海辺の家では、水の話に返事をしてはいけない。
祖母の家は、海沿いの小さな町にあった。
夏休みを利用して、久しぶりに泊まりに行った。
古びた木造平屋。波音がずっと聞こえている。
居心地は悪くない。けれど、祖母は初日にこう言った。
「夜は、水に話しかけちゃいけないよ」
意味が分からなかった。
水に話しかける? なぜそんなことを?
「特に海水。あと、風呂も。台所の水もダメ。
返事してくるようになったら終わりだからね」
私は苦笑してうなずいた。
昔の人は変な迷信を信じるもんだなと。
それでも3日目の夜、事件は起きた。
風呂場の水を止めようとしたら――
水音が、誰かの声に聞こえた。
「……まだ、いる……?」
私は凍りついた。
振り向いても誰もいない。
だけど、水面が、唇のように震えていた。
怖くなって祖母の部屋に駆け込むと、
祖母は、既に正座して祈るように両手を組んでいた。
「喋ったの?」
私はうなずいた。
「返事、しなかったね?」
「……うん」
祖母は、小さく息をついた。
「まだ、大丈夫。今夜だけは、絶対に水を見ちゃだめよ」
夜中。水音がする。
風呂場じゃない。廊下から――いや、壁の中からも聞こえる。
「――ねえ」
「――ひとり?」
「――遊ぼう?」
声が、家じゅうの水道から、同時に囁いていた。
私は布団の中で震えながら、耳を塞いだ。
目も閉じた。息すら殺した。
すると、声がこう言った。
「じゃあ、明日また来るね」
朝、台所に行くと、祖母がいなかった。
代わりに、蛇口からぽたりと水が垂れた。
その水音が、こう言った。
「おばあちゃん、喋っちゃったよ」