第二話 巡る世界へ
今回は説明回です。
結局、僕はゲームをプレイすることに決めた。
そうしてやってきた七月二十日、夏休みの初日。
学生なら誰もが心を躍らせるであろうこの日を、僕は何とも言い難い気分で迎えていた。例のCaelestis Onlineの正式サービスが今日の正午に始まるのだ。瑠衣姉さんは仕事が忙しいらしく、会社に泊まり込むためしばらく家を空けるそうだからやらなくてもたぶんばれない。けど、一旦やると決めてしまった以上、やらないというのも恰好が付かないだろう。姉さんの期待を裏切ると言うのも心苦しいし。
試験前の学生が慌てて参考書を読むような気分で、Caelestis Onlineこと通称COに関する情報をネットで集める。僕の複雑な気分をよそに、すでにネットの世界はお祭り騒ぎだ。ゲーム関連のあらゆる掲示板にCO関連のスレッドが乱立し、秒単位で発言が繰り返されている。個人のブログなどでもCO絡みの話題が頻出し、さながらネット全体が熱に浮かされたようになっていた。気の早い連中に至っては、カウントダウンスレなどという物まで準備してサービス開始を待つ始末だ。
こうして発信される情報の洪水に圧倒されつつも、僕はCO関連の有用な情報を徹底的に掻き集めていた。もちろん、無理なくソロプレイをするためだ。攻略wikiに始まり、個人運営の攻略サイトやβテスターのブログまで幅広い情報をできるだけ大量に読みこんでいく。MMOというのは、基本的に団体行動が有利になるように設計されている。経験値稼ぎもそうであるし、生産に関してもそうだ。ソロプレイヤーとして活動することが半ば決定している僕は、その分だけ不利になってしまう。だからせめて、情報だけは集めないといけない。
調べた限りだと、COはオーソドックスな古き良きファンタジー系のRPGだった。空へと連なる七つの大陸があり、ひたすらそれを上へ上へと攻略していくらしい。個性豊かな大陸とそれを結ぶ○○の塔と呼ばれる長大なダンジョンが売り物で、最後の大陸<アラボド>に聳える<憤怒の塔>をクリアするとゲームクリアらしい。明確なクリア条件があるオンラインゲームと言うのは珍しいが、βテスターたちが一カ月かけても最初の大陸を踏破できなかったことからすると、十分なボリュームはあるようだ。……さすがに、クリアするまでプレイするつもりはないけれど。
「ふう、ご飯食べようか」
午前十一時。
PCの画面を見続けて眼が疲れて僕は、十二時のサービス開始に備えて食事をとることにした。PCの電源を落とすと、冷凍食品のチャーハンを引っ張り出して電子レンジに放り込む。三分ほどたってチンッという音がすると、微かにゴマ油の匂いがするパラパラチャーハンの出来上がりだ。最近の冷凍食品は良くできていて、下手な中華飯店のものよりおいしい。富士山型に盛られたそれをハフハフと息をしながら蓮華で掻き込んでいく。
皿がすっかり空になる頃には、いよいよ十二時が迫ってきていた。いよいよ、やるか――。皿を流し台に片づけると、ソリッドセットの入った箱を戸棚の上から降ろす。封を開けると新品の機械製品独特の、焼けたゴムを思わせるような匂いが微かに鼻をついた。そしてたっぷりと詰め込まれた梱包材を抜き取ると、いよいよ問題の機械がその姿を現す。
「これか……結構かっこいいデザインだなぁ……」
流れるような漆黒のライン。頭だけでなく延髄部までしっかりと覆い隠すそれは、フルフェースのヘルメットを思わせた。とてもスポーティーでスタイリッシュなデザインをしていて、特殊部隊の隊員などが被っていそうな雰囲気である。その滑らかなカーブを描く側面部分には、角張ったフォントで『SOLID TYPE-01』と記されている。
「軽ッ」
持ち上げてみると、重厚感のある見た目に反して予想外に軽かった。金属部品が多用されていると思ったが、そういうわけではないらしい。僕は手を滑らせないように注意しつつも、ソリッドセットを頭の上まで持ち上げた。そして重力に任せて一気に首元まで下ろす。大きさは調度ぴったりだったようで、クッションのボフッという音とともに、僕の頭はすっかり黒い曲線に覆われた。低反発のパッドが何とも心地よく、早くも眠気を誘う。
「ソフトはもう入ってるんだ。えーっと、あとはコンセントだけっと」
同梱版だけあって、COのソフトはすでにソリッドセットにダウンロード済みだった。ネット回線についても無線で専用の物を使うので、こちらで改めて細かい設定をする必要はない。最新のネット回線は通常の物でも1ペタ以上の速度が平気で出るが、さすがVRMMOだけあってそれでも通信量が足りないようだ。わざわざそれ専用の高速回線がきちんと用意されている。
ヘッドセットの首元に当たる部分に、電源プラグがあった。箱からかなり太めの電源ケーブルを取り出すと、片方をコンセントに差し込み、もう片方をプラグへと挿入する。すぐさま眼を覆う透明なシールドに光が灯り、『Set Up』の文字が現れた。最新機器だけあって非常に静かで、ファンの回転音など機械を立ち上げる時に特有の雑音は一切ない。
固定用のバンドを締めると、ヘッドセットがずれないように注意しながら横になる。シールド上を次々と文字が走り抜けて行った。やがて縦半分に割られた仮面とゴシック体のアナグラムからなるレギオン社のロゴがはじけて、紅い光のスペクトルへと還る。
『動作正常。続いてソフトウェアの起動に移ります。眼を閉じて起動するソフトウェアを選択してください』
瞼を下ろすと、一面真っ白の世界に文字だけが浮いていた。眼を閉じているのにはっきりと物が見える。しかしまったくおかしな感覚ではない。それどころか、意識をしていないと眼を閉じているのを忘れてしまうほどだ。これは…………すごい。初のVRということでクオリティーにはそこまで期待してなかったのだが、これだと相当期待してもいいんじゃなかろうか。ただその分だけ、対人関係までリアルになると言う僕にとって困ったことが起きるのだけど。
『Caelestis Online 、起動します』
滑らかな機械音が響いた途端、何とも奇妙な感覚が僕を襲った。眠りに落ちるのとは全く別物の、非常に独特な感覚である。見えない手で魂をがっしりと掴まれ、そのままどこかへ連れていかれるような気分だ。分けてはならないものを無理やりに分けて、その片方を持ち去られるようで心が冷え冷えとする。体中をぞわぞわと戦慄が走り、非常に頼りなく恐ろしい気持ちになった。いったい何なんだろうか、この不快感は。この何とも形容しがたい虚無感は。
「うあッ……!」
一瞬、このままゲームをやめてしまおうかとも思った。
しかしすぐに、空っぽになっていたはずの身体に重量感が戻ってくる。精神が肉体とはまた別の何かと合体して、そこで安定したようだ。不快感が消えて、僕は荒くなっていた息をゆっくりと戻す。やがて暗転していた世界が再び白に染まり、目の前に黄金色に輝く光の群れが現れる。粒子状の光は人型へ集合していき、その中から一人の女性が現れた。ゆったりとしたローブに身を包んだ、ギリシアの女神を思わせる金髪の美女だ。
「私は導く者。まずは輪廻の大陸におけるあなたの名前を教えてください」
どうやらゲームのチュートリアルが始まったらしい。僕は目の前に現れた半透明のキーボードでシュートと入力すると、ENTERを押す。
「シュートですね、了解しました。次はあなたの姿を教えてください」
顔をアップにした、3Dのマネキンのようなエディットが表示された。デフォルトとして現実の顔が既に反映されていて、さながら鏡でも見ているようである。僕はやや丸い顔の輪郭を少し細くして、インテリ然とした渋みのある顔を形作っていく。そうしてリアルの面影があまり残らないように、できるだけ変化をくわえた。別に、リアルの顔に極端なコンプレックスがあると言うわけではない。ただ、リアルな自分として人と接するのがとにかく嫌なだけだ。
そうして十五分ほどかけて、僕のアバターは完成した。現実では頼りない印象の女顔をしているはずの僕が、線の細い知的なイケメンへと変化を遂げている。特に丸いラインをしていた目元はシャープになり、涼しげだがやや冷たい印象を与えるようになっていた。身体も細く引き締まり、リアルではぷにぷにしている腹筋もしっかりと六個に割れている。
「この姿でよろしいですね?」
「OK、問題ないよ」
「では最後に、あなたが進む二つの道を教えてください」
二つの道というのは、メインジョブとサブジョブのことのようだ。
COはレベル制とスキル制とジョブ制の三つをキャラクターの成長要素として採用している。レベル制はレベルアップを繰り返すことによってステータスが上昇し強くなると言うシステムで、ジョブ制は特定のジョブに就くことにより、それに合ったステータスやスキルを身につけられると言うシステムだ。スキル制は特定の条件を満たすと強力な技、つまりスキルを習得することができるというもので、その種類は無数にあると言われている。
メインジョブとサブジョブというのはジョブ制に関わるもので、メインとサブの二つのジョブを設定できるというものだ。基本的にはメインに戦闘系のジョブ、サブに生産系のジョブをつけることになっている。逆にメインに生産系のジョブをつけることも可能で、これをした場合そのプレイヤーはいわゆる職人と呼ばれる。僕は対人関係を強制される職人になど毛頭なるつもりはないので、メインはもちろん戦闘ジョブだ。
最初に選択できるジョブ、いわゆる初期ジョブは全部で十六。内訳は戦闘ジョブが八、生産ジョブが八だ。最近のMMOにしては少ないように思われるが、ここからスキルや職業の組み合わせなどによってドンドンと上位職が派生していくため、最終的には戦闘ジョブも生産ジョブも覚えきれないほどの数になるらしい。
ログインする以前から、僕は何のジョブに就くか決めていた。
それはサムライと鍛冶職人。サムライがメインの戦闘ジョブであり、鍛冶職人がサブの生産ジョブである。サムライはプレイヤースキル次第ではソロプレイが一番やりやすいジョブだとあちこちで紹介されていたのだ。言わずもがな、サブの鍛冶職人はサムライとして戦うための刀を打つためである。武器も自分で生産してしまえば、職人たちといちいちつながりを持たずとも済むのだ。
「サムライと鍛冶職人ですね?」
「うん、大丈夫」
「わかりました。では、いよいよ旅立ちです。あなたにシードの導きがあらんことを」
白い光が僕の視界を埋め尽くしていき、世界が反転した。こうして僕は恐る恐るながらも、輪廻の大地、すなわちCOの世界へと飛び立っていったのであった。