守る力
霧が立ち込める森の奥。
ミコトは足元を気にしながら、倒木を越えて進んでいた。
何も食べていない胃袋が何度も悲鳴を上げる。
背後では、遠くで金属音が響いた。
追手だ――神の加護を受けた狩人たちが、地の果てまで執拗に追いかけてくる。
「……っ、くそ……」
小さな川に身を沈め、匂いを消す。
呼吸を止め、石のように動かない。
しばらくして、獣道を越えていく足音が消える。
「……まだ、生きてる。」
声にしてようやく、自分が生き延びている実感が湧いた。
それから、山の奥の廃村で、一夜を過ごす。
崩れた民家の中で、冷たい床に背中を預けながら、ミコトは自問する。
「本当に……殺すしかなかったのか……」
初めて人を殺したあの日。
閻魔の加護は、自分を守るために働いた。
だが、それが“正しい”ことだったのかは、未だに答えが出ない。
「俺は……化け物になりたいわけじゃない。」
そのとき、村の外からわずかな気配がした。
気づけば、子供のような足音が近づいてくる。
ミコトは咄嗟に身を隠す。木の影から覗くと、背負い籠を持った少女がいた。
彼女は近くの野草を摘んでいた。
どうやらこの廃村のさらに奥、わずかに残った民の家の子どものようだった。
ミコトは気づいた。
彼女の背には、微かに神力の気配がある。
(神力持ち……)
すぐに離れるべきだと頭では理解していた。
だがその時、少女が足を滑らせて崖から落ちそうになる。
「――っ!」
ミコトは迷わず駆け出した。
ほんのわずかな加護の力が身体を押す。
滑るように少女を抱え込み、ぎりぎりのところで岩を掴んだ。
「……た、助けてくれたの?」
ミコトは無言のまま頷いた。
「お兄ちゃん……あったかい……。」
少女はぽつりと呟いた。
ミコトの腕の中で、彼女の小さな手が震えている。
(俺は――)
人を殺した。
神に背いた。
追われる身だ。
それでも、誰かの命を救うことができるなら――
「もう、刃を振るわなくていい日が……来るのか。」
自分が奪った命と、今日守った命。
その重さは釣り合わない。
けれど、だからこそ一歩でも前へ――
その夜、ミコトは少女を家に送り届けたあと、何も言わず森の中へと姿を消した。
再び、闇に紛れて歩き出す。
命を奪うためでなく、守る力としてこの加護を扱うために。
――つづく。