①演説会場
まるで闇夜に浮かぶ蛍のような、見渡す限り赤の光点の群。
傾斜のきつい観客席が空席なく埋められ、中央ステージを三六〇度見下ろすように囲む。
席に座るのは銀の肌とのっぺらぼうの顔を持つ人に似た機械。
この試練のために用意された聴衆人型機械。
一体一体が赤色のサイリウムを持ち、眼球の無い眼がステージ中央に固定されている。
現代の世界でもこれだけ観客を動員できるスタジアムは限られる。
ステージに立てるのはオリコンチャート首位のアーティストか、時代を席巻する売れっ子アイドルか。
きっとそれくらいでなければ席は埋められない。
少なくとも一般人が立つことは絶対にない。
中央、視線の逃げ場が一切ないステージに一人の試練者が立っている。
握るマイクから掠れ声が響き、尋常じゃない汗が浮かんだ顔はホログラムスクリーンに映し出されている。
必死に演説を続け、観客席に浮かぶ赤色にぽつぽつと緑が浮かんでいく。
試練者が抱える人の身の丈には合わない理想。
自分の願いが如何に切実で、如何に優れ、如何に世界を変え得るのか。
無数の観客にそれを語り続ける。
用意していた内容が終わったのか、それとも十五分の時間を使い切ったのか、試練者の声が止まる。最終的に聴衆人型機械のサイリウムは三分の一が緑に変わっていた。
機械の手がぱらぱらと柏手を打ち、緊張から解放された試練者は強くガッツポーズ。
合否ラインは四分の一のため、この人は今第四試練を合格した。
「‥‥‥願いか」
胡乱な眼でぽつりと零す。
最後まで聞いていたが、第三試練《刻々ノ壁》を超えた試練者は芯が強い。
動揺、緊張こそすれ大観衆に願いを言い切る力がある。
ただ、
「‥‥‥ないよなぁ」
そもそも自分には願いがない。
世界を変えたいほどの願いなんて、あるはずがない。
――――――――――――――――――――
「やあ秋灯、調子はどうだい?」
聞き覚えのある軽薄な声が隣の席に腰を下ろす。
光源の乏しい観客席の中、金の髪色が微かに光を反射している。
「調子も何も、すんごい悩んでるよ」
視線を上げて、自嘲気味の声で返す。
今は二っと笑った九装の顔が少し恨めしい。
「君は願いを持たないたった一人の試練者だからね。悩むのも無理ないさ」
秋灯が願いを持っていない、イレギュラーで試練に参加したと知る数少ない友人。
心配して見に来たのか、それとも単に冷やかしにきただけか。
「お前は余裕そうだな」
「そりゃあね。私は世界の時間が止まる前から、願いをどう叶えるか無心していたから」
両手をひらひらさせて、おどけて見せる九装。
第二試練《白亜ノ塔》からの腐れ縁。彼の語る願いは何度も聞かされたが、いつも理路整然と躊躇なく話していた。自分が神になった後のビジョンを持っている試練者はきっと少ない。
「意外とみんな話せるんだな」
頬杖をつき壇上に視線を戻す。
「そりゃあ《刻々ノ壁》の後だし、願いを再確認させられたからね。ここにいる試練者はトラウマを克服しているはずだから」
「にしても、脱落する人が少ないな」
観客席の光が赤一色に戻る。
数秒経って次の試練者が壇上に出てくる。
マイクを握りかっちりしたスーツを着込んでいる男性。
これまで見かけたことはないが、年齢は勤田原と同じくらい。
淀みなく願いを宣言し、この世界に与える普遍についても語っていく。
「世界に根付かせたい価値観ね‥‥‥」
神になった際の特権。世界規模の集団催眠。
この第四試練で改めて神になれば世界を変えられることを認識させられた。
――――――――――――――――――――
第四試練《句陶演説》が開始されてから二週間が経過した。
当初一律に与えられていた準備期間が終わり、最初に割り当てられた試練者が演説を始めている。今回の試練はこれまでの内容と違い本番一回きり。十五分と言う短い時間で聴衆に審査される。
ほとんどの試練者は大観衆の前に立つ経験など無いはずだが。
声高に選挙の街頭演説のように熱く話す人がいれば、後ろのスクリーンを使って理論と根拠を示す人もいた。中には歌ったり踊ったり、言葉ではなく演技を行う者さえいた。
演説の中身は自分の願いと世界中に根付かせたい価値観の説明。
自分が神になった際、全人類に与えた価値観によって願いがどう叶っていくか。
それについて語る者がほとんど。
平和・愛・平等・善行を説き、それに聴衆人型機械が反応する。
内容に共感でも興味でもプラスの感情を湧かせればサイリウムが緑に。
反対にマイナスの感情を湧かせれば赤が灯ったまま。
日本国民の模造人格が入った聴衆人型機械の四分の一以上に緑に点せるかどうか。それが今回の試練の合格ライン。
泥人形から必死に逃げることも、大家の魔術師と戦うこともない平和で安全で平等な試練。
自分の願いが聴衆にひいいては世界に判断される、受け入れられなければ敗退するだけの残酷な試練。
「他の二人は大丈夫そうかい?」
「準備はしてるけど風穂野さんはけっこう悩んでるかな。先輩は自信満々だけど」
壇上の試練者のやや高圧的な演説を横目で見つつ、会話を続ける。
明音は準備期間の二、三日だけ使って内容をまとめ「あとはノリね!」と息巻いている。
反対に伊扇は今も悩み、一語一句書かれた台本をつくったり、カンペのような文字が多すぎるプレゼン資料を作ったり、心配になるほど迷走している。
「そうかい。二人とも見た目がいいし、それだけで合格しそうだけどね」
「願いの中身で判断するんじゃないのか?」
「いや、容姿というのは重要なのさ。選挙の演説だって内容よりも外見が重視される。見た目は清潔か、顔は整っているか、自信がある雰囲気か。人は外付けの情報で判断するから」
ふーんと相槌を打つ。
そう言えば国会議員は若作りしている人が多いと聞いたことがある。
「お前は大丈夫なのか?そろそろだったろ」
「問題ないよ。資料も作り終えているし、練習も欠かしていない。当日は是非聞きにきてくれたまえ」
自信満々に鼻を鳴らす九装。
今回の試練を取りこぼす姿は想像つかない。
「それよりも君さ。将来私の右腕になってもらうんだから、こんなところで落ちてもらっては困るよ」
「誰が右腕だ」
再三勧誘されているが、未だ返事はしていない。
《白亜ノ塔》でした交渉もあるため、真剣に考えてはいるが、それでも仲間になりたいと思えない。
計十五分。会場に静けさが戻り中央に立つ試練者の息を吞む声がマイクを通して響く。
周りを囲む十万体の聴衆人型機械は赤が多くて、おそらく四分の一を満たしていない。
試練者が立つ床が突然開き、甲高い叫びと共に落下。
敗退者は鳴門市からひいては今の世界から退場する。
あまりな光景に秋灯は息を吞む。
「民を味方につけられなければ神の器ではないよ」
普段と違って氷刃のような鋭さを持つ九装の声。
消えた試練者を色のない顔で見つめ、微かに首を振る。
「自分の願いが受け入れてもらえないのは残酷だな」
演説の中身は善なる世界を築くという立派なものだった。
けれど、今の世界の住民には刺さらなかったらしい。
試練者の中でたった一人。
願いを持っていない秋灯は言い換えれば、願いを選べる。
この世界に刺さりやすく、受け入れられやすく、四分の一の聴衆を味方につけやすい願い。
自分の本心でなくても、何もないからこそ語れてしまう。
「決めたよ‥‥」
頬を上げて卑屈に笑う。
この試練の戦い方を今決めた。