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ある不良生徒について-1

窓から吹き付ける風は少し暑さを感じさせるくらいになり、ほんのりと春の雰囲気はありつつも夏の比率が勝ち始めたくらいの日のことだ。


放課後のこの時間帯はちょうどいい気温で、ゆったりと過ごすには最適である。今日も今日とて、友人がほとんどいない俺は一人で帰宅の途についていた。


放課後の校舎は部活や下校する生徒が仲のいい人間と集まっており、辺りからは他愛のない雑談が聞こえてくる。いつも通りの、将来記憶に残らないであろう青春の1ページが広がっていた。


「まじで百ってドジだよな、そんなんじゃ彼氏できないだろ?」


「ちょっと先輩、酷いですよ!」


「いやいや、お前がまだ好きって奴聞いたことないぜ?」


「え、本当ですか?ちょっとショックだなあ…」


2階にある教室から階段を降りて踊り場に来ると、下の方に男子二人が屯していた。非常時に使うドアの前に立ち尽くして、一人の女子を囲っている。


男子二人は校章や上靴の色からどうやら俺と同じ学年であり、一方女子の方はおそらく一年生だ。同じ部活か或いは同じ中学の知り合いだろうか。彼らはぱっと見、和気藹々と雑談をしている普通の高校生に見えた。


「まあそんな落ち込むなって。仮にモテなくても俺らがいるしな。」


「そうそう、俺らくらいしか気にかけないからさ。仕方ないって。」


「あはは…」


ただ、あくまでも見かけだけだ。女子はその顔に笑顔を貼り付けているが、今すぐにでも立ち去りそうな雰囲気を漂わせている。しかし男子二人の立ち位置が明らかに下駄箱への道を防いでいた。


ナンパの類か、或いは単純に仲のいい後輩女子を落としにかかろうとしているのか。男子二人には下心があるように見えるが、残念ながら女子にはその気がなさそうだ。


周囲に生徒は多くいるが、彼ら彼女らはほとんどその3人を気にかける様子はない。ぱっと見、その3人がただの仲がいい集団に見えるからだろう。雑談の内容もよくあるかは知らないが、仲良しグループであれば違和感がない。


「先輩たちって彼女さん作らないんですか?」


「んー…今はいないんだよな。いつか欲しいとは思ってるけど。」


「残念ながらモテないんだよね。」


「えー…先輩たちならすぐに恋人作れそうなのに。」


「あはは、言ってくれるな!」


女子の方は愛想笑いを浮かべながら一歩その場を後ずさる。しかし片方の男子がその動きを察知したのか、女子との距離をさらに半歩詰めた。


「…大変そうだなあ。」


女子はさっきより露骨に表情を歪めたが、男子たちは気づいた様子もないようだ。もしくはわかっていて、あえて無視をしているのかもしれない。


それにしてもあの女子は気の毒だな。興味がない先輩から言い寄られるなんて対処が大変そうだ。変に断れば今後の関係性が悪くなる可能性があるし、断らなければ逆によりめんどくさい事態になる。


俺が関わることのない世界では、俺が体験することがない苦労が待ち構えているらしい。


「大変そうって何が?」


「うわ、びくった。」


踊り場でその光景を眺めていると、急に背後から呼びかけられた。独り言に反応されると思っておらず、慌てて後ろを振り返ると、同じ学年の校章を付けた一人の女子生徒が立っていた。


「…菜名宮か。」


「久しぶりだねタキ。」


「久しぶりなのはお前が学校に来てなかったからだろ。今日どこにいたんだ?」


「さっきまで家にいた。」


「あのさあ…」


なんの悪気もなくそう言い放つ菜名宮に対し、俺は思わずため息をつく。


学校一の自由人として知られる菜名宮六乃は、同時に学校一の問題児だと言われている。遅刻や無断欠席は当たり前、服装も普通の生徒と比べて乱れている。


とにかく何かに囚われることが嫌いであり、常に自由を求めているような人間だ。菜名宮が学校に来ないというのはもはやある種の日常になっいる。


「んで、大変そうってさっき呟いてたけど、なんかあったの?」


「ああ…あれだよ。」


菜名宮が不思議そうに首を傾げるので俺は下の方を指差す。先ほどまでと同様、例の男子二人と一年のの女子が話を続けていた。


「女子の方は逃げたそうにしているのに、延々と男子に絡まれてるっぽいんだよなあ。俺の勘違いかもしんねえけど。」


実際、あの3人は本当に仲がいいだけかもしれない。俺が勝手に変な解釈をして男子二人を悪者にしている可能性は十分あるのだ。というかあの光景が、女子が嫌がっていると断言できるほど人とのコミュニケーションを知らない。あまりにもシンプルで致命的な弱点が、俺の考えを推測に留めていた。


「なるほど…袴とろーちゃんか。」


「おい、何しに行くんだ。」


しかし菜名宮はその二人を見て一瞬で何か悟ったようにそう呟く。そして俺が引き止める間もなく、階段を一段飛ばしで軽快に降りていった。


「だから百、今日もどっか行こうぜ。」


「ありあり、独身同士仲良くしようぜ。」


「えっと…」


「おはよ、袴、ろーちゃん。」


そしてぱっと見楽しそうに談笑している3人の中に割って入ると、男子に向かって軽快に挨拶を飛ばした。


「…あ、菜名宮さん。」


「お、おう。久しぶり。」


男子の一人、袴と呼ばれた方が菜名宮の方に振り向いた。その表情はどこかぎこちないもので、子供が隠し事をしているみたいだ。


もう片方の男子、ろーちゃんと呼ばれた方もどこか狼狽えている。友人にたまたま会ったというよりは、まるで出会ってしまったと言った方が適切だろうか。

「百代もいたんだ、おはよ。」

「あ、おはようございます。」

菜名宮はそんな二人の様子を気にかけることもなく一年生の女子の方へ振り向くと笑顔で声をかける。千代子と呼ばれた女子は菜名宮の姿を見て、目を丸くしていた。

「3人は何してるの?部活もう始まってるよ?」

菜名宮はいつの間にか手に持っていた銀色の懐中時計を取り出すと、その蓋をパカっと開いて3人の方へ向ける。スマホで時間を確認してみると、HRが終わってからおおよそ30分程度時間が経った頃だった。運動部であればそろそろ準備運動を始めている頃だろう。まあ運動部入ったことないから知らないんだけど。

「あ、ちょっとサボっててさ…」

「そうそう。今日大崎先生が来ないから駄弁ってたんだよ。」

袴とろーちゃんの二人は苦笑いを浮かべながら、互いに視線を合わせる。

「そういや今日職員会議するから職員室入るなとか言われてたっけ。百代もサボってたの?」

「はい…そんな感じです。」

「入部したばかりなのにもうサボってるなんて度胸あるね。さすがだ。」

菜名宮は笑顔のまま、百代と呼んだ女子の肩をトントンと優しく叩いた。

「でもサボるのは良くないよ。部活は真剣に取り組まなくちゃ。」

「六乃先輩がそれ言うんですか?」

百代後輩は先ほどまで男子二人に向けていたものとは違う、どこか自然な微笑みを浮かべる。おそらく、あれがあの1年生の本来の素顔なのだろう。

「いやいや、私のはサボりじゃなくてちゃんと意味があることだから。」

「本当ですか?」

菜名宮は一年女子の肩に触れたまま、それとなく袴と言われた男子と後輩の間に割って入り、後輩を下駄箱方向に一歩誘導する。

袴は顔を顰めたようにも見えたが、それは不満げというよりかは気まずそうな感じだ。あの表情を見る感じ、下駄箱への道を防いていたのは意図的なのだろう。つまりまあ、さっきの動きは確信犯だ。

「3人は今日、部活行かないの?」

「あー…もうこんな時間だし今から行ってもなって思っててさ。」

「もう準備運動終わってるし、今から合流しても微妙なんだよな。」

「また二人ともサボるんだ…後輩巻き込むのは良くないよ。」

菜名宮は男子二人の方をまた振り向く。先ほどと表情自体変わっていないが、明らかに女子に向けたものとは違い優しげがない。というか圧力をかけていると言ってもいいだろう。男子二人がその表情に若干気圧されている。

「サボるって言えば…そういや気になったんだけど、百代って例の彼とはどんな感じなの?」

「え…?」

「ほら、中学の時の先輩だっけ?いい感じだってこの前言ってたじゃん。部活サボってるのは、もしかして彼との時間作るためだったり?」

後輩女子は困惑したように菜名宮の顔を眺めている。男子二人に見えないように、菜名宮は女子の背中をトントンと優しく叩いた。後輩女子はしばらくぽかんとしていたが、やがて何かを悟ったようにハッと目を見開いた。

「遊びに行くために部活サボってるわけじゃないんです!ただ、まあ結構いい感じなのはそうですけど…」

後輩女子は菜名宮に向かって一歩近づくが、その頬は若干赤らんでいる。

「え、まじ?また今度詳しく聞かせてよ。」

「はい!」

二人のやりとりを見ていた袴とろーちゃんと言われていた男子は、呆気に取られていたように口を開いていた。

それにしてもやるなあの後輩。菜名宮の誘導見る感じ、あの話は嘘なんだろうけど、なんでそれっぽい表情出せるんだ。完全に男子放心してるし。それとも女子ってみんなあんな感じなの?そんなんじゃ人間不信になっちゃうよ。

「袴もろーちゃんも百代がノリいいから誘いたくなるのわかるけどさ、遊び回ってたらこの子の恋路邪魔しちゃうから、程々にしときなよ。」

「そうなのか…」

ろーちゃんの方は完全に意気消沈、というか先ほどまでのキレがなくなっている。ボクシングでボコボコにされた後みたいに真っ白に燃え尽きている。明日のジョーだな。

「いや、百って彼氏居ないんじゃなかったっけ?あれ嘘だったの?」

しかし袴はまだ引き下がらない。先ほどよりも半歩、百代後輩の方へと踏み出していく。

「あ、えっと…」

「そりゃ付き合ってないからね。彼氏居ないってのは嘘じゃないでしょ。」

「それでもいい感じの奴がいるとも言ってなかっただろ?」

菜名宮が表情をそのままに袴の方へと振り返るが、袴は引き下がらない。あいつ度胸あるな。

「…あのさあ袴、言わないに決まってるじゃん。」

「言わないって…なんで?」

「袴は女の子のことほんとわかってないね。女の子はいつだって恋に真剣なんだよ?女子の友達には真剣な恋を自慢しても、男子にはそうそう言えないよ。いくら部活の先輩だからってね。」

菜名宮はフッと先ほどよりも微笑みを深くすると、袴の方に向かって逆に一歩詰め寄る。表情はずっと笑顔なのにどこか無機質なように見えた。怖すぎだろあいつ。

「ひ…」

「まあ、百代も先輩だからって遠慮してるのはちょっと悪いけどね。」

「えっと…先輩のお誘いを断るのもどうかと思って…」

「せっかくだし、今のうちに本音はちゃんと伝えといたら?」

菜名宮は百代後輩の方に振り向くと、敢えて男子二人の方に後輩の女子を半歩近づけさせる。

百代後輩は突然のことに一瞬ビクッと体を震わせた。そして少しの間黙り込んでいたが、何か意を決したように顔を上げて男子二人の方を覗き込む。

「先輩たちのお誘いはありがたいんですが…私、彼との時間を大切にもしたいので…これから遊びに行くのはちょっと遠慮させていただきます。」

そうして、きっぱりとそう言い放った。

「あ、おう…」

「…」

男子二人はもはや何も言い返せないというか、どうすることもできないと言った様子で上辺だけの返事をする。その顔には諦念が浮かんでいた。

「二人とも特にそんな気は、きっと、なかったんだろうけど…勘違いさせちゃうかもしれないから注意しときなよ。」

「あ、そうだな…」

「…ごめん、百。」

人通りが少なくなった廊下で4人の男女が向き合っている。二人の女子は笑顔で、そして二人の男子は落ち込んでいる。結果として男子たちは後輩を狙っていたが失敗してしまった。それは菜名宮という人間のせいなのか、あるいは青春という鳥籠の因果だったのだろうか。どちらにせよただの日常の1ページであることに変わりはない。

「おい、袴田と吉岡、そこにいるのか!」

ふと俺が立ち尽くしている階段の後ろ側から少し野太い声が聞こえた。ていうかよく考えたら、何で俺はこんなところで階段下をずっと眺めていたんだろうか。側から見たら不審者でしかない。

「やべ、大崎じゃん!」

「ちょっと待て、今日会議だっただろ!?」

階段の下にいる男子二人が慌てたように声をあげて、地面に置いていた鞄を急いで手に取る。

「どうしてこんなとこにいるんだ!?もう基礎練の時間だろう!」

俺の隣に少し太った中年メガネの先生が現れる。確か一年の時、物理を持っていた大崎先生だ。おそらくあの二人の部活の顧問なのだろう。男子二人はこちらの方を確認すると、一気に表情を青ざめさせて下駄箱の方へと逃げていく。大崎先生はその二人を追いかけて階段を小走りでかけて行った。

いや、小走りは嘘だな。ゆっくり一段ずつ降りてるわ。エッホ、エッホなんてまるでフクロウのような掛け声をしながら、階段を慎重に進んでいる。このスピードで行っても多分見失うだろう。

事の顛末を眺めていた菜名宮と後輩女子はフッと息を吐くと、どこかイタズラそうに笑った。

「お前らも早く帰るんだぞ。」

「はーい、わかりました。」

階段をようやく降りた大崎先生に声をかけられた二人は、その笑顔のまま振り返る。

菜名宮がちらっとこちらの方を振り返る。そこにはドヤ顔というか、してやったりと言いたげに頬を引き上げている。

もう見慣れてしまったうざいそんな表情に、俺は敢えて無視をしながら階段を降りていく。

「戸谷さんと菜名宮さん、どこに行ったの?」

俺が一歩階段を踏み出したところで、また後ろ側から、今度は甲高い声が聞こえてきた。

「あ、やべ。」

「何でバレたの!?」

声のした方を振り返ると、そこに濃い化粧を施した中年の女性教師がいる。国語の科目を主に担当している八代先生だ。

菜名宮と後輩女子は八代先生の姿を捉えると同時に、先ほどの男子と同じように鞄を手に取ると、まるで再放送のように下駄箱の方へと急いで逃げていった。

「ごめんなさい、いきなりだけど菜名宮さんと戸谷さんを見なかったかしら?

八代先生が階段で足を止め、俺の方に尋ねる。

「あ…えっと…」

「あの二人、国語の補習逃げ出しているんですよ。」

「戸谷…という奴は知らないですけど、菜名宮なら下駄箱の方行きましたよ。」

「そう、ありがとうございます。」

八代先生は小さく頷くと、そのまま階段を一気にかけていく。すげえなあの先生、もう50超えてるのになんで階段を一段飛ばしで降りれるんだよ。この前息子が大学入ったって自慢してたよな?

大崎先生の10倍くらいのスピードで階段をかけて行った八代先生を横目に、俺はゆっくりと段差を降りて下駄箱へと向かう。

一階に着けば、大抵騒がしい下駄箱にはすっかりと人の姿が消えていた。どうやらいつも帰る時間より大幅に時間を潰してしまったらしい。

先ほどの出来事は菜名宮にとっては日常の一部なのだろう。菜名宮六乃という人間は、周りで何かあれば迷わず顔を突っ込んでいつのまにか事を解決してしまっている。それが自分に関係あろうとなかろうとだ。その度胸や行動力は俺どころか大抵の人間が持ち合わせてないものだろう。菜名宮は誰に対しても気後れしない性格とその明るさから、男女問わずに人気が高い奴である。実際、菜名宮に憧れているという生徒の噂は何度聞いたことか。

他人と距離なんてまるで感じさせず、自分に関係のないことまで足を踏み入れていく。俺にはあいつの行動原理も性格も考え方も何も理解できない。根本的に相容れない存在なのだろう。自分とここまで真反対の人間が居るものかと最初は驚いたほどだ。

日常を謳歌し、現実を改善し、そしてある意味平穏を壊してしまう。そんな奴の存在を、菜名宮のことを、俺は革命家と呼んでいる。



お昼休みになり、俺は事前に購買で買っておいた数個のパンを持って教室を出た。影なるもの特有の速歩きで、学食や外にお昼を食べにいく生徒の間をそそくさとすり抜けていく。多分俺の存在を認識している奴はこの中に1/3もいない。この隠密スキルをもってすれば、俺の存在に気づくことは難しい。ただ影が薄いだけだろとかいうのは無しで。

俺の通う学校は校舎が北と南に分かれており、普段授業を受けている教室があるのは南校舎の方だ。北校舎には音楽室や美術室といった特別科目の教室が固まっており、文化部が活動していることが多いため、文化棟なんて呼ばれ方もしている。

誰もいない渡り廊下を歩いて俺は文化棟に来ていた。放課後ならば部活をしている生徒も多いためそこそこ盛んな文化棟だが、昼休みにはまるで人影がない。コトコトとスリッパと廊下が重なり、擦れる音がはっきり聞こえるほど静かである。

文化棟をしばらく歩くと、ある一つの教室が見えてくる。北側の校舎自体、普段授業をする教室がある南校舎に比べて使われる機会が少ないため、うすら汚れていることが多い。そんな校舎の中でも、特に暗い印象を与える教室がある。会議室3と書かれているはずの、ほとんど見えなくなっているプレートがかかった教室のドアを俺は開いた。

中央に無造作に置かれた椅子と散らばったいくつかの机が並ぶ無機質な空間。レイアウトだけ見れば会議室をイメージできるが、しかしまるで使われているような形跡がない殺風景な場所に、座っておにぎりを頬張っている菜名宮の姿があった。

ドアが開く音を聞いたのか菜名宮はこちらを振り向いた。おにぎりを頬張った様子はまるで食事を溜め込んだリスのようにも見える。こいつを動物で例えた時に、リスかと聞かれれば絶対そうじゃないけど。

「そろそろこの部屋掃除しないのか?」

開口一番に俺は菜名宮に聞く。ほとんど使われている形跡がない会議室3は、現在菜名宮と俺が昼食を食べるために占有している。ほとんど人が寄り付かないので、当たり前だがほとんど掃除もされない。そのために机の上や床が結構汚い状態なのだ。健康面に実害が出るほど汚いわけではないが、潔癖症の人間が見たら悶絶するくらいの汚さをしている。

「別にまだ気にならないし、いいかなあって。」

「気にならないとかの問題じゃないんだよなあ。掃除の当番お前だろ。」

「そうだっけ。」

「…はあ。またやっとけよ。」

とぼけているのか本心からの疑問なのか判別できない反応に呆れながら、俺は菜名宮の前の席に座る。菜名宮の方はといえば、おにぎり片手にタブレットを覗き込み小難しい顔をしていた。

「日本人とアフリカの人じゃあ、識字率がまるで違うみたいだね。」

パンの袋を開けた時、菜名宮は突拍子もなくそう呟いた。その視線はタブレットの方から動かない。

「いきなりどうした。」

「今、各国の教育状況のグラフを見てて気がついたんだよね。アフリカとか他にも一部の国では、著しく文字を読める子供が少ないらしい。」

どうやら菜名宮は、アフリカの識字率に書かれたニュースを読んでいるようだ。iPadをスライドさせながら、時折眉を潜ませている。

「ほんといきなりだな。」

なんの脈絡もなくいきなりそんな話題を切り出した菜名宮に眉を顰める。

「アフリカじゃ、多くの地域で教育がまともにされていないから仕方がない。ほとんどの家庭は学校に子供を通わせるお金がないほど貧困で苦しんでいるし、そもそも子供が貴重な働き手となっているなら尚更学校に行かせようなんて思わないだろうな。」

「子供が働き手、ねえ。日本じゃ考えらんないな。」

相変わらずタブレットから視線を離さず、画面をしっかり見続けている。食事中に電子機器触るなって言いたいが俺も家ではよくしているのでなんも言えない。

「何をしようかな。」

手を顎の下に当てて、菜名宮はまるで探偵のように考える仕草を取っていた。

おそらくほとんどの人はこの言葉の意味が瞬時には理解できない。いきなり何言いだしているんだ、となるだろう。ただ菜名宮とそれなりの時間を過ごしてきた俺はすぐにその意味を理解した。

「手っ取り早いのは現金の寄付か、教育資材を送るとか。現地でのボランティアなんてのもあるけど、お前が行くにしては知識も時間も足りないからな。」

「なるほど…なら教科書を送ろうかな。」

「あてはあるのか?」

「ない。けど準備するよ。どこに送るのがいいかも調べなくちゃいけないね。」

そう言いながら、菜名宮は手に持ったタブレットになにやら打ち込み始めた。

菜名宮という人間は、何よりも弱者のために行動する人物である。誰かが困っているのを見つけたらすぐに助けに行くし、困っている被害者がいればどんなに身を払っても解決しようとする。

例えばこうして貧困に悩んでいる人がいたとして、多くの人は「そんなことあるんだ」と関心を抱く程度だろう。一部の人は「何かできないか」と考えたりして、さらにごく一部の人は募金や支援なんかの方法を調べるかもしれない。俺だって多分、せいぜい何かできないかと考える程度だ。

ただこいつは違う。困っている人の存在を知れば、菜名宮はすぐに助けに向かう。例え自分の手が届かない場所でも、必ずどうにかして救い出そうとする。菜名宮には考える時間など存在しない。困っている人がいればただ助けようと動き出す。それはもはや本能の域に近い。

菜名宮が多くの人に好かれる要因には、人のピンチに手を伸ばす優しさがあるだろう。いつも明るく思慮深い活発な少女は、普通の人よりも桁外れたヒーロー気質を持っている。

それだけではただの優しい人である。目の前に助けを求めている人か、あるいは立場的に弱いものに対していつでも、すぐに手を差し伸べるその優しさは度が外れているとは思うが、この世にそんな人が全くいないわけではないだろう。ボランティアや被災者支援に参加している人なんて、全員ではないだろうが、それでも大半の人は心の中にある優しさからそんな活動をしているだろう。しかし菜名宮が異常である所以は、少なくとも高校で多くの時間を過ごしてきた俺から見て確定的である、弱者に救いの手を差し伸べるという点だけではない。

「それにしても、どうして子供が働かないといけないような環境なんだろうか。」

「また唐突だ。…実際、難しいな。こういう問題は要因が多くて複雑だ。何も単純な理由でこうなってるわけじゃない。」

「パッと思いつくのは産業の格差、教育者の不足、貧困問題くらい?似たり寄ったりだけど細かく見ていけば違うよね。」

「大まかなのはそこらへんだろうな。先進国と比べれば何もかもが足りていない。」

「貧困問題にしろ教育者の不足にしろ、大概な問題だよねえ。根本的に解決することが必要なことばっかりだ。」

菜名宮はベッタリと頭を机の上に置き倒れ込む。漫画のキャラが、夏の暑さに打ちのめされて溶けているみたいな体勢だ。

「一朝一夕で解決できるなら、とっくにこんな問題は消えている。未だに残っているのはそういうことだろ。」

「どこが悪いかって言われてもパッと思いつくわけじゃないよねえ。強いていうなら人類の歴史が悪いかな。」

「スケールがでかすぎる。」

俺のツッコミに反応することもなく、菜名宮はタブレットをいじり続けている。というかさっきからこの子一度も目合わせてくれないんだけど。ずっとタブレット見ておにぎり頬張ってる。嫌われてんのかな。

とまあ、そんな冗談(であってほしい)は置いておく。

先ほどから菜名宮は貧困に喘いでいる存在を救う方法を考えて、その原因を探していた。菜名宮六乃の異常性は、人間性は、そこにある。

菜名宮は立場の弱いものに寄り添い救おうとするが、それと同時に、絶対的に立場が弱いものが生まれる原因を、悪の存在を許さない。誰よりも誰かが理不尽な状態にあることを、意味もなく罰を受けることを許さないのだ。

その原因が何であろうとも牙を向ける。菜名宮のそんな行動は一見無茶苦茶に見えるものばかりだ。

こいつは絶対的な存在を疑うことにも容赦がない。一見安泰に見えるグループでも、上手くいっているように見える運営であっても、誰かが虐げられていないか、損をしていないかと疑念を持つ。

菜名宮は生まれながらにして何かに刃向かい、絶対的なものを疑い、争うモンスターである。

菜名宮六乃という人間を最も適切に表すなら、革命家という言葉が相応しい。常に弱者を救い、悪と戦い続け、悪い現状ならすぐに改善しようとする。その信念はもはや狂気の沙汰と思えるほどだ。

そうして俺は菜名宮という人間に何度迷惑を被ったかわからない。菜名宮の活動にどれほど巻き込まれたか…思い出すだけでで頭が痛くなってくる。この頭痛を理由に早退しようかな。

菜名宮は未だタブレットを覗き込んでいる。時計を見ると昼開けの授業がもう始まりそうな時間帯だった。

「早く教室戻ってこいよ。」

「はーい。」

俺は鞄を手に取って会議室の3を後にすしたり菜名宮は校内でも有名人ではあるが、菜名宮と俺の昼休みのこうした過ごし方はあまり知られていない。おそらく昼休みが始まった瞬間、教室を出ていく菜名宮の姿は多く目撃されているだろうが、その後に教室をそそくさと出ていく俺の姿を認識してる奴なんて多分ほとんどいないからだ。ていうか認識されてても「教室でぼっち飯はいたたまれないから別の場所行ってんだな」くらいに思われてると思う。だから別に泣いてなんか(ry

だがまあ、俺にとってはこの空間を知られないことは色々と都合が良い。そのために俺は菜名宮よりも早く教室を出る。

ヒューヒューと、春風がが窓を揺らす音がする。特別校舎だからだろう、窓の立て付けが悪くガタガタと時折聞こえてきた。

先ほどのタブレットを真剣に覗き込み、何かをずっと思案している菜名宮の姿を頭に思い浮かべる。やはりあいつは異常だと改めて思った。

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