第四話 貴族
前回の反動で、今回は長く。
廊下を出て寮の外に進む間に、今度は何人かの生徒とすれ違った。皆、私たちと同じブレザー姿だ。顔見知りもいるのか時折サファイアが軽く挨拶などしているが、私のことは指摘されなかった。編入生が珍しくないのか、他人に関心がないのかのどちらかだろう。
「ちょうど午後の授業が始まるころですし、食堂は空いていると思いますよ」
サファイアが、ポケットから出した小さな真鍮色の機械を見て言った。手のひらに入るほどに小さな時計だった。小刻みな音がしているところを見ると、魔力で動くアーティファクトではなく歯車式らしい。
「随分と洒落た玩具を持っているな」
貴族が趣味で作らせるような、職人の手作業が必須の高価な代物だ。平民出身という割には過ぎた代物に、私は思わずつぶやいた。
「……お父さんのもの、らしいんです。顔も知りませんけど」
サファイアの視線は時計に落とされたままだ。声音の寂しい響きに、私は直感的に自分の過ちを察する。
「良い趣味をしていたようだ。形見とは知らず、玩具といって悪かった」
「あ、いえ、そんな。平民が持ってるようなものじゃないのは確かですから」
取り繕うように零した言葉で、はっとサファイアが顔を上げるが、私はその顔を見ることが出来なかった。なぜ自分がそんなことを言ったのか分からなかった。他人の気持ちを踏みにじることに対しての罪悪感を覚えたことが信じられない。そんことで心を痛めたことなどなかったのだから。
互いに無言のまま、寮を出た。午後の日差しに揺れる芝生は青い。
身の内から小さく突き刺してくるような痛みから眼をそむけるように、話題を変える。
「ここがデザイア寮だとして、他の寮はどこにあるんだ?」
「本来のデザイア寮は、学園の中――城の中にあるんです。私たちが寝泊まりしているのは、寮は関係なく平民用の宿舎っていうことになっています」
なるほど、と振り返って自分の出てきた建物を見返してみる。平屋建ての奥に長い建物で、つくりとしては頑丈だが装飾はない。よく言えば無骨といえるだろうが、豪奢な城と見比べると数段見劣りする。
「食堂とか教室は貴族の方々と共通なんですけど、私としてはそっちの方が座りが悪くって。寮の人たちはみんな平民出身だから仲もいいですし」
「貴族との仲は良くないと?」
「仲というか……私たちが話しかけるには畏れ多いですし、貴族の方々から態々(わざわざ)話しかけられるようなこともありませんから」
石の道を進み、勝手口のような小さな入り口から城の中に入る。その先は城の中庭となり、幾つもの道の合流点となっていた。それぞれが城の各所へと通じている。サファイアはシーアの研究室とはまた違った道を選んだ。
平坦な外の芝生道とは違い、中庭には木や花が埋められ、ベンチもおいてある。勝手口を境に、世界が変わったようだった。
道は地下に続いていた。ひやりと冷たい空気が溜まってはいるが、壁や階段に水の痕はない。何らかの魔術が働いているのか、階段自体が淡い緑色の光を宿しているため、足元はしっかりと見える。
二人分の靴音が鼓膜に張り付いてくるような距離を歩くと、その先に木製の扉が見えた。サファイアが手をかけて開くと、その先から光が溢れ出す。
どうにか並んで歩ける程度の狭い階段から、扉の先は一気に広間へと変貌している。そこだけで小さな家が二三件入るような、地下とは思えない空間だ。壁にはいくつもの絵画が飾られ、白いクロスの敷かれた長机がいくつも並んでいる。サファイアの言った通り昼の時間を過ぎているからか、食器のこすれる音は小さく、数人が座って優雅な食事を楽しんでいるばかりだ。
「アンジェラさん、私たちはこっちです」
袖を引かれた先には、切り株を再利用したような木の大机があった。古いものなのか、しっかりと磨かれた面にも染みが残り、クロスも引かれていない。場所は同じでも、貴族様とは机からして分かたれているらしい。
「らっしゃいませー。サッフィーおはよー」
「あ、アサギちゃん。当番なの?」
「そゆこと」
気さくな調子で話しかけてきたのは、平民用の制服の女子生徒。スカートの上に真っ白いエプロンを引っ掛けている。頭の高いところで縛った燃える様な赤い髪が印象的だ。眉は黒いので、染めているのだろう。猫のような釣り目からは、サファイアとはまた違った人懐っこさがある。その視線がサファイアから私に逸れた。
「そっちの人は? 見かけない顔だね」
警戒心はなく、純粋な疑問といった風だ。だから私は自分から右手を差し出して笑みを作った。
「アンジェラという。今日からここで学ぶことになった」
「そなんだ。私はアサギ。そこのサッフィーの友達。寮は違うけどね」
人差し指を立て、そこに小さな火の塊をともす。赤の魔術、スライ寮だと言っている。
「ま、お二人さん座ってよ。アンジェラは鳥肉、大丈夫?」
頷くと、アサギはスカートごとエプロンを翻し、いずこかに消えていく。机の上に無造作に置いてある水差しを取り、サファイアが冷水をカップに注いでくれた。
「平民には、週に一度か二度、食堂での給仕義務があるんです」
「なるほどな」
顔を動かさずに瞳だけで周囲を観察すると、アサギと同じエプロンをつけた生徒が何人か食器を手に机の間を歩き回っている。
そのままゆっくりと視線を動かして、クロスの引かれた机で食事をとる生徒も観察する。深紅のブレザーに黒のスカート。生地の厚さや光沢から、良いものを使っていると知れる。前面の左右に並ぶ六つのボタンは、おそらく真鍮ではなく銀だろう。
目が合いかけて、自然体を装って視線を下げる。
「おっまちー。今日のお昼はデザート付きだよ」
ちょうどよいときに、アサギが戻ってきた。両手に木の板を持っている。木板を彫り込んで小さな皿を作った簡素な容器に野菜や肉片、丸いパンが盛られている。大した品ぞろえではない中で、異彩を放っている食物があった。
「蜜掛け氷……これ、食べていいの?」
サファイアが眼を輝かせる先、盆の上に透明なガラス製のカップが鎮座している。砕かれた氷を入れて小さな水滴を浮かべるガラスは高価なもので、銀製のスプーンまでついている。粗末な板皿の食事と比べて明らかに平民向けではない。
「貴族様に出した昼餉の残りだよ。私も頂いたし、溶けないうちに食べちゃって」
「凄い。アンジェラさん、こんなこと滅多にないんですよ」
興奮した様子のサファイアだが、私の感覚ではそうたいしたものではない。氷を砕いて蜜を掛けただけの素朴な甘味だ。そんなものを有難がるのは理解できなかった。
「そんなに好きならくれてやろう」
何の気もなくサファイアの方にカップをやると、えっとアサギが高い声を上げる。
「嘘、ホントに? なんで? 甘いもの嫌いなの!?」
「アンジェラさん、私は一つでいいので……アンジェラさんが食べてください」
信じられないと私の顔を覗き込んでくるアサギと、遠慮しつつも私のカップから眼を離すことが出来ないサファイア。彼女たちの共通見解としては、たかが氷菓が、かなり評価の高い代物なのだろう。
「サファイアには今日中世話になりっぱなしだ。こんなもので良ければ食べてくれ」
半ば本音をにじませて言うと、じゃあ、と白い指がカップに延び、スプーンを取る。
「美味しいです。ありがとうございますっ」
頬を緩ませて氷を頬張るサファイアの脇で、アサギが指を食わえて物ほしそうにそれを見ている。
「あ、あの、アサギちゃんに少し分けてあげても」
「勝手にしろ。くれてやったものだ」
野菜と肉を炒めたものをスプーンですくい、口に運ぶ。塩も胡椒もきいておらず、かろうじて香草が香るだけの淡白な味だ。褒められるのは刻まれているのでナイフが不要な点くらいか。冷めたパンを手でちぎる私の前で、少女たちが顔を寄せて氷を食べさせあっている。
「じゃあ、あーん」
「あーん」
わざわざ一つのスプーンで食べさせ合わなくても良いとは思うが、そんなことを気にしている余裕もないのか、もしくは交互に食べることで公平感を生んでいるのかもしれない。
楽しむというには少々以上に物足りない食事を機械的に口に運んでいると、サファイアから声がかかる。
「あの、アンジェラさんも一口いかがです?」
「そうだな」
紙でも食べているような味に飽いたところだった。ちょうどいいくち直しと私がうなづくと、サファイアが心なしか大盛りで氷を掬い、突き出してくる。平民の感覚では食器の使いまわしは普通のことなのだろうか。
一瞬躊躇しつつも、下唇にスプーンを当てる。ひんやりと冷たい金属が傾き、口内に溶けかけた氷を流し込む。
「ああ、美味いな」
思わず声が出た。久しく食べていないが、こんなに美味しいものだったかと疑問に感じるほどだ。氷と混ざって冷えた蜜が舌を浸し、口の中全体を包む。ごくりと嚥下すると、爽やかな冷気が喉を清める。
私と感覚を共有したかのようにサファイアの口の端も嬉しそうに上がった。
二つのカップはすぐに空になり、サファイアも板の上の食事に口を付ける。粗末な昼食だが、とくに不満にも思っていないようだ。
「食事はすべてこんなものなのか?」
「こんなもの、とは?」
「品数や質だ。せめて調味料などはないのか?」
「香草は使われていると思いますけど、塩や胡椒は高価なので……そんなに不満ですか?」
私の舌が肥えすぎているのかもしれないが、おそらく野菜や肉も切れ端の部分を使っていて芯や筋が残っていたりしている。同じ予算でも、調理や味付けでもう少しまともなものは出せるはずだ。
「これが限度だというのなら、耐えよう」
言葉を切り、食事を終えてゆっくりと茶の入ったカップを啜る貴族の生徒を見る。木の板ではなくきちんとした陶器の丸皿の上に、ソースの痕が残っている。食材を刻んで湯に付け込んだような残飯と比べると段違いだ。
「アンジェラってば食通だねぇ。私らの食事は貴族の食事の切れ端で作ってるから、そんないいもんは出ないよ。たまーにそれなりのおこぼれがあるけどね」
「材料に関しては、自分たちで調達するという方法もありますけれど。実力さえあれば、学園の敷地内にあるダンジョンに潜れば色んな珍味があるという話です」
「探索系の授業を取れば、先生に連れて行ってもらえるしね。そういうのが目的の生徒も多いよ。卒業後はフィールドワーク系の研究者になるって人もいるし」
皿は空になったが、毎度毎度こんな食事では味覚を忘れてしまいそうだ。どうにかしようと思いつつ水差しを手に取った。
「ん」
軽い。傾けても、数滴の滴が垂れるだけだ。
「あ、とってきますよ」
サファイアが立ち上がった。本来はアサギが行くべきではないかと思うが、友人同士の仲なのか腰を落としたまま「いってらっさい」と見送るだけだ。どこまで取りに行くのかとみていると、食堂の端の方にある平民用の机の上から水差しを持ってくるようだ。別に慌てる必要はないはずだが、新しい水差しを持ったサファイアはとてとてと足音を立てて戻ってくる。走り方からして運動が苦手そうだ。
転ぶなよ、と見つめていた矢先。
あぁ、と声を上げて、サファイアの足がもつれる。信じられないことに、自分の脚同士を引っ掛けたようだ。
「あー、まっず……」
アサギが腰を上げる。サファイアの身体が床に投げ出されるのが、妙にゆっくりと目に焼き付いた。
ばったりとサファイアが倒れ、直後に響くのは陶器が割れる音。食堂中の視線がサファイアに集まる。陶器が砕け、水の散乱する場所――そこに、一人の男子生徒がいた。
「何事だ――お前!」
靴先が陶器の欠片を砕く音と共に立ち上がる男子生徒。制服のブレザーとズボンは深紅の色、貴族出身の生徒だ。金髪を後ろに流して纏めた、長身の男子生徒。そのズボンの裾が濡れて濃い色になっているのをみたアサギが青ざめた顔で見ている。
「いたた……ぁあ! 申し訳ありません!」
叩きつけた頬を抑えながら顔を上げたサファイアだが、男子生徒と目が合った瞬間に、今度は額が割れそうな勢いで頭を床に落とす。少女が身を固めて平身低頭するのを見下ろし、男子生徒は靴先でサファイアの額を押し上げる。
「お前、自分が、誰に、何をしたか分かっているのか?」
「す――すみません! お許しください!」
「お許しください、じゃない。まずは濡れた制服をどうにかするのが先だろう」
靴裏を押し付けられながら、サファイアが涙を浮かべて声を震わせる。
「は、はい、それじゃあ火の魔術で……」
「お前ら程度が使う魔術でどうにかなるのか? 焦がしでもしたら、どう責任を取るんだ」
「申し訳ありません!」
「謝ってもどうにもならないだろ。誠意を見せろというんだ」
少女の顔を踏みにじりる男の顔は、怒りに見せかけた喜悦がある。何もできない相手をいたぶる楽しさ。
「床まで濡らしやがって。……とりあえずそちらを掃除したらどうなんだ」
「分かりました、すぐに雑巾を」
「何言ってるんだ。誠意を見せろと言っただろう」
え、と足の裏から出た涙声に笑みを深め、男子生徒は言った。
「床に口づけして、吸い取るんだ。それを見物してる間に、ズボンも乾くだろ」
「そんな――ぁ!」
靴先に蹴られ、サファイアの頭が横を向く。間髪入れず、今度は柔らかい頬に靴裏が押し込まれ、黒い後を残した。
「口答えする時間があるなら行動するんだ、愚図な平民が」
恐怖と混乱で、まともな思考などできなくなっているのだろう。サファイアは逡巡しつつも床にむけて顔を落としていく。ざっと周囲を見たが、アサギを含めて誰も彼女を助けようとはしていなかった。平民は拳を震わせてみているだけで、貴族は見世物でも見るような顔で紅茶を傾けているだけだ。
ここで動くと、間違いなく目立ってしまう。それは間違いなく避けるべき事態だ。だが、胸の中にどうしようもないむかつきが渦巻いている。それを無視して抱え込むことは、ここでサファイアを見捨てることよりも、さらに苦痛をもたらすだろう。
胸の奥がうずく。
あの貴族の子弟は、自分が偉いと思っている。誰にも力を向けられず、自分が力を行使することを心地よく思っている。自分は一切危害を与えられることなく他者を自由にできる。その甘美な幻想を、力づくで破壊してやりたい。
この気持ちは同族嫌悪だ。くだらないことで力に溺れる相手を、力づくで叩きのめしたい。それは、自分の力を誇示したいという同種の欲望にすぎない。
「いい加減にしておけ」
理解しつつも、気づくと私は席を立ち声を出していた。
二人だけの世界に突如現れた闖入者に、二人の視線があがり、一点を見据える。
私は腕を組み、小ばかにしたような笑みを作って、威圧するようにゆっくりと歩を進める。
「そんなに服が濡れているのが嫌なら、私が肉体ごと焼き払ってやろう」
「……なんだ、お前」
「名を求めるなら、自分から名乗ったらどうだ。それとも口にするのは憚ら(はばから)れる程度の家柄か」
男子生徒の注意が私にむき、サファイアから足が外れる。怒りと困惑が半々といったような表情で、男子生徒は私に向き直った。
「エミリオ・シュタツハルト。卑賤の身にはクラッジ侯爵家嫡男といったほうが通りがいいか?」
「ああ、『盾のシュタツハルト』か。私はアンジェラという、ただの通りすがりだ」
マギーリが魔術の家系なら、シュタツハルトは武門の家系だ。優秀な指揮官や戦術家、王族に仕える近衛師団の師団長をも輩出している名門。私の口から出た情報に、ほう、と男子生徒が眉を上げる。
「平民の割に少しは天上のことに通じているようだが、だったら自分のとるべき行動が分かるだろう?」
「なら、貴族流の土下座の仕方でも教えて欲しいものだ。実演付きでな」
私の挑発の連打で、食堂中に緊張の糸が張り巡らされる。誰もがそれに絡めとられたように動かない。平民から、ここまで傲岸不遜な態度を取られたことはないのだろう。当事者の男子生徒、エミリオですら、怒りに指先を震わせながらもどう反応すべきかと戸惑っている。
ここで白けて引いてくれれば一番良いが、残念ながらそう上手くはいかない。
「どんな出自の人間かは知らないが、平民の分際でこの僕に逆らおうというんだな」
「そちらがサファイアのことを許してくれれば、穏便に済むものだがな」
「平民が無礼を働いた。その責を負うのは当然だ。そして貴族として、平民に立場を分からせなければいけない」
「平民であって、使用人ではないだろうに」
「同じようなものさ」
エミリオが私の顎にのばした手を、平手で打ち払う。はたかれた手の甲をさすり、不快気に鼻を鳴らした男子生徒は私の顔を見つめる。
「……よく見れば、いい女だな」
「そのような目で――私を見るな。殺すぞ」
あの、野盗に受けた屈辱がよみがえる。本気の殺意に打たれ、エミリオがひるむ。しかし、彼は言葉をつづけた。
「力づくで教えなくちゃ、分からないみたいだな。所詮平民は貴族に何もかもが敵わないということを」
「腕比べでもする気か?」
「貴族の言葉では決闘という。平民相手というのは大人げないが、これほどの侮辱を受けたならそうやってでも払拭して、立場の違いを教えてやらなければならない」
「侮辱したのはそちらだろう。受けて立つ」
なら、とエミリオの唇が上がり、犬歯が覗く。足元に広がる水たまりを避けて仁王立ちし、私に指を向ける。
「成立だな。準備と――考え直す時間をやろう。一刻後、闘技場で待つ」
エミリオは颯爽と制服を翻して背を向けた。私が睨む先で、豪奢な彫刻の施された一枚板の食堂の出入り口にエミリオの姿が消える。瞬間、周囲の時間が動きだした。喉につかえていたため息を吐き出し、こわばった首を回して視線を交わし合う。
「アンジェラさん、私を……」
ほこりを払って、サファイアが立ち上がる。見えなくなったエミリオの影に視線をやったまま、私は吐き捨てる。
「庇ったつもりも、助けたつもりもない。あいつの言動が癇に障っただけだ」
甚振られているのがサファイアでなくとも、おそらく私はエミリオに介入しただろう。
「アンジェラ! なんつーことを。貴族に逆らうなんて。しかもよりによってシュタツハルト家の方と決闘だなんて」
アサギが駆け寄り、正気を疑う目で私を凝望してくる。
「腕っぷしに自信があるのかもしれないけど、アンジェラが思ってるほど貴族は口先だけじゃない」
「たかが小僧に、後れを取るとでも?」
「小僧って――アンジェラだって変わらない小娘じゃない」
小娘呼ばわりされて反射的に眼光が鋭くなり、アサギを引かせる。しかしそれで言葉を切らず、再びアサギは詰め寄ってくる。
「貴族の家系は、長く続いているほどマナの蓄積が大きいの。それだけ優秀な血を交えてるんだから。だから、私たち平民と比べて単純な魔術の出力が段違いで――しかも相手は、幼いころから魔術と剣術の訓練を受けてるんだよ」
見て、と周囲に視線を巡らせ。
「みんな――アンジェラが勝てるなんて、思ってない」
つられて周りを見ると、視線を交えたものが次々と顔を伏せる。その瞳の色に見覚えがある。賭場で、全財産を掛けて負けた愚か者を見るのと同じ目だ。
「身の程を知れ、ということか」
「……今だったら、まだ、許してもらえるかも。私とサファイアも一緒に行くから」
「謝るくらいなら、初めから仕掛けるものか。私の勝負に口を挟むな」
「アンジェラ!」
強い語気で叱咤されようと、私の心が揺らぐことはなかった。自分から仕掛けた勝負を降りる羞恥を味わうくらいなら、潔く散ったほうがまだマシというものだ。たとえ勝てない勝負であろうと、戦わずして降りるほど、私は臆病でも賢明でもない。
「アンジェラさん……」
「サファイア、闘技場とやらに案内を――いや、その前にシーア先生のところに」
謝辞か、警告か、サファイアの言葉を切って、アサギから目を背ける。
あれほど言われていた矢先に、こんな事態を引き起こしてしまった。一応、報告だけはしておいた方が良いだろう。
尖塔に昇る必要はなかった。サファイアとアサギを連れて食堂から出た中庭に、仁王立ちになったシーアが待ち構えていた。
「アンタの脳みそには大鋸屑でも詰まっているのか? この大陸制覇級バカが」
「ちょうどいいところに居たな、報告だけしておくと決闘をすることになった」
「ああ、知ってるよ。ちょっとこっちに来な」
細い眉の端が震え、目じりに力が籠っている。表情だけでわかる怒りに、私は素直にシーアの要求に応じた。女子生徒二人から離されて連れ込まれたのは中庭の端。城壁に背を押し付けられる。
「アタシはなんて言った? 目立つなって言わなかったか?」
「言ったな。だが、もはや仕方あるまい」
「開き直るんじゃないよ。戦えないように両手両足もぎ取ってやろうか。ついでに減らず口が叩けないように首もへし折ってやる」
「それに近い体験は一度したが、気持ちのいいものではないぞ」
「指輪のことがなければ、あんた程度、指先一つで片付けられる。自分の立場を、少しは弁えてはどうだい」
「契約の最低限として、可能な限り指輪の力は使わないようにしよう」
シーアの身体から、ひりひりと肌が焼ける様な圧力が押し寄せてくる。人の身に非ざるような強大なマナの奔流は、シーアが抑えを止めれば一気に私を飲みこむだろう。だが、脅しだと分かっている。
私がひるまないと分かると、シーアは大きく息を吐きだした。虚空から煙管を取り出し、一気に吸い、私の顔に煙を吹きつけてきた。
「いまさら、アタシが介入して決闘をやめさせても角が立つ。この上は再起不能なまでに負けて、その尊大な自尊心を叩き折られるのを期待するしかなさそうだ」
「私が負けるとでも?」
「はっきり言って、魔術の技量や魔力量で言えば、あんたは並だ。剣の腕があろうと、振るうのはその細腕。分は悪いとみているね」
「分が悪い程度か。なら、まだ勝機はありそうだ。一つ頼みがある」
「正気かい? 他人のお願いは聞かないってのに自分だけ要求するってのは虫が良すぎないか」
「『魔術師に正気を尋ねるほど、狂気に満ちた行動はない』」
古来からの言い伝えに、シーアが初めて笑みを見せた。魔術師は基本的に自分本位だ。私を例に挙げずとも、シーアとて、本来は処断すべき私という存在を自分の研究のためだけに生かしているのだから。
「不利な決闘を、少しでもマシにするだけだ。どうせ見物はするつもりだろう」
次回、6月2日に投稿予定