エピローグ ブラウザ履歴の閲覧者
妻がエベレストでスキーをやったおかげで今日は余力を残して夜の時間がやってきた。隣の部屋では妻がぐーぐーといびきをかいて眠っている。つまり、今日はロンリーナイトということなのである。
「一先ずエックスビデオからヴァイブス上げてくか…」
昨日、おかずを探して二時間半ネットサーフィンをした結果。何の成果も上げられないまま時が無常にも過ぎ去ってしまったので今回はそのリベンジである。
「僕だって成長するんだよね…」
どすけべMMDもので、軽く身体と心をヒートアップさせてゆく。
「…ッ!あぶないあぶない…」
不本意な瞬間、それは避けるべき未来の訪れ。目の前にぽっかりと開いた落とし穴が見えたらどうするか。当然さけるだろう。誰だってそうする。僕だってそうする。
「ちょっと良い感じになってきたな…」
世界中が僕に問いかけるかもしれない。過去の僕が問いかけるだろう。一体全体、人間はどうしてマスターベーションをするのか。特に男が、あるいは、家庭を持って尚もマスターベーションに対して挑もうという心持ちになるのか。
「…」
お答えさせて頂こう。
「…」
惰性である。
「…」
過去にオナ禁という男の脳髄を劇的に変化させる人生の裏技について考えただろうが、人間そうそう温泉にばかりはつかれない。天国だけの人生なんてありえない。どこかに苦痛と困難の壁が必要なのだろう。脳に焼き付いているのである。強烈な脳内麻薬の分泌に対して。一瞬一瞬のモーメントの絶頂が定期的な処方箋である。もはや惰性と言ってもいいかもしれない。もっと言えば、男としての義務とも言えるかもしれない。もっと言えば責務と言い換えることが出来得るのかもしれない。
「…」
男に生まれたからには、あんなことやこんなことはやってみたい。しかしながら、人生において。あんなことやこんなことなんてものは、物理的にも時間的にも法的にも倫理的にも無理なのである。不可能なのである。この世に生まれ落ちた全ての男性諸君よ。そなたらの夢を全て叶える事は不可能なのである。しかし望みを捨てなさるな。かのハンニバル・バルカもこう言った。『不可能に思える事も、視点を変えれば可能になる』そういう言葉がローマ時代から現代まで伝わってるのである。単純明快の話である。つまり、現実からモニターへ。三次元から二次元へ。おそらくハンニバル・バルカも卒倒してしまうような悪魔的奇手。圧倒的閃き。電流走る。即ちエロアニメである。
「…流石に昨日の轍は踏まない」
キメ顔の強カットインで僕の華麗なるマウスさばきはお目当てのエロアニメコーナーへと誘う。そしてファンザに自分のIDでログインした。
「条件はクリアした…!」
そして僕は昨日、既に何本か気になった作品を購入している。何を隠そうこの東雲…じゃなかった。結婚して婿入りで苗字が変わったんだった。梅田末樹は実のところかなりのお金持ちなのである。僕はただ超強いイケメンってだけじゃあないのである。よって、どすけべエロアニメの何本かを購入したとしても、僕のお財布事情に何ら影響など受けないのである。
「しかも、ファンザはおススメ作品すらもあげてくれるし過去にチェックした作品だって記録してくれるぞ…。昨日の僕は…。今!たった今超えたッ!」
昨日三時間かけて最高のオカズに手を伸ばし続けた事。無意味ではなかったッ!
「!!!!!!!!!??」
心臓が止まるぐらいびっくりした出来事があった。
「…ッッッッッッッ!!!!??」
ギャグアニメレベルの変顔をした自信がある。
「…これはッッッ!!」
妻の検索したエロアニメの履歴である。
「…ジーザスクライスト!ピーナッツバター!!」
禁忌という言葉が脳裏に浮かぶ。触れてはならないものである。見たり聞いたりしてはいけないものである。理由を聞いてもダメなのである。そういう概念が。掟として大原則としてルールとして、この世の中に刻み込まれている概念が存在しているのである。
「…っっぬ!」
しまった。僕のはやるどすけべ根性が、僕の中指が勝手に下スクロールを実行してしまったァァ!!
「かはッ」
坊主と交わるどすけべナイト…。
「……………」
…。
「…」
坊さんもの。
「…」
なんだよ!!!!!坊さんものがいいのか!!???僕というものがありながらよりにもよって坊さんものだって!!????
「織田無道がぁぁぁぁぁぁ………!!!」
嫉妬の炎で身も心も狂いそうな気分。
「どうしたの?」
ふすまが開いた。
「え?あっ。起こしちゃった?ごめんごめん。トム・クルーズの新作のトレーラーが凄い良くって」
僕の強さは並みではない。襖が動いた瞬間のコンマ切ったところで、既にファンザのブラウザは閉じきってる。今はダミーのようつべ動画が走ってる。
「そうなんだ。今織田信長とか聞こえたから」
「え?そ、そそ、そう?トム・クルーズの転生もので織田信長になる映画があったんだよ。多分ガセだろうけど」
「見たい。どれ?」
「が、ガセだよ。ガセ…」
妻が近づいてきて抱きつくようにして後ろから僕の右手ごとマウス操作を華麗にやってのけた。が。既にブラウザは閉じているのである。今走ってるのはダミーである。
「あれ。無い」
妻はようつべの過去の閲覧履歴まで調べた上での発言である。
「ううんっと」
そしてあろうことか妻はブラウザからグーグルの過去の閲覧履歴までチェックしだした。
「…ファンザ見てたんだ」
「…ま。まぁね…」
「んん~うん。一緒に観よっか」
そこで僕達はどうやら何か妙な因果によって誘われたいかがわしいことこの上無いエロアニメを二人で視聴した。
「…」
僕の表情は無である。
「…」
何がどうなってこうなるのだろうか。高校生の時の数学を思い出した。それがどうしてこうなってそうなるのかすら理解出来ないような難しい問題を一瞬で解かれたようで、僕にはそれがどうしても不可解であり、腑に落ちない、気持ち悪さと心のもやもやが胸の中に残っているばかりである。
「…」
それでも、妻が出した結論は常に正しい。それはこの世の真理である掟の一つなのだから、つまりはそういうことなのだろう。
「坊さん好きなの?」
言ってしまった。
「そういうんじゃない。…そういう禁忌を犯すようなシチュエーションに興味が出ただけ」
「そうなんだ」
そういう事、正直言って知りたくないなぁって思ってしまった。割と突っ込んだら結構深いところまで時間と精神と心をもってかれそうな業の深さである。そしてそれは、僕も同じかもしれない。僕達夫婦はいつか、人間の業の深さに対して哲学的に話し合う必要があるのかもしれない。
「…」
そしていつからか、後ろで寄りかかって眠ってぐーぐー言ってた。
「しょうがないなぁ」
布団まで運んであげると、僕はもう、これ以上自分一人だけの時間を贅沢に使うべきではない気がした。パソコンの電源を落とすと、僕も隣で眠った。どうやら、僕はもう、マスターベーションが出来ないのかもしれない。妻の大きくなったお腹をみると、改めて思う。僕はもう、ただの男ではなくなったのだ。父親になったのだということである。
「…」
とりあえず、明日は銀閣寺辺りでコスプレして遊ぶといいかもしれない。妻のためなら、僕は頭をバリカンで剃り上げるぐらいのことはやってのける所存なのである。