第八十八話 地獄のビッグハッター
「おやおや。君達」
頭の中で響き渡る声が後方から聞こえたようだったので振り返る。ビッキーは器用にウサギから浴びた血潮を魔力で分解させながら、面倒そうに後ろを振り返っている。
「…」
河童がいた。美的センスから言えば、醜悪な生き物には間違いないが、それが歪つな生き物であると見受けられるとしても、不思議と不快ではない生き物のように感じた。顔は皺くちゃの老人のような顔で肌色が緑で苔生してるかのよう。背中には間違いなく大きな甲羅を持ち合わせているように見える。不思議な着物のような服を着ていて、古びた杖を一本地面につけてる。嘴が本来、口のある場所についてる。人間とは明らかに別種の生き物が、地獄のこんなところにいた。
「死の壁を突破した目的はルシフェルかな?」
そんな生き物が流暢に、そして丁寧な言葉遣いとはきはきとした物言いで頭に響いてる。河童の口から出たルシフェルという単語に聞き覚えがある。そう、地獄の王様、悪魔の総大将といえば、ルシフェルという単語がセットでくっつく。ただ、十字教徒の間にも意見は分かれる。一般的に言えば、サタンというのが地獄王とセットだろうし、確かルシファーという単語の意味に、明けの明星という別の意味もある。もし。地獄の王様が本当に十字教徒の言う、かつての天使のリーダーであったなら。僕達の抱えてる終末の問題の解決も幾つか回答をもたらしてくれるかもしれない。
「河童。…へぇ。本当に居たんだ」
ビッキーが口を開けて感動してるように言った。
「初めまして。私、地球の大空以下総てを支配するヴィクトリア家当主のヴィクトリア・ローゼスです。お見知りおきを」
そう言ってよそいきの顔と声でペコリと頭を下げた。
「…」
へぇ。ちゃんと社会人してんだ。ちょっとショック。いつもその調子でやってくれないかなぁ。
「おやおや。ヴィクトリア家か。十三代目当主ソレルファとは懇意にしていたよ。今も続いてるとはね。大変だね」
まんまるい目玉がぐるぐると動く。
「最近は大きく事業改革をしたので大分ラクなのですよ」
「それは良かった。君は…。もしかして大和の国からかな?」
「そうです。東雲末樹って言います」
「ふむ。なるほど。地上へはもう何百年も戻ってないからなぁ」
そう言って河童は嘴を広げて。
「なつかしや。なつかしやのわがふるさと」
滅茶苦茶声が低い良い声に驚いた。声優さんとは別種の、明らかに人間じゃないエコーがかった声質。もっというと、日本神話的な、おそらく、神様の声があるとしたら、きっとそういう声なんじゃないかってぐらいの声だった。実際、日本の神社には河童を祀ってるところもあるし。
「ところで、河童さんこそどうしてこんなところへ?」
「もちろん地獄へ落ちたから…ではないね。私の仕事はこの環境の保全だね。君達が悪い盗人ではなくて良かったよ」
「僕達は地獄王の場所へ向かってるところなんです。黙示録を回避するために」
「あ。はぁはぁ。なるほど。合点がいったよ。君達か。あまりにも強大過ぎるオーラのために空間や次元に捻じれが出来て、迎えも使えもいけないとぼやいてたよ」
「そ。そうなんですか?」
強過ぎるから、僕達の周囲ってヤバイ異空間になってるのか。確かに心当たりもあるし、実際そうなっててもおかしくないレベルではあるか。
「ルシファーをRealのレベル換算に表すと700前後だろう。ミス・ヴィクトリアは見たところ600、君は1000を超えてるし、龍の力を組んでいるね。強さを凌駕している。なるほど。他の悪魔達が接触しないわけだ。ふむふむ。なるほど。なるほど。そうか。また。世界に飽きたのか。再び壊され、また創造する。生と死の繰り返しだが、それ自体に終止符を打つのが君達か。ふむふむ」
しきりに僕達を見て頷いてる。どうやら僕達の事を理解してくれているようだ。
「そうか。なるほどなるほど。やっとか。ふむふむ」
更に頷いてくれてる。この河童からは、良いおじさん感が不思議とする。
「地獄王の元に行きたいんですけど、最短のコース教えてくださりますか?」
「そうか。分かった。今呼ぶ」
河童さんが大きいまんまるの目を閉じると、気付くと隣に女性がいた。
「…」
全身ブランドものの女性。でっかい帽子を被った大柄の女性。香水の匂いがする。これ。どっかで嗅いだ事あるな。そうだ。シャネルの五番。ジャコウネコから取った香り。コーヒーで一番高価で最高級と名高いコーヒー豆、コピ・ルアクはジャコウネコがコーヒー豆を食べた後に出てきた大腸を通って発酵した豆で、おそらく人類が飲めるコーヒーで一番美味しいと評される。僕も天然のジャコウネコが天然の本物から現地で採取したヤツを飲ませて貰ったけど、香りからヤバかったっけ。
「今日はマリリン・モンローなの」
そう言った。でかい帽子の下から、美しくも狡猾な正しく悪魔の顔が現われた。
「ここにも宅配着てんですかぁ?そのスカーフ先月のエルメスのコレクションに出てたヤツですよね?」
「あら。よく分かったわね。ちなみにこの帽子はティファニーがジョージに送った一品で奥さん経由でクラプトンがフィリップにポーカーで負けて取られたところで、私が買い取ったモノなのよ」
「…」
マジかよ。ビートルズのジョージハリソンの元奥さんはエリッククラプトンに取られたって話は有名だ。それをキングクリムゾンのロバートフィリップに取られた帽子だって?
「…」
話が本当なら、ちょっと欲しいかも。僕に物欲を刺激させるとはなかなか分かってるヤツだな。ちなみに僕がちょっぴり欲しくなったものは、松永久秀とともに爆発して無くなったという幻の名物平蜘蛛と織田信長の首だ。ちなみに、本当にどこか、あるとしたら前者は国が回収してるか皇居か大富豪の蔵の中か。後者は都市伝説が入ってるけど、日光東照宮のご本尊だと思ってる。いずれも、歴史ロマンが詰まった物だ。…信長の首。今ちょっと振り返ると小学校の頃の僕はちょっとヤベーヤツだなったな。
「ビッグハットだよ。彼女が私のマスターだ。彼女は気に入ったモノや魂と契約する。望みを叶える代わりに、魂を差し出し彼女の一部となる」
「大昔はちゃんとしてたけど、今じゃあ時代が違うでしょ?労働環境を改善したのよ。だからこうやって皿頭はちゃんと生物としての体を成してる。魂や体を通して味わう追体験は、最高ね。もう飽きちゃったっけど、昔はパソコンもネットフリックスも無かったでしょう?」
そう言って葉巻を取り出し、火をつける…。かと思ったけど、葉巻型の加熱式タバコだった。なんだこの女性は。悪魔なんだろうけど、ちょっと俗物すぎてやしないか。
「マッキーにビッキーね。なるほど。見たとこ感じて、最高にヤベーですね。えっと。ゲートを作ります?それとも、王を呼び出します?」
「あっちから来てくれるならありがたいですねぇ。けど、昭和時代の日本のヤンキー漫画みたいなノリだと、私達がぶしつけ極まりないので、こちらから伺いたいと思いますよぉ」
体育館裏に呼び出すみたいなノリで事が行われるってどんなだよ。昭和知ってんのかよ。