128.成れの果ての女神
それは史郎が前世で、兄の企みにより精神を壊され自死を選んだ後の事だった。
「望月さん、コメントを!」
「亡くなったご次男の存在を、これまで隠されてきたのは何故ですか!?」
「タレントになった長女の叶さんに、難病を克服した実業家の長男晴人さん。このお二人しかお子さんはいないと、テレビで言ってましたよね?」
「引きこもりの次男は邪魔だったと、そういうことですか?」
「これからも、教育評論家の肩書きは名乗り続けるおつもりですか?」
「自殺した史郎さんは、晴人さんの世話をさせる為に産んだというのは本当なんですか!」
「答えてくださいよーー望月美和さん!!」
どこから情報が漏れたのか。
史郎の母親、望月美和は今や日本中から「親失格」の烙印を押され、マスコミからつけ狙われる犯罪者同然の存在となっていた。
そしてテレビ、週刊誌はもちろんのこと。そんな格好のご馳走がネット掲示板やSNSで祭りにならないはずがなかった。
教育評論家www
だってお前、ニートの親じゃん
よかったな、子ども部屋おじさんになる前にタヒんでくれて
望月叶もアウトだな
あの姉も、このウンコババアと結託して弟を黙殺したんだろ
母と姉への悪評が、ネットの世界で吹き荒れる。
人気商売と言ってよい仕事だった美和と叶は、もはやメディアに顔を出せる状態ではなかった。
「どうして……どうして、こんなことに!」
望月美和はすべてを失い、いつのまにか夫にも見捨てられ、離縁されていた。
「……母さん」
かつての煌びやかな生活など見る影もない、酒に溺れ荒れた毎日を送っていた美和の元に、彼は現れた。
「晴人!」
「無様だね、母さん」
「え……?」
美和の手が握りしめていたウイスキーのボトルが、汚れたテーブルの上にゴトンと倒れる。
「晴人、あんたまで、何を言ってるのよ」
「何をだって? むしろ僕にこそ糾弾されると、どうして思わないのか。そちらの方が不思議だよ」
「ど、どうして……私は、晴人の事を、誇りに思って」
「僕の病気が治り、僕の事業も成功して、美談に出来ると確信してからはね」
氷よりも冷たい視線を実の母親に突き刺しながら、晴人はテーブルの上のテレビリモコンを手に取り、電源を入れる。
『——つまり望月美和氏は、幼い頃から才能に溢れていた長女の叶さんだけが大事で、障害を持って産まれた晴人さんは邪魔だったわけですか』
ワイドショーのコメンテイター、絶対の安全圏から無責任に落伍者を踏みつけることを生業とする者たちの声が、荒れたリビングに響き渡る。
「やめて! 消してよ!」
叫んで、美和はテレビの画面に向かってグラスを投げつけた。
だがアルコールに焼かれた身体は思うように動かず、すぐそこのディスプレイにも届かない。
グラスは中身をぶちまけテーブルの角にあたり、ガラスの破片を散らして砕けた。
「いやあ……」
テレビ画面の右上には、〈人気教育評論家の真の姿・『きょうだい児』とは?〉の文言が踊っている。
『そうですね。けど美和氏は世間体として、晴人さんを捨てるわけにはいかなかったかった。だから世話をさせる奴隷……酷い言葉ですが、敢えて使いましょう。家庭内の奴隷が必要だったと』
「違うわよぉっ!」
『だから美和氏は、今回亡くなられた史郎さんを産んですべてを押しつけたと。そういう事ですね』
「違う違う違う! 何も知らないくせに勝手なこと言わないで!」
それまでは自分自身がコメンテイターとして、画面の向こうで喋っていたはずなのに。
美和はおそらく、当時の当事者達が叫んでいただろう事と同じ言葉を、喚いていた。
「何も違わないだろう? 母さん」
晴人は冷笑する。
テレビの向こうで、美和への弾劾は続いている。
『亡くなった史郎さんは小学生の頃から、周囲との交遊関係を断たれて、お兄さんの介護をさせられていたそうです』
『酷い話ですね』
『何しろ史郎さんの名前は、本当は仕郎……仕えるという字ですね。に、なるはずだったそうですから』
『それは酷い! 親としてありえない、これは虐待ですよ!』
辛口が売りの年配女性が、吐き捨てた。
「やめて……どうして、そんな事まで知って」
「どうしてだろうね」
ニィ、と嗤う晴人。
「……あなた、まさか」
その気味の悪い笑顔に、美和は背筋に冷たいものが走った。
そんな美和の怯えを見透かしたようなタイミングで、テレビの中でワイドショーの司会者は告げる。
『さてここで、昨夜に当番組の独占取材に応じて下さった望月晴人さんのインタビューVTRを、ご覧下さい!』
「!! 晴人ぉっ!?」
半狂乱で叫び声を上げる母を、人生の大半をベッドの上で過ごしてきた人間とは思えないほどの腕力で、晴人はテーブルの上に押しつけた。
そして嫌がる美和を無理矢理に、視線をテレビへと向けさせる。
『この度は弟さんの件、お悔やみを申し上げます』
『いえ……私は加害者です。弟から、史郎からその人生の殆どを奪ってしまいました』
『そんな、むしろ晴人さんも被害者ではないですか』
『とんでもない。史郎が生きているうちに僕は……私は、弟の存在を世間に公表するべきでした。望月家の成功は、史郎の献身と犠牲の上に成り立っていると、そう表明するべきでした』
伏し目がちに、インタビュアーに向かってしおらしく話す史郎。
計算され尽くした仕草、口調。
まず最初に己の非を全面的に認め、
『それは、お母様に口止めをされていたのではないですか?』
『……病から回復する前の私は、金銭的な意味では親と姉に頼り切りでした。自分の事業が成功して、経済的に独立できてからようやく、弟の事を告白するなんて……私は本当に勇気がありませんでした』
そして自分を責める形を取りながら同情を買い、自分は世論を味方にして、すべての咎を親と姉に押しつけることに成功していた。
『そんなことはありませんよ! 晴人さん!』
『貴方はご立派です!』
『ネット上でも、晴人さんを非難する人は非常に少数です。世間の人々は皆、あなたに同情的ですよ』
そう。当事者である史郎を追い詰め自死を選ばせ口を封じてしまえば、あとは晴人を弾劾できる者は存在しなかった。
彼はネットを含めた現代日本の情報化社会で巧妙に立ち回り、悪役のすべてを母である望月美和、そして恵まれた環境に居続けた姉の望月叶に押し付けることに成功していた。
「晴人……許さないわ……出来損ないのあなたを見捨てず、生かしてやった恩も忘れて」
「ついに本音が出たね、母さん。僕としては、産んでからのことだけには感謝しよう。けれど、それ以外には恩など欠片もない。……あの愚かな弟以外には、誰にもね」
アルコール臭い母をテーブルに押し付けながら、晴人は愉快そうに笑う。
「その弟を始末しようと、企んだのはお前のくせに! バラしてやる、お前の悪意も世間に!」
「あははっ……信じてもらえると思うかい? 今の母さんが何を喚いたところで、ただの責任逃れとしか受け止められない。もう誰も、あなたの言葉なんて聞くはずもない」
「黙れっ……黙れ、黙れ! 出来損ない風情が! 晴人、お前も……史郎も、叶だって! みんな私の子どもだ! 私の持ち物だ! 道具だ! それが親に……生みの親に逆らうなんて、許されるはずがないのよ!」
醜く顔を歪め、唾を飛ばし、美和は叫び続ける。
それはまさしく、負け犬の遠吠えだ。
晴人は冷たく嗤い続ける。
「道具ねえ……まあ、それは認めてあげるよ。しょせん人は誰かを使うか、誰かに使われるか。それだけしかない。神のごとく人を支配し操りたいのなら……それだけの器がなければいけないね。母さん、あなたは実の息子も支配することができなかった、無能。ただそれだけだよ」
「黙れええええ——ごが!?」
喚く美和の口に、乱暴にそれが突っ込まれた。
まだ中身がほとんど残っている、アルコール度数の高い酒の瓶だ。
「無能は無能らしく、余計な野心など持たずに他人に支配されていればいい。けれど母さん、あなたにそんな生き方はできないだろうね」
「ふぁっ……ふぁひを!? ふほがぁっ!!」
晴人は力ずくで美和の喉に酒を流し込んでいく。
「ああ哀れ。世間からの悪評に耐えられず望月美和は、酒に溺れそして……息子の後を追うことを決意する。それは贖罪か、それとも逃避かな」
「がはぁっ!?」
いつの間にか、晴人が手にしていたのは先程砕けたグラスの欠片。
入念に手袋をしている彼の右手に握られたそれが、美和の手首の内側を縦に深く切り裂いた。
鮮血が舞い散る。
晴人は巧みに身をかわし、それを身に受けることはない。
「ひぎぃいいいっ……!」
「ふふ。それだけアルコールが回っていれば、そう簡単に血は止まらないだろうね。大丈夫、母さんが静かになったら、このグラスにはちゃんと母さんの指紋をつけておくからね」
晴人は手袋越しに摘まんだ硝子の破片をもって、柔らかく微笑んだ。
「お……お願い、助け……ひゅ、ひゅう急ひゃを……」
床に倒れ、もう呂律も回らない美和。鮮血が溢れる自分の腕をぼんやりと見つめているだけだ。
「救急車ね。安心して、ちゃんと呼ぶよ。……母さんがもう手遅れになってから、ね」
「ひゅ……ゆるひゃ、ない……あらひは」
美和は徐々に暗く、冷たくなっていく世界で。
ただただ強く、強く、呪った。
——私は、何も間違っていなかった。
——史郎も、晴人も、叶も。私が産んだのだ。だから私の為に生きるべきだったし、私の道具になって当たり前だった!
——それなのに!
——みんな、みんな、私の産んだものはみんな、私に逆らうことなんて許されないのに!
(神のごとく人を支配し操りたいのなら、それだけの器がなければいけない)
死の間際、最後の晴人の言葉が美和の脳裏にリフレインした。
——黙れ! なら……神になってやる!
——もし生まれ変わることができるなら
——何年、何万年、何億年、輪廻の果てまで辿り着こうとも
——神にだってなって、私はお前たちを支配してやる
——子は親に逆らうなど、道具が持ち主し歯向かうなど、許されないと教えてやる
——お前たちの運命は、私の掌で弄ばれるべき駒……なのかしらぁぁぁぁぁぁぁ!!
そして。
彼女の魂の怨念は。執念は。
文字通り千億の時を経て、輪廻の果てに。
世界も時間も飛び越えて、魂の輪廻に干渉しうる存在へと、己が魂を辿り着かせた。
もっとも、神にまで辿り着いた魂も、数多の生を繰り返しその最初のひとつの記憶など、とうに忘却の彼方であったが。
***
「くだらないな、女神よ。それが貴様の本質か」
増幅された〈千兆重魔法原子崩壊呪〉を受肉した本体に受け、女神はその核とも呼べる身体を大地に倒れ、晒していた。
その外見は、他者を支配し弄ぶ執着と怨念の出発点。
ゲンダイニホン人の中年女性の姿だった。
「望月さん……あなたが、女神だったなんて」
倒れた中年女性を見下ろしていたのは、反射の魔術師エフォート・フィン・レオニング。
そして転生勇者リリン・フィン・カレリオン。
リリンはエフォートの力によって増幅された精霊の声の力を用い、倒れた女神の魂の声を聞き、そしてエフォートに伝えていた。
「うう……女神たる、我が……たかが、体ひとつ、喪ったところ、で」
「無駄だ」
呻く女神の成れの果てに、エフォートが冷たく言い放つ。
「お前の魂はミンミンが封じている。かつて貴様の分体であり、今はその身に異世界ラーゼリオンの魔導の叡智、王家承継魔導図書群の一部を宿すミンミンだ。彼女の力は女神よ、貴様の魂をその肉体から決して逃がさない。……リリン」
「うん」
リリンがスラリと、剣を抜いた。
それは女神の分体に砕かれたはずの、神殺しの剣。
「バカ、な……レーヴァテインは、我が、確かに……!」
「貴様に砕かれたのは、サフィが承継魔法〈道具創造〉で作ってくれた複製だよ。本物は温存しておいた」
エフォートは淡々と言って一歩下がり、リリンに女神の前を譲る。
リリンはゆっくりとレーヴァテインを振りかぶった。
「……もう、ゲンダイニホンの呪縛からこの世界を解放しましょう。望月さん」
「お……のれ、理子ぉ……!」
だが、リリンの最後の一振りが因縁を断つ、その寸前。
「——よくやってくれた。これはお礼だよ、リコちゃん。それに……カナエ姉さん」
青年の声が天から響き、王女の身体が空から落ちてきた。




