119.その名前の意味
『情けねェ……この魔王様がァ……あんな優男に、一杯食わされるたァな……』
漆黒の美しい魔王は、胸を反物質の剣に貫かれたまま、倒れることもできずに立ち尽くしている。
「魔王ッ!」
エフォートが、サフィーネとともに魔王の元に駆け寄る。ちなみにエフォートの背にはいまだにガラフが張り付いていた。
『反射のォ……悪ぃなァ、お前との決着をつけられねェでよォ……』
「諦めるな、貴様らしくもない! 対消滅とやらは抑えられないのか!?」
『駄目だなァ……今はなんとか魔力で強引に、身体を維持してるがァ……消費速度が、尋常じゃあなくてよォ……』
苦しげに喘ぐ魔王。その言葉に偽りはなさそうだった。
「魔力さえあれば、対消滅を抑えられるんだな!?」
エフォートが問い質す。
魔王が消滅すれば、大陸全土が吹き飛ぶ。そんなことを許すわけにはいかないのだ。
『ムダだぜェ……こいつの反応を遅らせるなんて、お前と後ろのグレムリン混じりが千人いたって、数秒が関の山だァ……』
「くっ……それほどの力の差が、お前との間にもあったということか」
そして、それほどの存在をハーミットと融合した望月晴人は、制してみせた。
エフォート達を囮にして、万全の用意をして隙を窺っていたのだろう。
異世界の知識をもって、魔王をたやすく葬る。まさに異世界転生チート勇者だ。
『あァ……まして、今のガス欠のお前には、反射も不可能だァ……吾が消えた瞬間に、ここに小せェ太陽ができると思え』
「そんなっ……じゃあハーミットは、ハルトはこの世界を滅ぼすつもりなの……?」
サフィーネは絶句する。
『いやァ……吾が消えれば、この世界はあの優男の物だ。大陸ひとつが消えても、再生させりゃァいい。そう考えてんだろォ……』
「分かった、もう喋るな魔王。対消滅を遅らせることに集中していろ。……ガラフ、頼みがある』
「に、ニイちゃん……お、オイラ……」
世界滅亡の危機などという状況に直面し、ガラフはもうパニック寸前だ。
エフォートの背中にしがみつきながら、ガクガクと震えている。
「オイラ、こんな時に、できることなんて……何も」
「しっかりしろ、ガラフ!」
エフォートが檄を飛ばす。
「お前は俺に怒っただろう、ミンミンを犠牲にするなと! このままではミンミンも、女神に乗っ取られたまま消えることになるんだ。それでいいのか? ミンミンを見捨てるのか!」
「え……」
世界滅亡の危機。
それをエフォートは、一人の少女の危機として口にした。
それは事実であり、真実。
仮に世界の危機は手に負えないと諦めたとしても、あの少女の危機をも諦めるのか、と。
「俺は……俺は絶対に諦めない! ミンミンに女神が顕現することを、俺は予期した。それをヤツを倒す為とはいえ、そのままにしてしまったんだ。必ず、取り戻さなくてはならないんだ!」
「……オイラだって……同じだ」
それは、少年の勇気を鼓舞するに充分な言葉だった。
「諦めていいわけ、ないじゃんか! ニイちゃん!」
「フォート……私も、私だって!」
ガラフが、そしてサフィーネもまた同意する。諦めて世界と少女の終わりを待つことなど、絶対に許容できない。
「兄貴もでしょ!?」
「ああ。もちろんだよサフィーネ!」
エリオットもまた力強く頷いた。だが。
「でも、どうやって……悔しいけど、俺にはライト・ハイドほどの魔幻界の魔法知識は残ってないんだ。反物質生成なんて、何がなんだか」
「それは俺がなんとかする。ガラフ!」
弱音を吐いてしまったエリオットにエフォートは応えると、背中を振り返った。
「俺は今から承継魔法を使う、お前はありったけの魔力を練って俺に渡してくれ。瞑想と魔力供与の同時展開だ、枯渇になった瞬間にすべてが終わるぞ!」
「分かってらあ!」
ガラフは勇ましく応えると、尋常ではない魔力を生み出し始める。
それはウロボロスの魔石を遥かに上回るほどの魔力増幅だ。
(ここでオイラの魔力が尽きて、命まで落としたってかまうもんか……! どうせビスハ村でニイちゃん達に救われた命、ミンを助けられるなら安いもんだ!!)
少年の決死の覚悟が、エフォートに限りない力を注ぎ込む。
そしてエフォートは。
「全てを我が前に示せ……〈万物解析〉!」
魔王に突き刺さった反物質の剣に右手をかざし、覚えたばかりの承継魔法の魔術構築式を展開した。
「サフィ、手を!」
そして左手を傍らの王女に差し出す。
「同期するぞ! 俺が渡す情報通りに、道具創造を!」
「うんっ!」
飛びつくように、サフィーネは相棒であるエフォートの手を握った。
『お前らァ……無駄だ、逃げろって……転移魔法で大陸の端っこにでも、飛べば……万に一つは、助かるかもしれ』
「黙れと言ったはずだ、魔王」
膨大な演算処理を行い反物質の解析をしながら、エフォートは言い放つ。
「俺たちは、早々に諦めて転生勇者に全てを託すラノベの異世界人じゃない。お前は俺たちが必ず倒してやるから、今は貴様も生き延びる為に、努力しろ」
『努力しろ、かァ……』
魔王は苦しみながらも、ポツリと呟く。
『エフォート……知ってるかァ? お前の名前はな、ゲンダイニホンのある世界の言葉で、【努力】って意味なんだぜ……』
「知ったことか」
絶望への抗いを、彼らは決して止めることはない。
***
神聖帝国ガーランドの軍勢は、七十万の魔王軍の前に瓦解寸前であった。
「早く撤退をっ……誰でもいい、わたしを守れぇっ!!」
皇太子グルーンが悲鳴を上げるが、もはや軍の体をなしていない帝国軍の将兵に、彼の叫びに応えるものはいない。
「ひいいっ!!」
片腕が義手の男が、皇太子の前を叫びながら通り過ぎる。
「ばっ、バルレオス卿! いいところに、は、早くわたしを安全なところへ……」
「知るかぁああっ! 安全なところなど、どこにも」
ガォオオオオオオン!!
閃光と爆音が、皇太子の前で炸裂した。
恐慌に陥った馬がいななき、グルーンは落馬する。
「がはぁっ……い、いったい何が」
コツン、と兜に何かが当たる音がして、驚いたグルーンはまた情けない悲鳴を上げる。
「こ、これは」
それは、バルレオス卿の義手の一部だった。
帝国の魔法技術の粋を凝らした、特殊な金属でできていたはずの義手だ。それが粉々に砕け散っている。その持ち主の体など、もはや跡形も残されていないだろう。
「こ、これが……魔王軍の力……か、勝てるわけが……ひっ!?」
もはや恐怖に狂う寸前だったグルーンの前に、それがスッと顔を近づけた。
闇の眷属、人族の魔術師が束になっても及ばない魔力を持つ上級悪魔の一柱だ。
『下らぬ。これが大陸でもっとも強大な軍事力を持つ、帝国軍か』
「ひいい! た、おた、お助け……」
『消えよ』
闇の雷がまさに皇太子を撃とうとする、まさにその瞬間だった。
ガォン!
ガォンガォン!!
『ぬぐぅ?』
上級悪魔の巨体が大きくよろめいた。
顔面に砲撃を喰らったのだ。
「りゃああああああ!」
その隙に巨大なアックスを振りかぶった人影がひとつ、上空から落ちてきた。
「大地割りぃぃぃぃぃ!!」
『愚かな、ただの斧がこの我輩にぐぅがあああああっ!?』
物理攻撃を無効とするはずの上級悪魔の肉体は、ルースの一撃で粉々に砕け散った。
「見たか! アタシの新武器! レオニングが承継魔法で属性付与してくれた、その名も——」
「ルース! 危ないべッ!!」
ガォンガォン!!
神の雷・対物ライフルの射撃音が木霊する。
ルースの背後から襲い掛かろうとしてた二首キメラが、その二つの頭部を爆散させて倒れこんだ。
「あっぶね……サンキュー、ミカ!」
「余裕ぶってる場合じゃないべ、ルース! 早くガーランドの皇太子さまを保護するべ!」
自分の体よりも大きなライフルを自在に振り回しながら、ミカが叫ぶ。
「いっけね、そうだった! ……あんたが皇太子さま?」
ルースは地面に這いつくばり、放心しているグルーンに声をかけた。
「な、な、お、お前らは、いったい」
「アタシらはビスハ勇兵隊。レオニングとサフィーネ姫様の仲間だよ」
「な……さ、サフィーネ?」
その名前を聞いて、グルーンの目に光が戻る。
「サフィーネの部下か! 遅いぞ! は、早くわたしを助けろ!!」
「……は?」
「わたしはサフィーネの婚約者だ! つまりお前たちもわたしの部下ということなのだ! 一刻も早くこの地獄から、わたしを助けブホウェアッ!?」
オーガ混じりの戦士の拳が、皇太子の鳩尾に食い込んでいた。
「ルース! ちょ、殴っちゃダメだべ!」
「ダメかなあ? コイツが何をほざいたか、ミカにも聞こえたっしょ?」
「……殺してねえべな?」
「まあ、たぶん」
「だったら、まあええべ」
割とあっさりミカも引き下がったところで。
魔獣の叫び声がミカとルースの周囲から轟いた。
グォアアアアア!
キシャアアアア!
「やば、囲まれてる」
ルースは気絶しているグルーンを抱え上げた。
「むかつくけど、都市連合の議長さんに言われてるからな。お前は助けてやるよ」
「これもお姫様の為だべ。……ギール兄、目標確保だべ!」
ミカは懐から通信魔晶を取り出し、叫んだ。
そして。
「全部隊、一斉射ァ!!!」
遠くからギールの勇ましい声が響き、続いて先を上回る砲撃の嵐が起こった。
ルースとミカを囲んだ魔物の軍勢は、四方八方からの砲撃に晒され数を減らしていった。
「よし、これで……」
装甲車部隊の指揮車両。
その車上で全部隊に指示を出していたギールは、作戦が順調に進んでいることを確認する。
混乱の最中で、作戦をギールに提示したのはダグラス・レイ議長だった。
女神の策略により転移された魔王軍を排し、帝国軍の皇太子を救う。
それは皇帝に対して貸しを作り、サフィーネの身柄を帝国に渡さない為の計画だった。
(さすがに、七十万の魔王軍をすべて相手にはできない……皇太子を確保し、局地戦の勝利で十分だ、あとは離脱してルトリア防衛に専念を)
「ギール隊長、レイ議長より通信です!」
ギールが撤退の指示を出そうとしたところで、その報告が入った。
「魔王軍への攻撃を中止! これ以上、魔王創造種の数を減らすな、とのことです!」
「何っ!? いったいどういうことだ!」
「見てください、隊長!!」
別の兵士が叫ぶ。
視線の先では、砲撃を受けていないはずの遠方の魔物も含めて、次々と魔物たちがその姿を光に変え、消えていく。
「魔王軍が消えていく……? いったい何が起こっているんだ!?」
状況を理解できないギールは、困惑するしかなかった。