ある不良生徒について-1
窓から吹き付ける風は少し暑さを感じさせるくらいになり、ほんのりと春の雰囲気は感じさせつつも夏の比率が勝ち始めたくらいのある日のことだ。
辺りではクラスメイトが各々、仲のいい人と集まり雑談に興じている。
HRが始まる前の朝の時間帯はちょうどいい気温で、ゆったりと過ごすには快適だ。今日も今日とて、友人がほとんどいない俺はこうしてクラスの端っこで誰にも目をかけられることなく一人で佇んでいた。
キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴り、それと同時に担任が教室に入ってきた。
教室のいろんな場所に散らばっていた人たちもその音を合図に各々の席へと戻っていく。大体の生徒が座ったのを見越して担任が出席の確認を取り始める。
ガラーン、と俺の隣、遠くの方、場所で言えば教室の後ろのドアが大きな音を立てたのはその時だった。
「おはようございます!」
開いたドアからそんな明るい声が聞こえる。クラスの皆の視線がそちらに向いた。
そこに立っているのはショートカットの黒髪に、明るい印象を与えるような表情をした1人の女子高生である。
菜名宮六乃は今日も今日とて元気いっぱいに挨拶をしながら教室の中へと入ってきた。
「おはよ〜ろくちゃん!」
「今日もまたギリかよ。」
菜名宮の存在を見かけて、男女問わず皆が反応がする。菜名宮はそんなクラスメイト一人一人に返事をしながら、教室の中を進んでいく。
「菜名宮、お前また遅刻か。」
担任は出席簿をポンと机に置きながら、呆れたように菜名宮の方を向く。
「チャイム鳴ってる途中なのでギリギリセーフです。」
明るい笑顔で菜名宮は先生の方に振り返った。
「いや、チャイムが鳴っている時点で…ああいい。大丈夫だ。」
担任は菜名宮に何か反論しようとして、しかし途中でやめてしまった。
はあとため息をつきながら出席簿をまた開いて欠席者がいないか確認をしていく。
そんな先生の表情を横目に、菜名宮は俺の隣の席に腰掛けた。
「おはよう、タキ。」
「遅刻しながら堂々と入場するな。」
「チャイムが鳴ってないから遅刻じゃないよ。」
「校則ではチャイムが鳴るまでに登校しないと遅刻だ。」
「校則なんて所詮飾りだよ。なんの意味も持たない。」
「いや意味持ってるから。ルールだから。」
「私がルールに従うとでも?」
菜名宮は肩にかけたカバンを机の上に下ろした。
「まあ従わないわな。」
「流石だねタキ。私のことよくわかってる。」
菜名宮はこちらを向いている顔に笑顔を浮かばせた。
隣の席の住人である菜名宮は、学校一の問題児だと言われている。
遅刻や無断欠席は頻繁によくする上に、服装も乱していることが多い。まさに模範という言葉からはかけ離れたやつで、教師も手を焼いている生徒である。
とにかく何かに囚われているのが嫌いであり、常に自由であることを信条に生きているらしい。自由であることと遅刻することは違うと思うんですけどね。
誰に対しても気後れしない性格とその明るさから、男女問わずに人気が高いやつでもある。実際、菜名宮に憧れているという生徒の噂は何度聞いたことか。
遅刻した菜名宮に対して呆れの表情を見せるも、彼女はまるで知ったことのないかのように鞄から教科書を漁り出し、カバンの中に入れていく。
着崩した制服の首元からは、時折銀色のペンダントが見えた。
菜名宮六乃は、今日もまた自由である。
お昼休みになり、俺は事前に購買で買っておいた数個のパンを持って教室を出た。影なるもの特有の速歩きで、学食や外にお昼を食べにいく生徒の間をそそくさとすり抜けていく。
多分俺の存在を認識しているやつはこの中の1/3もいない。俺の隠密スキルをもってすれば、存在に気づくことは難しい。ただ影が薄いだけだろとかは無しで。
俺の通う学校は校舎が北と南に分かれており、普段授業を受けている教室があるのは南校舎の方だ。
北校舎には音楽室や美術室といった特別科目の教室が固まっており、文化部が活動していることが多いため、文化棟なんて呼ばれ方もしている。
誰もいない渡り廊下を歩いて、俺は文化棟に来ていた。
放課後ならば部活をしている生徒も多いためそこそこ盛んな文化棟だが、昼休みにはまるで人影がない。コトコトとスリッパと廊下が重なり、擦れる音しか聴こえないほど静かである。
文化棟をしばらく歩くと、ある一つの教室が見えてくる。北側の校舎自体、普段は授業をする教室がある南校舎に比べて使われる機会が少ないため、うすら汚れていることが多い。そんな校舎の中でも、特に暗い印象を与える教室がある。
会議室3と書かれたほとんど見えなくなっているプレートがかかった教室のドアを、俺は開いた。
中央に無造作に置かれた椅子と散らばったいくつかの机。レイアウトだけ見れば会議室をイメージできるが、しかしまるで使われているような形跡がない殺風景な場所に、菜名宮はその一角に座っておにぎりを頬張っていた。
ドアが開く音を聞いたのか、菜名宮はこちらを振り向いた。おにぎりを頬張った様子はまるで食事を溜め込んだリスのようにも見える。こいつを動物で例えた時に、リスかと聞かれれば絶対そうじゃないけど。
「そろそろこの部屋掃除しないのか?」
開口一番に俺は菜名宮に聞く。ほとんど使われている形跡がない会議室3は、現在菜名宮と俺が昼食を食べるために占有している。
ほとんど人が寄り付かないので、当たり前だがほとんど掃除もされない。そのため、机の上や床が結構汚い状態なのだ。健康面に実害が出るほど汚いわけではないが、潔癖症の人間が見たら悶絶するくらいの汚さをしている。
「別にまだ気にならないし、いいかなぁって。」
「気にならないとかの問題じゃないんだよなぁ。掃除の当番お前だろ。」
「そうだっけ。」
「…はあ。」
とぼけているのか、あるいは本心からの疑問なのかわからない反応に呆れながら、俺は菜名宮の前の席に座る。菜名宮の方はといえば、おにぎり片手にタブレットを覗き込み小難しい顔をしていた。
「日本人とアフリカの人じゃあ、識字率がまるで違うみたいだね。」
俺がパンの袋を開けた時、菜名宮は突拍子もなくそう呟いた。その視線は、タブレットの方から動かない。
「いきなりどうした。」
「今さ、各国の教育状況のグラフを見てて気がついたんだよね。アフリカとか他にも一部の国では、著しく文字を読める子供が少ないらしい。」
どうやら菜名宮は、アフリカの識字率に書かれたニュースを読んでいるようだ。iPadをスライドさせながら、時折眉を潜ませている。
「ほんといきなりだな。」
なんの脈絡もなくいきなりそんなことを話してきた菜名宮に、眉を顰める。
「アフリカじゃ、結構多くの地域で教育がまともにされていないから仕方がない。ほとんどの家庭は学校に子供を通わせるお金がないほど貧困で苦しんでいるし、そもそも子供が貴重な働き手となっているなら尚更学校に行かせようなんて思わないだろうな。」
「子供が働き手、ねえ。」
菜名宮が意味深にぼやいた。
相変わらずタブレットから視線を離さず、画面をしっかり見続けている。食事中に電子機器触るなって言いたいが俺も家ではよくしているのでなんも言えない。
「何をしようかな。」
そう言いながら手を顎の下に当てて、菜名宮はまるで探偵のように考える仕草をとっていた。
おそらく、ほとんどの人は菜名宮の言葉の意味が瞬時には理解できない。いきなり何言っているんだとなるだろう。
ただ菜名宮とそれなりの時間を過ごしてきた俺には、その言葉の意味がすぐにわかった。
「まあ手っ取り早いのは現金の寄付か、教育資材を送ること。現地でのボランティアなんてのもあるけど、高校生が行くにしては時間も費用も足りないからな。」
「なるほど…なら教科書を送ろうかな。」
「あてはあるのか?」
「ない。けど準備するよ。どこに送るのがいいかも調べなくちゃいけないね。」
そう言いながら、菜名宮は手に持ったタブレットになにやら打ち込み始めた。
菜名宮という人間は、何よりも弱者のために行動する人物である。
誰かが困っているのを見つけたらすぐに助けに行くし、困っている被害者がいればどんなに身を払っても解決しようとする。世話焼きという言葉が似合うやつだ。
例えばこうして貧困に悩んでいる人がいたとして、多くの人は「そんなことあるんだ」と関心を抱く程度だろう。一部の人は「何かできないかな。」と考えたりして、さらにごく一部の人は募金や支援なんかの方法を調べるかもしれない。
俺だって多分、せいぜい何かできないかなと思う程度のやつだと思う。
ただこいつは違う。困っている人が存在することを知れば、菜名宮はすぐに助けに向かう。それが手に届かない場所でも、必ず何かしら助けようとする。
菜名宮には、何かできないかと考える時間など存在しない。困っている人がいたら、ただ助けようと動き出す。それはもはや本能の域に近い。
菜名宮が多くの人に好かれる要因の一つに人のピンチに手を伸ばす優しさがあるだろう。いつも明るく思慮深い活発な少女は、人よりも桁外れたヒーロー気質を持っている。
それだけではただの優しい人である。まあ目の前に助けを求めている人か、あるいは立場的に弱いものに対していつでも、すぐに手を差し伸べるその優しさは度が外れているとは思うが、この世にそんな人が全くいないわけではないだろう。
ボランティアや被災者支援に参加している人なんて正直全員ではないだろうが、それでも大半の人は心の中にある優しさからそんな活動をしていると思う。
しかし菜名宮が異常である所以は、少なくとも高校で多くの時間を過ごしてきた俺から見て確定的である、弱者に救いの手を差し伸べるという点だけではない。
「それにしても、どうして子供が働かないといけないような環境なんだろうか。」
どうやら、また新しい疑問が飛び出てきたらしい。
「はあ、また唐突だ。…実際、難しいな。正直言って要因が多くて複雑だ。何も単純な理由でこうなってるわけじゃない。」
「パッと思いつくのは、産業の格差、教育者の不足、貧困問題くらい?似たり寄ったりだけどそれぞれを細かく見ていけば違うよね。」
「まあ大まかなのはそこらへんだろうな。」
「貧困問題にしろ教育者の不足にしろ、大概な問題ではあるなぁ。根本的に解決することが必要なことばっかりだ。」
菜名宮はベッタリと頭を机の上に置き、倒れ込む。漫画のキャラが、夏の暑さに打ちのめされて溶けているみたいな体勢だ。
「一朝一夕で解決できるようなことなら、とっくにこんな問題は消えている。それが未だに残っているってことはそういうことだろ。」
「そうだよねえ。どこが悪いか、って言われてもパッと思いつくわけではない。強いていうなら、人類の歴史が悪いかな。」
「スケールがでかすぎる。」
俺のツッコミに反応することもなく、菜名宮はタブレットをいじり続けている。というかさっきからこの子一度も目合わせてくれないんだけど。ずっとタブレット見ておにぎり頬張ってる。嫌われてんのかな。
とまあ、そんな冗談は置いておく。
この昼休みで、菜名宮はずっと目の前に知った弱者のことを考えていた。そして、先ほどはその原因を悪を探していた。
菜名宮六乃の異常性は、人間性は、そこにある。
菜名宮は立場の弱いものに寄り添い、救おうとする。それと同時に、絶対的に立場が弱いものが生まれる原因を、悪の存在を許さない。
菜名宮は誰よりも誰かが理不尽な状態にあることを、罪を受けることを許さない人物だ。
その原因がどんなものであっても牙を向ける。菜名宮のそんな行動は一見無茶苦茶と思うようなことばかりだ。
菜名宮はまた、絶対的な存在を疑うことにも容赦がない。
一見安泰に見えるグループでも、上手くいっているように見える運営であっても、誰かが虐げられていないか、損をしていないかと疑念を持つ。
目の前に見ていることだけが真実ではない、という言葉は菜名宮の口癖の一つだ。
菜名宮は生まれながらにして何かに刃向かい、絶対的なものを疑い、争うモンスターである。
菜名宮六乃という人間を最も適切に表すなら、革命家という言葉が相応しい。常に弱者を救い、悪に戦い続け、よくない現状ならすぐに改善して動こうとする。その信念はもはや狂気の沙汰と思えるほどだ。
そうして俺は、菜名宮という人間に何度迷惑を被ったかわからない。菜名宮の活動にどれほど巻き込まれたか…思い出すだけでで頭が痛くなってくる。この頭痛を理由に早退しようかな。
菜名宮はいまだタブレットを覗き込んでいた。時計を見れば、昼開けの授業がもう始まりそうな時間帯だ。
「早く教室戻ってこいよ。」
「は〜い。」
俺は鞄を手に取り、会議室の3を後にする。
菜名宮は校内でも有名人ではあるが、菜名宮と俺の昼休みのこうした過ごし方は案外知られていない。
おそらく昼休みにそそくさと教室を出ていく菜名宮の姿は多く目撃されているだろうが、その後に教室をそそくさと出ていく俺の姿を認識してるやつなんて多分ほとんどいない。
ていうか認識されてても「教室でぼっち飯はいたたまれないから別の場所行ってんだな」くらいに思われてると思う。だから別に泣いてなんか(ry
だがまあ、俺たちにとってはこの空間を知られないことは色々と都合が良い。そのために、俺は菜名宮よりも早く教室を出る。
ヒューヒューと、秋の風が窓を揺らす音がする。特別校舎だからだろう、窓の立て付けが悪くガタガタと時折聞こえてきた。
先ほどのタブレットを真剣に覗き込み、何かをずっと思案している菜名宮の姿を頭に思い浮かべる。
やはりあいつは異常だと、改めて思った。