弐話 驚く。
弐話 驚く。
よいしょという青年たちの掛け声と同時にひきあげられた榊は全身から力を抜いて、ふぅと小さく息を吐いた。
(いやあ、拙者はまだ死んでいなかったのでござるな。よもや地獄だと思っていた場所が鯨の中だとは全然気付かなかった)
そのようなことを青年たちから聞いた榊は内心ほっとしていた。
自身が死んだ身ではないとわかり、少しばかり安心したからである。
さっきからけっして広くない船のなかでうろうろしながらこっちをジロジロみている青年二人の視線が多少気になったが無視することにする。
「しかし、ここはどこでござる?」
「それはですね…………ここはリュート湾の真ん中よりもちょっとずれた位置にある船の上ですよ」
うわっと榊は自分の声なのかと疑いたくなるほどの驚きの声をあげて後ろを振り返る。
そこには榊から見ても美少年と思わせるような顔をした青年がニコニコしながら立っていた。
(拙者の背後がとられるとは……一生の不覚でござる)
榊は背後をとられたことに心底落ち込んだような表情を顔に浮かべる。
そんなことはお構いなしに美少年風の青年はなにやらペラペラと喋っている。
数十分後にやっと気持ちを切り替えた榊の耳に聞こえてきたのはどうやら女性を口説くときのような褒め言葉や、今度食事にでも行きませんか?というような誘いの言葉であった。
男である榊はそんな言葉を聞いても嫌悪感や吐き気がしてついついうっぷと口を押さえてしまった。
「大丈夫ですか?もしかして船酔いなんかしやすいタイプの方ですか?」
「大丈夫でござる。船にはよってはいない。むしろ、そなたの言葉についつい吐き気がしていたでござる」
「あっそれはすいません。あまりにもお綺麗だったものですからついつい熱がはいってしまいました」
てへっと舌を少しだして謝る美少年風の青年の仕草を見て榊は背筋がぞっとするような、鯨に飲み込まれた時のような時のような恐怖を味わった。
その様子を遠くから見ていた一見おっさん風の青年は両手を合わせて謝っていた。
榊はその謝りがなかったらあまりの恐怖で命の恩人であるこの美少年風の青年を斬り殺してしまうところであった。
と、榊は重大なことに気がつく。
「そなたは拙者のことが綺麗だと言ったでござるか?」
「はい。それはもう」
やめい!と榊は頬をぽっと染める美少年風の青年を見ながら榊は激しくそう思った。
女にやられるとこの上なく気分が良くなるが、男にやられると榊は激しく気分が悪くなるのであった。
そして、榊は何を思い立ったか手をぽんと打つ。
「青年よ。鏡はあるでござるか?」
「はい。ここに」
恐ろしいくらいの速さで美少年風の青年は手鏡をさしだしてきた。
それを受けとり、兜をはずしてからじっと鏡を見つめる。
そこに映っていたのはうすく髭を生やしたゴツイ若者ではなく、大きな黄緑のちょっとつりがちな瞳の他に人参のように鮮やかな橙色の髪にととのった眉やら唇やら色白の頬やらetc.……など黒目黒髪だったら榊のストライクゾーンをぶち抜くような美少女が驚愕の表情で鏡の中を覗き込んでいた。
試しに榊は口を開いたり閉じたりしてみる。
鏡の中の美少女も同時に開けたり閉じたりしている。
今度は左の頬を抓ったりしてみる。
(痛いでござる)
同じように鏡の中の美少女も左の頬をおさえて痛がっていた。
榊は最終確認として、近くに来ていたおっさん風の青年に尋ねる。
「拙者の顔はどんな感じでござるか?」
「一言でいえば美少女だな」
榊は声にならないような高い金切り声のような悲鳴を上げた。
悲鳴をあげてからしばらくして、榊は諦めたのか手鏡を美少年風の青年に返す。
そして懐から短刀を取り出し、鞘から抜く。
銀色の刃が太陽の光を反射して輝く。
「ああ、思えば人生は短かった」
榊は刃を腹にもっていき、勢いよくつく。
が、その刃は腹に刺さることはなかった。
「お譲ちゃん。いきなり自害しようとするなんてよくないぜ?」
おっさん風の青年は榊の短刀を自身左手で握り、腹に刺さるのを防いでいた。
ぼたぼたと赤黒い血が垂れ、おっさん風の青年の左手の下に水たまりのようなものができていた。
それを見た美少年風の青年は急いで救急箱をとりに行く。
「なっ…………」
おっさん風の青年は榊から短刀を奪い取ると後ろに放り投げた。
短刀はくるくると回転して海に落ち、沈んでいく。
「なんで止めたでござるか」
「そんなの簡単だろ。命を粗末にしてほしくないからだ」
榊の質問におっさん風の青年は左手を痛そうに右手を傷口にあてる。
「せっかく助けた人に目の前で死んでほしくなかったのも理由の一つだ。それがお譲ちゃんのような美少女だったらなおさらだ」
「拙者は男であり武士でござる。それゆえに女になり戦えなくなると拙者の存在意義が無くなる。そんな拙者は自分でも嫌だ。自害しようとするのは拙者の勝手であろう」
その言葉を聞いたおっさん風の青年は顔を顰める。
「お譲ちゃん……いや、あんた。ふざけんなよ?」
「……っ?」
おっさん風の青年は一気に顔を激怒の表情に変えた。
その表情に榊はびくっとする。
どこか、自分の今は亡き父親の面影を感じたような感じがしたと榊は思う。
「あんたの事情なんて知ったことじゃねえけど、いくらなんでも自害はやりすぎじゃねえ?戦う以外にも生き方があるだろ?」
「…………拙者には戦うこと以外にはなにもできないでござる。勉学もあまりできない、字も少ししか読めない。拙者には武しかないのでござる」
「そんなの、俺も料理以外にはほとんど何も出来ねえよ。勉強なんて良くて百点のテストで九点取ったことしかねえよ」
榊はその言葉に絶句した。
自分の父親にとてもよく似ていたことに。
本当に良く似ている。
「もし、あんたに武しかないにしてもまだ戦えないと決まったわけではないだろ?」
「女でも戦えるでござるか?」
「当たり前だろ!?家のおふくろなめんなよ?かなり強いからな」
「ほう。そなたの母様は何をしているのでござるか?」
榊はおっさん風の青年に質問をする。
その嬉々とした榊の質問に怒りの色をなくしたおっさん風の青年はふふんと鼻を鳴らす。
「家のおふくろは大傭兵団「焔」の団長、エイアだ!」
「それはすごい人物なのでござるか?」
「当たり前だ。家のおふくろの二丁拳銃の前には敵は全員蜂の巣よ!」
「女でそのような者がいるとは…………世界は広いでござるな。ところで銃とは火縄銃のことでござるか?」
「火縄銃?大昔にそんなものがあったような気がするが、それは何億年も前の異世界の話だ。あんな旧式の武器は存在しねえよ」
異世界!?その単語に榊は驚いた。
聞きなれないような単語であったし、何より将軍に仕えていた頃に聞いた噂では今自分たちがいる世界とは別の世界らしいということだけだ。
兎にも角にも、榊は自分はまだ戦えるかもしれないということに期待で胸を膨らませていた。
榊の心の中にはもう自害のじの字も無かった。
弐話更新。
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それでは。