観測者と迷宮の導き
霧の晴れ間から現れた、白く輝く空中の浮島。その上に広がる神殿のように荘厳な建物群――セラリオンの一角にある、古代の試練場。
そこにリュミナの足が導かれるように踏み入ったとき、空から降りてきた光の羽が舞い、数人の天使が姿を現した。
「記憶の鍵、確かに確認。座標、安定領域に到達」
先頭の天使が一歩前に出る。白銀の羽を広げ、蒼い鎧をまとったその姿は、静かな威厳を湛えていた。
「私はセファル。“理の記録者”にして、“観測の座”を任された者だ。この空域における全記録と、存在の揺らぎの監視を務めている」
リュミナはその名に聞き覚えはなかったが、どこか安心感を覚えた。
「記録者……あなたも、私のことを見ていたの?」
「正確には、“記憶の鍵を持つ者”の目覚めを観測していた。君がここに辿り着いたことで、いよいよ世界が転じ始める可能性が出てきた。だが、焦ることはない」
彼は一瞬、傍に立つ天使へと視線を向ける。無言で佇むその青年は、リュミナに人間に近い雰囲気を感じさせた。
「君の中に宿る鍵の力は、まだ未解放の状態にある。記憶の鍵は“封じられた記憶の地”で真価を発揮する。それがこの下層にある“迷宮”だ」
「迷宮……?」
「古代神々が遺した試練と記録の場であり、世界各地の大陸に点在している。迷宮を攻略しクリアすれば、天使または悪魔の記憶や能力を一部使用できるようになる。つまり、君の力を覚醒させる鍵がここにあるのだ」
「そんなにたくさんあるの?」
「迷宮はそれぞれ異なる特徴と守護者を持つ。君の旅は一つの迷宮から始まるが、いずれ全てを巡ることになるだろう」
セファルは真剣な眼差しで続けた。
「だが、迷宮は安全な場所ではない。影の侵食も進み、闇の存在が入り込み始めている。君一人での挑戦は危険だ」
そう言ってセファルは隣に控えていた天使に目を向ける。
「この者を同行させる。君の力を安定させ、試練に耐えるための助けとなるはずだ」
青年は一歩前に出て、静かにリュミナに向き直る。
「俺が案内する。かつて迷宮の入り口まで辿り着いたことがある。中の構造も多少覚えている」
リュミナは少し戸惑いながらも尋ねた。
「あなたは……誰?」
青年は、微笑んで答えた。
「……俺は、かつて人間だった者だ。今は天使として、こうして存在している。君と同じように、迷いと願いを抱いていた過去がある」
彼の目は、リュミナの心を静かに映し返すようだった。
「名前を教えてほしい」
「――イゼル。俺の名前はイゼルだ。これから君の旅を支えるため、できる限り助けたいと思っている」
リュミナはその名を心の中で繰り返す。
「イゼル……」
セファルはうなずき、光の羽を広げて空へと戻っていく。
「迷宮の扉は、君たちの前に開かれる。気をつけて、リュミナ。“理”の歪みは精神を試す。だが、それを超えた先にこそ真実がある」
静寂の中、ふたりだけが残された。
「さあ、行こう」とイゼルは言った。「迷宮の扉が待っている」
リュミナは深く息を吸い、頷く。
「この鍵で、きっと何かを思い出せる……そう信じたいの」
薄青い光に照らされた迷宮の入口が、闇の中に現れた。
リュミナの胸元で、記憶の鍵が震えた。
「君こそが、鍵だ――」
頭の中に響く声に、少女は目を細める。
「この声……誰……?」
イゼルがそっと微笑んだ。
「鍵を開けるのは君自身。でもそれが真実かどうかは、まだ誰にもわからない」
石扉がゆっくりと開き、迷宮の深い闇が彼女を迎えた。