捻れた道にも花(上)
こんな香流ちゃんありえない!
シノビの時間は夜と決まっているのは何故か。人目に付きにくい、というのがまず第一にあるだろう。次に隠密行動、情報の隠蔽に適している等も利点としてあげられる。シノビとは読んで時のごとくの存在、だからこそシノビの時間はきっと丑三つ時が最適なのだろう。
であれば、昼の時間は個人の時間である、ということも分かってもらえるだろう。そう、今はまさに晴天下の真っ昼間。まだ肌寒いこの時期に鬼鳴はある一人を待っていた。
時刻は午後前、約束の時間よりも少し早い程度。ふっと息を吐いてペットボトルの茶をわずかばかり口に含むみ、街の名物であるよくわからない生き物象に体を預ける。どうにも視線が落ち着かない気がする、駅をちらりと見て、居ないことを確認し携帯に視線を落とす。なんの通知も預かっていないそれから目を離すと、空を見上げる。そうしてまた駅を見る、という行動を繰り返すばかり。何が鬼鳴をそうするのかは分からなかったが、こんな自分は柄じゃないと思った。ふと時計を見て、また茶を一口含む。
「おっすおはよ鬼鳴ぃ~!」
背中を叩かれる、という完全な知覚外からの不意打ち。前触れのない衝撃に鬼鳴は驚きのあまり、口に含んだ茶を毒霧する。仄かな茶の香りと共に、その場には綺麗な虹がかかった。
「うわっ鬼鳴汚なっ!」
「ケホッ、ケホッ。こ、香ちゃんのせいでしょ」
ハンカチを差し出す彼女に対し、鬼鳴は片手でそれを制し口元を拭う。呼吸を整え改めてとペットボトルを仰ぐ。と、そこでいつまでたっても茶が流れ込んでこないことに疑問を抱き、ハッとする。口直しに飲むも何も、そもそもペットボトルには中身が入っていなかったのだ。空のペットボトルにはいってるのは空気だけなのだから、当然茶は流れてこない。
内側から冷や汗が吹き出てくる感覚と同時にそっと視線を動かすと、その先の香流が鬼鳴の姿を見て今にも吹き出しそうな顔でこちらを見ているではないか。
「……。ほら、行くよ」
「くっ、んっ……! お、おっけーおっけー、ぷくっ……!」
向かう途中に八つ当たりも兼ねてペットボトルをゴミ箱に放り投げる。しかし狙いが定まっていなかったのか、無情にもそれは縁に当たって弾かれる。香流はまた一声あげた。
◆◆◆
「おぉ~、すごい。ちゃんとした裏庭じゃん」
「だだっ広いだけだけどね」
漠然と広がるその光景に香流は目を輝かせ、あっちこっちへと移っていく。その様を眺めていた鬼鳴はしょうがないと言わんばかりにノロノロとした早さで香流の後を追い始める。ブランコやらシーソーやらを堪能した後、彼女は別の物に目をつける。
その狙いとなった小山はもう何年も前に土を積み上げただけなのだろうと察することが出来るほど人工的にこんもりとしていて草が生い茂っており、ちょっとしたハイキング気分が楽しめるだろうと思えた。その近場にはそれよりも少し大きめの大木がのっぺりとした面で突っ立っていて、なんとも年の功を感じさせるものであった。
小山への登山を始めた香流を尻目に、そっと振り向き見上げる。そこに堂々とした佇まいを見せているのは、懐かしの校舎の姿。卒業した後からペンキの塗り替えを行っていないであろうことを示す黒ずみが、親近感と懐かしさを思い出させてくれた。
「鬼鳴ぃ~。はやくこっちにおいで~!」
「……もう踏破してる」
お山の頂上で手をあげ空気をさく音をしならせながらの叫び声は、鬼鳴だけならず校舎にいた教師たちの目も引いた。それにどうもこっ恥ずかしくなってしまった彼は、しぶしぶ彼女と同じように登山から数分もたたずに頂上に登る。
「気分はエヴェレスト!」
「そんなわけないでしょ。隣の木よりちっちゃいんだから」
気分だけだって言ってるじゃ~ん、と満面の笑みを浮かべる香流にを見て思わず口角をつり上げる。一緒にいるだけなのに、なんだか悪くない気分だ。しかし香流はますます愉快げな声で水を差すように変な顔~と指までさしてくる。失礼なことだ。
「人を指差しちゃダメだって知ってた?」
「別に気にもしてないくせに」
よいしょっと彼女が腰かける。すると自身の背後辺りの地面を叩いて何かを期待するような目で見上げてくるではないか。軽く空を仰いで一息はき、指示された場所に座ると背中に重みを感じた。所謂背中越しという状態なのではないか、と思ったが特に気にすることもなかった。のしかかったりするのは彼女の常なのだ。
「なーんかさ、こうしてるとあの時を思い出すなぁ」
きっとあの任務のことを言っているのだろう。あの時、彼らの関係は確実に歪んでしまった。もう戻すことのできないほど、後戻りできないほどに。平行線を歩いていたのに、いつの間にかぐちゃぐちゃにされてしまった彼らは友好は途切れずとも、どこかで交わるようなことはもうない。例えるならばメビウスの輪のように、裏と表の境目がないあの道に交差点はない。
「もう学校なんてとっくに卒業して、もう嫌だ~なんて思ってたけど、あれはあれで楽しかったなぁ」
戻ることがないだろうと思っていた青春。しかし無情か非情か、運命はそれを彼らに与えてしまった。だがそれがなんだというのだ、甘酸っぱいものとは無縁なのだと、変わらないのだと、そう思っていた。彼に出会うまでは/彼に出会うまでは。
「ね、鬼鳴。的場とは、どこまでいける?」
「いけるよ、どこまでも。きっと、的場も同じ」
だと思う、なんて憶測にするような言葉は飲み込んだ。言霊がどこで聞いて、それをいつ叶えてしまうから分からないから。ふと、背中の重みが消えた。香流は、膝を抱え込んで顔を埋める。変わってしまった物を戻す術を知っているほど、彼女は器用ではなかった。しかも彼らにはこれから希望の未来のフルコースが待っているのだ、それをどうして歪められようか。歪みの結果が、裏を歩く自分だというのに。
「うん、そう言うと思った」
表に出すつもりはなかった。それでもどうしても、声だけは震えてしまった。鬼鳴が振り向こうと手をつく。
「こっち向いたら許さない」
強い言葉だった。今にも震え出しそうなほどに弱い状態から発せられた声とは思えないほどに、本気が混じっている気高い言葉。それに応えるように、鬼鳴もぐっと握り拳を作った。見上げた先の空は無限に広がっていて、どこまで青かった。
すする音も落ち着く頃、一昔のJPOPの着メロが鳴り響く。香流はそれに気づくと手にとって耳にあてる。
「……はい、わかりました。今行きます」
彼女が立ち上がるのに合わせて声を出そうとするも、また彼女から制される。
「大丈夫、すぐに帰ってくるから」
そう言って足音軽やかに、山を駆けるように下っていった。そこでようやっと振り返った鬼鳴がみたのは、遠く離れた楽しそうに弾む香流の後ろ姿。一見何の問題もないように見えた、これからも彼女はあのように進んでいくのだと確信させられるような気がした。
――だが、何故だろう。どうしてか、一人にさせてはいけないような気もした。
思い立つのと駆け出すのは、同時だった。
◆◆◆
次に香流の姿が見えたのは、校門の前であった。軽トラの運転手と二三こと言葉を交わして、やがてお互いに去っていった。そこでようやく、彼女が鬼鳴に気づく。
「あれ、鬼鳴ぃ。どうかした? あっ、寂しくなっちゃったとか~?」
「……香ちゃんを一人にすると何するかわかんないし」
「何ソレ」
くすりと笑う彼女を見てホッとするのもつかの間、今度は彼女が何か手にしているのに気づく。
「それ、なに?」
「これ? 見ての通りの代物だけど」
普通のよりも二回りほど小さなそれは花束、だろうか。黄色とピンクで彩られたそれはよく生けられていて中々感心するものだった。
「ま、見つかっちゃったものはしょうがないよね~」
両手でそれを握ると、そっと突きだしてくる。
「はい、鬼鳴。あげるっ」
「……僕?」
「この場で他に誰がいるってのよー」
恐る恐るそれを受けとると、それには何も施されていないのがわかる。本当に、ただの花束だった。
「鬼鳴、あんまりごちゃっとしたの好きじゃなさそうだから、こういう大きさでいいよね?」
「ん、まぁ……花瓶を用意するのも大変だし」
だと思った、と香流は何度目かわからないふにゃりとした笑顔を浮かべた。脳内を過るのは数分前に見上げた酷く残酷に思えた広い空。まるで無かったかのように振る舞う彼女はどうしようもなく、強く思えた。
「んじゃ、今日のデートはここまで! またね!」
「香ちゃん!」
沸き立った言葉を伝える前に、彼女は颯爽と去っていく。
「……そんなの、ずるいよ」
逃げることを許さなかった彼女は、その場からまんまと逃げ果せた。
鬼鳴の手に残ったアセロラとアラマンダの花が、吹き付ける風に揺れた。