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第五話 運命の時

 ――ログアウトボタンが消えた。

 プレイヤーたちの間を戦慄が走り抜け、始まりの街は不穏な気配に包まれた。不安に駆られた彼らは少しでも安心感を得るために群れをなし、やがて広場に集う群衆となる。人が減っていたはずの中央広場は、再び石畳すら見えないほどの人で埋め尽くされた。彼らは深刻な顔をしながら、これからどうなるのかと囁き合う。


 狩り場から街へ戻った僕たちもまた、少しでも情報を得るため中央広場へやってきていた。けれど、状況は良くない。能天気な奴もいるにはいたが、プレイヤーのほとんどが碌に現状をつかんではいなかった。彼らの顔には不安が色濃く浮かんでいる。


「おいおい、今夜は宅配頼んでるんだぞ……帰れるんだろうな?」


「……GMが反応してくれないことには。GMコールは、まだ?」


「全然駄目。みんなやってるみたいだけど、誰も反応なしよ」


「クソっ、どうなってんだよ!」


 苛立ちを隠そうともせず、思い切り地面を踏みならすシオン。ちょうどその時、広場の正面にある時計塔の針が七時を示した。カランカラン――深刻な現状を全く無視した、ガラス細工を思わせるような金属質の高音が、街全体へと響き渡る。


 無数の烏が飛び立ち、夜の帳が落ちていく。紅から濃紺へと染まっていく空。その深い闇に紛れるようにして、黒いローブをまとった男が現れた。広場を見下ろすその顔は病的なまでに色白で、骸を思わせるほど骨張っている。落ちくぼんだ眼窩の底にある眼は、どこかこの世とは違う何かを見ているようだった。


「笹生……!?」


「おい、あれ笹生劉生じゃねえか?」


 男の姿を見た一部のプレイヤーたちがざわめきだした。笹生劉生ささおりゅうせい――ソリッドギアの実用化に大きな貢献を果たした、このゲームの開発者だ。三十二歳の若さながら量子工学の権威として名を馳せていて、特にゲーム業界では知らぬものが居ないほどの大物である。天才特有の凡人とは若干異なった感性を持つ人物で、そのエキセントリックな言動からメディアへの露出はきわめて少ないが『笹生信者』などと呼ばれる熱狂的なファンまでいる。


 ――なぜ、笹生劉生が?

 信者と呼ばれるほどではないにしろ、笹生についてそれなりに調べたことのある僕は疑問を感じずにはいられなかった。彼のメディア嫌いは尋常ではない。テレビなどの取材が殺到しているにもかかわらず、彼が人前に顔を晒したのはレギオン社が発行している機関誌だけだ。それも、顔写真を載せたのはわずか数回で、他はすべてこのゲームに関する彼の『演説』を思わせる文章が載っただけである。そんな彼が、果たして自分の開発したゲームだからと言って数万の群衆の前に顔を出すのだろうか?


『プレイヤーの諸君、ようこそ』


 機械の作り上げた、精緻な合成音を思わせる金属質の声。それを聞いた途端、僕は身体が震えるのを感じた。何か、恐ろしいことが始まろうとしている。本能がそう叫んでいた。


『君たちもすでにお気づきの通り、このゲームは現在ログアウト不可能となっている。だが、これはバグやトラブルではない。元々このように造られていたのだ』


 何を言っているのか。僕はその意味を理解するのに、若干の時間を要した。

 最初からログアウト不可能なゲームなんて、そんな馬鹿げた物があってたまるか。それではまるで――デスゲームではないか。前世紀の末から創作の世界で語られ続けてきた架空のはずの存在が、今ここに姿を現したとでも言うのか。僕の脳内をにわかに空白が埋め尽くしていく。


『君たちがログアウトする方法はただ一つ。第七の大陸<アラボド>に存在する憤怒の塔を制覇し、ゲームをクリアすることだけだ。誰か一人でもクリア者が出た場合、それ以外のプレイヤーも全て安全にログアウトさせることを約束しよう』


 吟遊詩人を思わせる朗々とした声が、僕たちの心を焼いていく。この場に居るプレイヤーたち――おそらく、ログインしている者はほぼ全員そろっているだろう――は、ろくすっぽ言葉を発することすらできなかった。ただただ、笹生の発する神の宣告にも似た言葉を胸に刻みこんでいく。


『なおゲーム内で死亡した場合、及び外部からのゲームサーバーやソリッドギアからの強制切断が起きた場合、君たちの脳細胞を高出力の量子波が破壊するようになっている。これにより君たちは――』


 笹生はここで間を置いた。僕たちがその先に続くであろう言葉を想像し、恐怖するのを楽しむかのようであった。


『死亡する。もしくはα変換者、いわゆるディアブロスとなる。付け加えておくと、死亡しなくとも痛みはあるので注意したまえ』


 ディアブロスだって!?

 予想外の単語に僕の心臓が跳ね上がった。ディアブロスと言うのは、八年前の事件の際に生まれた『人で居られなくなった獣』のことだ。心の奥底にある扉から、閉じ込めておいたはずのいまわしい記憶が漏れ出してくる。焦点の定まらない虚ろな瞳、半開きになりよだれを垂らした口元。あの日、俺を喰おうとした姉さんの姿が――目の前に鮮明に映し出された。心が凍てつき、身体を悪寒が走る。


「うアァ!!」


 存在しないはずの傷口が疼いた。とっさに視線を下ろすと、何やら青白い光が肩を包んでいる。それだけではない。光は全身へと広がっていき、やがて僕の身体をすっぽりと包んでしまった。他のプレイヤーたちもまた同様に、白い光を帯びている。いったい何が起きようとしているのか。恐怖に震える俺たちのもとに、落ち着き払った笹生の声が降ってくる。


『私から君たちにプレゼントを送らせて貰った。ただし、そのプレゼントはアバターの姿では受け取ることができない。故に本来の魂の姿へと戻ってもらう』


 光が消えると、広場の中は別世界になっていた。あれほど居た美形のプレイヤーたちがほぼ全滅して、恐ろしく多種多様ながらも凡庸とした顔立ちの者がほとんどとなっている。健康志向な時代の影響か、いわゆるピザと称されるような者こそ少ないが……平均してかなり冴えない。中には性別を変えていた者も居たようで、すね毛の生えた足を晒して戸惑っている『元』女性プレイヤーも居た。


「お前……シュートか?」


「そっちこそ……シオン? それで、君はサクラ?」


「は、はい」


 シオンとサクラも他のプレイヤーと同様に、大きな変化を遂げていた。ワイルドな雰囲気の男だったシオンは、やや背の低い三十代ほどの男となっていた。彫の深い顔をしていたアバターとは打って変わって、日本人的な平たい顔をしている。がっしりとした身体も小さくなり、ひょろりとした印象だ。


 サクラの方は、クラスに一人は居る目立たない少女といった感じになっていた。存在感が薄く、現実だったらメガネでも掛けて本を読んでいそうな雰囲気である。さらに胸も軽くGぐらいはありそうだったのが、Cぐらいにまで縮んでいた。


 互いの顔を見て俺たちが動揺していると、左手を違和感が走り抜けた。手を顔の前にかざすと、手の甲の中心に青色の石が埋まっている。両端が尖ったクリスタルのような形をしたそれは、一見するとただの宝石のようにしか見えなかった。南洋を思わせる深い蒼は澄み渡っていて、石の中心部がわずかに光を放っている。


『その石の名はシード。その名の通り、君たちにとって希望の種となる石だ。せいぜい大切にしたまえ。では、これにて第二次チュートリアルを終了しよう。最後に付け加えておくと、君たちの肉体はすでに政府が保護に向けて動き出したようだから、その点については心配せずとも大丈夫だろう。時間を気にせず、存分に戦ってくれたまえ。君たちが新たな神話を紡ぎ出すことを期待している』


 水に砂糖でも溶かすように、笹生の姿が宙に消えた。プレイヤーたちは皆、彼が消えたポイントを見上げて茫洋とした表情をする。やがて彼らは、おずおずと戸惑ったように周囲の者たちと会話を始めた。周りから不安げな声がざわざわと聞こえてくる。


 ――終わった。

 僕は茫然と空を見上げた。身体から力が抜けていき、そのまま崩れるように膝をつく。いったい何でこんなことになってしまったんだろう。あの時、姉さんを殺してしまった事に対する罰が――今頃になってやってきたというのだろうか。僕の頭の中を疑問符が駆け巡り、思考が真っ白に染め上げられていく。


「シュート、しっかりしろ」


 いつの間にか、シオンが僕の肩を握っていた。不安げにこちらを覗き込んでくるその目は、僕のように死んではいない。生きようと言う気概に溢れていた。


「シオン……」


「狩り場は限られてる。今のうちに動かないと、出遅れちまうぞ」


「無理だよ、僕は……」


「出遅れたら、それだけ生き残る確率も減っちゃうかもしれないんですよ!?」


 シオンに引き続き、サクラも声を上げた。彼女は必死の形相を浮かべながら、僕の手を引っ張ろうとする。しかし僕はその手を振り払うと、首を横に振った。


「……人は死ぬ寸前、何を感じると思う? それはね『寒さ』なんだ。痛みでも何でもない、純粋な寒さなんだよ。手足の先から少しずつ体が冷えて行って、やがて全身が冷たくなる。僕はどうしようもなく――――それが怖いんだよ。だから戦えない。死にたくないんだ! 命のやり取りなんて、もう二度と嫌なんだ!!!!」


 心の底からの絶叫。大気がジリリと震えた。シオンもサクラも、驚いたような顔をして僕から距離を取る。周囲の人間も、僕の叫びに驚いたのか好奇の視線を容赦なく向けてきた。


「ごめん……大きな声を出しちゃって。狩りには二人で行きなよ、僕は街に残るから。大丈夫、一人は慣れてる」


「……わかった。じゃあせめて、フレンドだけでも」


 そういうと、シオンとサクラはそれぞれウィンドウを出してきた。僕は事務的な動きで二人の名前をフレンドリストに登録する。それが済んでしまうと、二人は何か言いたそうな顔をしつつもその場を立ち去って行った。その背中を、僕は黙って見送ったのだった――。


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