107.人の思惑
都市連合評議会の本会議場。
エフォートたちが亡命した際、最初に糾弾めいた会議が行われた議場だ。
中央の円卓に設けられた二十六の席は、議場であるダグラス・レイ、副議長のタリア・ハート、特別待遇で評議会議員となったサフィーネ・フィル・ラーゼリオンに、その補佐官となったエフォート・フィン・レオニング、そして各都市の代表者たちで埋められていた。
先日の会議から変わったメンバーは、前議長バルカン・レイの傀儡として動いていた第二都市ラーマ代表のジニアス議員がいなくなっただけだ。
そして。
円卓をさらに囲む二千人を収容する傍聴席には、人ひとりいない。(もちろん、前回大騒ぎしていたロイド前ルトリア市長もだ)
なにしろ議題は、都市連合の命運に直接的に関わる事案。一般の人々に聞かれては、いたずらに混乱を招くだけだ。
「結論は決まっている……! ラーゼリオン王国の要求をすべて飲むのだ! それだけで、一千万を超える我ら都市連合の住人たちの命は救われる!」
真っ先にそう主張したのは、ルトリア代表でダグラスに次ぐ序列にいる議員だ。
先の亡命直後の評議会では、サフィーネを小娘と罵り侮辱していた男である。
「おいおい、デックス君。何を言い出すんだよお前」
横に座るダグラスが、鼻で笑った。
「都市連合の立ち位置を忘れたぁ? ラーゼリオンと魔王軍の二正面作戦に備えるってのが、この国の軍備拡大における名目だったでしょぉ。連合市民への福祉政策を後回しにして、魔法技術に莫大な投資をしてきたのは何の為だったか忘れたぁ?」
「隣国で不当な扱いを受けている民を、奴隷制度から解放する為でしょう」
デックスと呼ばれたルトリア市所属の議員は、ダグラスの言葉を予測していたのか、もう一つの都市連合の建前を即答する。
そしてダグラスが反論する前に、言葉をつないだ。
「しかしこの度のラーゼリオンの要求は、我らが否定している奴隷制度になんら関係ありません! 彼らは女神教が認定した勇者を擁し、復活した魔王の討伐に向かうというだけです。連合にとってなんらデメリットはない! それどころか!」
デックス議員は円卓の議員たちに向けて両手を広げ、熱弁を振るう。
「王国軍が魔王軍と共倒れにでもなれば、その隙に連合軍はラーゼリオン王都へと侵攻できる。王国の奴隷たちを解放することができるのです! 魔王の脅威から解放され、同時に奴隷制に苦しむ人々を救える! これこそが、我らがとるべき最良の策です!」
おお……と少なくない議員たちが、感嘆の声を漏らした。
「……バカなのかな?」
深いため息を吐くダグラス。
「その程度のことを、あのラーゼリオンのハーミット新王が考えないわけねーでしょ。後顧の憂いを断つために、〈焼き尽くされた大地〉に向かう道すがら、無抵抗になった都市連合を焦土に変えていくだけだって」
「そのような行為を防ぐ為の、交渉材料としてのサフィーネ王女であり承継図書、そして反射の悪魔でしょう!」
デックスは今は亡命者として身分を保証されているはずのエフォートたちに、無遠慮に指を突きつける。
「連合領を通過する際に一切の軍事行動を禁じ、王国軍が魔王軍との戦闘を開始した後に、王女たちを引き渡す! そう交渉すればよいのです! 確かに強大な力を持つ承継魔法と反射魔法を返すのは惜しいですが、その分メリットは大きい!! タフなネゴシエーションになるでしょうが、議長に自信がないのであれば、不肖わたくしめが、その任にあたりましょう!」
他の評議員たちに、どよめきが広がる。
都市連合のことだけを考えるのであれば、デックスの言うことが良案に聞こえる者もいるのだ。
「……大層な自信だなぁデックス。ならもっといい案があるよぉ」
ダグラスは余裕の態度を変えず、ニィと笑う。
「なんでしょう」
「そこまで王国と交渉の余地があるっつーんなら、もうラーゼリオンと手を組めばいいだけじゃないのっ? 魔王軍を倒すまで休戦、手を組もうってさ。王国も連合も転生勇者も反射魔法士もみんな仲良く協力して、魔王を倒そうってさっ!」
ダグラスの言葉に、議員たちは先程よりも大きくどよめいた。
都市連合がラーゼリオン王国と手を取り合うということ、それは。
「そっ……そんな夢物語がっ」
「できるわきゃねーよな。王国と連合の因縁は、たとえ世界が滅亡に危機にあっても簡単に解けるものじゃない。でもデックス、お前の提案はそれと似たり寄ったりだよぉ? なぁんで此の期に及んでそんな事、急に言い出したの?」
ヘラヘラと笑うダグラス。だがその目は一切笑ってはいない。
議長は続ける。
「ラーゼリオンがそんな提案、相手にするわけがないでしょお? 向こうにしてみれば連合領を通過した後で、魔王軍と承継魔法と反射魔法士に挟み撃ちされる状況になるんだからさっ」
「せ、世界の危機に我らがそのような真似をするはずがない! それくらいは王国側も分かるはずですっ!」
「その世界を救う戦いの隙に、ラーゼリオンの王都に進攻しようって提案をしたんだよぉ? デックス君。お前はぁ」
「……くっ」
反論に詰まるデックス議員。
助けを求めるように他の評議員たちを見回すが、発言する者はいなかった。
「な……ならば、どうするというのですか、議長! 転生勇者を擁し進軍してくる王国軍と、戦端を開くとでも!? それでは魔王軍に対して背を向けることになる。まさか魔王と手を組むとでも? ラーゼリオンと魔王、いったいどちらが信用できるというのですか!」
「どっちも信用しないに決まってんだろぉ」
「なら二正面作戦ですか!? いかに承継魔法と反射魔法が加わったところで、魔王への備えを残したまま勇者と王国軍と戦うなど、愚の骨頂です!!」
デックスが大声で喚く。
「反射の悪魔を! 王女と承継図書を王国に引き渡しましょう! その代わりに連合の安全を保障させるのです! わたくしにお任せ下さい。わたくしなら、その交渉がラーゼリオンと可能なのです!」
「おいおい、ずいぶん強気だねえ、デックス君。何かアテでもあんのかい? 例えば、ラーゼリオンの誰かと繋がっているとか。それとも王国に幾らか握らされたかなぁ?」
ダグラスの言葉に、評議員たちの騒めきはもっとも大きくなった。
「だ……黙れよ、小僧が!!」
叫ぶデックス。
「もう貴様の時代は終わりだ、無能な小僧め! 貴様の父は私利私欲で都市連合を利用しようとした犯罪者で、貴様もあのふざけた女魔法士の為だけに評議会議長になったエゴイストに過ぎん! そのような者たちに、これ以上連合を好きにはさせぬ!!」
「何だぁ、急に。さっきから唐突過ぎんだろお前」
「うるさい! 緊急動議だ、わたくしは、ダグラス・レイ議長の解任を要求する! 賛成の者は起立を!!」
ザッと数名の議員が立ち上がった。
最初にデックスの提案に感嘆の声を上げた者たちだ。
「……デックス、お前」
「はっはっはっはっはっは! どうだ、ダグラスの小僧! 先日の事件の後から、既に手を回していたのだ! 過半数の賛同を得ている! これで貴様はもう議長では無——」
「算数って、知ってる?」
ダグラスの言葉に、興奮したデックスの声はピタリと止まった。
引き攣った顔で、円卓を見回す。
そこには同じく顔を引き攣らせ周りを見回している、複数の議員の姿。
「……この場にいるものは二十六名」
口を開いたのは、副議長のタリア・ハートだ。
「うちレオニング殿はサフィーネ殿下の補佐なので、評議会議員は全部で二十五名です。さて」
「ば、ば、バカな……」
絶句するデックス。
ダグラスは笑う。
「起立しているのはデックス、お前を入れてたった六人だ。あれえ? 六って二十五の過半数を超えてたっけなぁ?」
そして嫌味たっぷりに呟いた。
「ま、待て……待つんだ!」
我に返ったデックスは、円卓を飛び越えて座っている議員たちに詰め寄る。
「おい、デリック! メナス議員! グザバ議員! お前も、お前も……これはいったいどういう事だ!! お前たち、わたくしの提案に賛同したはずだろう!!」
デックスに名指しされた議員たちは、すっと視線を逸らす。
「おい! 貴様ら! これは——」
「では私が説明いたしますわ」
その時。ガタンと椅子を鳴らして一人の新人評議員が立ち上がった。
麗しい美貌の姫君。
その正体は、陰謀術数渦巻く隣国の王政をたった一人で生き抜き、目的を達成した政略の天才。
「デリック議員。私は、ハーミットの手の者に唆された貴方が話を持ち掛けた議員の方々に、ただ今後の計画をご説明差し上げただけです。この苦境を都市連合が乗り越える、たった一つの優れたやり方を」
そう言ってサフィーネ・フィル・ラーゼリオンはスカートの裾を持ち上げ、ニコリと笑ってお辞儀をした。
***
「なあ、エリオットの兄ちゃ……っとっと。ラ、ラーゼリオン様? オイラたち、こんなことしてていいの?」
「お姫様とお父さん、重要な会議に出てるんだよね。近くでいざという時の為に、サポートした方がいいんじゃ……」
月明りの下。
サフィーネが身を寄せているタリア・ハートの邸宅の庭で、ガラフとミンミンが背中合わせに胡坐をかいて、座っていた。
そのすぐ横にエリオットが立ち、腰に手を当てて二人の少年少女を見下ろしている。
「あはは。ガラフ、俺のことは今まで通りエリオットでいいよ。っていうか、俺はあくまでエリオット・フィル・ラーゼリオンだからさ。魔幻界の転生者としての人格は、エフォートのお父さんに巣食ってる精神体なんだ。俺は引き裂かれた魂の片割れってだけで、記憶と力をほんの少し引き継いでるだけ」
「……うげぇ、兄ちゃんが難しい言葉喋ってる……」
「似合わない」
「あんまりじゃないかな!?」
容赦のない二人のツッコミに、エリオットは嘆いた。
「んんっ! ……と、とにかくさ。ガラフ、ミンミンちゃん。君たちには他にやっておいてほしい事があるんだ」
エリオットは咳払いする。
「サフィーネとエフォートの事は心配いらないよ。なんだっけな、ええっとね……ああ、そうだ。こんなこと言ってた」
エリオットは妹に言われていた言葉を思い出して、口を開いた。
「『会議っていうのは、その準備の段階でもう勝負はついてる』んだってさ」
「え? どういうこと?」
意味が分からないガラフが不安げに聞き返したが、反対にミンミンは安心したように吐息をついた。
「そっか……さすがだなぁ」
「なんだよ、ミン。お前には分かるのかよ」
「当たり前でしょ。あのお姫様が……サフィーネ様が、もうとっくに下準備は終えているって言ったんだよ。お父さんもついてるし、もうなんの心配もいらないね」
「そういうこと。さあ、じゃあ始めようか二人とも」
エリオットは笑って、ガラフとミンミンの頭にポンと手を置いた。
「これからやることは、二人ならきっとモノにできる」
「怖いな。なにすんの?」
ガラフの問いに、エリオットは頷く。
「難しいことじゃない。これから二人に……承継魔導図書を読むコツを、教えるよ」