ある不良生徒について-4
「やあタキ。待ち侘びてたよ、この時を。」
電話越しに聞こえる声は嫌に警戒で、こちらが鬱陶しいと思うほど明るい。電話越しの菜名宮は、異常なほどに上機嫌だ。
時刻はおおよそ7時ごろ。ついこの間までこの時間は真っ暗だったはずなのに、今となっては窓から覗く景色もまだオレンジ色に染まっている。
「お前はいつでもウザいな。」
「どうもありがとう。」
「褒めてないんだけど。」
俺は鞄をほっぽり出し自室のベットの上に寝そべっている。こんな時間帯だが、親も妹も帰ってきていない。夕飯を食べる気にもなれず寝ようとしたところで電話がかかってきて、今に至る。
「んで、雛城のことについて話すんだろ?」
「ああ、そうだったね。」
んんっ、という仕切り直すような声が聞こえた。
「今日の昼前にタキにして欲しいことは伝えたよね。」
「聞き手だろ?」
「そう。私が周りの人に芽衣奈ちゃんのことを聞いてるうちに、タキには周りの人がどんな話をしてるか聞いていて欲しいといった。そこは大丈夫?」
「ああ、わかってる。」
菜名宮の言い方は形式じみていて、確認事項をおさらいするような話し方だ。
こうして一個一個、順番に要素を押さえるようなことを菜名宮はたまにする。確か一つ一つ要点を押さえる話し方は、建設現場の作業前に安全確認のために行われることもあるそうだ。危険を未然に防ぐ、という意味合いで危険予知活動。略してKY活動。多分こんな略し方はしない。
「よし、OK。なら率直に聞くけど、みんなはどんなこと話してた?」
「どんなことって言われてもな…何を話せばいいかわからん。」
「聞いたこと何でもだよ。芽衣奈ちゃんの特徴とか、学校の様子とか、どんな印象か、とか。」
「何でも、ねえ」
昼間から放課後にかけて、周りの会話を盗み聞きしたが、雛城に関して話しているところは少なかった。あの昼休みの話を除けば、せいぜいもう1か2グループの話を聞いた程度だ。それでも俺が知らないことを話している所は多かった。そこを上げていけばいいだろうか。
「一番意外だったのは、雛城が中学の時はあんな感じじゃなかったことだな。」
「具体的には?」
「雛城って中学時代、真面目なやつだったらしいんだよ。委員会とかにも所属してて、かなりの優等生だったらしい。」
昼頃の会話に、多分佐川あたりが話してた内容だ。中学時代はテストの点数もよく、真面目な生徒であった、と。
「同じ中学だった奴がいたみたいなんだが、真面目すぎて嫌われていたレベルらしい。」
「ふーん、なるほど。」
電話越しの菜名宮は、どこか遠くに向けているような声をしていた。それは話を聞いていないようにも思えるし、俺のことを馬鹿にしてるようにも捉えられる。菜名宮の相槌はいつもこんな感じだ。
「結構意外だったな。屋上で会った時は授業サボってるし、服装も乱れているしで不真面目なやつだと思ってただけに。」
「そう?意外かな?」
「どういうことだ?」
「どういうことも何も、芽衣奈ちゃんが真面目だったことだよ。」
「は?」
「あれ、タキにはわからないかな?」
ふと電話越しの声の声音が上がる。それはいつも、俺を揶揄う時の菜名宮の声とそっくりだ。電話越しに、菜名宮が笑っている姿が容易に想像できる。
「今日芽衣奈ちゃんと屋上で会った時、どんな格好をしていた?」
「いきなりなんだよ。」
「いいから答えて。」
「服装、ねえ。確かショートヘアの茶髪に、髪留めを何個か付けてて…あとはスカートが短かったくらいか?」
「そうそう、大体そんな感じ。タキがちゃんと覚えてるなんて珍しいね。」
「俺は何だと思われてるんだ。」
「周りに興味がまるでないコミュ症陰キャ。」
「言い過ぎだろ。」
菜名宮って俺のことそんな風に思ってたのかよ。結構一緒にいるつもりだが、菜名宮が俺のことをそんな奴だと思っていたなんて悲しいよ。
「じゃあ聞くけど、同じクラスの女子の名前はちゃんと言える?」
「女子どころか男子も怪しい。」
「ほらね。」
クラス始まって1ヶ月とかで全員の名前覚えられるわけない。交友関係ある奴ならまだしも、接点ないやつなら特に。
覚えないといけない理由か、めちゃくちゃ目立つような特徴を持っている奴じゃないと名前が覚えられない。こんなこと言ってるから万年友達がいないんだろうか。
「はあ…それで、雛城の服装がなんか関係あるのか。」
悲しき真実から目を逸らすために、話題を切り替える。友達なんてできなくても、まあ何とかやってける。今までの人生過ごせているってことは何も問題ないのだ。
「そんな話してたね。」
そんな話って…だいたいいつも菜名宮のせいで話が逸れていっているんだけどな。
「率直に聞くけど、タキは服装を見てどう思った?」
「何というかすごい服装してんだな、と。」
「すごいって?」
「あんなの着てたら目立つだろ。まあなんというか、派手な服装してるように見えたな。」
「確かに芽衣奈ちゃんの服って、結構派手といえば派手だったね。」
朝顔先生に限らず、色んな先生と雛城は話をしているはずだ。その時に服装についても言及はおそらくされているだろう。それにも関わらず、あの服装を続けているのなら先生は手を焼いたのでないだろうか。
「でもさ、一つ重要なこと忘れてない?」
「重要なこと?」
「他ならぬタキ自身が言ってたことだよ。」
「は?なんか言ってたっけ?」
「覚えてないの?」
再度今日の屋上についての記憶を掘り返すが、俺は何を言っていたか、それが思い出せない。覚えてるのは精々、菜名宮のひっつき虫的なことを言われたくらいだ。菜名宮にくっついてノコノコついてきた的なこと言われたのは忘れてない。
菜名宮は間を一つおくと、再度口を開いた。
「芽衣奈ちゃんは、何も校則違反してなかったよね?
」
「あ。」
言われてようやく思い出す。確か菜名宮が服装について言及してた時に、そんなことを言った覚えがある。他ならぬ菜名宮が作った校則を、雛城芽衣奈はしっかりと遵守していた。
「マジで覚えてなかったんだね。」
「ああ、全く記憶になかった。」
今日の昼の自分の発言を思い出せないのは、なかなかに記憶力がよろしくない。文系なのに地理世界史が全然点数を取れない理由がはっきりとした。
「芽衣奈ちゃんは学校の授業をサボりはして自由な格好をすれど、校則をはみ出すようなことはしていない。これって結構変じゃない?」
「確かに…なんでわざわざ校則なんて守ってるんだ。」
「校則って普通は守るものだけどね。」
「校則を守れないから自分で作り替えた奴はどこのどいつなんだろな。」
「そんな人がいるんだ。すごいね。」
「鏡見て来い。」
1年の時に、菜名宮は校則を作り替えた。入学して僅かの時期に、体育館の壇上に立ち校則の改定を宣言した姿が思い浮かぶ。
いきなり放課後体育館に呼び出されて放課後が潰された上に、校長のながったるい話を聞かされた。それが終わり、ようやく帰れると思った矢先に突然菜名宮はそこに現れた。あの時はイカれてる奴だなぁとか思っていたが、実際イカれてた。
「まあまあ、その話は置いといて。芽衣奈ちゃんが服装において校則違反をしてないって話に戻そう。彼女は朝顔先生が『更生』させてほしいなんて言ってるような、いわば不真面目な生徒なんでしょ?ならば、なぜ彼女は彼女はわざわざ校則なんかを守ってるのかな?」
「よくよく考えれば意味不明だな。要は、雛城は服を着る時にわざわざ校則を気にしてるってことだろ?何でそんなめんどくさいことを。」
授業をサボって、日中を屋上で過ごすようであれば、正直言って校則とか気にしなくてもいいのだろうと思う。少なくとも、忙しい朝の時間にわざわざ生徒手帳を開いて自分が校則違反していないか確認するのは、不真面目な生徒がしているにはいささか疑問だ。
「だから、意外じゃないんだよ。」
「意外じゃない…そういえばこの話、雛城の中学時代から来ていたな。」
「多分だけど、芽衣奈ちゃんって根から悪いみたいなタイプではないんだよね。少なくとも、タキが聞いた中学時代の話が嘘ではないと確信できるくらいにはね。おそらく彼女はどこか真面目で、校則違反するのが躊躇われた。」
真面目すぎて煙たがられていた中学時代を、雛城は持つと言われていた。それが雛城の本当の性格ならば、菜名宮の話にも納得はいく。
「でも、授業サボるような奴が根は真面目とかあるのか?」
「案外不自然じゃないよ。人は大抵どれだけ表面を画面で繕っても、自分の本当の性質に逆らえなかったりもする。」
「まあ言いたいことはわかる。」
この世には嘘をつくことが苦手な人がいるが、その中でも大きく2種類に分類することができる。一方は単純に演じるのが下手な人。そしてもう一方は、自分が嘘をつくことを心のどこかで許せない人である。いくらうまく嘘をつくことができても、本能的に嘘をついている自分が嫌だと思う人間がどこかにいる。
彼らは自分が嘘をついていると理解するだけで、どこかで自分を嫌ってしまう、またはだめだと思ってしまう節があるのだ。
これは一種の例えであるが、人間にはどれだけ隠そうとも大抵は心の中では隠しきれない何かを持っている。
「でしょ?それに芽衣奈ちゃんの中学生時代について面白い話がある。」
「面白い話?」
「そう。雛城ちゃんは、体操の世界ではそこそこ知られていたってこと。」
「体操…平均台とか跳馬とかのあれ?」
めちゃくちゃ鉄棒でグルングルン回ったり吊り革みたいなやつにぶら下がってるやつか。うちの高校でも、体育館の端の方で活動をしている。
「オリンピック種目にもなってるあれだよ。その中でも芽衣奈ちゃんはどうやら、すごい選手だったみたいでね。中学3年生…今から2年前だね。総合体育大会で、全国3位の成績を残してる。」
「え?それマジ?」
総合体育大会、略して総体だったか。それは全国の中学生が出場する、日本で一番大きな競技会である。
「本当だよ。私も周りから話を聞いて驚いたんだけどね。」
電話越しにカタカタ、カタカタとキーボードを鳴らす音が聞こえた。
「床全国7位、跳馬全国4位、並行棒全国2位。そして大会新記録での、平均台1位。並々ならぬ成績を残している。」
「マジの全国トップじゃねえか。」
今日昼頃と放課後、2回雛城を見かけたが運動をバリバリやっているようなタイプに見えなかった。側から見れば部活すらしておらず、ずっと遊んでいるような見た目にさえ感じる。それが実際は全国クラスのトップ選手とは思いもしなかった。人を見た目で判断するなという言葉は案外正しいらしい。
「結果からもわかるように、特に平均台はすごかったみたいでね。ついた異名が『平均台の舞姫』らしい。」
「なんか絶妙にダサいな。」
舞姫という部分はともかく、頭についてる平均台がなんかダサい。あと舞姫で特別感が出てるのに、平均って言葉がつくのもよくないな。なんか普通な感じがしてる。
「それは同感。ただ、芽衣奈ちゃんは今の見かけからは想像ができないような子だったみたいだね。」
「全国で3位なんて、並大抵の奴らじゃ届きもしない世界だしな。」
菜名宮の言う通り、雛城は俺が思っていたようなただの授業をサボっている生徒ではないらしい。どうやら雛城に対する認識を改める必要がありそうだ。
「さて、こうなると一つ疑問が生まれる。昔は真面目で体操に打ち込んでいた芽衣奈ちゃんは、なぜ今こんなことになっているんだろうね。」
「まあ今と昔の様子を比べると、正反対って言ってもい感じだったしな。」
授業中の屋上で、あるいは放課後の廊下で見かけた雛城の姿は少なくとも周りからの証言で得られた、あるいは推測された中学時代の雛城からはかけ離れている。真面目で全校レベルに達するまで体操に打ち込んでいた雛城と、授業をサボり、服装を乱し、どこかつまらなさそうに世界を見ているような雛城。一体どちらが本当の雛城なのだろうか。なんて安直な疑問ではある。
しかしその非対称的な2つの性質は、間違いなく1人の人間が持っているものである。どちらが本物でどちらが偽物か。なんて考えは野暮だ。その両方とも雛城なのだ。
例外は同姓同名のやつがたまたまいるパターンくらいだろうか。ただ、雛城という名字も芽衣奈という名前もどちらもよく見かけるものではない。その可能性はまずないだろう。
ならばなぜ、雛城は中学と高校でこんなにも印象が違うのだろうか。
「何で芽衣奈ちゃんがこんなに変わってしまったのか、知る必要がありそうだね。」
「ああ、そうだな。」
「人が変わりゆく理由なんて数え切れないほどある。それこそ十人十色というやつだろう。だから、安直な推測では、人の心を本質的に理解することはできない。」
菜名宮は言葉をそこで一旦区切り、そうしてまた口を開いた。
「次のステップに行こうか。」
電話の向こうの菜名宮の姿なんて見えないはずなのに、なぜか俺には自信満々な奴の姿がはっきりと思い浮かんだ。
いくら夏が近づいているからと言って、日本では夜が訪れない日なんてものはない。世界の極北へと向かえば一日中太陽が登っていたり、あるいは逆に太陽が登らない日があったりするが中緯度地域に位置しているこの国ではまずそんなことは起こり得ない。
窓から見える夜の景色は、いつも通り変わり映えがない暗さをしている。まるで絵の具をベタ塗りしたような単調な色の闇を、毎日毎日繰り返しているだけだ。
夕食を食べた俺はリビングに置いているソファーに寝っ転がって動画サイトを見ていた。ココアを入れてイヤホンを装備し、万全の体制である。夜の時間をこうして無碍に過ごすのは、俺にとっての楽しみだったりする。誰に何を言われるでもなく、ただ気ままに動画を見て時間を潰す。大体の現代人なら結構な頻度でこんなことをやってるのではないのだろうか。本当に至高。この何も考えてない時は、とても気楽なものだ。まあ、後で大抵何で無駄な時間を過ごしていたんだろうって後悔することが多いのには目を瞑る。
とにかくこの時間は楽しいのだ。…これを絶対に邪魔されないといえば嘘になるのだが。
「にぃ、邪魔なんだが。」
そんな声と共に、俺の腹部に強烈な痛みが走った。
「いったあ!」
衝撃の走った方を見ると、寝巻き姿の妹、南が手元にコーヒーを持ちながらこちらを睨んでいる。
「何?」
俺はイヤホンを外して南を睨み返した。いきなり何なんだこいつ。
「ソファー独占しないでよ。座れないじゃん。」
「いや、1人用のやつに座れよ。」
「そっちだとテーブルが遠いんだって。」
「知らねえよ。」
家のリビングには3人掛けのソファーが一つ、その左と右に、1人掛けのソファーが向かい合うように置いている。中心にローテーブルが鎮座している、割とよく見る構図をしている。
俺が寝転んでいる3人用のソファーは、端っこの2つに比べて幾分かローテーブルに近くなっている。リビングで作業をするなら、大抵俺も南もここに座っていることが多い。
南の方を見ると、手元には原稿用紙のような大量の紙束と何種類ものペンが入った透明のケースを、コーヒーを持つ手と反対側に持っている。
「何、また漫画でも描いてるの?」
「漫画じゃなくて同人誌。地域のイベントに出すんだけど、締め切りが今週末なんだよ。」
「またギリギリまでやってるのか。」
「いい話が思いつかなかったんだよ。具体的なシチュも書けなかったし、ようやくまとまったところ。」
篠末南、俺の2個下の妹はいわゆるオタクという人種である。毎日夜遅くまでアニメを見ていたり、時たまアニメイトに行っては、推しキャラのグッズを買ってくるような、よくいるタイプのオタクである。おかげで南の部屋は大量のアクリルスタンドやポスターで飾られており、ごちゃごちゃしている。俺も時々アニメを見たりゲームをしたりすることはあれど南ほどではない。少なくとも、俺は徹夜でアニメを見るなんてしないし、そもそも体力がないからできない。気づいたら爆睡してしまっている。
南は今、同人誌を書いているらしい。まあオブラートに包んでいるが、書いているのはBLだ。男子同士の純愛とか、夜の行為なんかをストーリー仕立てにして漫画風に描いているのだ。そうして出来上がったものを、地域のイベントに出す活動を妹は最近始めた。
「はあ…BLねえ。どこがいいんだか。」
独り言のように呟くと、南はこちらへと強烈な視線を送ってくる。
「にぃにはわかんないかもしれないけどさあ!BLってめちゃくちゃいいんだよ?まずさあ、男同士はないなんていう人多いんだけど、それがいいの!」
「あ、おう。」
「世間では男同士の恋愛なんてあまり受け入れられない。だから自分が男が好きってことを隠しているキャラたちが、自分の好きな人の前だけでは、本当の姿を見せる。そのギャップ!」
「うん、わかった。今度聞くわ。」
多分この話を聞いてたら終わらなさそう。南は本当にオタク熱がすごい。一度この手の話をさせたら、終わる頃には太陽が東の空に出ている。だから俺徹夜得意じゃないんだって。
一度南の熱に押されて、BL(南がいうには優しめのやつらしい)を読んだのだが、正直俺はあまり好きじゃなかった。「本質は少女漫画だから!」と南は語っていたが、そもそも俺少女漫画読まないし魅力がわからない。
「嫌い」というよりは「興味が持てない」という方が正しい。そもそもBLという話の魅力が何なのか、この世界がどんなものなのか、そもそもの前提知識として俺はそれらを知らない。
いつも南には勘違いされるが、決して妹の趣味を否定しているわけではない。俺はBLという世界を嫌いではないからだ。というより、好き嫌いという感情を持てるほどBLとやらを知らない。表面上を見ただけで、何となく気持ち悪い。そんなあまりにも浅はかな感想で他人の好きなものを否定できるほど、俺は賢くはない。知らないのなら否定も肯定もするなかれ。これはずっと、俺の中の考え方として一貫している。
「まあにぃも、いつかBLの魅力がわかる日が来るよ。」
「多分だけど来ないな。」
俺が小さく呟くと、今度はさっきよりもちょっと弱くお腹に衝撃が走った。それでも割と腹部にクリティカルヒットしたため痛みを感じる。
「何で腹蹴るの?」
「ムカついたから。」
「ムカついたで人を蹴るなよ。」
「他の人にはこんなことしないよ。にぃだけの特別。」
「そんな特別いらねえ。」
あれ、ちょっと前にもこんなやりとりを誰かとした気がする。なんかデジャブだな。
南は可愛らしい仕草でこっちを覗いてくる。それは俺が知っている生意気でよくボディーアタック(物理)を仕掛けてくる妹からはかけ離れていた。多分これが学校で擬態している時の姿だな。オタクの姿は肩身が狭いとこの前ぼやいてたし、学校だとこの調子じゃないんだろう。南も大変なんだなぁ。
「とりあえずそこどいてくれない?」
南は相変わらず可愛らしい仕草で、しかし言葉遣いは全く可愛げなくそんなことを言った。
「嫌だと言ったら?」
「さっきの3倍の威力の回し蹴りが飛んでくる。」
俺は立ち上がった。思考する過程を飛ばして、本能的に。
さっきの蹴りでも普通に痛かったのに、あれの3倍が飛んでくるとなると多分普通に悶絶する。当たり箇所によっては普通に夜ご飯が出てくる。空手黒帯の妹の蹴りを流石に喰らいたくはなかった。
「ものわかりがいいね。」
「そんな脅しされたら誰だって立ち上がるわ。」
「何のこと?」
「しらばっくれやがって。」
南に抗議の視線を送りつつも、物理的な勝負になると勝てないのは分かりきってるので大人しくソファーを開ける。俺がソファーの左側に行くと、南はご満悦そうに、3人掛けのソファーに向かった。
そうして俺は左のソファーに、南は真ん中のソファーに座った。ばさあ、と大量の紙が机の上に広がった。コマ割りが描かれ、薄さがバラバラのいくつかの絵が描かれている。
「受験生なのに、こんなの描いてて大丈夫なのかねえ。」
「何、こんなのって。」
「いや、南が同人誌だっけ?それを描いてることを否定するつもりはない。でも、受験の方は大丈夫なのか?」
南は今年高校受験を控えている。まだ入試が近いわけではないが、それでも中学3年生の今の時期は受験シーズンという流れはあるだろう。もうすぐ夏休みでもあるし、そうなればいよいよ受験モードに突入という感じではないだろうか。
「問題ないよ、多分何とかなる。」
「何とかなるって…勉強は毎日してるか?」
「してないけど。」
「心配だな…」
「私頭はいいから大丈夫だよ。少なくとも志望校は問題なくいける。」
「南って志望校どこなんだ?」
「あれ、言ってなかったっけ。にぃと同じところだけど。」
「うちくんの?」
「うん。」
南は自分でも自負しているほど頭がいい。それは天性のものではなく、地道に努力を重ねてきたからこそである。それは南自身が自覚していることだろうし、側から見ても人一倍努力していると言える。
少なくとも俺よりは賢いので、俺と同じところにくるのは問題ないと言うのは本当なのだろう。しかし、そもそも南がうちの高校を志望校としているのに驚いた。
「通ってる身として言うけど、うちの高校ってそんないいところじゃないぞ?家から遠いし、謎の課題とか多いし、後色々なんかルールがあるからめんどくさい。それでもいいのか?」
「そこは理解してるよ。それでも行くつもり。」
南のその表情は嘘には見えない。本当に、うちの高校を志望校としているのだろう。
「…考えがわからん。なんでうちに来るんだ。」
「にぃは私が同じところに来るのが嫌?」
「いや全然。どっちかって言うとむしろ歓迎だけど、それはそれとして理由がわからん。この前は行きたくないとか言ってなかったか?」
「気持ちが変わったんだよ。にぃを見ててね。」
南はソファーより低いローテーブルに向かって前屈みになりながら、手元のペンをくるくるとさせている。視線は机の原稿の方に向かっていた。
「俺?」
「うん。にぃって中学の時暗かったじゃん?」
「何で俺いきなり刺された?」
「とりあえず聞いて。…にぃって暗かったでしょ?」
「暗いという意味では今もだけどな。」
いまだにクラスのやつと交流がほとんどないし何なら名前覚えてない。高校に入ってからは体育のペアはずっと先生である。自慢じゃないが生粋の陰キャだ。よくこんなやつの妹が立派になったよなぁ。
「…そう。」
南は、何とも言えない感じの表情をしている。…なんか悪いことした気分になったんだけど。俺悪くないはずなのに。
「まあ、にぃは今も暗いのかもしれないけど少なくとも中学時代よりは変わったよね。」
数秒の沈黙ののち、どよんとした空気を払拭するように南は明るい声でそんなこと言った。なんかごめん。
「中学時代とそんなに変わってるか?」
「変わってるよ。少なくとも前は今よりはずっと酷かった。中学の時はなんかもう全てに否定的で、人類全員を憎んでるって感じしてたし。」
「本当にそれ俺のこと?」
中学時代を遡ってみるが、全く覚えてない。今よりはまあつまらないような生活ではあるので、昔よりは充実してるのだろう。というよりとあるやつのせいで良くも悪くも今が退屈にならない。これを人生に色があるなんていうのだろうか。
「にぃのことだよ。昔はめちゃくちゃネガティブだったじゃん。それが今は普通というか。」
「そこはポジディブじゃないんだな。」
「にぃは自分がポジディブだと思う?」
「いいや全く。」
俺が楽観主義者であるならば、人類の大抵はどうしようもなく明るいし多分地球に『絶望』なんて単語はなくなる。流石に言い過ぎたが、俺は少なくとも物事をプラスに捉えるような考え方を普段から持ち合わせていない。
「だよね。それでも、昔よりは物事に対して肯定的になってる。」
「実感はないけどな。」
「にぃに自覚はなくても、近くで見ている私にとってはそう感じたんだよ。にぃがこんなに変わったのって高校始まってからなんだよね。だからさ、多分面白い学校なんだろうなぁって思って入る事にしたんだよ。」
「そういうことか。」
南が志望校をうちにした理由が何となくわかった。俺が色々と変わったから、高校はいいところなんだろうと判断したのか。
「半分合ってて、半分間違ってるな。」
「どういうこと?」
「俺が変わったのが、高校のせいだと思ってるんだろ?だったらそれは半分正解だ。だけど、全部正解というわけではない。」
南が言う高校時代になって俺が変わったという原因は高校が直接的なものではない。高校は間接的という意味では影響を与えているかもしれないが、確実に高校が全ての原因ではない。というか、高校に通い出したからと言って俺みたいな人類は普通は何も変化しないものだ。自分から意図的に変わろうとしない限り、人の性格とか性質とかそういったものはずっと同じである。
直接的な原因はやはりあいつだ。マイペースで、能天気で、誰よりも優しく、誰よりも正義感にあふれ、それでいてところどころ怠惰で、授業をサボりがちな、隣の席のあいつだ。
菜名宮六乃という人間が、俺の何もなかったはずの高校生活を退屈ではなくしているのはあまりにも明々白々である。おそらくあいつがいなければ俺の人生は何もなく、平常な毎日を送っていたことになるのだろう。それを許さないのが菜名宮六乃だった。高校はあくまでも菜名宮と出会うきっかけになった場所にすぎない。そういった意味では高校が俺を変えたというのは半分正解で、半分不正解である。
「俺は高校でめんどくさい奴と知り合いになってな。そいつに色々振り回されてるせいで俺の性格は多分変わってる。だから俺と同じ高校に行ったからって、南に必ずしもいいことばっかであるとは限らないぞ。」
「めんどくさい奴って、にぃがいつも口にしてる人?」
「そう、そいつのせいだ。」
「ふーん。」
南はこちらから天井の方へと視線を移した。ペンを顎の下に当てて、何かを考えているような仕草をしている。
「だからまあ、うちに来るのは好きにしろ。俺はどうなっても知らん。」
俺は俺の人生を歩んでいるし、南は南の人生を過ごしている。南はもちろん大切な妹であることには違いないが、だからとて南がどこに行こうと口出しをするつもりはない。意見やアドバイスをしたりはすれど、南の決定に反対するつもりはない。南の人生は南自身のものであるからだ。
「よし、決めた。やっぱりにぃと同じところに行く。」
「…マジ?」
それはそれとしてやっぱり意見は言う。正直うちの学校ってあんまりいいところじゃないからな。うちよりも近くて、賢い学校なんていくらでもあるし、南が好きそうな雰囲気のところもある。わざわざ南が来るには、いささか合わないような気がするのだ。
「にぃの考え方が、雰囲気が変わるような人がその学校にはいるんでしょ?」
「まあ、そうだな。」
「そんな人が行くって決めた学校なんだよ?絶対面白いに決まってるじゃん。だからにぃと同じところに行く。もう決定。」
「そうか。」
南の顔には決意が見えている。久しぶりに見たその顔はあまりにも可愛げであるが、それでいて絶対的に揺るがない自信を持っている。顔の良さも一度決めたことは絶対筋を通すその頑固さも、やはり相変わらず親譲りのようだった。
「にぃはやっぱり不満?」
南はこちらを振り向いては、そんなことを言う。
「いや別に。好きにしろ。」
妹が決めた決断なら、否定するつもりはない。ただもし妹に何かがあった時に、自分にできることは最大限しよう。心の中でそんな小さな決意を秘めた。