114.VS勇者/VS魔王
栗色の髪の剣士はたった一人で、五十万の国王軍の前に姿を現した。
都市連合の首都ルトリアへの進軍を停止していたラーゼリオン軍は、その大規模軍勢を左右へ大きく展開していた。
必然、その少女剣士は半包囲される形となる。
「さすがの迫力だね……。こういうの、壮観っていうんだっけ?」
リリンは腰に下げた神殺しの剣レーヴァテインの柄を握り締め、呟く。
そして軍の先頭に掲げられた、二本の磔台を見上げた。
ガイルスが、ラビが、無残な姿を晒している。胸元が微かに動いているのを確認して、リリンはまずは二人の生存に安堵した。
(待ってて……必ず助けるから!)
意を決したところで、その声が響く。
「……リリぃン!」
ゆっくりと歩み寄ってくる、一人の金髪の青年。
いや、一人ではなかった。
薄汚れた布を頭からフードのように被った人物が、その後ろに付き従っている。
以前にも目撃したラーゼリオン王国の暗部、ライト・ハイドの一員かとリリンは考えた。
「……シロウ……」
「素直に姿を現してくれて嬉しいぜぇ。オレの言うことを聞いてくれる仲間は、もうお前だけになっちまったよ」
時をかけてゆっくり歩いてきたシロウは、リリンからある程度の距離で立ち止まり、そう宣う。
彼の口にする仲間という言葉に、リリンは引っかかるものを感じた。
どうして五年もの間、シロウが度々口にしたその単語に違和感を感じなかったのだろう。リリンは過去の己の愚鈍さを身に滲みて実感する。
「……シルヴィアが残ってるはずでしょ?」
「ああ、気配は感じるけどな。けどアイツ、オレが命じても姿を現しゃしねえ。隷属魔法が切れてやがんだ。オレ達の絆がな」
そう口にするとシロウは、忌々しげにリリンを睨みつける。
「リリン。まんまと反射ヤロウに操られてオレを捨てた、テメエと一緒だ」
「シロウ、聞いて」
リリンはシロウの口上を遮り、右手を上げて手の甲を見せた。
「奴隷紋がちゃんとあるでしょう? あたしはシロウとの繋がりを捨ててないよ」
「……馬鹿にしてんのか?」
殺気すら含んでいるような、冷たいシロウの怒気。リリンはビクッと身を震わせる。
「オレには魔術構築式が見えてんだよ。お前のそれは機能してねえ、見せかけだ。反射ヤロウの入れ知恵だろうが、そんなふざけた小細工でオレを騙せると思うな!」
「違う! エフォートはあたしを……」
全身全霊をかけて、自由で綺麗な身体に戻そうとした。
それを拒絶し、繋がりを失うまいとしたのは他ならないリリンの意思だ。シロウを二度と見捨てないという覚悟だったのだ。
だが。
「オレの物であるお前が……ヤロウの名前を口にするなァァッ!!」
「!?」
反射の魔術師の名前を耳にしただけで、シロウの精神はキャパシティを超える。
無詠唱で戦略級魔法が解き放たれた。
「〈カラミティ・ボルト〉ォォッ!!」
「お願い〈平穏の精霊〉!」
破滅の稲妻は、リリンの目の前で瞬く間に消失する。
災厄の雷は、その存在を平穏に戻された。
「チッ……やるじゃねーか。大した精霊術の展開速度だ」
「シロウ聞いてってば!」
エフォートをして、数年の月日をかけて生み出した反射魔法でようやく防げた戦略級魔法を、容易く無効化してみせたリリンは構わず叫ぶ。
「あたしはもう二度と裏切らない! ……理子とは違うんだよ!」
「……いや、またオレの中を覗き見して行動を先読みしてやがんのか。真似する気も起きねえ、面倒くせえ構築式だ」
「……ッ!」
精霊ケノンも同時展開していた事を悟られ、リリンは息を飲む。
シロウは忌々しそうにため息を吐いた。
「……自分は理子だ、ハーミットは兄貴だ、そんなホラ吹けばオレが動揺すると思ったか? 残念だったな。反射ヤロウの立てた作戦だろうが、そんなの全部お見通しなんだよ!」
「シロウ、あなたは……」
精霊ケノンを通じて、リリンはシロウの心の声を聞く。
その内心は、前にエルフィード大森林で最初にシロウがパニックを起こした時と、何も変わっていなかった。
一見、表面的には落ち着いている。だが根の部分では変わらず、おどろおどろしい汚泥の如き怨嗟の邪念が渦を巻いていた。
「なっ……!?」
そしてケノンは告げる。狂気の転生勇者が悪魔の如きラーゼリオン国王に誑かされ、何を企んでいるのか。
「まさか……シロウ、そこまでするの……!?」
「ケッ、察したか。これも全部、テメエの蒔いた種だ!」
そう叫ぶと、シロウは後ろにずっと控えていた人物のフードを引き剥がした。
「……リリン……!」
「お母さん!!」
そこにいたのは、胸元に隷属の紋章を露わにした一人の女性。
カレリオン家の没落とともに奴隷に身を落とした、リリンの母親だった。
***
『嬉しいぜぇ、エフォート・フィン・レオニングよォ。まさかここまで魔幻界の承継魔法を自分のモノにしてるとはなァ』
魔王の放った炎熱により焦土と化した大地の一角。まったく被害を受けていない地帯があった。
周囲には半透明にきらめく壁が展開されている。
そして内部では一人の目つきの鋭い魔術師が、聖霊獣の角と巨大なウロボロスの魔石を両手で掲げ、仁王立ちしていた。
「くそっ……防げた……だけ、か……!」
「フォートッ!」
聖霊獣の力と、その大きさであるいは都市ひとつ分の金銭的価値があろうかという魔力増幅の魔石。その二つをもってしてなお、エフォートは魔力枯渇を起こしかけて、片膝をついた。
サフィーネが慌てて、その身体を支える。
「サフィ……すまない、計算違いだ……魔王の攻撃を反射して、少なくともダメージは与えられる、はずだったが……!」
「謝らないでっ……ガラフ君!」
「わかってるっ!」
ガラフが即座に、エフォートにマジック・パサーを掛けて魔力供給を開始する。
同時にエリオットが剣を構え、エフォートたちを守るように魔王の前に立った。
『クカカカカッ。そーか、この前分体で挨拶に行った時に、吾の力を解析していたってーことかァ。ほんっとに楽しませてくれるァ……だが』
ニイイ、と魔王は笑う。
「……っ!?」
男性的であり同時に女性的である、凄絶な美貌を誇る魔王。
その笑みをまともに目視してしまい、サフィーネは不意に目眩を覚えた。
『反射の魔術師の二つ名は返上だなァ、エフォート。今日から壁の魔術師とでも名乗れよォ。なあ、お姫さまもそう思うだろォ』
「そう……ですわ、ね……?」
「お姫様!?」
様子のおかしいサフィーネに、パサーを継続しながらガラフは戸惑う。
サフィーネは、すべてを目の前の超常の存在に明け渡してしまってもよい衝動に駆られていた。
「フォート……もう、諦めよう……? 魔王さまには、勝てない……このまま世界が、転生勇者のモノになるくらいなら……この場でみんなで、一緒に死んで……」
「サフィ……!? まさか魅了を……!」
「魔王、キサマ!!」
エリオットも妹の異常を察し、魔王に飛び掛かろうとしたその寸前。
「えっ?」
後ろから腕を掴まれ、エリオットは動きを止めた。
彼を制したのは当のサフィーネだ。
「魅了……? 私が、魔王に……この私が? ……うわああ!」
「サフィーネ!?」
王女は両手を掲げて、魔力を集中させる。
「開け! 我が秘せし扉ぁ!!」
『へェ……こっちも楽しませてくれるァ』
魔王はまた感嘆の声を上げる。
『ラーゼリオンの血を引くとはいえ、ただの人族が意志の力だけで吾の瞳術を破るとはなァ』
「舐めたマネをっ……! 回転式多砲身連射砲!」
『おお怖ェ。地が出ちゃってるよォお姫様ァ』
ドォン、と地響きを立ててサフィーネの前に召喚されたゲンダイニホンの兵器を見て、魔王はケラケラと笑い続ける。
「うるさい! アンカー固定ッ……兄貴、行くよ!」
「! ……わかったっ!」
地を蹴って、横に駆け出すエリオット。
一瞬で魔王の横に位置取りを変えた。
「待てサフィ……無茶だ、何の策も無しに、魔王に攻撃が通じるはずがないっ……」
「フォートは黙って回復してて! ガラフ君、後は頼んだよ!」
サフィーネは狙いを魔王に定め砲身を固定し、ハンドルを思い切り回す!
「いけえええ!!」
「裂空斬・神破金剛!!」
ガガガガガガガガッガガガガッガガッガガガッガ!!
現代日本の兵器と、魔幻界の剣術奥義が、同時に魔王に向かって襲いかかった。
『くカカカッ……ラーゼリオンの小僧ォ! 千年前に万全の状態で相打ちが精いっぱいだった技が、今の半人前以下のお前で通じるとでも思ったかァ!』
光の斬撃は、魔王の眼前で停止した。
同時にガトリング砲から放たれた無数の弾丸も、空中で凍りついたように停止する。
「なっ……!?」
「まさか、時間停止!?」
『その通りだァ。人族如きにできる事が、この魔王サマにできねえと思ったかァ?』
愉快そうに笑い続ける魔王。そして。
『じゃあ、返すぜ。反射はもうお前らだけの特権じゃねえからなァ』
「えっ……?」
魔王は指先で、目の前に浮かぶ銃弾をピンと弾いた。
次の瞬間、すべてのガトリング砲の弾丸と裂空斬の斬撃エネルギーがベクトルを変え、サフィーネとエリオットに襲いかかった。
「——ッ!?」
硬直するサフィーネ。
「キャロル!!」
「〈ディメンション・リープ〉!」
エフォートが叫ぶと同時に、後ろでダグラスを庇うように立っていたふざけた女魔法士があらかじめ描いていた魔術構築式を発動させる。
王女と王子の前に空間の穴が開き、破壊の力はすべて吸収された。
『——キハハッ!!』
同時に魔王の頭上に二つの穴が開いて、今度こそガトリング砲と裂空斬奥義は魔王を直撃した。
「——やった!!」
「まだだ!」
快哉を上げるキャロルを無視して、エフォートは再び聖霊獣の角とウロボロスの魔石を構える。
「ガラフ、力を貸せ!!」
「まかせてニイちゃん! ……〈同期〉!!」
爆煙に包まれている魔王に向かって、エフォートたちはこれまでで最大級の積層型魔術構築式を展開し始める。
「サフィ! ……みんな、いくぞ!!」
展開を続けながらエフォートは絶叫する。
「開けぇぇぇ! 我が秘せし扉ぁぁぁぁぁ!!」
ドンッ! ドンッ! ドンドンドン!!
新たなガトリング砲が、次々とサフィーネが開いた空間の穴から出現する。
魔王のいた場所を取り囲むように出現したその数は、三十三台。
「議長!」
「わかったよっ、キャロ!!」
「ああもう、キャロこの武器嫌いなのにぃっ!」
サフィーネの指示に応え、ダグラスとキャロルが新たに出現したガトリング砲のうち二台に飛びついて操作する。
キャロルは同時に構築式を展開した。
「〈ディメンション・リープ〉!」
すべてのガトリング砲の前後に、それぞれ空間の穴が出現する。
「おおおおっ!」
「いくぞぉぉぉ!」
「連合の意地を見せろぉぉ!!」
砲の後ろに開いた穴からは、連合の兵士たちが一人ずつ飛び出してきた。
「総員、配置につけっ!」
ダグラスの指示のもと、兵士たちは慣れた手つきでガトリング砲を操作して狙いを定める。
「へへへっ、やっぱりキャロは天才っ!」
そして砲口の前の空間に開いている穴、そこから通じている先は。
「殿下っ! 準備オーケーだよっ!」
「わかりました議長! 開け、我が秘せし扉ッ……兄貴ぃ!」
最後にアイテム・ボックスから取り出したそれを、サフィーネはエリオットに向かって放り投げる。
「よっしゃあ! 神殺しの剣・Ⅱ!! ラーゼリオンの宝剣と合わせて、二刀流の裂空斬新奥義ぃ……」
エリオットは空中でサフィーネの投げた剣をキャッチすると、二刀を交差するように構える。
「キャロル、今よ!」
「死ね魔王! キャロの魔法でえええ!!」
エリオットの眼前にも空間の穴が出現する。当然そこから通じる先は。
「……魔王。私たちの全力を、ゼロ距離でその身で味わいなさい!! 撃てええええ!!」
サフィーネの絶叫とともに、三十三台のガトリング・ガンが一斉に火を噴いた。
「神破金剛・滅X断ぁぁぁん!!」
そして魔幻界の剣術新奥義が、エリオットによって解き放たれた。
それらはすべて次元の穴を通り、ゼロ距離で魔王を襲う。
空前の大音響が、焼き尽くされた大地に響き渡る、その中で。
「ニイちゃん、いつでもいけるよ!!」
「流石だガラフ! ……いくぞ、〈構築式無限並行展開〉!!」
エフォートとガラフが積み上げていた積層型構築式が最終局面に入る。
「〈災厄雷光爆〉!」
「〈殲滅の炎〉!」
「〈絶対零度獄刻陣〉!」
「〈大地崩壊〉!」
「〈冥竜の息吹〉!」
「〈属性変容聖爆呪〉!」
戦略級大魔法が次々と組み上げられていく。
だが発動はされていない。例えるならば装填され、後は引き金を引かれるのを待つだけの状態だ。
「へへっ。ニイちゃんと作り上げたこの極大魔法は足し算じゃない、掛け算だッ……!」
「ガラフ、最後の発動はお前の仕事だっ!」
「うん!」
エフォートの言葉に、ガラフは頷く。
異世界の魂が魔王にトドメを刺すわけにはいかないのだ。
「物質が存在できない煉獄で、消えちゃえ魔王っ……! 〈重魔法原子崩壊呪〉!!!」
千年前も含め、かつてこの大陸で顕現した中で最大級の極大魔法が、魔王に直撃した。
***
……
……
……
『お前らァ』
『……くくく、喧嘩してバラバラになってたんじゃァ、なかったのかよォ……』
『どっから演技だったァ……?』
絶望は、最初に声となって表れた。
『エフォート、ずいぶん芝居が上手くなったもんだなァ』
響き渡る、魂を震え上がらせるその声に、連合の兵士たちは悲鳴を上げる間もなく次々と倒れていく。
『遠くに兵士を隠しといてェ、レーヴァテインのレプリカを創造しておいてェ……そうか、お姫さんにも状態異常にオートで発動する〈マインド・リフレッシュ〉の構築式を仕込んでたなァ? 内輪揉めでバラバラになったと見せかけて、いつでも準備万端だったってワケかァ! ……でもよォ』
「うそ、だ……」
「無理だったの……?」
エリオットが、サフィーネが。
膝をついて、絶望の声を漏らした。
大地は球状に大穴が開いて、瓦礫もなく消滅している。
その大穴の直上、空間に浮かんでいる漆黒の魔王は。
『まァ全部、無駄だったわけだけどなァ!』
まったくの、無傷だった。
「……演技なんかじゃ無かったさ」
「……フォート?」
それでも反射の魔術師は諦めない。
「サフィ。俺を信じてくれて、ありがとう」
彼は何度でも立ち向かう。
「俺は君の共犯者だ。だから」
「……うん」
だから王女も、立ち上がることができるのだ。
「フォート、一緒にミンミンを迎えに行こう」
「ああ。その為には魔王、俺たちは貴様の相手をしている暇はないんだ!」
『クハハハハッ……! 最高だぜお前らァ!! さあ、第二ラウンドと行こうぜェ!』
魔王との戦いは、未だ終わらない。
『……と、思ってたのによォ』
はずであった。
『なァんでテメエが、ここにいる?』
「決まっているだろう? 私こそが、この箱庭世界を手に入れる者だからだよ」
不意に現れたその男は爽やかに笑う。
そして極めて自然な動きで、魔王の胸に刃を突き立てた。