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第七話 初めての交戦をやってのける主人公

深夜のチャイムが鳴り響いてる。一階へ降りると電気はついてる。停電は二階だけのようだ。誰だろうか。時計を見ると針は既に23時を回ってる。


「妙な事さっき電話で言われたし、やだなぁ」


怖いなぁ。やだなぁ。フローリングの板をぎしりぎしりときしませながらゆっくり進んでく。ぎぃぎぃ。変だな。変だな変だな。妙だなあ。こんな時間ですよ?普通の時間じゃあないわけだ。


「…」


インターホンを確認すると髪の長い女の子が立っていた。


「わひゃはひぃ」


一瞬声にならない音を喉からひりあげる。おいおい。おいおいおい。


「こ、こわっくな~い!」


呼吸と心を落ち着かせてインターフォンに出る。


「もしもし」


「こんな夜分に失礼致します。東雲末樹君はご在宅でしょうか?」


え?ふつーだ。普通だ。顔からイキナリ血が出たり不明瞭な叫びも無い。


「えーっと。僕ですけど、どなたですか?」


「私、小林幸子の妹の冴子って言います。お礼を申し上げにきました」


小林…。あ。あいつか!SNSで僕をネタにビジネス展開をやって小金稼ぎにまい進してる同級生。確か妹が中学生に居てアルバイトとかって言ってたっけかな。


「こんな遅い時間に申し訳ありません」


「えっ。えーっと」


こんな時間に。


「もしかして本当にあのSNSで僕をネタにしてた小林さんの妹さん?」


お化けとかじゃないよな。一応確認は必要だ。


「そうです。うちの姉がご迷惑をかけています」


「えーっと。確か中学生って言ってたような…」


「そうです。中学三年になります」


マジかよ。っていうか。


「こんな時間になにしてんの!?女の子がこんな夜更けまでさ!?さっきまでRealやってたから全然気付かなかったよ!何時からチャイム押してたの!?」


「二時間前ぐらいです。パートが外せないみたいだったので、遅くなっちゃいました」


うわ。二時間も!?


「えっと~」


連れ込むわけにはいかない。120%無理。倫理的にアウト。人間的にアウト。ここで家にあげる選択肢は無い。


「もう時間だから帰って。話はまた月曜日にでも聞くからさ。えーっと。電車の時間とか大丈夫です?」


「頑張れば終電まで大丈夫です」


えー!?


「いや。あのさ。タクシー代は払っておくから。今呼ぶからそのまま帰りなよ」


「あの。ちゃんとお礼を言いたいんです。だからここまでこんな時間でも来たんです」


ええっ!?姉が姉なら妹も妹だよ!?見ず知らずの男の家まで普通お礼言いに尋ねるか?ありえないよ!?ひょっとして妖怪?能力者?とにかく絶対家にはあげられない。


「軒先では少し。宜しければ、あげさせていただけませんか?」


「いやいやダメでしょ!ダメだよ!女の子が男の家にあがったりしたら!マジでそういう考えはダメだよ!都会は物騒なんだから!」


「…少しでいいんです」


え?顔をうつむかれてる。は?泣いてる?泣きたいのはこっちもなんだよ!!


「あ。えーっと。今両親居ないから!」


どうしようか。どこかファミレスでも行って話を聞くか?いや。もう真夏だ。ちょっと千葉県市川とはいえ、ちょっと危ない。ふつーにカワイイし、逆に危ないか。クソ!


「じゃあ。小林さんの言う事を聞きますから。それが終わったらタクシーで帰ってくださいね。お代は僕が払いますんで」


相手もきちんと頷くような言い方が出来ない。僕もテンパってる。


「いえ。私は帰りは気にしないでください。お心遣いだけでかまいませんから」


「いや大切なところだよ!?今もう十一時過ぎてんだから!」


最悪だ。最悪だけど、仕方がない。120%ありえないけど。多分この小林さんも意志が固い方だ。僕もそうだから良くわかる。僕が折れなきゃ多分終わらない。っていうか泣かれてるし。こっちが泣きたいくらいなんだよ!


「分かった。とりあえず」


ドアのキーロックとチェーンを外してドアを開けた。彼女が吸血種なら、僕はイチコロだろう。


「ありがとうございます」


夏服の女の子が僕の家に進入してきた。ちょっと罪悪感を感じる。


「えーっと。テーブルに座っててください。麦茶出しますね」


とりあえず、要件を聞くだけ聞いて帰らせよう。タクシーを勝手に呼んで送ってしまおう。


「おかまいなく…」


客用のコップに国産100%の佐賀県産の麦茶を注ぐ。お菓子も必要だろうか。っつーか家の人にも連絡入れないと!今気付いた。これ、多分ヤバイ人だ。


「あのさ!お母さんとか大丈夫かな?もう遅くなってるよ?心配してるんじゃないかな」


確か母子家庭とかって言ってたな。小林さんのお母さんが車を持っていたら迎えに来てもらおう。


「大丈夫です。母にも姉にも言ってますので」


止めろよ!こんな時間だぞ!?二時間とか家で待ってたのか!?もし僕が今日Realで徹夜してたらどうするんだ!?


「…」


「えーっと」


それだけ、お礼が言いたいのか。分かった。その強い意志は受け止める。僕も誠意で答えるべきか。


「ご用件を伺います」


「はい。姉のSNSでの一件です」


でしょうね。


「実は。こんなになっていて」


小林さんはケータイを取り出すと僕に見せた。


「げ」


昼休みに撮影した動画が1000万再生されてる。いいねっ!が100万個ついてる。


「…」


「いいねっ!してる人がロックスターやアラブの王様、アメリカの大統領もコメントしてて、あっという間にこんなに…」


更に伸び続けてる。世界中で僕と前田のわけのわからない動画も拡散されてるっていうのか。北は北極から南は南極。世界中のコメントが溢れてる。氾濫はんらんしてる。大爆発してる。のきなみ。そんな感じだった。


「本当に失礼してしまって。申し訳ありませんでした」


そう言って深々と頭を下げられた。テーブルの真向かいから。長い髪が麦茶のコップについてる。


「いや。いーって。大した事ないよ。本当に僕じゃないし。同姓同名だし。別にこんなのなんとも思ってないからさ。逆にラッキーって感じかも。うわ!すっごいまだカウンター止まってないし。ちょっとは有名人になれちゃった気分だよ。逆にこっちが感謝したいぐらい」


大分無理してるけど、これぐらい言っておかないと納得して帰ってくれなさそうだ。


「そうですか。あの。それと。この動画の回転の広告収入が」


それか。


「大丈夫だって。全部そっちが貰っちゃっていーって!ほら。君もパートで忙しいとかじゃん。多少のお金が入るんならそれでいーって!」


「多少じゃないんです。それも。見込み収入が出て。1回の再生数で0.1円のお金が発生するみたいなんです」


「え?」


えーっと。1000万再生されてるから…。10万円か。


「まぁ…」


いや。違う。100万円だ。


「ひょっとして、これ一本だけの話?」


「撮影された動画の最初が1200万再生を超えたんです。平均で1000万再生の動画が合計で6本。つまり。現時点で既に広告収入が600万円入る事になってるんです」


うお。マジかよ。うっそだろ。一日で!?ゆーちゅーばーだよ。うっわぁ。驚くが。それはいい。


「いーって。構わないよ。加工とか編集とかしてるのはそっちだし。ちゃんと全部小林さんの方で管理してくれて」


今気付いた。ひょっとして。彼女は。また撮影してくれって言いに来てるんじゃないだろうか。こんな大金を一日で稼ぐんだ。なるほど。それならまだ理解できる。彼女の努力は理解できる。怖さが無くなった。一瞬狂気的なものを感じたけど、僕がヤンデレが出てるゲームのやりすぎだったのだろう。


「それは悪いです。東雲さんにも、何かしらいくらかお渡ししなくてはいけません」


「いいって。絶対いらない。明文化すればいいかな。書類を作ってくればサインもするよ。僕はお金に困ってないし。お金は必要な人のところに回って使われるべきだし。Realでも、そういう騒動がちょっとあって僕自身楽しんでるところもあるし。だから。大丈夫。心配する必要は無いよ。そろそろ15分。タクシー代だけ、今度お金が振り込まれたらでいいから、返してくれるだけでいいから」


「え?」


信じられないという顔をされた。確かに、ヴァミリオンドラゴンを引いてなければ、確かに、10%ぐらいは要求してたかもしれない。


「あの。東雲さんには70%のお金をお支払いさせて頂こうと思ってるんです」


「…」


マジかよ。打算的に計算するなら、それは悪くないかもしれない。僕のモチベーションも上がるし、もっと動画を投稿したいって気持ちになるだろうし。ただ、それは僕じゃない普通の人の場合。


「…気が向いたら、また協力してあげるからって姉ちゃんに言っておいて。600万あれば、学費の心配も無くなるでしょ。良かったじゃん。僕は有名人。小林さんにはお金が入る。ウインウイン」


「東雲さん…。良い人過ぎますよ!」


「あはは…ありがと」


「違います!そんなんじゃ世間は渡っていけませんよ!そんな。駄目です!」


確かにそういうセリフを言われたことがあるけど。中学三年に言われるとな。中坊にも言われるレベルなのか、僕は。


「そこまで運命もハードモードばかりじゃないよ」


「…」


「頑張れば、きっと報われる。小林さんだって頑張ってパートもしてたんだ。ご褒美だよ」


「…」


うつむいたまま泣かれてる。別にイイ事言おうと思ったわけじゃないんだけど。もう帰ってくれないかな?今日はもう、ただでさえボロボロにハッピースパイラルのハリケーン雪崩にぶち当たったんだから。もう今日のイベントはいっぱいいっぱい。あまりにもいっぱいいっぱい過ぎて、女子ともドモらずに喋れてるし。もう今の僕に余裕無いよ?


「あの。東雲さんって彼女居ますか?」


どーゆー展開だ?僕を怒らせたいのか?


「居ないけど」


「じゃあ。私、どうですか?」


は?その手の冗談、僕は心底嫌いなんだけど。


「大丈夫。間に合ってる」


「…」


「…」


沈黙だった。もう15分は黙ってる。時計を見たら十二時を回ってる。なんとなく、分かる気もする。でも、僕はもう十分幸せだ。十分だ。


「あの。姉って。頭が良いんですよね。特待生の進学コースに入って、奨学金も出て」


「…」


「家の事も、お金のやりくりで困ってて。だから私。その。風俗とか、AVとか、考えてたんです」


頭が熱くなってきた。そろそろキレそうだ。


「お姉ちゃん、ちゃんとやれば、お医者さんにもなれるって。だから」


キレそうだ。怒鳴ってやろうって決めた。


「覚悟してたんです。お母さんにも、もう、泣いて欲しくないって」


分かった。もう十分だ!そんな不幸は聞きたくない!うんざりだ。最低な気分になってくるんだ。


「だから。今日みたいな一日で、全部問題が無くなっちゃう奇跡で。信じられなくて」


子供にここまで追い詰める思いをさせる、親に腹が立ってきた。今ちょっと久々にキレかかってる。


「お母さんは?大人がしっかりしなくちゃ!」


「お母さんは、お母さんで、いろいろ大変だから…」


いろいろ大変か…。そうなんだ。分かってるさ。大変じゃない人間なんかいない。


「ちょっと席を外すよ。タクシー呼んでくる」


僕はそう言うと二階に向かって、自室に戻って、ケータイを取り出し小林幸子に電話をかけた。


「もしもし」


「あっ東雲君?」


「そうだけど。今僕の家に小林さんの妹さんが来てるんだけど」


「え?…もしかして東雲君ってうちの妹と出来てた?」


「なわけないでしょ!いきなり来たんだよ!どーせ発破かけて煽ったんでしょ」


「え?あーどうかな」


「どーかなっじゃないでしょ!シッカリしろよ!大方、僕に今後も協力を頼むために妹をダシに使ったんでしょ。本当に最低だからね」


今の僕は多少なりともむかっ腹が立っている。だから、結構ストレートに口が動いてる。


「あー。まー。そりゃあ。ちょっとね」


「いくら大金が転がり込むって言っても、大切な妹をこんな時間に男の家に差し向けるとか本当に軽蔑に値するからね。言っておくけど。別に僕に何かの支払いだとか要求だとかは考えなくていいから。小林さんが勝手にやって勝手に稼いだだけの事。一言言ってくれればそれで良かった」


僕がまだ口上の途中で小林さんが割り込んだ。


「一言で済むわけがないじゃん。こんなビッグチャンス。そんな簡単なものじゃない。どんなことしたって。あのさ。まだ居るの?うちの妹」


「いるよ。すぐタクシーで返すから」


「変な事言ってなかった?」


「変な事だけしか言ってないよ!怒ってんだからね。言っておくけど。伝えたい事があるなら小林さんが直接言えばいいじゃん!マジで最低だよ。カワイイ妹を金づるの家に送るとかさ。本当にゲスの考えだよ!」


「…そこまでは言ってない。それに、東雲君の家にお礼に行くのも明日二人で行こうって話してたし。私は別にそこまでする必要はないって言ったけど」


「なにそれ?小林さんが落としてこいって言ったんでしょ」


「そんなの言うわけないじゃん!確かに東雲君の家は教えたけど、今日パートもあるし、ふつー行かないよ…」


「来たんだよ!しかも僕はRealログインずっとしててさ。ずっとチャイムのピンポンを押されてたんだよ。僕が一人暮らしだって知ってるよね!?」


「え?は?東雲君の家って一人なの!?」


「そーだよ!!」


「ちょっとふざけんな!妹に代わって!」


「僕はまだ話が」


「いいから!ケーサツ呼ぶぞ!」


「わかった」


一階に降りてケータイを妹さんに渡した。


「…」


喧嘩してる。かなりナイーブな話を大声で。こういうのは部外者の僕が聞き耳を立てるべきじゃないな。二階へ行こうか。


「…」


自室に戻ってパソコンをつけた。コーヒーが飲みたくなってきた。喧嘩の声が聞こえなくなって頃に一階へ戻った。鈴虫の声が聞こえる。クーラー、つけてなかったけど、今日は丁度良い涼しさだった。


「聞いてました?」


「聞いてないよ。家の話絡んでたし」


「聞いてるじゃないですか。あの。今日は。私。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


「いや。いいって。逆の立場なら、同じ事やったかもだし。話は終わり。僕はただ、ちょっと小林さんに動画撮影に協力しただけだから。それだけ。それに、その広告収入だって手元に来るまでは当てにはできないし。送ってくよ。タクシー呼ぶ」


「いえ。あの、どうせなら始発までここにいていいですか?」


絶対無理。


「ダメです。そもそもこんな夜に中坊が男の家に転がり込んでるなんて冗談じゃなく犯罪だからね。むしろ僕が迷惑してるし」


「人生はマンガと違うんですね…」


変な顔で横目を逸らして言われた。もしかして、好きなマンガがあって、きっとそういう世界観に浸ってたのかもしれない。


「当たり前でしょ…。ただでさえ少女漫画ってマジで狂ってるの多いっていうのに…」


「でもタクシーは嫌です」


「なんで!?いいでしょ!もう一分一秒だってこういう状況は好ましくないんだからね」


「…私って東雲さんのタイプから外れてるんですね」


「そういう話じゃないよ。道徳的な問題。普通の不変の話」


「普通ならお金要らないとか!付き合わないとか!すぐ帰れとか言わない気がします」


「僕の普通の話。小林さんも、普通に好きな人が出来て、友達になって、映画館行って買い物に付き合うようになって打ち解けてきて、それからやっと、その人の家に行くようになるんだ。三か月から半年。で。親に挨拶するわけ。今回の小林さんのパターンをちょっとでも考えてみてね。初登場シーンから突然家のチャイム鳴らしてくる展開は流石の僕でもついてけないよ!胃に穴が空くよ!」


「分かった。東雲さんが変なんだ」


まるで可哀そうなものを見るかのような目つきで僕に言う。


「異常です」


思っても言うかソレ!?


「それすっごい失礼だからね!?」


「そんな映画のようなストーリー、ありそうでなかなかナイですよ。きっと」


「あるかないかなんかわかんないし、それでも信じて生きるだけ」


だから。僕は、他人の言葉なんて信じちゃいない。どう生きるべきかだなんて、僕にしかわからないんだ。どう死ぬべきか、誰かが答えを教えてくれるのか?冗談じゃない。僕の人生は、どこまでも僕のもの。


「…」


再び沈黙。いっこうに、らちが明かない。僕はケータイを出してタクシーを呼んだ。


「まだ。話は終わってないです」


「当たり前だよ。結論、二人じゃ話が終わらない。送ってくよ。君の姉さんにも一言言っておきたいし。お母さんにも、一言ぐらい言わせてもらうよ」


「そうですか。……わかりました。言ってやってください」


そして、にっこりと微笑まれた。


「まだ話は終わってないですから」


コイツ、中坊のくせにイキり過ぎだぞ。


「…」


タクシーが到着するまで無言だった。乗り込んでから、行先を言ってもらう。


「…」


ごろんと身体をおもいっきり背もたれに預けた。今日はもう、いっぱいいっぱいだった。


「音楽かけますか?」


タクシーのドライバーさんがそんな事言うのかと思った。


「ディープに休める、シティポップなローファイあったらお願いします」


「あいよ」


「ディープに休みたいんです?」


「疲れちゃったんだ。今日はRealでもいろいろあってさ。だから少しきゅーけー…」


目を閉じたら、音楽が聞こえてきた。…悪くない。こんな夜にはピッタリの音だった。


「…」


ふと、僕の肩に重さを感じた。まさかと思って目を開けると、中坊が僕の肩に頭をもたれかけてきてる。僕の知らないシャンプーの匂いがした。中坊のくせに、それがいやに生々しく感じ取れる。


「起きなよ」


「あと少しだけ」


「…」


彼女もきっと、いろいろあったのだろう。いろいろな覚悟で、僕の家にやってきたんだろう。最悪の状況も考えただろう。きっと、彼女はその最悪を受け入れる覚悟で、永遠にも似た時間、ずっと、僕の家のチャイムを押し続けてたんだろう。


「十分、頑張ったんだ。もう大丈夫だ」


失礼を承知で中坊の肩に手を置いて正位置に戻す。


「ふつー。もうちょっと優しくしますよ。マンガなら」


「ふつーでも無いしマンガでもない。それに、そういうのは、優しさじゃない」


「年上好みなんですね…」


「そういう会話は、女性とはやんないよ」


まして、カワイイ女の子となんかと絶対に。


「東雲さんの家ってお金持ちなんですか?」


出し抜けに言われた。


「そうでもないよ。ただ、演奏は上手いから。結構大物のワールドツアーで補欠扱いでついてったりしてさ。うちの両親結構ポーカーが上手くて。連中から巻き上げてるみたい。コーンのギターとか八本も倉庫にあるし」


「いいなぁ。うち貧乏だし」


「貧乏だったっでしょ。言っておくけど、別に君が来たから協力するってわけじゃない。月曜日にでも、事情を聞かせてもらったら、ちょっとの時間の拘束ぐらい気にせず協力してた」


「…」


また肩に頭をもたれかけてきた。僕は躊躇なく肩を掴んで正位置に重心を戻した。


「意地悪だなぁ。運転手さん。それ止めてジャズお願いします」


「あいよ」


「…」


ジョン・コルトレーンのA Love Supreme。至上の愛。正直難解過ぎる。今の僕にはぴったりか。愛ってなんだろ。…良い選択だ。


「運転手さん。やっぱりジャズ止めてください」


「あいよ」


え?


「ジャズってわっかんないな」


「…僕もわかんないよ」


時刻は既に午前零時過ぎ。二階建てのアパートの二階。息を整える。


「おじゃまします」


母親にもきちんと説明しよう。一から十まで、小林さんの妹に説明した同様に丁寧に。そうすると、僕は人助けのボランティアが出来て、小林さんの家計は潤い、妹の中坊はパートせずにちゃんと学業に専念できるわけだ。


「…」


「どうぞ」


アパートのドアを開けると、そこの家独特の家庭の匂いが鼻に入ってきた。


「あれ?東雲君どうして来てんの?」


「ちゃんと親御さんにも説明しようと思って。小林さんにも一言言いたくなってさ」


「お母さん仕事だけど」


「え?」


「そうなんだ。今日仕事だったんだ」


中坊は言った。いやいや。僕はちゃんと親御さんにもきちんと説明するつもりで来たんだけど?お母さん居なかったらここに来てないよ?


「そうなんだ。じゃ月曜日に撮影ね。10分だけ。冴子さんお姉ちゃんに今日言ったこと全部伝えてて。お姉ちゃんは妹さんに二度と夜によく知らない人の家に行かないように厳重注意をお願いします。今日は僕だから良かっただろうけど、普通はマジで大変な事になってたんだ。二人で仲良く反省しなよ」


くるりと背中を向けてさっさと帰ろうとすると、肩を掴まれた。


「折角家に来られたんですから、お茶の一杯でも飲んでいってください」


「女性二人の家にあがる程無神経じゃないよ。玄関先で失礼。それじゃ」


「ちょちょっと。お母さんも帰ってくるかもしれないですから。ちょっと待っててください。大金が絡んでますから、東雲さんも居なくちゃ話がまとまりません」


そうかもしれない。僕本人が説明した方が間違いは無いだろう。


「どれくらいで帰ってこられるんです?」


「えーっと。そろそろかも」


「今日は」


「少し遅くなってるのかな。あがっていってください。東雲さんってご飯食べました?」


「いや食べてないけど」


「良かった。何か作りますよ」


「いや。結構です。女性だけの部屋にこれ以上居るわけにはいかないです」


オウムのように僕は繰り返した。女性らしい部屋のデザインに彩られてる中、僕はこの場に居るべきじゃない。


「まぁまぁ。それじゃ、ちょっと詳細だけでも見てかない?ようつべのうちのサイト。東雲君の端末じゃアクセス出来ないし。ちゃんと確認もしてもらいたいからね」


「もう時間だから」


既に日にちをまたいでる。もしお父さんがここに居たら、間違いなく怒鳴られるし、僕なら殴ってつまみ出す。これが朝ならまだいいけど、こんな時間は不健康だ。帰らなきゃいけない。誰だってそうする。僕だってそうする。


「すぐ終わるからさ。あと、更にカウント伸びてるし、収益の割も0.1から0.2に上がっちゃったし」


「え?お姉ちゃんマジ?」


「うん。そう。なんか上がってた」


えーっと。600万の倍だから1200万か。…やべーな。


「ほらほら。東雲君。古風な紳士はいいからビジネスライクで見てってよ」


そう言われて腕を掴まれて強引にあげられた。


「ちょっちょっと」


割とマジな力で引き込まれた。ちょっと腕が痣になってるかもしれない。


「こんな形で女の子の部屋になんか入りたくなかった…」


「そう?現実は非常なものだ。ほら見て」


一つの部屋が二つに分かれた姉妹の部屋なのだろう。じろじろ見るような事はせず、僕はうつむき加減に視線を落としながらパソコンに目をやった。


「いろんなオファーも来てる。アメリカのフォロワー5000万越えからもコメント貰ってるし。私これで食べてくことにする。東雲君結婚して」


「ごめんダメ」


「そこをなんとか」


「絶対ムリ」


「体だけの関係でいいから」


「それ以上言うとそのチャンネル解約してもらうよ」


「これ解約したらオーケーなの?」


ヤバイ。小林姉も相当だ。ここまで食らいついてくるものなのか。


「あのね!」


僕が言うと。


「はい。チャンネル登録解除」


「は?」


「え!?ちょっと!!」


中坊がパソコンをぽちぽちしてから悲鳴のような声を上げた。


「なにやってんのよお姉ちゃん!!1200万消えちゃったじゃない!」


「あー。大丈夫。うちの彼氏が協力してくれるから。次はちゃんとマシなのでさ」


「え?ちょっと!勝手に何話を進めてるんだよ!彼氏が協力してくれるんの!?」


「彼氏って東雲君のことだよ」


意味がわからない。


「だってチャンネル登録解約したらいいって言ったじゃん」


「言ってないよッ!!」


誰かが超能力を使って時間をぶっ飛ばしでもしたのか?ありえない。本当に理解できない。


「チャンネル登録解約してもらうよって言ったじゃん。だから黙ってそうしたの」


「冗談みたいなバカな事ばっか言ってるからだよ!」


「それは東雲君が発言に対して責任を持たない理由にはならないよ?」」


「売り言葉に買い言葉ってやつでしょ!そっちこそ言葉に責任を持ってよ!」


「え?意味がわからない。どのあたりが?」


「だから!急に結婚してとかあたりからさ!冗談にしていい言葉と悪い言葉があるんだよ!突然酷いよ!こっちがびっくりしちゃった!」


「本気だけど?」


「は?」


「私は本気だけど、東雲君はどうなの?自分の言葉に責任を持てる?東雲君の体とチャンネル登録の解除なんて比べるべくもないよ」


「いや…」


なんか話が変な方向になっていってるぞ。なんだこの雰囲気。この感覚はヤバイ感じがする。妙な感覚がする。


「勢いで言ってみただけ…」


「そうなんだ。その勢いを真に受けて1200万越えの広告収入をふいにしちゃったけど。もういい。出て行って。所詮東雲君は自分の行動に責任を持てない子供なんだね。お金はいいって言っておきながら、内心どんな風に考えてたのやら。そんな偽善者とはやってけない」


えーッ!!??


「い、いや。僕は…」


「帰って。東雲君って何か特別なものがあるかもって思ってた。だけど、それも勘違いだった。東雲君は私達を捨てて出て行った父親みたいな人なんだ。自分の行動の結果に責任を持てない人。最低だよ」


「ちょ!聞き捨てならないな!!そんなわけないだろ!この僕が!」


「じゃあ自分の行動に責任を持てるって証明して」


「やるよ!どーしろって?」


「私は自分の人生を天秤に掛けた。東雲君にもそうしろとは言わない。私と東雲君は多分釣り合いが取れないから。…今日一日付き合ってくれるだけでいい」


どんな事を言われるんだろうと思ったけど、今日一日。一日だけ。


「分かった。それだけでいいの?」


「それだけでいい」


空気が変わった。陽気で勢いのある元気なザ・美少女!というキャラクターから、凍り付くような声を発する冷徹な女王のようなキャラクターへと。冗談にも思えるが、こういう人は、確かに実在するのだ。そして、絶対、近づいてはいけなかった。近づくべきではなかったのだ。


「あは!ちょっと暗くなりすぎたかな。今日は遅いし、東雲君、始発まで待ってなよ」


空気を変えたつもりの明るい表情だが、僕の空気は全く変わってない。


「いや、もう帰るよ」


「だからちゃんと自分の発言には責任持てって~。もう一日は始まってるんだぞ」


「…」


「さえちゃん東雲君を風呂場まで案内してあげてね」


「わ、わかった」


小林妹に案内されるまま風呂場までやってきた。なんだこれ。


「君のお姉さん、あんな感じなの?」


「い、いえ…。初めて見ました…。多分…」


「多分…?」


「希望が姉を変えたんです」


「ええっ?」


「それじゃ…」


浴室のドアに鍵をかけた。


「…」


なんだ。この展開は。


「…」


どうして。こうなった?


「…」


ひどいよ。あんまりだよ。こんなのってないよ。


「…」


顔はカワイイ。胸だって妹のAではなくちゃんとしたそれなりの大きさだってある。魅力的なカワイイ活発的な感じだったはずだ。それが。なんか。どっかの廃寺にかけられてる幽霊画のような、不気味な恐怖を感じるモノに変貌を遂げている。


「…」


どうしてこうなったんだろ…。なんでこうなったんだろ…。僕はただ、良かれと思って行動したはずなのに。


「…」


浴槽にはお湯が張ってある。湯気も出てるけど、人様の浴槽を使う気にはなれない。シャワーで軽く流して、僕の知らないシャンプーを使った。


「…」


なんか。嫌なテンションになった。多分、最悪の相性だと思う。


「…」


シャワーを浴びながら一連の言葉の応酬を考えた。突然結婚してとか言われてたな。


「なんでああいうこと言ったんだろ…」


そして、ちょっと考えてから。


「どうしてそういうこと言えるんだろ…」


大金のため。今後のため。自分のため。家族のため。


「お金が必要って妹さん言ってな…」


もしかしたら。小林さんは、妹以上に…。


「…」


そこまで考えると、シャワーを止めて、浴室を出た。女性だけの家でタオルを使うのはばかれるけど、しょうがないなって感じだった。今の僕は、これからの一日がどうなるのか。不安でしょうがなかった。


「…」


脱衣所を出ると中坊が居た。


「東雲さん、今日は遅いから少し休んだらって。私もシャワー浴びて寝ますので、ゆっくりしていってください。冷蔵庫にジュースとかビールもありますので」


「あ、ありがと」


部屋は暗く、にっしょっこうのオレンジの光がふとんを一つ照らされてる。こたつの横に場違いのように敷かれていた。


「お母さんはまだ帰ってこないので。ゆっくりしていってください。あの。その。ごめんなさい」


どうしてか謝られた。


「いや、いいよ。君のせいじゃないし」


「埋め合わせはしますから」


そう言って脱衣所のドアが閉じられた。


「…」


妙な事になったな。


「…」


とりあえず。少しだけ横になる事にした。思えば、今日一日。本当にヘビーな一日だった気がする。realをプレイしてろくに寝てないし。


「ふかふかだ」


そして、良い香りがした。自分の部屋じゃない、どこか別のふとんの香り。それが、奇妙に、僕に、安らぎを与えた。


「ちょっとだけ。きゅーけー…」


シャツとズボンを脱いで、Tシャツと柄パンという、いつもの寝巻を整えてから、ふとんに入った。Tシャツは変に汗ばんで、洗ったばかりの綺麗なTシャツじゃないので、着心地は悪いけど、それでも、ふとんに入った時の安心はたまらないものがあった。


「…」


修学旅行とか、旅行とか、学校の行事で泊まったりする時って、大抵僕は一番最後まで起きてたのに。今日に限って、眠くなってくる。身体の芯から、休みを欲するように。


「魔力切れそこそこかも。なーんて…」


かちりかちりと僕の知らない時計の秒針がリズムを刻む。ドライヤーの音が聞こえた。中坊が浴室から出る音が聞こえた。静かに閉められてる。中坊のくせに、律儀なやつだ。


「…」


なんでこうなったんだろ。怖い時の女性って、どうして、歯向かえないんだろうか。知らない匂いの中で、不思議に思って、ふとんが敷かれてるからってそのまま入って、うとうとしちゃって。


「知らない天井だし…」


目を閉じると、どっと体の疲れが噴き出す感じがした、気持ちよくなってきた。あのシャワー。うちの使ってるシャワーより、ちょっとぬるかったなぁ。


「…」


「…」


あれ?


「…」


「…」


なんで起きたんだろ。なんか音がしたか?五分か十分やそこらか?或いは一時間ぐらい寝てたか?妙に頭がさえてる。っていうか寝息立ててたな今。ヤバイ。寝入ったか。


「…」


「…」


本能が働いてる。こういう時って、些細な物音で起きちゃうみたいな。ましてや他人の家で。


「…」


「…」


目を開けると、小林さんが僕の上に覆いかぶさっていた。にしょっこうの光が届かず、暗闇の輪郭が小林さんのボディラインをなぞっている。顔は見えない。真っ暗闇の影が、僕を直視していた。


「…」


「…」


顔は見えない。目が合ったかも定かじゃない。いや、多分合ってる気がした。どうしてそんな真似をしてるのか。ホラーチック。これはローファンタジーだぞ?少年の大冒険ものでハッピーエンドは確約されてる。だのに小林さん。あんたが今やってるのはホラームービーでも本格的にやべーヤツだぞ。BGMがホラーなら、ここは失禁シーンの絶叫モード。


「…」


「…」


夜這い。という言葉が頭に浮かんだ。今考えると、こういう可能性があったのではないかと思える。ふとんが敷かれてたから、そのままの勢いでもって、横になっちゃう。挙句寝てしまう。


「…」


「…」


僕にも責任はあるのか?こんな無防備を晒した挙句、敷かれたふとんにのうのうと寝転んでる。母親が帰ってくるとはいえ、この家には女性二人だけしか居ない。そんな状況下で。しかもどうやら僕に好意というか、いろんな意味での下心を持っている小林さんとのいざこざの直後。まるで、むしろ、僕が誘っているかのようではないのか?ギャルゲーやら恋愛趣味レーションのゲーム、ノベルゲームやらをクリアし吟味しレビューしてきた僕としては、この現状をどうにか解剖すべき義務がある。


「…」


「…」


最善の一手を打たねば、僕は死ぬ。間違いなく。死とは、冒険の終わりを告げること。


「…」


「…」


事が発生した場合、おそらく人一倍性欲が強い僕の事だ。着床は避けられないだろう。子供が成人するまでの二十年間は父親として子供のために人生を捧げる。母親の事は現段階ではわからない。いや。計算を誤ってるな。一年間はお腹の中だから二十一年間か。仕事はなんでもいい、野原さんの特養でもいいし佐藤さんのトマトジュースの会社でもいい。すぐに働ける。なんでもやる。子供の名前は、そうだな。祖父から樹の字を代々使ってるから男の子なら入れたいな。小林さんはどうだろうか?彼女の高圧的かつ冷徹な態度。そして今、二秒前に確認した現段階。小林さんはどうして。妹の中坊は希望のためだと言ってた。希望。未来に対しての希望。僕が希望?そりゃ、1200万円を一日で生み出す男子高校生だ。希望そのものかもしれない。数字だけ考えれば、それだけで人の一生を左右する金額。そのために、彼女はこうやってる。打算的な目的のために動いてる。彼女の事を他に何を知ってる?妹の中坊は家族のために自分を犠牲にしていた。今日一日で僕は中坊の生き死ににも匹敵するような覚悟を見た。そして彼女は家族のために、望ましくない仕事もやるつもりだとも言っていた。自分を殺して。もし、妹以上に姉は家族のために考えていたら?妹以上の覚悟を持ってたら?三秒が経過した。


「…」


「…」


全部僕が解決するじゃないか。問題無い。どうせお前らにはたっぷり稼がせてやるさ。お腹いっぱいになるまでな。あんまり慌てるなよ?


「…」


「…」


動画なんていくらでも撮ればいい。結論は決まった。彼女の目的に最低限に沿うようには行動してやる。動画のアップでいくらでも稼げばいいさ。協力もしてやる。


「…」


「…」


でも。僕の貞操だけは奪わせない。


「…」


「…」


好きでもない女とセックスするぐらいなら、死んだほうがましだ。


「…」


「…」


結論は下した。あとはどうやってこの場を乗り切るか。世界を、地球を、参考にしよう。強敵に対してピンチを乗り切る際、動物はどうすればいいのか。地球史における回答。


「…」


「…」


死んだふりである。擬死。やり過ごす。この場を確実にやり過ごすのである。


「…」


「…」


どれだけそうやってるつもりだい?僕は待つよ。始発まで。いくらでもね。何時間でも。狸寝入りをしてやる。絶対に反応なんかしてやらない。甘い言葉も思わせぶりな態度も無理。絶対の覇者である純愛マイスターの僕が、君のようなちょっとぐらいカワイイヤツに落とされるとでも?こっちは付き合ったことも無いし、バレンタインのチョコもゼロで、手を繋いだことすらないし、十秒以上女子クラスメイトと話したことすら無い。ラノベみたいにカワイイ幼馴染がいるわけでも義理の妹がいるわけでもない。


「…」


筋金入りの非リアを、舐めるな。


「…」


「…」


四秒経過ッ。よく耳を澄ますと吐息の声がする。僕以外の息。変わらず僕に覆いかぶさっているのだろう。両腕を僕の肩の近くに置いて、両脚で僕の足を挟むように置いて、その態勢が果たして何分持つかな?十分?二十分?こっちは待つよ。君がギブアップして寝床に帰るのを、ただひたすらに待ち続けるよ?いくらでもな!


「…」


「…」


君が僕に勝負を挑むというのならば、いいだろう。惜しかったね。僕は君の先を行ってる。夜這い行為も無駄。僕と君とではレベルが違うのだよ。


「…」


「…」


あれから十分は経過しただろうか。二十分は経った?しかしながら、変わらず、小林さんの吐息が聞こえる。立ち去った気配はせず、変わらずじっとりとした粘っこい気配が漂ってる。凝視され続けてるのだ。


「…」


「…」


男女の営みは生命のやり取りだ。図らずとも、僕達が今やってるのもそうだろう。命のやり取り。真剣勝負。本身の刀と刀で斬り合ってる。僕が死ぬか。君が立ち去るか。タイムアップは夜明けの時刻。君は気付いてるかもしれない。僕が既に起きてることに対して。僕があえて君の蛮行を無視しているという状態に、状況に、戦略的にしかと行為を行っている事実に。圧倒的有利だった君の刀は僕を貫いていた。だが惜しかったね。そこは急所じゃあないんだ。この勝負、がぶりつきのまま、タイムアップで僕の完全勝利だ。この勝負は真剣勝負、あらゆる戦術が許されてる。反則なんて無いのだ。


「…」


「…」


勝利を確信した僕にちょっぴりの余裕が生まれたのか、ちょっとうとうとしてきた。勝ち誇って寝息を聞かせてやるのも一興かもしれない。


「…」


「…」


そんな時。ふと違和感が耳にあった。


「…!」


「…」


耳!?耳に明らかな違和感が…。いや。まさか。気のせいだ。


「!」


は?えっ?え?ちょ。ちょっ。ちょっと!!マテ!耳を舐められてる!?


「…」


「…」


反則だろそれぇええ!!?くっそ!人生やっていいことと悪い事があるだろう?


「…」


は?え?え?マジでやってんの?信じられない。は?は?は~~~??


「…」


「…」


再び僕の細胞、本能、脳髄が、着床を想定したムーヴをかましてきた。例えるなら、小銃にグリスがさされて安全装置が外される。もはや、敵は眼前。振れば斬れる間合いの中、僕は袈裟斬りにかかられてた。


「…」


「…」


心臓がばかみたいに動いてる。小銃がやがてドレッドノート級へと変貌を遂げる。肺が大きく動き出す。僕の両親、祖父母、ひいじいさんひいばあさん、紡がれてきた生命史。一体、どれだけの奇跡が紡がれてきたんだ。僕は脳裏でそれを見た。感動に震え、喉から声が出そうになってた。意志が、肉体を凌駕するなんて信じられない。ありえない。僕の理性はどこまでも、支配されるべきだ。敗北なぞ、ありえない。


「…」


「…」


暗黒に染まった僕の両腕が小林さんを包み込む事が頭に浮かんだ。僕の死。童貞の喪失。僕の希望がただの肉欲に負けてしまう、哀れなちっぽけなただの…。


「何してるの?」


第二ラウンドの開始だ。口論で屈服させてやる。たかだかちょっとした女子高生がこの僕に対しての狼藉行為、ツケは払ってもらう。いざ論破。口舌の刃でって、心を裂いても。斬り捨て御免だよ。


「東雲君の中を視てる」


「…」


予想の斜め上。え?…どういうことだ?


「ずっとそうしてて飽きないのかな?」


「飽きない。おもしろいからね」


おもしろいのか?僕の中?想定した議論も予測してた結末も置いてけぼりだ。


「意味がわからないよ」


「…人にはそれぞれ波紋のような力が湧いてるんだ。私には小さい頃からそれが視える」


え?


「…」


顔をゆがめてたと思う。僕の全神経が、凍り付いてる。今この状況、生殖どうこうじゃなくなってる。一体何の話をされてる?


「…」


オーラ。そういえば、ツキコモリさんも言ってた。


「東雲君は中でも凄くてね。それが一昨日から、おもしろくなってる。たまに煌めくの。虹色に」


「…」


どういうことだ。


「シークレット賞。当てたの知ってるよ」


な。なんだってぇ~~!??


「嘘や虚偽があると、その波紋が揺らぐんだよ?」


「な、なに…言って………」


「東雲君。面白いね。いろんな形状に代わって。こうやって耳を舐めると更によく分かるみたい」


「ばかな。じょーだん…」


「私を論破するって?」


え。


「オレ様モードになってるのが笑っちゃうよ。だって東雲君。こんなにもう、命に届く距離にあるのに」


そうやって僕の心臓に手を置かれて。寝そべるように僕の胸板に頭を置かれた。


「こうやって心臓の音を聞くと、さらによく分かるみたいだよ。東雲君のこと。ヴァミリオンドラゴンのこと」


「…」


絶句とはこういうことだろう。頭がフリーズしてる。


「…」


「私ってさ。物心ついたときから、結構自分を特別だと思ってんだ。そして、いつか私と同じ特別と出会いたいって思ってた。東雲君は元から波紋の色がヤバかったからチェックしてたんだ」


「…」


「大丈夫。東雲君は、私以上に化け物だから…」


「…」


これはダメだ。アウトだ。距離を取らなければ。駄目だ。絶対にダメだ。ありえない。どうして?どうしてこうなった?なんで?ばかな。不可能だ。理に適わない。不条理だ。絶対無い。ふざけるな。


「この事を他の人に言ったのは初めて…。こんな夜にぴったりの告白だ」


ヴァミリオンドラゴンの事が。バレてる。こいつ、マジで。マジもんで。…能力者だ。


「結構ハードモードだったけど、今報われてるから。それでいっかな。あは!私も自分の波紋が、こんなに伸びてるの初めて視るよ。たまらないよね?こんなシチュエーション」


「想像を凌駕してるよ。こんなバカげた展開にはね…」


逃げなきゃヤバイ。絶対ヤバイ。本能が僕に訴えかけてる。


「あれれ?私の波紋が、東雲君のにひっついてる」


「…」


逃げろ!にげろ!ニゲロ!ヤバイ!やべー!ピンチだ!今、心臓を握り潰されている!


「どうなるのかな?私のが、東雲君を覆ったら?」


最悪の展開になる。本能が。遺伝子が。肉体が。この場からの脱出を激しく訴えてる。


「オーラ。それオーラっていうらしいよ。それ止めてくれない?」


「東雲君。人にお願いしておいて、そういう態度はよくないな。もっと。情けないように声を発してもらわないと。…でもオーラか。なるほどね。物知りだね東雲君」


最悪の事態が脳裏をよぎる。


「ごめん!」


もう暴力で解決するしかない。力で脱出する。この場を、力ずくで全力のビーダッシュ。後ろは見ない。作戦はシンプルだ。考えず、ダッシュで玄関に向かう。


「…ッ?」


「作戦名はカエルのように潰れた東雲君のプライドってやつかな?なんだか気持ちよくなってきちゃった。東雲君のオーラを貰ってるのかな?融合してるのかな?それとも、侵食してるのかな?だんだん分かってきた。私のこれからの人生がさ」


力が出ない。マジで出ない。意味が分からない。


「ぐッうッ」


ニゲロ逃げろにげろ。飛び出せ!この場から!


「ぐッ」


「こういうのって、ありがちだけど、なんか悪くないかも」


首を、絞められてる。


「かっはッ」


首を絞められて落ちるまでの時間、およそ十秒。陸自の山崎さん、ごめん!


「ぐ」


絞められた腕を掴んで勢いよく力に沿って回し、開いた右腕の肘で小林さんの顎に鋭く当てた。本職仕込みの締め技からの脱却。これは効く。


「あッ」


「けほっゲほっ」


腹上にいる小林さんを両手で力いっぱい跳ねのけた。


「ハァハァ…」


立ち上がってにしょっこうの電気を二回引いて電気マックスの状態にした。玄関の方向を確認できた。


「ハァハァハァ…」


ダメージが回復出来てないけど、僕よりも小林さんの方が食らってるはずだ。小林さんの方を見た。


「東雲君ってバイオレンス系~?なんかショックだな~」


立ち上がって笑ってる。いや。それ以上に。部屋中に腕のようなモヤみたいなものが伸びてる。


「これは…」


「視える?うっそ。ちょっと嬉しいかも。いや当然か。あは!やっぱり私達って同じだね」


冗談じゃない。なんでこんな展開に発展してんだ。


「はぁはあ…はあ…」


既にスタミナ切れもいいところ。ダウンプアってヤツになりかけだぞ。僕を殺す気満々じゃないか。


「…」


小林さんからは、黒いオーラにまみれた女。ひどく悪い女性に見えた。とんでもない悪を見てしまった。これが、さがってやつだろうか。


「…よっと」


一本の腕に掴まれて、僕は尻持ちをついた。そこを小林さんは思い切って蹴りを入れる。僕のみぞおちにジャストミートした。


「はッが…」


「倍返しっと」


倍返しどころじゃない。内臓に衝撃が伝わるほどに全身にショックが渡った。息が詰まった。


「…」


認識を改めるべきかもしれない。息が、できない。


「いいからさっさと私の物になれ」


「…」


そのまま崩れ落ちてしまった。


「かッ…か…か…」


息がほんのわずか。わずかしか吸えない。マジでみぞおちに食らった。


「か…か…かは…かは…」


息を整える。頑張って整える。上を見上げた。


「!」


そこには、美しくも恍惚の顔で僕を見下ろす小林さんがいた。まな板の鯉。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


「かは…は…はぁ…は…はぁ…」


「もう一発、いっとく?」


死。死ぬ。やばい。殺さなきゃ死ぬ!マジで死ぬ!!


「ほっと」


蹴られる場所が腹だとあたりをつけ、踏みつけられる足を全力で両腕でガードし受け止めた。僕はそれを思い切り捻った。


「お?ああッ」


「ハァ…ハ…ハ…ハァ…」


みぞおちからのマジもんのダメージからはまだ回復できてない。けど、もう右足は使えないぞ。このやろー。


「そういう事やっちゃう~?」


再び白い腕が僕に伸びてきた。これはダメだ。僕の全身を侵されたら、脳髄までやられてしまうような予感までする。一撃でおわってしまう予感がする。


「う!」


逃げろ。ニゲロにげろ!!こいつはかなわない。全力で!


「ちょっと二人とも!何してるんですか!?」


小林さんの妹が出てきた。これは。ヤバイ。


「今はヤバイから!」


「お姉ちゃん!なにやってんの!?」


今。視線が動いた。視認してる。この異常な部屋を。この中坊も、視えてるのか。


「東雲さんはもう帰ってください!今すぐ!!申し訳ないですけど!」


「何言っちゃってんの?さえちゃんは大人の都合に口を出さないで!」


「東雲さん!早く出て行ってください!」


そうして中坊はつかつかと小林さんの前まで来ると、鋭い音がするビンタをした。


「お姉ちゃん何やってんの?」


「ちょ!冴子ちゃん!」


「…」


「黙ってください!ここから先は家族の問題です!」


「東雲君」


僕に向かってくる小林さんを冴子ちゃんは正面から抱き止めた。


「早く行ってください!これもう、姉妹の問題だから!」


「ちょっと!そっちこそ関係ないでしょ!」


「大アリだよ!ちょっと惜しいけど、これで貸し借りは無しで、埋め合わせはしましたからね!」


「なに言ってんだこの!」


「え…」


「いいから早く!ややこしくなる前に帰ってください!」


「ご」


喉元を鳴らす。


「ごめん!」


「このやろ…」


「150センチが170センチに決められたらもうダメでしょ!」


僕は玄関からダッシュで帰った。シャツ一枚とパンツ一枚で、ジーパンを脇に抱えて。


「か…はぁ…。ひ…ひぃ…ひい…」


勝てるわけがなかった。死なないために、逃れなければ。死なないために、逃げなければ。口から血が出てた。


「はひ…はひ…」


総武線沿いの都道60号を全力で走った。涙や血を垂れ流しながら。


「はひ…!はひ…!」


ようやく、いつもの見慣れた道に出ると、ようやく歩けた。情けなく、歩いた。とぼとぼと。


「…」


今日はもう、考えたくなかった。


「…」


「マッキーさん」


ようやく家の近くまで来ると、トマトジュースの会社に勤務してる佐藤さんが居た。


「佐藤さん、お腹からトマトジュース噴き出してますよ」


「ちょっとケンカしちゃってですね。それよりもマッキーさん」


「なに?」


「…いや。なんでもないです」


「お互い大変だったみたいだね。…おやすみなさい」


時刻はもう、始発の時間なんていいところだった。今夜は多分熟睡も間違いなし。絶対に九時に寝坊すると思うので、Realに接続してから眠る事に決めた。


「なんてハードデイズナイツ…。ビートルズも大変だったんだなぁ…」


一応、玄関の表札の横に、今日一日はRealのために不在してますと書いておいた紙をテープで貼り付けた。妹さんが来ても、これで大丈夫。


「…一応こっちに帰ってくる時間も書いておくか」


夕食の時間の午後六時に一時帰宅と書く。妙な気配りは、彼女への配慮だ。ああいうタイプって、苦労するよな。僕ですらそうなのに。


「寝よう」


Realに接続すると、やっぱり二人はログインしてなかった。そのまま、起こしてくださいと書いた紙をベッドの脇に置くと、そのまま、最上級のベッドメイクに潜り込んだ。自分のベッドじゃない布団って、変に気持ちいいのなんでだろ。


「…」


明日はちゃんとファンタジーできますように。

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