月
一
ぼくは、彼女と手をつなぎながら、上野の不忍池の周りを歩いていた。
蓮の葉で満たされている池の、少し潤った地面の音を体で感じながら、胸中にそれが伝わっているのがわかった。
暫く歩くと、池の周りをもう回り終えていたことに気付いた。
濡れていた心臓の音はすっかりと乾いてしまっていた。
「あれ」
彼女が人差し指を向けた方へ目をやると、池の丁度正面階段を上った、さらに上の斜面に、月の松、という枝がまあるくなっている松が一つあった。
また、清水観音堂という寺から、それが覗けるらしいというので、その月の方角へ足を延ばした。
場所に着くや、堂の舞台から、月の松を覗く。
「あれ」
彼女が人差し指を向けた方へ目をやると、丸い額縁の中には、只の朱色の建築が見えた。
夜になることを期待して、この松の中から月が鑑賞できたらなんと芸術的だろうかと思った。が、眼の奥のほうには蓮華が広がって、それがじんわりと目に浸透するのみであった。
近くの観光客用のベンチに座り、少し目を瞑りながら、それが夜の霞に消えてゆくのを待った。
二
原宿駅を降りると、多くの人がいて、地面がオシャレな色で埋め尽くされていた。
まるで、原宿という生物みたいだった。
伊達メガネをかけている人もたくさんいて、月のウサギでも見に行くかのようだった。
暫く原宿を散策して、秋がきていたことがわかった。
街に揉まれた足の裏が、一日の終りを告げようとしているのを察した。
ぼくたちは、つないでいた手を、すっかり離していた。
街の路地に入ると、誰も居ず、静けさなども相俟って、月の裏側に来ているかのように感じた。
また、道に、何かに似ているベンチがあったので、
「座る?」
「うん」
と言いながら、その何かに座った。
座ると同時に、目を閉じ、乾ききった心に水滴をたらすように、今日のことを思い出していた。
瞬間、硝子のように繊細な白赤蓮華が、ぼくたちの空間を一瞬にして取り囲んだ。
目を開けると、やっぱりそこは、静かで狭隘な裏路地に戻っていた。
月にも表裏がある、と気づくと、途端にさっきの風景が可笑しくなった。
芸術って、変だ。
ぼくは、
「変だったよ」
と彼女に言うと、
「でも、不忍池も変だったよ」と笑って言った。
「月の中に、月が見えないのは確かに変だ」
彼女は、「でしょ」と言った。
ベンチに座りながら、すっかり話していた、ぼくの左手と彼女の右手が、自然とつながれたときには、原宿の白い夜に、丸い月が昇っていた。