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第一話

このお話はすでに完結しています。

短編予定でしたが、区切りが細かすぎたため連載扱いにしました。

よろしくお願いいたします。

 朝の陽ざしがすりガラス越しに柔らかく部屋に入り込み、ベッドに横たわるリュシリエンヌの固く瞑った瞼を照らす。

 どのくらい眠っていたのだろうか。

 深い眠りから浮上した微睡みの中でリュシリエンヌは自問する。

 いつベッドに入ったのかも覚えていないほどぐっすりと寝入っていたらしい。

 それを裏付けるように眠りすぎた体は怠く、頭も妙にすっきりとしない。

 リュシリエンヌは気だるげに瞼をゆっくりと開き、体に掛かる柔らかなカンフォターに手を掛けようとしたが、手に力が入らずに上げることも持つこともできなかった。

 寝過ぎとはいえ、いったいこれはどうしたことかと体を起こそうとしても、やはり力が入らずに起こすことも寝返りを打つことも叶わない。

 全く力の入らない体にリュシリエンヌは不安になって誰かを呼ぼうとした丁度その時、扉が静かに開いて誰かが入ってきた。

 その人はまるでこの部屋の主のような足取りでリュシリエンヌが横たわるベッドの横のテーブルに水と色とりどりの花をいっぱいに活けた花瓶を置くと、新鮮な空気を部屋に入れようと窓に手を掛けた。


「……あ”」


 誰、と言ったはずの声は発することがかなわず、しわがれ声となってリュシリエンヌを驚かせた。


「リュシー? 起きたのかい」


 聞こえてきた声は親しみのこもった男のもので、リュシリエンヌにはなじみのない声で知らない名前を呼んでいる。


「リュシー。どうしたんだい?」


 ギシとスプリングの軋む音をさせ、男はこわばるリュシリエンヌの枕もと近くに腰をかける。

 恐ろしく美しい男だった。

息をのむほど美しい、けれどもその秀麗な眉を不安げに引き寄せて、男はリュシリエンヌを見下ろした。

 喋りたいけれど声がでない。

 はくはくと口を開け閉めするとそれだけでリュシリエンヌがどうしたいのか理解した男は、テーブルに置かれたコップを持ち上げ自身の口にふくむとそのままリュシリエンヌの乾いてがさついた唇に押しつけた。

 驚きで開かれた口に少しぬるい水が流れ込む。

 口移しにゆっくりと注がれる水は、乾ききったリュシリエンヌの喉を潤していく。

 すべてを飲みこむことができず口から零れ落ちていく水は、喉から鎖骨、そして部屋着へと流れ、染み込んでいった。


「どうかな。これで少しは声が出やすくなったんじゃないかい?」

「……あ、あなたは、誰?」


 やっと出せた声は、困惑の色を乗せていた。

 見ず知らずの男が当たり前のようにリュシリエンヌのベッドに腰をかけ、口移しで水を飲ませる。

 その事実はリュシリエンヌに羞恥をもたらし、顔を真っ赤に染め上げた。


「私が誰だかわからない?しばらくぶりに目覚めたから、きっと記憶が混乱しているだけだろうけど、ちょっとショックかな」


身じろぎすることも難しいリュシリエンヌの月の光にも似た光沢のある髪を優しく梳き上げながら、男は哀しげに眉を下げる。

 自分が悪いわけではないというのに、リュシリエンヌは目の前に迫る男にそんな顔をさせてしまったことに申し訳なく思ってしまった。


「リュシー、身体の具合はどうだい?」


 カンファターを捲ると痩せた手を持ち上げ脈をとり、今度は寝巻のボタンを丁寧に外して胸をはだけ、ポケットから取り出した聴診器を手のひらにあてて擦り、金属に温もりを与えてからリュシーのあらわなった胸に当てる。


「……お医者さま?」


 何度か聴診器をあてる場所を変えて軽く頷くと胸を隠すようにカンファターを引きあげて、近くに置いてあった椅子を引きよせて腰を降ろした。


「そうだね。確かに医者でもあるけれど」


 本当に混乱しているんだね、と呟いて、リュシリエンヌの額に小さなキスを落とした。

 その仕草があまりにも自然で、リュシリエンヌは困惑しながらも受け取ることしかできない。


「じゃあ他に何かわからないことがある?」


 かくんと首を傾ける仕草が、どこかで見たことがある様な、良く知っているような、そんな気になってみたものの、リュシリエンヌの記憶の中には彼という人間は存在しなかった。

 そして、驚くことにそれ以外の記憶も。


「……リュシーというのは、私?」

「本当はリュシリエンヌというんだよ。リュシーという名は君が私にしか使うことを許さない愛称、かな」

「あなたは、誰?」

「私はジョスラン。ジョスラン・ベールヴァルト。……君の夫だよ」


 だから早く思い出して。


 哀しげに笑うジョスランに、リュシリエンヌは悲鳴を飲み込んだ。




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