしばる。
「オレを、憐れむな……」
「誤解だ。俺と相容れないというだけだ」
その時、ボウッと淡い光がエフォートの横で輝いた。
そこから一人の青年が姿を現す。
その青年は薄汚れたジャージを着て、ボサボサの髪で虚ろな瞳を晴人に向けている。
否。
淀んだ瞳の奥には、かつて現代日本にいた頃にはなかった光が微かにあった。
「……兄貴」
「史郎……!」
シロウはゆっくりと晴人に歩み寄り、その枕元に立つ。
「兄貴。あんたもオレと、同じだったんだな。そして異世界に負けた。情けねえよなぁ。ネット小説みてぇにはいかねえな、現実は」
「……こと、ここに至っては、認めざるを得ないな……自分の中にまだ、克服したと思っていた光景が残っていたのだからな」
晴人はか細い声で呟いたが、やがてその口調ははっきりと、流暢になっていく。
「確かにすべてを羨んだ。現代日本で、先進医療で健康な身体を得て社会的に成功した後も、オレは復讐がしたかったんだ。母に、姉に、史郎お前に、そして世界に」
いつの間にか、介護ベッドは消えていた。
身ぎれいなスーツ姿で立っている、日本人の青年、晴人。
ジャージ姿のままの弟の肩に、ポンと手を置く。
「……兄貴」
「今まですまなかった、史郎。オレたちは同じだ。ひとつだ。だから——」
「!? シロウ!! 晴人から離れろッ!!
望月叶の姿から、漆黒の魔王衣を纏う魔術師の姿に戻っていたエフォートは叫ぶ。
だが、間に合わない。
「兄貴!? 何を——」
「だからシロウ。お前の中にある不死のチート能力、魂ごと貰うよ」
エフォートの制止も間に合わず、晴人の魂がシロウを呑み込もうとしたその時だった。
『冗談ではないよ』
声が響いた。
その声は、晴人の中から響いた。
『彼のような男と一つになるなど、私は断固拒否させてもらう。そして幻滅したよ、望月晴人。君とともにならこの世界を女神から取り返せると考えてしまった、自分自身にね』
シロウを取り込もうとした晴人の手が、輝きを放っている。
その手はシロウを遠ざけて、融合を阻んでいた。
「兄貴!? いったい、何が……?」
「そうか。まだお前がいたか」
「……ハーミット・フィル・ラーゼリオンッ……!!」
困惑するシロウ。
エフォートは出現した力強い気配に納得する。
そして晴人は、己の内のそれに怒りの声を上げた。
「貴様の人格など完全に統合したはずだ……! なぜ、今になって!?」
『なぜ、と君が問うかい? それを理解できない時点で私と君は、別個の存在なのだよ』
晴人の腕の輝きは全身に広がり、そして身体から離れる。
その黄金の輝きはやがて、一人の王の姿へと変わった。
「サフィーネが、我が妹がここまで戦って、我々の世界を女神から取り戻したのだ。君たち兄弟にむざむざと渡す必要など、どこにもない」
ハーミットと晴人に分かれた魂。
それはラーゼリオンからの転生体としてのライト・ハイドと、現世の存在として核を守り通したエリオットとの関係に似ていた。
「ご苦労だったね望月晴人。君からは素晴らしい知識を引き継ぐことができた。もうこの世界に必要はないよ」
「貴様ッ……最初から、オレから現代日本の知識を奪うことが目的でッ……!」
ワナワナと震えている晴人は、その掌をハーミットに向けて突き出す。
しかし。
「無駄だよ、ここは君が神となった世界ではない。魂の情報だけが存在できる異空間だ。そうだろう?」
ハーミットの問いに、エフォートは黙って頷いた。
「く……!」
「君がシロウを取り込み不滅不変の能力を得てしまっていれば危うかったけれど」
顔を歪める晴人に向かって、ハーミットは淡々と続ける。
「今この場でなら、魂の強い者が勝つ。君に敗れることはない」
「オレの魂が弱いというのか」
「少なくとも、君を追い出した私や、己を貫き通したエフォート君よりはね」
ハーミットはまたエフォートに視線を向ける。
反射の魔術師はただ苦笑するだけだった。
「……エフォート!」
晴人は叫ぶ。もう、叫ぶことしかできない。
「お前も……お前だって、叶の記憶が甦っていれば! 前世の望月叶は、オレや史郎を犠牲にした過去を暴露され、世間の暴走した正義感に叩き潰されて憤死したんだ! その記憶があれば、今そんなすました顔ができるはずが——」
「だから。転生なんて認めないと言っているんだ」
あっさりとエフォートは言い捨てる。
「いかに力や知識を引き継いでだところで。業も、咎も、新たな世界に持ち込んでしまうんだからな」
「——!! キサマとて、エルフのガキに転生してオレを倒しただろうッ!!」
「ああ。だからすべて終われば退場する。俺も、サフィも」
激昂したハーミットに対して、エフォートはどこまでも冷静だった。そして事の成り行きを茫然と見ていた、シロウに視線を移す。
「……シロウ」
「うるせえ。分かってんよ」
シロウは舌打ちすると、怒りに震えるだけの無力な存在となった兄の前に立った。
「兄貴、帰ろう」
「は……? どこに」
「現代日本……日本とは限らねえか。とにかく、元の世界にまた生まれ直そうぜ。クソ反射ヤロウが、頭のおかしい魔法で帰してくれるってよ」
「バカな、そんなことが」
「できるだろうよ、このヤロウには。自分の転生も時間も次元も、コントロールしやがるイカレ魔術師だからな。魔術オタクに魔王の魔力と時間なんざ、与えるもんじゃねえな」
かつての妄執はどこにいったのか。シロウは忌々し気な口調ながら、淡々と兄の疑問に答えた。
晴人は首を横に振る。
「そんな事はともかく……史郎、お前はどうして、お前があの世界に帰るなど……あのお前が納得するはずが」
「納得なんざしてねえよ。ただ、自分のやっていた事と同じ事を外から見たら、阿呆らしくなっちまっただけだ。世界が変わったところで、自分が変わらなきゃ意味がねえんだな。それに」
ふっと掌を上に向けるシロウ。
「キイッ、キイッ」
その掌の上に、どこから飛んできたのか蝙蝠が一匹、ふわりととまった。
そして。
「ニャア……」
足元には一匹の猫が、そっと寄り添っている。
「一人じゃねーんだってさ。コイツらも一緒に帰ってくれるんだとよ」
足元の猫の喉元に、シロウは指を伸ばす。
猫はスッと身を捻って、愛撫しようとしたその手を避けた。
「ニャア」
「ハッ。許したわけじゃねえって態度だな、ニャリス。ばあちゃんはともかく、なんでお前までオレなんかについてくるんだ?」
「ニャア」
猫はただ鳴くだけで、何も語らなかった。
「シロウ……」
「ま、そういうわけだ。一緒に帰ろうぜ兄貴。まあ、あんたとは来世じゃ他人がいいけどな」
「……抵抗などできないのだろう? エフォート」
晴人の問いに、エフォートは頷く。
「俺たちの世界と繋がっていた、ハーミットの魂を切り離したからな。お前が拒否しても、無理やりゲンダイニホンに転生させることが可能だ」
「なら、もういい」
異世界転生し、
チート能力をもって神になり、
そして敗北した男は、天を仰いだ。
「今のシロウを見て、オレも自分が馬鹿らしくなった。綺麗さっぱり忘れてやり直すさ。叶姉さん、あんたにできてオレにできないはずはない」
「……俺は望月叶じゃない」
「うるさいな、わかってるよ」
話は終わったと、エフォートは己の魂の内に格納していた魔術構築式の展開を始めた。その膨大な術式は瞬く間に、周囲の空間を埋め尽くしていく。
「……ひとつ聞こう、エフォート」
「なんだ」
晴人は、シロウとシルヴィア、ニャリスの魂とともに術式に包まれながら、最後に声をかける。
「お前とサフィーネも、事が済んだら退場すると言ったな。横にいるその男、ハーミットはどうするつもりだ? 女神も消滅した今、あの世界は現代日本の知識まで得たハーミットの物になってしまうぞ?」
晴人から切り離され、成り行きを見守っていたハーミットは苦笑する。
「私を悪の親玉のように言うのはやめてほしいね」
「違うというのか?」
「否定はしないが、あいにく小生意気な妹がいなくなったとしても、魔幻界の力を得て成長してしまった、やっかいな弟がまだいるのでね」
そう言ってハーミットは肩をすくめる。
「反射の魔術師とその伴侶がいなくなったところで、簡単ではなさそうだよ」
そして転生の術式を展開していたエフォートもまた、口元に笑みを浮かべた。
「そうだな。それに連合議長のダグラス・レイもいる。彼に力を貸す者は多いだろう。それにガラフが、ミンミンが、若い力が育っていく。なんの心配もいらないさ」
「それは、未来に転生した君が見てきたことかい? エフォート」
ハーミットの問いかけには、エフォートは何も答えなかった。
晴人も薄く笑う。
「そうか。ではもう一つ、これで最後だ」
転生の術式は完成した。
シロウが、祖母と猫とともに姿を消す。
そして。
「理子……いや、リリンはどうするつもりだい? エフォート」
そう問いかけを残して、望月晴人の魂もまた、ゲンダイニホンへと帰っていった。
次話、最終回です。