プロローグ 悪鬼討滅
初めまして。小説初心者ですが、暇つぶし程度になれば幸いです。
※適当に改行を入れました。申し訳ないですが、媒体によっては逆に読みづらいかもしれません。
廃墟の中に、二人の男が向かい合っていた。
薄曇りの空を厚塗りするように、廃墟の各所から濃い色の噴煙が立ち上っている。煙に混じって立ち込める血と肉の焼ける臭いが鼻に突く。そこかしこに転がるのは、くすんだ色の金属を飲み込む血と肉の塊。ある悪鬼を討伐に向かった聖騎士団の成れの果てだった。
「弱い。そして脆い。人間とはかくも脆い」
対峙する男のうち、若い者が吐き捨てた。金髪を死臭に揺らす二十代の青年。ローブの下に、エンブレムを潰した鎧を着込んでいる。それは彼がかつて所属していた、そしてたった今一人を残して壊滅した騎士団の鎧だった。
「最強と謳われた正方十字騎士団の一角がこれほどに脆いとは。それに所属したことを光栄に思っていた我が身が恨めしい」
自虐の笑みを浮かべる青年が剣を握る片手に、禍々しい血の色をした指輪が絡みついている。日の当たらない戦場の中でも赤々と竜の瞳のように輝くそれが、青年の身に過ぎた力を与えていた。
「散り際の独白なら、もう少し気の利いたことを言うべきだな、我が弟子よ」
くつくつと愉快げに肩を震わせる青年に対し、もう一人の男が鋭い声を投げつける。皺の目立つ老いた騎士。こちらもローブを被り鎧を着こんではいるが、そのエンブレムは潰されることなく鋼の輝きをもって彼の地位を表していた。
青年の瞳が、忌々しさを込めてエンブレムを睨み付けた。
「お前を生かしておいたのは、私の力を見せつけるためだ。我が師匠にして騎士団長殿」
「過ぎた力に踊らされた未熟者が。貴様の行く末は破滅だけだ」
老騎士は剣を握りなおす。その指は長年の戦場暮らしで節くれだち雄々しいが、最盛期に比して格段に劣っていた。老騎士の齢は六十を超えているのだ。全盛期を過ぎた老兵ではあったが、その眼に絶望はなかった。
「ひざを折らないか。ならば、さらばだ、おいぼれが」
青年が切っ先を老騎士に向ける。横なぎの稲妻が、切っ先から蛇のようにのたうち回りながら噴き出した。激しく目を焼く閃光を、しかし老騎士の瞳は閉じることなく見据えている。
蛇の牙が突き立てられることはなかった。老騎士の眼前で、まるで互いを食い合うかのように絡み合い、消失したのだ。
「貴様の呪われた力は届かぬ。この私の魔力、老いて益々盛んなればな」
騎士団長の兵士としての質は、最盛期を過ぎていた。しかし、それに反比例するように、磨かれ続けた魔力が体力の損失を補っているのだ。
自慢の魔術を弾かれ、青年は気圧された。指先一つで軽くのせるという彼の慢心は、魔術と共に打ち破られていた。しかし、彼に退くという選択肢はなかった。
「魔術で叶わぬなら――叩き潰すまでだ」
吐き捨てた彼の言葉が地面に落ちると同時、焼け焦げた大地が膨れ上がり、たちまち彼の身を超す三体の土でできた大男が現れる。彼らは一斉に瞳のない顔を騎士団長に向けて、その拳を振り上げる。
巨大な槌のような荒削りの拳の圧力にさらされながらも、老騎士は足を動かしはしない。ただ小さく、何事かを呟いた。
途端に、大男たちを構成していた土は足元から身を崩し、瞬く間に土塊の山へと姿を変える。
「な、にをした」
「大地への礼賛を唱えただけだ。貴様の未熟で邪悪な力など、土に宿る尊き力の前には無力」
青年の魔術を即座に解析し、最適解を導き出す眼力。そしてそれを可能とする魔力。人に過ぎた力を持ちながらも、青年の技量は老騎士のそれに比べて赤子のように劣っていた。だが、それを認めるには、彼のプライドは肥大化し過ぎていた。彼の口は許しの言葉を放たず、代わりに剣の先に巨大な炎の鞭を作り出す。
のたうつ大蛇と化した焔が、皺の目立つ老騎士の顔を照らし出した。老騎士が、初めて動きを見せた。手にした剣を振るい、槍の穂先を突き出すような鋭い水流をいくつも宙に放つ。大蛇の身体が水に穿たれるたびに、霧のような水蒸気が噴き出し、互いのローブをはためかせる。
青年の放った魔術は、あふれ出る魔力に任せた強引な力の奔流だった。徐々に身を削られながらも、大蛇の口が開き、老騎士を飲み込もうとする。
溶岩色の灼熱に髭の端を焼かれつつ、老騎士は魔力を込めて剣を握る力を強める。水流は束となり、滝となって大蛇に打ち付けるが、青年の切っ先から噴き出す火焔を押しとめるには至らない。
「純粋な力なら私の方が上だ、筋力も、魔力も」
青年は強大な力を振るう興奮に狂気の笑みを浮かべる。それに対して、老騎士は皺の中に苦々しい表情を刻んでいた。
「それ以上はやめておけ、その精神と同じく、肉体まで後戻りできなくなるぞ」
老騎士の言葉通り、噴き出した魔力は青年の身にも降りかかり、影響を与えていた。鮮やかな金髪は暗い闇の色に染まり始め、耳の先は悪鬼のように尖り出している。その瞳が、蒼から紅へと変わっているのも、焔の揺らめきによるものではない。
「知ったことか。我は魔王。貴様を殺し、人を超越した存在となる」
「馬鹿者が」
老騎士は、かつて青年が弟子であった時の口癖を放った。その言葉の鋭さが青年の胸を打ち、一瞬のゆるみを引き出した。そして老騎士はその隙を見逃すことはなかった。炎に対抗するのとは別に紡いでいた魔術を、その瞬間に打ち込んだ。
青年の反応は遅れ――その一瞬で、魔術の光が彼と彼の炎を包み込む。
まず起こったのは、焔の暴走だった。巨大な大蛇の各所から爆発が起き、鞭のような滑らかな体が擦り切れたロープのように拡散する。火花が散り、青年の方にまで高温が押し寄せてきた。
「この、術は」
「悪しき魔力を喰らう焔だ。お前の魔力が尽きぬ限り、この焔は消えぬ」
青年は自らの術を解こうと切っ先を振るが、すでに彼の炎は彼の制御下にはなかった。それどころか、彼の魔力を引き出して巨大化した大蛇の鎌首が、彼の方向を向いていた。赤く光る彼の指輪よりも強く、血の色の大蛇と化した紅蓮の輝きが青年の細い体に押し寄せる。
「自らの力に溺れて死ね、不詳の弟子よ」
「おいぼれが」
ローブが吹き飛び、鎧が溶けるなかで、青年は息だえていなかった。声を出すだけで肺が焼け、指輪をした中指以外はほとんど炭と化す中で青年の剣が黒く輝く。
青年の魔術を察した騎士団長は、とっさに青年の身に魔術を打ち込んだ。炎の中に魔術が投げ込まれるのと同時、煤の残滓を残して青年の身が消え去った。
「韋駄天の御業すら使わせるか、魔の指輪よ」
青年の暴走を引き起こした指輪は、正方十字騎士団が多くの犠牲を払って打ち倒した悪魔の所持品だった。その悪魔も、指輪によって変異した魔術師の成れの果てだった。そのことを知る騎士団長は、黒い焼け跡が残る青年のいた場所に立ち、自らの最後の術が功を奏していることを願うことしかできなかった。
「息だえるかか、あるいは……どちらにせよ、我が弟子アンジェロは死に、部隊も散った。老兵だけ生き残って何になろうか」