ごはん
あぁ、もう今日はダメだ。
無言でいつものプロテインバーを貪りながら、投げつけるように彼にメッセージを送った。
“今日、飲みに行きたい。付き合って”
朝から上手くいかなかった。
あっちのタスクもこっちのタスクもつまづいて進まない。単に自分のミスもあれば、上の都合だったり先方の都合だったり、更にミスコミュニケーションが発生したり。
大体イライラしている時なんて、余計に上手くいかないものだ。悪循環、ドツボ。遅くなった昼休憩のタイミングで既に私のキャパは限界を超えていて。
ぴこん、とすぐに返ってきたメッセージにはOKの旨と、服装的にカジュアルなお店しか行けないけど、ということが書いてあった。
“大丈夫。むしろそれがいい。飲まなきゃやってらんないだけ”
相変わらずのぶっきらぼうなテンションで返事を送る。
よし、とりあえず今日は絶対定時で帰る。予定できたし。それだけを頼りになんとかパソコンに向き直った。
もう無心、無心になるんだ。あと数時間頑張れ自分。
「……。」
その後は携帯を見る暇もなくひたすらToDoリストを睨みながら働き、私は今飲み屋に向かって歩みを進めて…………いるわけではなく、彼の自宅に向かっていた。
“お疲れさま。今日、やっぱり家飲みでどう?僕がシェフだよ。作って待ってるから”
会社を出た私の携帯に来ていたのは、そんなメッセージ。
……正直、少しガッカリした。
うるさいくらいの賑やかさの中で、酔いに任せて今日の愚痴を吐き出したかった。私の愚痴なんか紛れてちっぽけに思えるくらいの人混みと喧騒の中で、酷い表情で、醜い表現を並べ立てて。
家なんかじゃ、汚くなれないじゃない。しかも他人の家で。
なんというかこう、空気が。
でも、「作って待ってる」まで言われてしまったら、今更NOは言えなかった。
とぼとぼという音が自分でも確認できそうなほどの歩幅で歩き続け、たどり着いた彼の家のインターホンを鳴らす。
「いらっしゃいませ!」
エプロン姿で出迎えてくれた彼は、すごくご機嫌に見えた。多分、私の表情とは真逆。
「おじゃまします……」
「さ、お席へどうぞ!上着とお荷物お預かりしますね!」
意気揚々と店員さんになりきってくれる彼に、少しだけ笑ってしまった。こんなに仏頂面だったのに、すごい。
「ありがとう」
「お飲み物、伺いますね!」
「ビール飲みたい」
「かしこまりました!」
「もういいよ~、普通に喋ってよ」
「はーい」
笑いながらビールをついで、彼が隣に座る。
「ごめんね」
私の前髪をそっと梳いて、彼がそう言った。暖かくて優しい眼差し。
「?」
「勝手に家飲みにしちゃってさ」
「あぁ……うん…。でも疲れてるのは同じなのに、シェフになってくれてありがとう」
「僕は大丈夫だよ。とりあえずすぐ作れるものだけいくつか作ったんだ。持ってくるね」
そう言って彼がまず運んできたのは、ナスの煮びたし。
レンジで作れる簡易版だけど、彼の手料理の中で私が大好きなもののひとつだった。
「いただきます」
相変わらず切り方が大きくて食べづらい。
そんなことになぜだかほっこりしながら、ひとくち、ふたくち、食べていく。
「……。」
均等ではない切り方。私にはちょっと濃い、彼好みの味付け。お店より全然キレイじゃない盛り付けに、運びながらちょっと飛んじゃったかつおぶし。器だってオシャレでもなんでもないのに、なんだかとっても、かわいいひと皿。
……ぼろ、と頬が濡れるのがわかった。
「おいひい」
ぼろ、ぼろ。
「あれまぁ」
泣きながら、それでも食べるのをやめない私に彼が慌ててティッシュを持ってくる。
「お嬢さん鼻水も出てますよ」
「ごはん、おいしい」
「それはよかったです」
「おいしいよぅ」
ちーん、と思い切り鼻をかんでから彼の胸にダイブした。
「今日はすごくお疲れさまだったのかな」
「ん……」
お腹の中のどろどろとした黒い感情が、ふわりとどこかへ飛んでいく。あんなに重苦しく体の底に溜まっていたのが嘘だったみたいに、あっさりと消え去っていく。
汚く吐き出して空っぽにするよりもずっと、優しい消え去り方だった。ううん、むしろあったかい何かが代わりに満たされていく感覚で、体が軽くなった気さえした。
「いいでしょ?たまには家飲みも」
なんにも押し付けずに、なんにも恩着せがましくもなく、にこにこそう言って笑う彼に、また、涙が滲んでいく。
「すき」
家飲みが?それとも僕?、って目をぱちくりする彼には答えずに、甘えるようにぐりぐりとおでこを押し付けた。