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129.転じて、生まれる

 はるか上空から落下してくる、サフィーネの身体。

 そのまま大地に激突すれば、絶命は必至の高さだ。


「サフィ!」


 エフォートは爆ぜるように、大地を蹴って飛翔した。

 呪文の詠唱など必要ない。魔王の衣を纏い膨大な魔力を抱え、王家承継魔導図書群の力も得ている今のエフォートには、飛翔の魔術構築式スクリプトを描くことなど呼吸と同じだった。


「ふふ……今生の貴女は単純だねえ、カナエ姉さん」


 しかし、今のハーミット・フィル・ラーゼリオン——モチヅキハルトもまた、ほぼ同じレベルの力を持っていた。

 落下するサフィーネを受け止めようと飛んだエフォートを待ち受けるように、戦略級の魔術構築式スクリプトが無数に出現する。


「私にも構築式スクリプトは見ることはできる。コピーもね。〈千兆重魔法原子崩壊呪グラウンド・クワッドリオン〉……こうだろう?」

「——ッ!?」


 世界が消滅するが如き閃光が、上空で炸裂した。

 大地への影響を避ける為、破壊エネルギーはエフォートの直下を発生源に、すべて上方へと向いている。

 それでも女神を斃した魔法と同じ力の奔流は、再び猛烈な嵐を巻き起こした。


「そんなっ……エフォートッ!?」

「お父さんッ!!??」


 リリンとミンミンの叫びも、防風にかき消される。

 そして。


「〈ディメンション・リープ〉」


 ハルトの一言で、嵐は空間に開いた穴に吸い込まれる。

 何かの冗談のように、空は何事も無かったのような穏やかさを一瞬で取り戻していた。


「う……ウソ……お父さん……?」


 ミンミンは、がくがくと震える。

 その肩を、後ろからガラフがそっと抱いた。


「ガラフ」

「大丈夫だ……ミンミン。兄ちゃんが負けるはずがない」


 そう話すガラフの手もまた、恐怖に震えている。けれど少年はもう二度と諦めない。そう決意していた。

 だから、少女の肩に置かれた少年の手は、その想いを伝える。

 自分達にはやるべき事が、あるだろうと。


「やれやれ。それは楽観が過ぎるというものだよ」


 そんな決意を嘲笑うように、声は響く。

 レーヴァテインを構えたリリンが、ミンミンとガラフを庇うように声の主の前に立った。


「……モチヅキ……ハルト!!」

「理子ちゃん。終わりはこうしてあっけなく訪れるものだよ。カナエ姉さんが周到に準備した、ガーラント帝国の魔晶。その力を私も利用した。女神も斃した千兆の魔法をコピーして、姉さんとサフィーネに直撃させたんだ。魔王の衣なんてものの役に立たない。塵ひとつ残さずに、二人は消滅したよ」


 滔々と語るハルト。

 ラーゼリオン王家のマントを翻し、薄い笑みを浮かべてリリンたちを見つめていた。

 そんなハルトを睨み返し、リリンはわなわなとレーヴァテインを握りしめた手を振るわせる。


「こ、の……よくも、エフォートを……絶対に許さない!!」

「ふぅん。そう言う割には、激昂して襲い掛かってこないんだね。理子はともかく、リリン君の性格を考えるのなら……そうか、カナエ姉さんはまだ策を残しているということか」

「——ッ!」


 勝利を確信し、油断する。

 そんな愚を、悪魔の頭脳を持つ彼は犯さない。息を飲むリリンを警戒したまま、ハルトは空を見上げた。


「けど、確かに消滅させた手応えはあった。復活する術を残していたということかな?」

「……!!」


 リリンは歯を食いしばって、感情を押し殺そうとする。

 そうしなければ、精霊の声(ケノン)など必要とせずに、目の前の男はこちらの思考を読み取ってしまうだろうから。

 そんなリリンを見て、ハルトはくすりと笑う。


「……転生しても可愛いねえ、理子ちゃん」

「黙れッ!」

「そうか。復活するにしても時間がかかるということかな? となると君の目的は時間稼ぎか」


 だがリリンの努力もむなしく、ハルトは彼女の内心を読み解いていく。


「けど何か忘れていないかい? 私は魔王の衣、つまり魔王を斃したんだ。転生勇者である、この望月晴人モチヅキハルトがね」

「——まさか」


 ハルトは目を瞑り、そしてまた見開く。

 その眼は、水のように揺蕩う金色の瞳。


「そう。勇者システムが発動する。私はこの世界の新たな神になるんだ」


 ***


 ——よう、あっけなく死んだなァ、エフォート。


「……そうだな。お前の防御力を過大評価していた」


 魂だけとなったエフォートは、呼びかける声に皮肉っぽく吐き捨てた。


「そうよ。魔王のくせに、不甲斐ないのね」


 そしてその魂に寄りそう、もう一つの魂。サフィーネもまた、わざと不貞腐れたように言った。

 彼らがいる空間は、かつて女神と魔王が白の幼女と黒の幼女として、幾度かエフォート達を呼びつけた魂だけが存在できる空間だった。


——ハハッ、手厳しいなァ。喰らったのは女神も倒した魔法だろォ? しかたねえだろが……でェ?


 エフォートとサフィーネのように魂として顕現せず、姿を見せず気配のみ揺蕩わせる声の主。その気配は、笑うように声を弾ませた。


——あれ(・・)を、本当にやるつもりかァ? 転生勇者モチヅキハルトは、お前の魔術構築式スクリプトをコピーして、吾を倒した。勇者システムは起動して、ヤツは新たな神になった。想定していた中じゃ最悪の状況だろォ?


「ああ。……だが想定外じゃない」


 エフォートは笑う。


「こうして無事に、サフィを取り戻せたしな」

「無事って言うのかな? 肉体消し飛んで、塵も残してないっぽいけど」


 サフィーネも、クスクスと笑う。


「まあ、こうして死んでもフォートと一緒にいられて。そういう意味なら無事だけどね」

「サフィ」

「フォート」


 ——あああ! お前らイチャイチャしてんじゃねェ!


 そして魔王の気配は、愉しげに叫んだ。


 ——やるなら、さっさとやりやがれェ! ここに残しておいた吾の魔力……好きなだけ使えェ!!


 ***


 漆黒のマントを翻して、美しい吸血鬼の真祖は立ち上がった。


「……ど、どこに行くんだ! ばあちゃん! オレを置いていかないで!」

「やれやれ、情けないのじゃ。これまでの傲岸不遜の方がマシだったかの」


 縋りついてくるシロウの頭に、シルヴィアはポンと手のひらを置く。


「妾にはやるべき事があるのじゃ。無論……そなたにもじゃぞ、シロウ」

「えっ?」


 目を丸くするシロウ。

 その背後に。


「時は来たぞ、吸血鬼シルヴィア」

「ひっ!?」

「やはり、勝てなんだか」


 元勇者と吸血鬼の目の前に、二人の男が現れた。

 その一人、壮年の男の方にシルヴィアは問いかける。


「準備は万端かえ? クレイム・フィン・レオニング。それに……」


 そしてエフォートの父の横に立つもう一人、見た目は若々しいが、やけに落ち着いた賢者の如き気配を纏っている青年に目を向けた。


「……そなたの事は何と呼べばよいのじゃ。光の隠匿(ライト・ハイド)を統合して、数百年振りに一つの存在に戻ったのであろう?」

「俺は、俺だよ。何も変わらない」


 青年は、屈託のない笑顔で答える。


「俺はエリオットだよ。リリンちゃんやエフォートを見習って、俺は今の俺として生きていく。……でも」


 魔幻界ラーゼリオンから転生し、この世界の存在として生きること選んだ魂に統合されたエリオット・フィル・ラーゼリオンは、遥か神聖帝国ガーランドの方角を見て呟いた。


「可愛い妹と義弟を甦らせる為には、使える力は使わないとね」


 ***


 遠くの空が、また輝いた。

 その後、遅れて響いてくる爆音、地響き。


「うわわっ……この世の終わりかっ!?」

「ビビり過ぎ、エルカード。ほんと、情けない、男だ」


 旅の途中の、人里離れた森の中で。

 緑の髪に長い耳。凛とした美貌のエルフの少女は、帝国の方角から何度も届く閃光と爆音に怯える連れの男性エルフを、蔑んだ目で見つめた。


「で、でもエルミー……あの力は」

「あの、陰険魔術師が、最後の戦い、してるんでしょ。加勢に行こうって、言ったの、エルカードだよ」


 エルミーの言葉にエルカードは頷くが、また轟いた山脈を削り取る閃光に、身を竦ませる。


「けどあんな力……! これはもう、僕たちの手に負えるレベルじゃない!」

「情けないこと、言わないで。なら、ワタシ一人で、行く。七大上位精霊グレート・セブン、返して」


 差し出されたエルフの少女の手を、エルカードはじっと見つめる。


「……どうして? エルミー」

「どうしてって、なにが?」

「君はエフォートの事、恨んでるんじゃないのか? そんな彼を、命を懸けて助けにいくっていうのかい?」

「馬鹿に、しないで」


 エルミーは、キッとエルカードを見つめ返した。


「ワタシだって、あの戦いで、何も学ばなかった、ワケじゃない。それに、エルカード」


 そしてふっと、顔を綻ばせる。


「アナタと、旅した時間。まだ短いけど、自分を、見つめ直すには、いい機会だった。ワタシは、恩知らずなエルフに、なりたくない。……それに」

「それに?」


 エルミーは恥ずかしそうに俯いたが、やがて意を決して顔をあげる。


「あんな、自分の欲望に溺れたワタシを、エルカード、あなたは見捨てないで、最後には命を懸けて、救ってくれた。その、あなたの想いに、応えられる。そんな女に、なりたいんだ」

「エルミー」


 あらためて差し出された、エルミーの右手。

 その手のひらを、エルカードは優しく包むように手に取った。


「——え!?」

「なに……!? マナが急に!?」


 次の瞬間、二人の間に光の奔流が発生する。

 何もない空間から湧き出たその黄金の光の渦は、通常では考えられないほどに高密度のマナだ。


「何なのこれ、普通じゃない! エルカード、手を放して!」

「ええっ!? エルミーが握ってるんでしょう?」

「ウソ!? 手が」

「離れない!?」


 繋いだ手が不思議な力によって離れず、エルミーとエルカードは焦る。

 その二人の間に溢れかえる膨大なマナが、やがて二つの形を成し始めた。

 それは人の形。

 一人の少年と、一人の少女の形へと。


「な……なに? なに? なんで!?」

「エルミー、これは!?」


 やがて光の奔流が落ち着くと、そこにはエルミーとエルカード、二人のエルフと同じ緑の髪をもった少年と少女が、寄り添うように立っていた。


「……まさか、よりによって」


 ふう、と目つきの鋭い少年の方が心底嫌そうにため息を吐く。


「あなた達の子どもに生まれ変わるなんて、あの時は思わなかったわね」


 その横で、理知的な光を湛えるクリクリとした瞳の少女が、花が咲くように微笑んだ。


「だ……誰!?」

「子ども!? 今、僕たちの子どもって言った?」


 突然の事態に困惑するエルミーとエルカード。

 光の中から現れた二人のうち、少年の方が口を開こうとした瞬間。エルミーはエルカードの頭を叩いた。


「あ痛!」

「バカエルカード! そんなわけ、ないでしょ! なんでちょっと、嬉しそうなの!?」

「いや、いやいや、そんなわけないの分かってるけど!」

「……ぎゃいぎゃい騒ぐな」


 目つきの鋭い少年が、低い声で呟く。


「……悪いなエルカード。正真正銘、俺たちはお前たちの子どもだ。お前たち二人が結ばれる未来が確定したから、俺たちは承継魔法で生まれ変わり、時も超えて、今この場所に顕現することができた」


 そしてスラスラと一方的に喋りながら、いまだ繋がれたままのエルミーとエルカードの手を指さした。慌てて二人はパッと手を放す。今度は普通に離れることができた。


「おめでとう。そしてすまない」


 困惑し続けているエルミーとエルカードをそのままに、少年は続ける。


「本来お前たちから生まれるはずの子どもを、俺たちは乗っ取ったようなものだ。本当にすまない。……けど、安心してくれ」

「え? ……は?」

「え……何、を」


 まったく話についてきていない二人に構わずに、少年は話を続ける。


「俺たちは、こんな歪な形でこの世界に居続けるつもりはない。だから……」

「ちょっとフォート、フォートってば!」


 少女の方が、ベラベラしゃべり続ける少年の腕を引っ張った。


「なんだよサフィ。まだ話の途中」

「いきなり現れて、こんなこと一方的に話し続けたって、パパとママに理解できるハズがないでしょ?」

「時間がないんだ。そんなに難しい話をしているわけじゃないし、さっさと理解してもらわないと困る」


 その時、またはるか遠い空から閃光が走った。

 続けて轟音、そして激しい地響きが轟いてくる。


「うわっ!」

「またっ……!」

「……多分、今ので俺とサフィが消し飛んだところだ。早く行かないと、ミンミン達が危ない。リリンとガラフでは、僅かも持ちこたえられないだろう」


 少年は淡々と話すと、パチンと指を鳴らした。

 それだけで瞬時に魔術構築式スクリプトが描かれ、エルミーとエルカード、そして少年と少女の身体が浮かび上がった。


「飛ばすぞ。空間跳躍してもいいが、僅かの魔力消費も惜しい」

「はいはい。……ごめんねエルカード。後でちゃんと説明するから」


 少女はそう言うと、エルカードに向かって愛らしく小首を傾げた。


「……ね、ねえ」

「せめて……」


「〈飛翔レイ・ウイング〉!!」


 少年の発声とともに、四人の身体はガーランド帝国の空へ向かって、弾けるように飛翔を開始した。


「——驚くとか! ツッコミとか! そういう時間をくれぇぇぇぇぇ!」

「お前らの、親とか! 冗談じゃないッ!! ふざけんなこの、陰険魔術師ィィィィィィィ!!!」


 不運なエルフ二人の悲鳴を尾のように残して。

そして舞台は再び、正真正銘の最終決戦の場へと、移り変わる。

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