130.最後の戦い
お待たせ致しました……!
彼をもはや、ハーミット・フィル・ラーゼリオンと呼ぶことはできないだろう。
真実の名で呼ぶのであれば、ハルト・モチヅキ。
いや、望月晴人である。
「理子ちゃん。君は現代日本で『異世界転生小説』を読んだことはあるかい?」
「あたしを理子と呼ぶのは止めて。……読んだことないわよ」
女神本体との戦いの余波で、荒れに荒れたガーランドの帝都。
瓦礫が散乱する荒野に涼し気に立つ望月晴人は問いかけ、リリンは静かに応えた。
晴人はだろうね、と頷く。
「私は読んだよ。引きこもりになった史郎を理解するために、彼が没頭していたものには一通り目を通したんだ。……まさかこんな形で役に立つとは、思いもしなかったけれどね」
「何が言いたいの?」
「私は異世界の転生勇者となり、そして魔王を斃し、神になった。望みもしなかったのにね。現代日本で生活に倦んだ人々が、さながら逃げ場を求めるように臨んだ世界。……実にバカバカしい」
「……だったら」
「だったら返してよッ!」
リリンの言葉を遮って、叫んだのはミンミンだった。
「ミンミン、待っ」
「ボクたちは!」
晴人の前に立とうとするミンミンを庇うようにリリンは抑えたが、それでも彼女は前に出ようとしながら叫ぶ。
「ボクたちは、女神も、アンタも要らない! 自分たちの力で生きていくんだ! ボクたちの世界をバカバカしいなんて言うなら、さっさと消えてよっ!!」
「そ……そうだ!」
ガラフも同調して、ミンミンの横に立って叫んだ。
「ゲンダイニホンがどんなご立派な世界か知らないけど、そんなヤツらに上から目線で支配されるなんて、お断りだっ! オイラたちは」
「反射の魔術師が、エフォート・フィン・レオニングがいればそれでいいのかい?」
ニイ、と笑う晴人。
ぞくりとする程の冷酷な笑みに、ミンミンとガラフは凍りついた。
晴人は続ける。
「彼は、いや彼女は望月叶、私の姉の転生だ。君たちが忌み嫌う現代日本の人間だよ」
「……ニイちゃんはそれを否定してる!」
「そうよ! たとえお父さんの魂がゲンダイニホンから来ているとしても、シロウ・モチヅキやアンタとは違う!」
「どう違う?」
即座に反問され、ガラフとミンミンは答えに詰まった。
「えっ……」
「エフォート……努力などという名前こそ、欺瞞だ。あれは私の姉であった昔から、その恵まれた才能と環境の恩恵を無自覚に受けて正道を歩み続けていた。今の彼と同じようにね」
「バカなこと言うなっ!」
ミンミンは、晴人の得体の知れない圧迫感を受けながらも気丈に応える。
「才能はともかく、お父さんの環境のどこが恵まれてるっていうの!?」
「エフォート・フィン・レオニングは、彼自身がどんなに否定しようと異世界転生者だ」
また間髪入れずに、晴人は断言する。
「そうでなければ、魔王が戯れに渡したライトノベルも解読できず、現代日本の知識を駆使する反射の魔術師になることもなかった。環境に恵まれていなかったと言い張るには無理がないかな?」
「そんなのっ……」
割って入ったのは、リリンだ。
「それでも血の滲むような思いをして、努力したのはエフォートだ。シロウとは違う」
「そこは否定しないよ、理子ちゃん。君を取り返す為に彼は頑張った。ただ彼の努力は、彼自身が望月叶の転生でなければ身を結ばなかった。それは事実だ」
「いいえ。エフォートは転生者としての力が無かったとしても、必ずあたしを救ってくれたわ。あたしだけじゃない。この世界の皆のことも」
揺るがない確信を持って、リリンは続ける。
「あの人の力の、本当の源は異世界の魂なんかじゃない。仲間を、誰のことも見捨てられない優しい心よ。だからこうして、エフォートには多くの味方ができた」
リリンの迷いのないこたえに、くくくっ……晴人は笑う。
「陳腐だなぁ。『本当の力は優しい心』とか、現代日本で読んだライトノベルでも、そんな恥ずかしい台詞はなかったよ」
「それはあたし達が昔いた世界が、それだけ歪んでいたという証拠じゃない?」
リリンの言葉にほんの刹那、晴人は固まる。しかしまた、くくくと笑った。
「やはり君は理子だ。リリンじゃない」
「関係ないわ」
「関係はあるよ。誰のことも見捨てられない、お優しい理子ちゃん。そんな君が同情で付き合って、挙句に捨ててしまったから、史郎は絶望して死んだんだよ」
ビクン、と栗色の髪の少女の肩が、揺れる。
神となった青年は嗤う。
「そう、すべての始まりは君だ。園原理子、望月家の崩壊は君が引鉄を引いたんだ。ひいてはそれが、この世界にあの愚かな女神の君臨を許すことに——」
饒舌に語る晴人の演説が、ふと止まった。
「……冷静だね、理子」
「それはあたしが、リリン・フィン・カレリオンだからよ」
それまで晴人を睨みつけていたリリンの鋭い瞳が、ふわりと緩んだ。
「あなたやシロウ、それにあの女神みたいに、過去に呪われ続けていた前のあたしならともかく——」
「——そこか!!」
気づいた晴人が、即座に振り返り一閃を放った。
それは何人も回避も防御も不可能なはずの、超常の一撃。
存在自在を切り裂き消滅させる、因果を超えた絶対の結果を強制する神の御業。
「……過去を正しく受け入れ、省みて、己が糧と為して。そして、今を共に生きる者の為に活かす」
しかしその一閃は、目つきの鋭いエルフの少年の前で静止していた。
「……バカな、いつからそこに居た……?」
気づけない筈がなかった。この世界の神となった晴人に。
だが現実として、彼の意識の外に少年はいた。
いや、少年だけではない。
寄り添うように、同じくエルフの少女も少年の傍らに立ち、穢れの無い清廉な瞳で晴人を見つめている。
少女は薄く微笑み、言葉を紡ぐ。
「私たちはいつも過去を乗り越え、今を戦い、そして未来を夢見てきた。そして皆の力で、ここに辿り着いたのです。過去の怨讐に根ざした野望を抱く者に、私たちは負けることはありません」
「……娘よ、それは誰のことを言っ」
「反射するぞ」
キン!
エルフの少年の一言で、空中に留まっていた神の光が弾き返された。
己に直撃する直前、晴人はその一撃を音もなく霧散させる。
だが晴人は驚愕していた。
「どうして反射できる……? いや、まさか、そんな筈が」
「愚かな神だな。逆に聞くが、どうしてこの俺に反射できないと思った?」
エルフの少年は薄く笑う。
神はもう、認めない訳にはいかなかった。
「エフォート・フィン・レオニング!!」
「ありがとう。望月叶と呼ばれると思ったが、分かってくれたようで嬉しい」
「舐めるな! その姿はなんだ!?」
「分からないのか? 神なのに?」
エルフの少年、エフォートは薄く笑う。
彼は純粋に、これまでどこまでも高慢で、冷静で、理知的であった神を称する存在が、理解できない現象を目前にして狼狽する姿が可笑しかっただけだ。
だがそれは晴人にとって、侮蔑以外の何物でもない。
「巫山戯るな……!」
晴人の怒りの呻きとともに、エフォートとサフィーネの周囲の空間が切り取られる。
「ん、何をするつもりだ?」
自分がこの世界から隔絶された気配を察したエフォートが聞いた。
晴人は白い歯を見せて歪に笑う。
「ふ、お前が何を反射しようと、できようと、関係ない。その存在自体をこの世界から放逐する。せいぜい愛する女と共に未来永劫、光も空気も大地もない虚無を漂うがいい」
「その提案はかなーり魅力的だけどね」
エルフの少女、サフィーネが悪戯っぽく笑いながら人差し指を掲げ、ついと空間を撫ぜた。
「なっ!?」
名状しがたい、人の超音域を越えた振動が広がって。
「もう長いこと、フォートとはあっちで家族として暮らしたから。そろそろ、為すべき事を為して、果たすべき事を果たさないといけないのよ」
エフォートとサフィーネは一瞬で、元の世界に帰還した。
「あ……あ……ありえない!」
目を見開き、受け入れ難い現実に晴人は心乱れる。
「私の支配する世界から、因果の繋がりを全て断ち切り追放したのだ! それが何故帰っ」
「忘れた? お兄様。私は昔からアイテム・ボックスの魔法を自在に操った、空間魔法の高い適性を持っていたのよ。……まあ、貴方はもうハーミット兄さんではなかったね」
「魔法の適性がどうという次元なものか!!」
晴人は吠えると、今度は掌を二人に向けてかざした。
「結構だ! それほどまでに我が世界にいたいのならば……いつまででも、その場で立ち尽くしているがいい!」
その叫びは、世界の理を神の意志のまま操り、そしてエフォートとサフィーネは動きを止める。
「……時間凍結だ! 頭の中まで時を止められ、何が起きたか自覚もできていまい!!」
ピクリとも動かぬエルフの少年少女を確認して晴人は、ふふ、と息を漏らした。
「ふっ……、ふはは、見たか姉さん!! オレの力を!! かつてベッドの上で身動きできなかったオレを、邪魔な虫でも見るように蔑んで見下していた貴女の末路がこれだ!! 絶命もかなわぬ彫像として、永遠にこの場に祀り続けてあげるよ! オレに、私に、神に抗う者の末路がどうなるか思い知るとがいい!! あはははは! あはははははは!!」
これまでの冷静さなど、どこにも無かったかのように笑い続ける晴人。
「……結局」
その笑い声を止めたのは、栗色の髪の少女の呟きだった。
「あなたもシロウと同じ。本当に過去の怨嗟に囚われただけの、哀れな只人だったのね」
「……聞き捨てならないよ、理子」
離れた場所でエフォート達と晴人のやり取りを見守っていたリリン達に、静穏の仮面を脱ぎ捨てた晴人は向き直った。
そして荒々しい歩調で、近づいて来る。
「私があの、愚かな弟と同じだって? 違うさ。私は自ら努力してきた。前世も、現世も。この理不尽な世の理に! だから今こうして、世界を私が正しい姿に変えることができるんだ!! ——何!?」
晴人とリリン達の間に裂け目ができる。そこから。
「裂空斬!!」
斬撃が飛び出して晴人を直撃した。
もちろん神に傷一つつくことはない。だが斬撃を放って空間の裂け目から姿を現した男を見て、忌々しげに晴人は口を歪める。
「ち……ラーゼリオンめ、完全体になったか」
「違うよ。俺は、ただのエリオットだ」
レーヴァテイン・レプリカを構え、もう一つの異世界から転生を繰り返してきた青年は告げる。
「えっと、望月晴人くん。さっきの話だけど、訂正してね。この世界を正しくしようと、努力してきたのはハーミット兄さんだ。君じゃない」
「……何?」
そしてエリオットの後ろから、妖艶な漆黒の衣に身を包んだ吸血鬼に支えられ、もう一人の金髪の男が現れた。
「兄貴」
その男は、典型的な異世界転生勇者。彼が忌み憎悪した母親、その成れの果ての女神より授かったチート能力により、傲岸不遜、傍若無人に今世を生きてきたシロウ・モチヅキ。
だが憔悴しきった今の表情にかつての面影はない。
「耳を疑ったよ、兄貴。オレと同じに、叶姉さんにコンプレックスがあったなんて……」
「——ッ!」
「兄貴は自力でハンデを克服して、オレから何もかも奪っていった。兄貴はもともと強い男だと思ってた。でもあんた、同じだったんだな。この世界でのオレと」
「黙れ」
「現代日本で、オレと二人きりのあの部屋で、あんたの汚物を処理した匂いが残るベッドの上で。あんたも憎んでたんだ、世界を。だから」
絞り出すように語るシロウの肩に、黒衣の吸血鬼が優しく手をおいた。
そしてシルヴィアは、前世での孫達の間に立つ。
「じゃから、お主たちは不条理な世界を憎み、力を得てからは自分たちにとって正しい、自分たちが気持ち良い世界にしようとしたのじゃな。それには、この箱庭世界は実に都合がよかった。まるで現実を忌避し、楽園の如き虚構世界に逃げ込む子どものように」
「アンタが言うなッ!!」
晴人は叫ぶ。
何よりも言われたくなかった言葉を告げられて。
「元はと言えば、アンタの娘が……!」
「そうじゃな。美和をお主らの母親として、真っ当に育てられなかった。妾の罪じゃ。晴人にも史郎にも申し訳なく思うておるよ」
「……そんな言葉でッ!!」
晴人の怒りが、無形の戒めとなってシルヴィアを捕縛する。
「ぐうぅッ!」
「ばあちゃん!?」
「殺してやる……消してやる! 望月の血に、魂に繋がるものすべて!」
「止めろ兄貴! があっ!?」
晴人に飛び掛かろうとしたシロウもまた、見えざる力に囚われ苦しみ始める。
「お前もだ、シロウ! いや、この場にいる全員……すべて消してやる! いかに強大な力を持っていようが関係ない! これが神の!! いや、数多の神々すら消し去る事ができる!! 完全絶対なる力だ!!」
その気になれば今の晴人は、例えるなら息一つ吐く容易さで、この場の全員を絶命させることができた。
だが激昂した望月晴人は、神として得た全ての力を用いて術式を編み上げ、完全消滅を目論む。
「見えたぞ」
ポツリと、シロウが呟いた。
「……何?」
晴人が訝しんでも、もう遅い。
「俺はすべての魔術構築式が見えるんだ。知らなかったのか?」
「くだらないッ! 見えたところで、愚鈍で怠惰なお前に! 神の力を理解できる筈が」
「分かりゃしねーよ。けどな、オレは見るだけでいいらしいぜ……オレは、な」
「——ッ! 魔術同期か!」
察した晴人が振り返る。
時を止められ、永遠の彫像と化していた魔術師。
その瞳だけが動き、ギンと晴人を捉えた。
「これでっ!」
シロウが叫ぶ。
「これでいいんだろォが! 反射のクソ野郎がァッ!!」
「ああ。お前にしてはよくやったよ、シロウ」
応えて、凍りついた戒めの時を解き破り、反射の魔術師は王女を抱え動き出す。
二人のその姿は、未来からやって来たエルフの姿ではない。
いつの間にか、この世界から滅ぼされる前の魔王の衣を纏った青年魔術師と、ラーゼリオンの王女の姿に戻っていた。
「バカな!? どうやって時の凍結を!?」
「私たちは時間跳躍して未来から来たのよ。フォートは時間魔法なんて、とうに極めてる。自分たちの肉体時間を操作することなんて簡単よ。そして」
反射の魔術師が、神を凌駕するスピードで、神と同じ魔術構築式を組み上げる。
「また反射するぞ、晴人。これがお前が世界に八つ当たりしようとした、悪意だ」
「エフォートォォォッ!!」
神を滅ぼせる力と力が、激突した。




