狸山越え
その日は暑かった。
私は一人急な坂道を黙々と滝のような汗をかきながら歩いていた。
この道は旧街道だったが、帝国が滅んでからは長らく黒エダソ人の下にあって通ることが出来なかった。
決して楽な山道ではないけれども、いちいち三〇里も遠回りをせずに、トミの町に荷物を運べるのは有難い。
普通急な山道はつづら折りにして、少しでも楽に登らせようとするものだが、旧街道の山越え道はどこも一直線だから急でいけない。
その上、石畳で舗装しているものだから、晴れの日が続いていてもよく滑って危ないのである。
急な坂を登りきると、山頂までの三〇〇段近くの石段が待ち構えている。
「うへぇ。」
見上げると、思わず弱音をはいてしまう。一体どうしてわざわざ山頂を越えるような道を作ったのか。段々腹がたってきた。
帝国は神様の分御霊様の下で素晴らしい知恵でもって世界を治めたと習ったけれども、こんな程度の素晴らしさなら有り難くも何ともない。
しかし、こんな道を自由自在に走り回っていたというから、黒エダソ人が恐るべき強さを誇っていたというのも頷ける。
英雄エンドゥアン王の下で先の戦いに従軍した祖父は、口癖のように「黒エダソ人の怖さに比べれば何ともない」と言っていたが、実際そうだったのだろう。
英雄あっての偉業であり、神様方のご加護あってのことながら、そんな連中相手によくも勝利し、西の地を解放したものである。こうして商売できるのも先人の功業によると思えば有難いばかりである。
「ふぅ。」
やっと登りきった。取り敢えず山頂の祠、ここには狸が祀られているのだが、その祠に参った後、傍らの大きめな岩にようやく腰を下ろして、汗をぬぐった。
これから下る途中に黒エダソ人の城跡がある。その城にはこんな話が残っている。
そこは闇の国へ入るための七口の一つであるヅシ口を守るための拠点で、英雄王がなかなかこれを落とせずにいた時に、一匹の狸が英雄王の陣地に参じて、
「王様、私どもの一族は神様のご命令を受け旧街道を守護して参りましたが、皆黒エダソ人や眷属どもに殺されました。どうか私どもの代わりに仇を討ってくださいませ。道案内致しますから」
と申し上げた。
英雄王はいたく喜び、早速狸の先導で城の搦め手に至り奇襲をかけた。虚を付かれた闇の国の軍勢は散り散りとなって城を放棄して逃げ去り、無事に城を奪取できた。
王は狸に褒賞を取らせようと近習に命じて召し出そうとしたが、どこにも見当たらなかった。そこで、神様に祈りを捧げると、天上より、
「かの狸は闇の国の者に討たれた狸の御霊である。城が取り戻されたことで、安心して地上を去ったのである。汝、狸の恩を忘れず、祠をヅシ山の頂きに建立して祈りを捧げよ。」
とのお告げがあって、王は直ちに祠を築かせ、そこに狸の御霊を祀ったのである。
「さて、行くか。」
嫌がる腰をあげて、今度は延々急な下り道が続く、転ばないように気を付けながら降り始めたのだった。
《終》