地獄の同宿者
大気の無い月から見た青い地球が視えた。月に立っているようだ。
「空間を丁寧に加工していくと、結局のところ細部よりも雄大さに目がいきがちでね。私が傑作だと思ってる個室の一つだよ」
地獄王はそう言うが、ここにはベッドもにオレンジ色のにしょっ光も無い。どうやって寝るんだ?
「僕はドラゴンじゃなくて人間なんで普通のホテルの個室で結構です」
「そうなのか?ここだと伸び伸びと本来の姿で空間を気にせず快適に眠りにつくことができる」
「月の表面にドラゴンか。サイエンスフィクションにファンタジーを足したような構図だね」
河童さんも僕達についてきてくれている。
「こういうのじゃなくて、普通のヒルトンとか。日本ならアパホテル水準で頼みますよぉ」
「普通じゃないか」
地獄王がぽつりと言った。僕達は一体どういう目で見られているんだろう。
「では…。日本か。そうだね」
空間が燃えるように周囲を溶かしていく。ベールの向こう側が視える。
「あ」
和風。畳があって、開かれた障子の向こうには大きな池が見える。秋口の頃をデザインしているらしく、真っ赤な紅葉が池に綺麗に流れてる。
「金閣寺をモチーフにしてる部屋だ。春には桜が流れて、夏には虫の声と夏の匂いが楽しめる。冬の純白な季節は見事だが一時間いっぱいでお腹がいっぱいになるだろう」
金閣寺行ったこと無いけど、確か重要文化財だったはずだ。そんな場所で泊れるなら最高だ。
「ありがとうございます。ここでいいです」
「そうか。なら今度は…」
「私もここでいいです」
ビッキーが言った。頭沸いてるのか。
「何その嫌そうな全力の顔。殴るよ」
「やめてよ」
「やっぱりそういう関係なんじゃないか」
「違います。私はマッキー以外信用してないですから」
「なるほど。一応ここのルールを教えておこうか」
地獄の王は人差し指を立てて言う。
「ここではルールが無い。客人が主人となって動かすのだ。例えば、人が必要なら人を出せばいい。昼が良いなら昼にすればいい。下世話な事すら思いのままだ。好きな設定を作っては消し、楽しめばいい。動物も自由に設置も削除も自由自在。食事も好きに設定すればいい。空間という部屋だけが固定されているだけだ」
「ベッドとシャワーも?」
「もちろんだよ」
「新しい服も?」
「ただし、この部屋に滞在しているのみの話だ。部屋から出ると、消え失せる」
「…」
「どういう事?」
「幻想だよ。五感を刺激する幻想を作っているのだよ」
「本物じゃないってこと?」
「なかなか哲学的な話になるかもしれないが、ミス・ヴィクトリアの言う本物ではないな。あくまでも幻想だ。但し、酒池肉林が描ける幻想だね」
「霞を食べてるってことですか?」
「そうだね。但し五臓六腑も錯覚する。満足感は味わえるよ」
「胡蝶の夢のような一晩ですねぇ」
「その通り。地上の人間から汲み取った人生を基にした夢そのもの。必要なものも、そうでないものも全て揃っている理想的な一晩を提供できる」
「なるほど。さすが地獄の王のホテルっていうだけあって、なかなか斬新なサービス展開に力を入れてますねぇ」
「確かにここで料理が食べたいって言っても食材なんて手に入らないからね」
「一晩後に、24時間後にまた来る。それまでに体調を整えてくれ。それから、部屋のルールをもっと知りたかったら、ルールを知るメイドを作ればいい。人間を作る事に抵抗があるならアンドロイドロボットでもいいだろう。それでは」
「ありがとうございます」
「頑張ってみるのがいい」
「はい。精一杯やりますよ」
地獄王の前にドアが現われ、二人がドアをくぐると消えていった。どこでもドアかな。
「マッキー、12時間交代で睡眠を取りましょう」
「信用してないの?」
「当然でしょう。地獄王ですよ。地獄。悪魔。頂点。私達の魂を狙っているかもしれない」
「その可能性もあるかもしれない」
あの人はここは自分の領域は臓腑のように自由に動かせると言っていた。
「睡眠時が一番暗殺のタイミングなんですから。そもそも地獄王にジャンプを習いたいって言うから」
「だってそれが共通認識のデフォルト的能力みたいだし。ビッキーも習ったら?」
「気が向いたら。確かにこの場所なら、いくら空間をぶち破っても、大丈夫そう。ここは空間と次元の間に厚みがある。もっといえば、この地獄こそが、次元と次元の隙間に出来た場所みたい」
そう言うとビッキは手の上にカーネーションを一輪作った。
「ここは全知全能の世界みたい。神様の領域ね…。改めて感じるけど、あの地獄の王。底が知れない魔力を感じさせる。不気味だった。友達として忠告しますけど、ああいうのと絡むとロクな目に合わないですよ」
絡むと人生狂ってしまうヤツと一緒に仲良く地獄落ちしたので、これ以上は無いかなって言おうとしたけど踏みとどまった。
「見返りを要求されるってこと?」
「そうかもしれないし、とんでもない事をぶっこんでくるかもしれない。ここがもう、普通じゃないし。私達はもう、お腹の中かもしれないし。そういう感じがしてる。怖いぐらいね」
ビッキーがビビってるっていうことは、相当ヤバイ事かもしれない。僕なんて、畳の上にペタンと座って、だらりとした格好で秋空の池を眺めて癒されてたってのに。
「…」
右手を出して、自室のベッドを想像する。
「うぉ」
ベッドが出てきた。
「これ間違って悪夢とか見たらヤバイんじゃない?」
「その手があったか。悪夢に殺させる。そういう能力なのかもしれない」
そう言ってビッキーは頭を捻ってうんうん言ってる。
「あんなことやこんなことが出来るなんて、ここはスゴイ。下々の世界の者達ならきっとこの場所は天国なのでしょうね」
「それこそ悪夢に殺されるよ」
「マッキーって最高の事を考えるよりも先に最悪の事を考えますよねぇ。その癖止めたらぁ?」
「いいでしょ。ネガティブ野郎はハッピーになれない分、アンハッピーに耐性がついてるの」
「マッキーってもうちょっと言葉を選んで格好いいことっぽい感じで頑張ったらザ・主人公みたいな感じになれると思うんですけどぉ?」
「僕のキャラにダメ出ししないでよ。ほっといてよ」
「こういうのって、マジな友達ぐらいしか言わないですからねぇ。鼻毛出てるとかぁ」
「え?鼻毛出てる?」
「ギリ出てないから大丈夫」
「ほっ」
「うーん。一応私は私で固有の能力を使ったお城を出してその中で睡眠取ろうと思いますけど」
「それってビッキーの能力?」
「そうです。マッキーもそこで寝た方が安全ですよ」
「…」
逆に危ない気がする。
「…」
やべー気がする。次ビッキーとトラブったら、次こそマジでもう、永遠に少年期が終了してしまう気がする。
「僕はここでいいかな。畳の上で寝れるのなんて」
ごろんと畳の上で転がる。
「畳の匂いがする…畳だなぁ」
「マッキーって布団使ってるんですか?」
「ベッドだよ。お爺ちゃんお婆ちゃんの家に行ったときは布団で畳の上で寝てたんだよ。懐かしいなぁ」
「普通それより、好みの女性を全裸で何人並べるかとか考えません?」
「僕がそれは無いでしょ。じゃ、ちょっと寝るから」
そう言って布団の中に入る。ふわふわ。天気干しした良い匂い。
「…」
ふと思った。
「…」
シャワーと歯磨き。
「…」
あと、着替え。っていうか魔力を物質化して服にしてる全裸の状態なんだけど。
「…やっぱりシャワー浴びたいね」
目を開けて立ち上がると、ビッキーはパソコンを作って調べものをしている。
「何してるの?」
「ここって地獄じゃないですかぁ。だから、地獄に落ちた有名人が実際はどうだったかって調べてるんです」
「…へぇ。そう」
あっ。
「ちょ。あのさ。本能寺の変はちょっと気になるんだよね。信長地獄にいるかなぁ」
僕はパソコンでぽちぽちと調べて驚愕の真実を知って震えた。
「ぱんなこった…」