第四十九話 デヴィル
自分が夢の中にいるという状況を不思議と理解できる場合がある。切羽詰まった悪夢の場合でも、不思議な安心感、セーフティな感じがしていた。まるでゲームをしているような感覚。
今間違いなくそんな状況で。いつからそうなっているのかわからない。ただ、病室で起き上がった時。そんな強い感覚に襲われていた。
「今、夢だ」
現実のRealでは、三人が闘ってる。どっちかが折れることだろう。今の僕は確か、ビッキーに囚われているはず。それに先ほどの感覚も残ってる。間違いなく、さっきまで、ビッキーの視覚で戦況を把握していたはずだ。
「驚かせたかな?」
老人の医者が僕の隣に座ってる。白衣を着てるし皺くちゃだし、多分合ってる。
「えっと、ここは…」
僕が言うと。
「ここは丁度、境目だね。生と死の境目だ。丁度良い機会だから君を招いた。魂と精神のバランスが崩れた人間は、危ない目に陥りやすい。それと、睡眠不足もそうだね」
「境目って、Realは安全じゃ」
「もちろんそうだよ。私にとっては、境目。君にとっては夢。夢は素晴らしい。時間も次元も超越する。それが全てだ」
「あなたは…?」
「いろいろ呼び方はあるが…。好きに呼んでくれて構わない。デヴィルでもいいし。もっと別の呼び方でも」
「悪魔?」
「いやいや。日本語の和訳とは違ったニュアンスだよ。日本語の場合、独特でね。例えば、サタンという言葉一つ取ったとしても、いろいろな意見がある。名前も似ていたりするモノも多いし。悪魔というのは、それは種族的な意味合いだね。デヴィルなら、まぁ。概ね間違ってもいないだろう」
サタン。悪魔の支配者。地獄の王。悪そのもの…。
「違うな。それは。失礼。今ここは君の中。私がアクセスしているのは君の精神。よって、君の心も読めるというわけだ。ただ。説明させてもらいたい。私は君が思うほどの悪者ではない」
老人は不釣り合いに優しく、そして説得力をもつ声の響きで言う。
「私は人間の味方だ。そして人間もまた、私が必要なのだ。だから存在している。少なくとも現代の私はルールを重んじている。そして慈悲も慈愛もあるモノだ。結局のところ、悪魔という概念は、人間に利用されるための道具に過ぎない。例外はあるがね。等価交換を請け負ってきた。私から持ち掛けることもあるが、人間から持ち掛けることもある」
そして軽くふふっと笑う。
「そういう物差しで言うと、私より誰かの方が凄まじいぞ。気に入らんからといって人類を滅ぼすからな。君はどう思う?」
「いや、そもそも日本人は神道と仏教を足して二で割った考えですから。いろいろな考えがあってもいいんじゃないかな。人に迷惑さえかけなければ。宗教の自由は憲法で保障されてますし。僕はあんまりそっちは興味無いです」
「死が怖くないのか?」
目を見開いて言う。
「そりゃ怖いですけど、まぁお墓の中には多分両親も入るだろうし祖父母も。それにきっと、未来の事に目を向けるなら、希望しかないんだと信じてますよ。今はそういう恐怖に怯えるヒマもありませんし」
「なるほど。そうか。残念ながら、それはかなわないかな」
「どうしてですか?お墓の中も、死後の世界も無いとか?」
「違うよ。君は死を超越しているからに他ならない。墓も永代供養にした方がいい。毎年の管理も大変だろうからね」
「余計なお世話です。お墓参りっていうのは、心のお掃除なんです。僕の心臓も脳も肉体も精神も。祖先から受け継ぎずっと繋がった奇跡なんですから。それの確認なんです」
「ふん。そういうものか。未成年であるならば、気高くいれる。だがいつまでも…。っと。そういう話をするためにこんな場を設けているわけではなかったな」
そして皺くちゃが一層皺くちゃになった笑い方をする。
「近い内、人類が滅亡する」
「…その嘘本当ですか?」
正直動揺の欠片すらもない。デヴィルが僕の前に現れたのだから、それは本当の事なのだろう。
「君次第だな。現在地球の支配権を握っている存在は酷く傲慢だ。浄化させようとしている。君は月の実態を知ってるか?」
文明の破戒を視た。この目で。
「…知ってます」
「あれと同じ事が地球にも発生する。よくある事だ。これで六回目か?まぁ。よくある事なんだよ」
人類の滅亡をよくある事で片付けられるコイツはすげぇな。
「君が防げ。いい加減私もうんざりだ」
頭を小刻みに横に振っている老人はうなだれ、正真正銘のただの老人に視えた。
「天界に行くためには手段が必要だ。直接的には行けない。肉体や武器なんかは持ってはいけないからな。死んでしまったら。よって、ゲートが必要だ。それは地獄にある」
「今度は正真正銘の神様と闘えって言うのか」
セカイを救うために。どんな業だ。
「君が生まれてきた理由がそれだ。いずれにせよ、行動は必要でね。君の心を見たよ。良い精神を持っている。君の持つ歪な邪悪をちゃんと昇華させている。君が望むと望まないに関わらず、旅立ちの日は近いという事になる」
「そんなにうんざりしてるならご自身で地獄の大王らしくやられたらどうですか」
「やったけどダメだったよ」
さらりと言い返された。
「聖なるモノに、悪しき力は太刀打ちできない。影がいくら伸びようとも、ライトの明り一つで立ち消えてしまう。脆いものだ。だが君は違う。君の持つヴァミリオンドラゴンもそうだ。外宇宙、別次元からやってきた、最強の存在だ」
「ヴァミリオンドラゴンも分かるんですね」
「かつて私も別の次元に渡っていた。その途上でヴァミリオンドラゴンを見たんだよ」
「え?」
「月ほどの大きさで存在感は太陽のようだった。銀河系ぐらいの距離ですらも存在感は轟いた。あれは成長したものなのだろう。間違いなく、君ならできることだ」
スケールがデカすぎて微妙だよ。銀河系ってなんだよ。もうちょっと、なんとか。
「分かりにくかったようだね」
「なんとなくわかりますけど、ヤバイってことが」
「まぁ。そう気負わずに。ゲームのテイルズ感覚で来なさい。万全の準備を整えておけば、そう難しい事ではない」
簡単に言ってくれるなぁ。他人事だと思って。
「他人事ではない。決してね。言ったろう。人類とは共存関係にあるものだ。人類は悪魔という種族にとって、心のようなものだからね」
「心、ですか」
「そうだ。写し鏡のようなもので、人間にとっても、悪魔にとっても、だな。悪魔という種族は厳密には違うが、君の持つアニメ的な悪魔で言うなら、悪魔は寿命という概念が無い。だからこそ、気に入った人間、契約した人間に対して思いを馳せるのだよ」
「悪魔が取りついて殺人とかさせてもですか?」
「例外もあると言ったろう。が。それについて言わせて頂くと、むしろ人間の方が怖いね。本物の邪悪という存在をこれまで見てきたが、流石の私もドン引きだ。正直、関わり合いたくないぐらいなものだ」
本物がドン引きするぐらいの邪悪な人間って。
「そうですか?」
「ああ。多分、脳味噌のどこかが本当に欠落しているのだろう。通常の脳とサイコパスの脳は異なる。一般人の連続殺人鬼がサイコパスの代表例だと思ってるようだが大分違うぞ。過去の歴史を振り返ってみたら、凄まじい凄惨さのオンパレードだよ。特に王族、貴族なんてね。そう言えば。君のガールフレンドの家系も凄まじいものがあったな」
「ビッキーの!?知ってるんですか?」
「アレはまた、とんでもないぞ」
老人は天を仰いだ。
「天空大陸という所有地で、ありとあらゆる人体の研究と実験の研鑽を重ねた一族だからな。まぁそのおかげで君達の医療レベルも進歩したとも言えるのだがね…。これもまた群体である人間という種の表と裏の関係性か。私も過去に何回か呼ばれた事がある。ヴィクトリアという存在は、人類史における裏の顔とも呼べる存在と言って差し支えないだろう。君とお似合いだ」
「冗談は止めてよ…。今の状態知ってるでしょ…」
とことんいくところまでいってしまったような状態の一歩手前だった。マジで大変な事になるところだったのだ。
「はっはっは。いや。別に冗談のつもりではないがね。中でも、魔術への研究は目を見張るものがある。飽くなき探求心は、まさに人間の心そのもの。今の時代は違うかもしれないが、昔は人も豚も同列に飼育し使用用途に割り振られていた。見ていて気持ちのいいものではなかったな…」
そう言って言葉を濁した。ちょっとむかっとする。
「見てるだけなら誰でもできるし、そんな感想に何の意味も無いよ。好感度はまるで上がらないね」
「私は人間の欲望を愛している。私が重きを置いているのは、人間の可能性だ。夢という名の奇跡を手に掴むための可能性。再現性の有る快楽目的の邪悪に対して愉悦を感じる存在だと思ってるようだが、違うな。人類が月に到達するために、何が必要だったと思う?猿から進化した人類が月まで飛ぶなんてどうしてできると思う?そこには、私の存在があったと言わせて貰おう」
何言ってんだこいつ。そんな感じの思いがした。聞きたいことはそういうことじゃないのに、ちょっとした悪もとてもつもない悪も、同じ扱いにしてるところが、やっぱり人間じゃないってことなのだ。
「逆に問おうか。君みたいな人間ばかりなら、人類は月へ行けると思うか?答えはノーだ。悪と善はお互いを必要としている」
「僕に悪の必要性を説いたって意味は無いよ。いろんなところがあって人間だっていうところも、僕は知ってるからね」
いろいろと、先輩方に教えて頂けた。最近女の子からも、よくいろいろとご教授頂いてる。無茶苦茶なところなんか特に。
「現ビクトリア当主もいろんなところがあるってことかな」
「ただしビッキー。あなたはダメだッッ!!」
あろうことか。この僕の。この僕の!ファーストキスを奪おうとしたのだ。到底許される事ではない。決して。
「君も正直まだまだだな。汚れてからが人間だよ」
「周りがピーターパンだらけだからね。僕はネバーランドに住んでるんだ」
「あれってどうして大人が居ないと思う?」
「ピーターパンが大人は規則違反だから可及的速やかに殺してくってんでしょ」
「その通り。流れは止められない。そういえば、そうそう。面白いヤツが居たな」
老人はくっくと独りで笑う。ほっぺたが少し赤くなってるあたり、本当に思い出し笑いをしてるのだろう。
「生きたまま地獄の門を潜り抜けて帰るヤツは珍しい。童貞だったな。偉く誇らしげに語っていたよ。暇だったから一戦交えたが、逃げられた。そーゆーヤツも居たな…」
思い当たる節がある。
「で。伝えたい事は?」
「もう言ったよ。これは世間話だ。折角の舞台だからね。別に、三途の川でも花咲く桃源郷でティータイムでも良かった。私の姿もなんでもね。しかしながら。やっぱり、医者と患者ほど、他人と他人が濃密な人間関係に成りえるものほど無いだろう。私もよく喋れて良かった」
「地獄の大魔王と会話か…」
「そう呼ぶのもかまわないが、それで言うなら、君はあらゆる存在を指先一つでダウンさせれる強者になるな」
「事実だからね」
どやった。どやってやった。どうやら僕も慣れたらしい。
「じゃ。地獄でまた会おう」
「宜しくお願いします。その折には」
さて、目が覚めたら。蛇が出るか鬼が出るか。
「無制限の渦潮」
最大火力の攻撃。ヴィクトリア・ローゼスの魔力半分と引き換えに生み出される、奇跡の業。ヴァミリオンドラゴンですら、その威力に無意識化で危険視し直撃を避けたほどである。
「いい加減。にらめっこは飽きちゃいましたぁ。ばいば~~い?」
ヴィクトリア家の血の奥義である。
「…」
それを、ムゲンは斬り捨てた。一太刀の下、雲散霧消の彼方へと。
「…くッ」
勝ちを確信したヴィクトリアだったが、その強さゆえ、その慢心ゆえ、一手を誤った。
「…」
全身を疲労感で覆うも、膨大なカリスマを維持するヴィクトリアをハートネット・ラフィアは見て確信した。
「この勝負。私達の勝ちだ」
「…」
イーブン状態。いずれも必殺の一撃を所持している中。にらめっこで笑ってしまったのは、ヴィクトリアだった。
「そのカリスマ。あとどれだけ維持できる?10分?30分?24時間でも、待ってあげられるけど?ムゲンは?」
「一週間でも構わない」
「…っくそ!!」
そして、精神がブレ。ヴィクトリアの直接攻勢を決めた少し前。その一瞬。その隙。
「…」
ムゲンの持続していた最高最大出力の究極闘気の一刀の下、深紅の鎧はヴィクトリアを袈裟斬りにした。
「斬捨て御免ッ」
その威圧でドゥルーガの島ごと切り裂いた。
「これが………敗北……」
致命傷を負っても、蘇生可能な猶予があるのが現実とRealの違いである。そのわずかな時間で、ヴィクトリアは本物の敗北を味わった。一度目は東雲末樹。二度目は全身全霊をかけた全力で。わずかな時間。生涯初となるPKを噛みしめた。敗北の味である。それは奇妙にも不思議な甘美な味がして、どこか落ち着いてほっとできるような。肩の荷が下りたような。積み重ねてきたものが崩れ落ちる、一種のカタルシスに、奇妙な安堵感を覚えていた。
「…」
圧倒的強さへの、畏敬。ドラゴン変化という最強無敵の少年への奇妙な執着。ヴィクトリアは悟った。最後の最後でようやく分かった。あの強さに。あの格好良さに。あの虹色の魔力に。まるで、悪魔につかれたような。
「あてられていたのは、私だったのか…」
恋は盲目。そんな盲目状態での敗北は、やむを得ないものもあったのだった。