プロローグ
プロローグ
ガッガッガッという馬の蹄が土を抉る音が真冬の林道に響く。
その音はとても力強く、確実に前へ、前へと栗毛の見事な馬と鎧兜を身につけ、刀を腰にさした武者を進めていることがよくわかる。
しかし、その馬の力もだんだん衰えてきていた。
なぜならばもう一晩中休むこともなく全速力で何十キロもの鉄の塊のような重さをもつ主人である武者を乗せて駆られていたからである。その証拠にこの馬の息遣いは荒く、口元から唾液が垂れ流しになり、目の焦点が定まっていない。
この武者はとある地方の強力な将軍に追われていた。
まだ将軍に仕えていたあの頃の武者は数十……いや、数百弱もの人を斬り、数々の手柄を立てたとても優秀な一般の武士であった。
一時期鬼神という異名がつけられるなど、その武者は凄まじかった。
それに人柄もよく、同じ主に仕えているほかの武士の信頼も人一倍厚く、よく慕われていた。
しかし、それを快く思わないものも中にはいた。
それはその将軍の妻である。
数々の功績をあげ、良い人柄で慕われていた武者を将軍の妻は危険視していた。
(このままではいつしかあの武者を中心とした大きな反乱が起こる危険性がある)
この妻は非常に疑り深く、自分が気に入らない相手には悪質な悪戯や狡猾な罠で虐め、時には他人に濡れ衣を着せて処刑したりすることもあった。
この妻にとって、この出来すぎた武者はとても危険な存在だった。
あまり配下の武士たちに信頼されていない自分の臆病でわがままでまぬけな表情を顔に張り付けている権力しか誇れるものがない夫の立場が危うい状況に陥ることが妻にとって最も避けたいことのひとつであった。
あるとき、妻は自身の二人の子供である男児のうち、弟をその手にかけた。バカな自身の子供を一太刀で斬り殺したのだ。
その残骸を見つけた武者に将軍の妻は濡れ衣を着せた。
夫はそのことをまともに信じ込み、激怒した。夫は何のためらいもなくこれまで信頼を寄せていた武者を殺すことを自身の配下に命令した。
しかし、配下の武士たちはとても信じられないと命令を頑なに拒んだ。
それを見た将軍の妻はいつも後ろに仕えている配下の一人にある物を持ってこさせた。
それは血がべっとりとついたあの武者の二本あるうちの一つの刀であった。
ご丁寧にもこの妻はあの武者の刀で自身の子供を手にかけていたのだ。
この刀を見た武士たちは唇を噛みしめ、渋々あの武者を殺すために馬を走らせた。
そして現在に至る。
「くそっさすがに追いついてきたでござるな」
武者は短く舌打ちをすると馬の手綱を強く握った。馬は自身に鞭打ち、自身の主の要望にこたえようと速度を上げる。
しかし、追手と武者の距離はどんどん縮まっている。
何事かと武者はさらに強く手綱を握り、心の中で馬に命令した。だが武者の馬の速度がこれ以上上がる気配がない。
そこで武者は漸く気がついた。自身の馬の疲労はピークに達しており、限界が来ていることに。
(もうここまででござるか。春風よ)
自身の愛馬、春風の限界を悟った武者はこれまで無理を強いてきた春風に心の中で謝った。
(よく頑張ったでござるな。これまで無理を強いてきて申し訳ないでござる)
その心の言葉を聞いた春風は疲労で足を挫き、林道に派手に転んだ。
蔵からとばされた武者は受け身をとり、春風に駆け寄る。春風は口から泡を吹き、既に息絶えていた。
申し訳ないと武者は春風に謝り、武者は春風の脇に転がっている自身の家の家宝である刀を片手に遠くへ、遠くへと走り出した。
鎧が重く、普段よりも速度が出てないが武者は速かった。
あの将軍に仕えている中ではとても速いほうであったと武者は思っている。
しかしそんな武者でも馬には敵わず、すぐに追いつかれてしまった。
馬から降りた追手の武士たちがそれぞれ刀を抜き、構える。
武者は舌打ちをし、後ろに後退していく。
追手の武者たちはいつでも斬りかかれる状態であったが、何故か斬りかかることをせず、ジリジリと武者との距離を詰める。
その時、一人の武士がどこか悲しそうな顔をして武者に問いかけた。
「本当に、あなたが斬り殺したのですか?」
武者は首を振り、武士たちに否定の意思を見せる。
「拙者は斬り殺していないでござる」
「では何故、あの場に猩星様を斬り殺したと思われる刀があなたの刀なのですか?」
えっ?と武者は言葉に詰まった。
確かに数日前にあった自身の刀の一本が紛失しており、何処かおかしいなとは思っていたがまさか…………。
「その刀の柄にはあなたの家の家紋である美しい椿の花が刻まれていました」
やられた。まんまと自分に悪意のある誰かに濡れ衣を着せられた。
「しかし、拙者は斬り殺していないでござる」
「…………本当に?」
「本当でござる!」
武士たちはお互いに顔を見合わせ、やはりなという納得したような顔をしていた。
が、
「しかし、将軍様の命令に逆らうことはできません。我々にとってはできれば斬り殺したくはないのですが…………榊、ここで大人しく斬られてください」
武士たちは決意を込めた顔で武者…………もとい榊に斬りかかってきた。
榊は仲間たちに刀を向けられて心底悲しそうな表情で、自身の刀を鞘に収めたまま武士たちの刀を弾く。
そして一人、また一人と武士たちを気絶させていく。
それは見事な技であった。
流れるような動作で刀を弾き、そのまま手刀や鞘におさめた自身の刀で次々と気絶させているではないか。
しかし、なにしろ数が多い武士たちに押されまた一歩、また一歩ジリジリと後ろに後退させられている。
榊の見事な技をもってしても、殺さずにこの数の武士たちをおしかえすのは無理があった。
榊がちっと舌打ちをしたその刹那――――――――
「っ…………!」
ガラッという音とともに小石が崖の下に落ち、崖の下にある海に落ちた。
いつの間にか崖のほうへ押されていたのを榊は気づいた。
榊はこの日何度目になるかわからない舌打ちをする。
それは上段から振り下ろされた刀を自身の刀でうけ、弾きとばされたタイミングと同じタイミングでしていた。
勢いよく海に落下する榊は心の中で人生最初で最後の悔しい気持ちになった。
そして榊の意識は極寒の冬の海の冷たさを全身に感じ、何か海の生物の口に入るような食べられる恐怖にかられて途切れた。
とても久しぶりに書く小説で、このようなサイトに投稿するのは初めてです。
とても素人で文法なんかが全然できていないと思います。
指摘、感想、などを一言でもいただけたら嬉しいです。