夫が王女を下賜されてきました。お望み通り離縁しますが、上手くいかないと思いますよ
「よかったわ。内乱も終息に向かっているそうよ」
居間で隣国のラーゴ辺境伯からの手紙を読んでいたエイラは、顔を上げてジェラルドに笑顔で告げた。
「あぁ、ラーゴ伯もご無事だったんだね。よかった」
「ええ。困ったときはいつでも頼って下さい、ですって」
「また君の勘が当たったね、エイラ。向こうの内乱で魔石浄化溶媒が足りなくなるなんて予想もつかなかったよ」
「あら。商人には気づいている人もいたわよ。魔石は生活に必須でしょう? ただ、うちが伯爵家だったから、いち早くラーゴ伯との交渉のテーブルにつけたのだわ」
溶媒の素となる原料は隣国からの輸入に頼っている。特にラーゴ辺境伯領の湖では豊富に採れることで有名だ。内乱となると物資が滞る。エイラは商会を通じて情報を集めた。そこで、第二王子派についたラーゴ伯が戦費の資金繰りに困っていることを知り、専属契約に持ち込んだのであった。
「それに、あなたがすぐに王宮に報告したからこうして褒賞の話が出たんじゃない?」
ジェラルドがエイラに顔を寄せ、「僕の女神」といいながら額にキスを落とす。くすぐったそうに笑ったエイラは少し離れてジェラルドの身なりを確認する。
「王宮に行くならタイは別の色がいいわ」
「ふふっ、君の審美眼のおかげで安心して社交に出られる。ねぇ、領も安定してきたしそろそろ家族も欲しいな」
「そうね。——でも、先ずは王宮よ。ほら、早く行かないと」
侍女に持ってこさせたタイを選んで結びなおす。
「では、旦那様。いってらっしゃいませ」
かしこまるエイラに笑顔で手を振って、ジェラルドは出かけて行った。
◇
エイラは商人の娘だ。ジェラルドが若くして伯爵位を継いだ頃、取引で騙されそうになっていた所をたまたま助けた縁である。今では口癖になった「僕の女神」とのセリフとともにプロポーズされた。
親友のローズには「貴族なんて、やめときなさいよ」と渋い顔をされたが、既に両親も亡くなり、名ばかりの貧乏伯爵家であったため、大きな反対もなく格差婚が成立した。エイラ18歳、ジェラルド21歳の出来事である。
それから4年、エイラは実家から付いてきた今の商会長と共に、伯爵家の立て直しに尽力した。褒め上手で聞き上手なジェラルドのもと、エイラはその才覚を伸ばしていった。
書類を整理していたエイラはこれまでを思い出しながら、これからは少しペースを落として家族の時間を大事にするのもいいかもしれない、とぼんやりと考えるのだった。
「そろそろお帰りになる頃かしら」
灯が点ってきた窓の外を眺めながら独りごち、いったん休憩しようとベルを鳴らす。
しばらくすると茶器のセットとともに家令が現れた。
「奥様、旦那様がお帰りになりました」
家令の言葉に続いて、なぜか疲れた顔のジェラルドが入ってくる。王との謁見は緊張するものなのだろう。
「お帰りなさいませ。お疲れのご様子ね。先ずはお掛けになって」
「ああ。……うん」
目配せで人払いをしたエイラは隣に座って手を握る。浅く座っていたジェラルドは、かぶりを振ってエイラを見ると「大事な話がある」と対面に座るよう促した。
「実は、王女殿下を下賜されることになった」
「王女殿下ですか? 公表されていないお子がいらっしゃったの? でも伯爵家の養女というのは——」
意外な話に目をぱちぱちとさせていると、慌てたようにジェラルドが言い募る。
「いや、そうじゃなくて。王女殿下を下賜するから身辺整理をするよう陛下からお言葉があって…‥」
ゆっくりと言葉が身体に染み込んでいく。身辺整理。つまりは——。
「離縁して欲しいんだ」
落とされた言葉に茶器の持ち手へ力が入った。意識して肩の力を抜き、手をほどく。
「ねぇ、それは決定事項なの? 陛下は私たちの婚姻関係をご存知なのよね?」
「身分違いの妻がいることは承知されている。……私は貴族だから。王の言葉は重いんだ」
「ジェラルド……」
自分の呼びかけた声が、ジェラルドの名前が、全く別物に聞こえてエイラは2人の関係が明確に変わったことを悟った。
「国を救った英雄だって言われてさ。もちろん僕は君のおかげだって分かってる。だけど伯爵家としておこなったことだから褒賞は僕に、と。それで、すぐにあげられる土地がないから王女殿下はどうかって。殿下も嫌ではないと――」
浮ついたように、言い訳するように話す言葉を聞き流しながら、もうそこまで話が進んでいるのかと、エイラは段々と冷静になっていく。世間もこの流れであれば王女を選ぶのが当然と思うだろう。思えばジェラルドは褒め上手、聞き上手だが相談されたことはなかったかもしれない。
「わかったわ。結婚以来のあなたの初めてのお願いだもの。離縁してあげる。だけど上手くいかないと思うわよ?」
そう言って立ち上がったエイラに、ジェラルドは驚いたような顔をして口ごもる。それから立ち去るエイラの背中に声をかけた。
「君には感謝しているよ。……だけど君だって伯爵夫人になっていい思いが出来ただろう?」
いい思いなんてしてないわ、と心の中で呟いてエイラは扉を閉ざした。
◇
部屋に戻ったエイラは後ろ手に鍵をかけると、ソファに腰を下ろした。それから横にあったクッションを掴む。
「信じられないっ、何が僕の女神よ。私のこと分かってるって何も分かってないじゃない」
クッションに八つ当たりをする。幸せな未来を想像していたところに最悪の事態を告げられたエイラは氷水をかけられたような、目が覚める思いがした。実際、目が覚めたのだ。
「身辺整理って言ってたわよね。それなら片付けてあげましょう」
ひとしきり悪態をついたら頭が回り始めた。顔を上げるとペンと紙を取り出して、個人で知り合った付き合い先に手紙を書き始める。明日には屋敷中の者が事情を知るだろう。そして明後日には街の者たちも。
エイラは乱れた髪を整えるとベルを鳴らして侍女を呼んだ。
「至急、商会長を呼んでくれるかしら?」
急な呼び出しに応じた商会長のアルバは、いま動いている取引を頭で整理しながら応接室の扉を開けた。エイラが立ち上がって笑顔で迎えてくれる。
「待っていたわよ」
「お嬢……あ、いや伯爵夫人。何かありましたか?」
獰猛さを感じる笑みに、アルバは慎重に問いかける。
「まったく、いつまでもお嬢って——、あー、でも伯爵夫人でもないわねぇ」
「おやめになるので?」
なんだか、ややこしい話かもしれない。
「ジェラルドは王女殿下を下賜されるから身辺整理をするのですって。だから私が手伝ってあげることにしたの」
身辺整理と言いながら自分を指差し、軽やかに告げるエイラに、アルバはごくりと唾を飲んだ。
「三日で私の私物と、実家からの援助で購入した絵画やテーブルなど、全て運び出してちょうだい」
「——ちょっと待ってください、三日では無理ですって。大体なんでいきなりそんな話になったんですかい?」
先ほど軽い気持ちで口にした言葉を後悔しつつ、アルバはジェラルドへの怒りがふつふつと沸き上がってくるのを感じた。
「魔石洗浄溶媒の褒賞でね、いきなりそんな話が出てきたのよ」
「そんな、あれは完全にお嬢の成果じゃないですかい」
「貴族だから、ですって。本当は三日でなくて二日でなんとかして欲しいのだけれど。私の人脈も引き揚げるわよ」
エイラが書きあげた手紙類をアルバの方に押しやる。手紙の上に乗せた手に力が入っていることに気づいたアルバは三日の意図を理解し、真剣な瞳でエイラを見た。
「必ず二日で運び出しやしょう。あー、お嬢が独り身に戻るなんて」
「勘違いしないで。私が結婚してあげてたのよ」
ついでに茶化すと、即座に打てば響くような返事をしてくる。大きな心配はなさそうだと、アルバは密かに吐息をもらした。
「悪い人じゃなかったんだけど。私の勘は私のことには働かなかった。自分のことを占えない占い師と一緒ね」
肩を竦めたエイラは「よろしくね」と立ち上がって、アルバを見送った。
翌日の午後、屋敷を周りながらエイラは満足そうに頷いた。
「だいぶ、すっきりしてきたわねぇ」
使用人が不思議そうに、或いは不憫そうに視線を送ってくるが平然と受け流す。
「今日中に大物を出しきって、明日の午前には全て完了予定で進めてますぜ。——このあと、どうするんです?」
「私が近くをうろうろしていたら王女殿下に申し訳ないから……隣国に行くわ」
「うわっ、こわー」
アルバの思わずこぼした言葉にエイラが「なにもしないわよ」と睨みつける。
「俺も連れてってください。お嬢に子守はまだまだ必要ですぜ」
「あなたは商会長でしょう? ジェラルドに切られたわけでもないのに急に辞めたら従業員も困るわ」
エイラはすっかり1人で出ていくつもりのようだ。エイラなら1人でもやっていけるだろうが……。
「冗談じゃねぇ。うちのお嬢をなんだと思ってやがるんだ」
アルバにとってお嬢は出会ったときのまま、ずっと小さな子どもだ。引き継ぎが片付いたら絶対追いかける、と決意し、ある人にエイラの保護をお願いする手紙を書いた。
◇
二日後の見送りにジェラルドの姿はなかった。あれ以来、ジェラルドは忙しいのか気まずいのか、エイラと顔を合わせていない。エイラが今日出て行くことも知らないかもしれない。
「でも、それでいいわ。お互い、未来を見ればいいんだわ」
幼馴染のローズは「あんたらしいね」と泣きながら肩を抱いてエイラを激励した。落ち着いたら手紙を書こう、とエイラは思う。
乗合馬車で、王都から一番近いラーゴ辺境伯領との国境に向かう。ラーゴ伯からの手紙には「いつでも頼ってください」と書いてあったが、通りぬけて隣国の王都に行く予定だ。混乱する王都であれば外国人の商人でも仕事があるに違いない。
身辺整理された身だ。まさか追っ手などは出ていないだろう、とのんびり旅を楽しむように、途中で休みながらエイラは1週間かけて国境についた。
詰め所で入国の手続きをしていると、不意に慌ただしくなってきた。不法入国者かしらと思って見ていると、兵士たちはエイラに向かってやってくる。その後ろから一際背の高い、鎧の色の違う男が顔を出した。
「ずいぶん待ったぞ。エイラ殿? なかなか現れないから他の国境に向かったのでは、とやきもきしていたところだ」
「あの……、どちら様でしょうか」
エイラは恐る恐るそう問いかけた。ラーゴ辺境伯領に知己はいない。強いていうならラーゴ伯だが——。
「貴方のところの商会長から連絡を貰った。お初にお目にかかる。クラヴィス・ラシウス・ラーゴだ。この辺境伯領を預かっている」
やっぱり。エイラはいつまでもアルバはおせっかいね、と思いながらも納得した。ラーゴ伯はエイラより10歳ほど年上だろうか。落ち着いた美丈夫だ。
「お初にお目にかかります。こちらの国に移住予定で来ましたの。王都に向かおうかと」
「それはいけない。王都はまだ落ち着いていないのだ。しばらく我が屋敷に逗留すると良い。こちらでの基盤を整える手伝いをさせてくれ」
にこやかに告げられるが、エイラとしては遠慮したい。何せ、王侯貴族の事情に巻き込まれて出奔してきたところなのだ。できれば貴族とは関わらず過ごしたいと思う。
すぐに返事をせずに逡巡するエイラに、ラーゴ伯は得心したように頷いた。
「貴方が置かれた立場はわかっている。しかし、私との取引がきっかけで放逐されたようなものだろう? こちらはエイラ殿の後押しで第二王子派を勝たせることができた。恩ある身だ」
恩という言葉に過剰に反応したエイラは一瞬、鋭い視線をラーゴ伯に送りそうになり目を伏せる。
「私は訳ありの外国人で平民です。しかも離縁したばかりの身。お屋敷でお世話になるなんて分不相応ですわ」
「ふっ、我が第二王子派は主流派ではなかったからな。新興貴族中心だ。実力主義だから身分など気にするな。しかし、なるほど商会長が書いていた通り手強いな。——ならばあれだな」
面白そうな瞳でエイラを見たラーゴ伯は、頬を掻いて姿勢を改め、太い声で告げる。
「隣国の貴族の元夫人が騒乱の最中にやってくるとは密偵の疑いあり。安全が確認されるまで我が屋敷にて監視する」
そう言ってから、大型犬のように人懐こい顔で手を差し出してくる。
「それでは断れないではないですか」
交渉上手な人だわ。そして信用できる人なのだろう。エイラはラーゴ伯との小気味よい会話を心地よく感じながら手を取ったのだった。
ラーゴ伯の屋敷に落ち着いてしばらく、エイラは与えられた客室でぼんやりと過ごしていた。張り詰めていた気が緩んだのかもしれない。そっとしておいてくれているのか、ラーゴ伯の訪れもなく、日がな窓の外を眺めて暮らしていた。
「これから、どうしようかしら」
しっかり食べて休むと頭も回ってくるらしい。久しぶりに外に出てみようと、侍女に声をかけて庭へと出る。いつの間にか季節が変わったのか、それとも気候が違うのだろうか。暖かな陽射しのなか、緑がやさしく光っていた。
「少し元気になられたかな?」
上から声が降り注ぐ。ラーゴ伯だ。
「ええ。おかげさまで」
「それは重畳だ」
ラーゴ伯が鷹揚に頷く。それからは数日に一度、晩餐を共にしながらこの国のことを教えてもらうようになった。ラーゴ伯の話は機知に富んで面白く、晩餐の日を楽しみにしていることにエイラは気づいていた。
「エイラ殿、貴方は溶媒の素がどのようなものか興味はおありかな?」
「見せて頂けるのですか?」
「湖の色が違うのだよ。ああ、でも見てしまったらもう国には返せないかもしれないなぁ」
「帰るつもりはないので大丈夫ですよ」
帰るつもりはない。口に出したことでエイラは新しい一歩を踏み出したことを実感したのだった。
〜 商会長の独白 〜
俺は隣国の国境に向かい、ひたすら馬を駆けていた。お嬢がいなくなって3ヶ月、ようやく追いかけることができる。
お嬢が出ていった後は、予想通り大変なことになっていた。
先ずはジェラルド様が家中すっきりしてお嬢の姿が見えなくなったことに驚いて俺を呼び出した。俺はじろりとジェラルド様——いや、雇い主の旦那様を見遣って言ってやった。
「奥様は言われたとおり、最後の仕事だと身辺整理も肩代わりして出ていかれましたよ」
呆然と立ち尽くしていたが自分で決めたことだろう。その後、慌ててこれでは王女殿下を迎えられない、と言われたが知ったこっちゃない。まぁ、依頼された分は渋々、仕事をやっつけた。大いに不本意だったが流石に王家に不敬は出来ねぇ。
それから王女殿下を出迎えてすぐ、
「彼女は物分かりがいいんだ。納得して出ていってくれたよ」
などと臆面もなく旦那様が殿下に告げるもんだから、はらわたが煮えくりかえる思いをした。殿下も旦那様にまんざらでも無さそうだったが、国の英雄にしてはぱっとしない様子だからな。すぐに余所余所しい関係になり、使用人の前でも平気で諍うようになっていった。
王女殿下がつまらなく思うのも無理はねぇ。うちの旦那様の美点は騙されるくらいお人よしなところだ。正直、貴族らしい鋭いやり取りや社交は得意じゃない。当てが外れたんだろう。そういうのはうちのお嬢が得意だったからな。お嬢もわかってたんだろう。あー、俺の口が悪くなるのは勘弁してくれ。なんせ大事なお嬢をコケにされた身だ。
そうはいっても旦那様が酒で寂しさを埋めているのを垣間見ちまった日には、身の置き所のなさを感じたもんだ。
「僕はどうすれば良かったんだ。教えてくれエイラ……」
そんなの、今更じゃないか。貴族だからって先に線を引いたのは旦那様じゃないか。
俺は顔が熱くなるのを感じながらその場を足早に歩き去った。
雲行きが更にあやしくなったのはそれからすぐの事だった。王女殿下が陛下のお言葉を口にしているところに遭遇しちまったんだ。
「ジェラルド、あなたって前の奥さんがいないと何もできないの? 陛下も仰ってたわ。『使えるものだったのなら、なぜ放逐するなど馬鹿なことをしたのか』って。愛人にでもしたら良かったのに。私は構わなかったわよ?」
「あ、いや……」
さすが平民の扱いが軽いな。囲っておけってか。旦那様、ついていけてねぇ。同情はしねぇけど。
「私の王女としての体面はきちんと守ってもらえないと困るのよ。陛下も使える人材を送ると仰っていたから、あなた本当に頑張ってね」
これ、まずくないか。下手したらお嬢が便利に呼び戻されてしまう。
それで俺は焦って無理やり引き継ぎを終わらせて駆けてきたってわけだ。
ラーゴ伯はお嬢を引き留めてくれただろうか。待っててください。今、行きます!
ラーゴ辺境伯領に着いた。詰所で手続きをしているとお嬢の情報を教えてもらえた。よかった。無事、保護されていたようだ。屋敷につくと元気そうな顔に会えた。
「アルバ! お疲れさま! やっぱり来たのね」
久しぶりに見るお嬢の屈託ない様子に、安心する。
「無事、到着されたようだな。これで後顧の憂いはなくなっただろう。では浄化溶媒の原料の専属契約を終了するとしよう」
「クラヴィス様……」
お嬢がラーゴ伯を見た。なんだか親しげな呼びかけになっていないか。
「私が信頼に足ると思って契約した相手は貴方だ、エイラ殿。契約を終了するのは当然だよ」
優しげに告げるが、政治的思惑が透けて見えるぜ。こっちの国が安定するまで、ちょっかいかける余裕を与えるつもりはない、ってことか。こちらとしても願ったり叶ったりだ。さすがは辺境伯様だ。しかし、お嬢もわかってるんだろうが切れ者すぎるのも面倒だよなぁ。
まぁ、いざとなったらお嬢を連れて逃げ出そう。まだまだお嬢には俺の子守りが必要だしな。
(完)
読んでいただきありがとうございました。たくさんの感想をありがとうございます。いただいた感想は、全て嬉しく拝見しています。




