第六話
カラ カラ カラ カラ
古い映写機がフィルムを回し始める音がどこからか聞こえてくる。
その音が大きく聞こえてくるにつれ、薄らぼけていた視界をはっきりとさせていく。
リュシリエンヌは小さな劇場の観客席の真ん中で、映写機から出される光の先を追っていた。
ぱたぱたと写真がスライドしていく速度があがって、ぎこちない動きが無くなり一つの映像となった時、リュシリエンヌはその映画のセットが先ほどの奇妙な部屋の中であることを知った。
けれど小さな違和感が針となってリュシリエンヌに突き刺さる。
こぽん。
この音は聞きなれた懐かしい音。
液体の中で揺蕩う日々の中では、ぶくぶくと下から湧いてくる気泡を掴むことが唯一で無意識の遊びだった。
そう、今観ている映画の主人公である彼女がしているような。
誰かが部屋の中に入ってきた。
彼女はこの訪問が待ち遠しかった。
彼が来るとしばらく酷く頭が痛んだが、その後彼がガラス越しに与えてくれる温もりを知っているから耐えられた。
ガラス越しに抱きしめて、欲しくてたまらない言葉を彼女に与えてくれる。
『もうすぐだよ、愛しの○○○○。もうすぐ、ここから出してあげる。そうしたら二人でまた一緒に』
ええ、そうね。
とても、とても待ち遠しい。
だから早く私を成長させて。
私をここから早く出して。
彼女がいつもそう答えることを知っている。
そしてガラスの仕切り越しに手のひらを合わせ、唇を合わせることも知っている。
ほら、そうなった、と映像を見ながらリュシリエンヌはくすっと笑った。
場面が変わって彼が男の子を連れてきた。
彼そっくりの顔をした、けれども主人公と似たような年頃の子供だ。
『これから彼が君の世話をするよ』
どうして!と彼女は叫ぶ。
『私では君に相応しくなかったからね。彼なら君にお似合いだろう?』
違う、そんな言葉を聞きたかったわけじゃない。
私はあなたがよかったの。
あなたしか知らないの。
彼女の悲痛な叫びは、もう一人の彼の暗い眼差しに殺された。
翌日から以前の彼は現れることなく、違う彼しか来なくなった。
彼は?と問うても首を横に振られるばかりで、それ以上教えてくれそうになかった。
あれから幾年たっても彼に慣れるの事のできない私に、とうとう彼が業を煮やした。
いつもはいじらない機械の画面を呼び出し、指を乱暴に動かして操作を始める。
あちこちの装置から警告のランプが忙しなく瞬き始めるが彼はお構いなしだ。
ごぽぽぽと気泡が今までになく上がってくる。
怖くなった私はガラスを必死で叩くが、彼はこちらを見ようともしない。
がんがんと頭が痛み出し、涙が溢れそうになる。
やめて。痛い。苦しい。
頭を抱えて体を丸めてみも痛みは治まらない。
警告ブザーがランプが、最大級の音量と色で部屋を瞬く間に埋め尽くす。
ごぽん。
彼女が聞き取った最後の音だった。
カラ カラ カラ カラ
映写機のフィルムは引きちぎれて空回りしていた。
リュシリエンヌは涙を流しながら目覚めた。
どうして忘れていたのだろう。
彼女はリュシリエンヌだった。
記憶を無くして目覚める前の、あの部屋で生きていた頃の。
彼が好きだった。
愛おしかった。
どうしようもないほど愛していた。
たとえその後、彼そっくりの人が私の面倒を見たとしても、どうしてその人を愛することができるというのだろう。
ああ、でも。
リュシリエンヌは葛藤する。
今のリュシリエンヌが愛してしまったジョスランは、正しくその人だ。
そして記憶を取り戻したからといってジョスランを愛さなくなったわけではない。
愛しているのだ。
あの診察室に或る筒の中で少女を育くみ愛を捧げるジョスランを、リュシリエンヌは愛してしまった。
そこでリュシリエンヌははっとする。
巨大な筒状の水槽の中で、作られた自分。
そして次の世代を作っているジョスラン。
―――――私は、もうすぐ捨てられる存在なの……?
少女の嘲笑ともとれる微笑みが脳裏をかすめる。
―――――私は、あの少女にすら負けるというの?
窓の外にはジョスランが切なげに見る白い花を咲かせる樹が風に靡いてさわさわと揺れている。
こちらにおいでと手招きしているように揺れ動く。
―――――私はジョスランを愛しているの。だから呼ばないで。だから、奪わないで。
リュシリエンヌは窓から顔を背けると、枕に突っ伏して嗚咽した。




