楔を打ち込まれた者達
トンネルを抜けた先の別世界。ツキコモリさんの実家。結婚したらここが実家になって、子供が出来たら毎年通わせて頂く場所。年がら年中藤の匂いが鼻いっぱいに香る、ツキコモリさんの梅田家の始まりの場所。梅田家のご先祖はかつて月の住人であり、月から地球にやってきた人間だった。いろいろあったけど、今は全てを肯定出来る。ちゃんと息を据えてるし、大切な人の傍にいるし、未来を見据えることだってできるのだ。
「息、どうです?」
「うん。オッケーやな」
ミッヒーのついてるペアルックのマスクをして、降りる。豪華な旅館が僕達の目の前にそびえる。駐車場にはこの前の閑散としただだっ広い空間ではなく、ほぼ満車レベルで車が停まってる。そのどれもが高級車だってのが妙に鼻についた。BMWとかジャガーとか、フェラーリもある。
「…」
「黄泉比良坂には未知の生態系が展開されとってな。ほんまに貴重らしくぎょーさん国内外からの研究者が来とるんや」
「儲かってるみたいでなによりだよ」
吐き捨てるように言った。
「そもそも…」
なんだよ?外車とか。日本にはトヨタがあんだろーがっつーの!百歩譲って高級車ならレクサスがあるだろ。金持ってるアッピールが鼻につくんだよ。僕は絶対トヨタだからな。ところどころにベンツもある。吉幾三の俺ら東京いぐだ根性が捻じ曲がってる。ド田舎根性見せるなら銀座でも山でも買ってみろ、
「ベンツもあるね」
「…」
「ベンツ憧れる」
「…」
胃が痛くなってきた。一瞬、ベンツもいいよねっていつものように同調しようかと思ったけど、今回ばっかりは脊髄反射の追従は出来かねる。今後結婚したら、したとすると仮定するなら、車買う時はツキコモリさんはベンツが欲しいっていうのかな。僕は毎朝ベンツで出勤、近場のお買い物もベンツ、ちょっとした二人のデートだってベンツ、子供が一緒に出来てきゃっきゃ遊ぶ時もベンツだって?一生の大切な時間を共有する空間がベンツだって?オルウェイズ僕らはあのにくったらしいロゴマークの下で過ごすってのか?冗談じゃない。こればっかりは受け入れかねる。
「そ、そっかなぁ?ほら、もうトヨタでいいんじゃないのかな」
「…」
そう言って歩き出した。実家までの道程。え??返し無し?返答無し?ノーリアクション?それとも無視?もしかしてベンツ…。マジでベンツ?ベンツなんですか?
「ベンツも…」
生唾を飲む。
「良いよねぇ~」
「うん。ベンツ良いよね」
「…」
ダメだ…。グンマ―には成功者のイメージイコールベンツっていうのが定着してるのか。佐賀県の祖父母の年始年末の一族の集いで、みんな揃いも揃ってベンツベンツベンツ言いやがって。田舎者だからって、ベンツにしときゃ間違いないなんて刷り込みがニッポン中のド田舎で蔓延ってるのだ。もはや病的に近い。僕はね。ベンツが憎いわけじゃない。ベンツ買っとけば良い気になれるド田舎根性が憎いのだ。皆。心の中で田舎者って劣等感をきっと持ってるのだろう。うちの親戚一同は皆そうだった。くっそ。くっそぉお。目ぇ覚ましてくれよ…。このままじゃ僕もまたベンツに乗って噂される宿命の航路を流すことになってしまう。田舎者だからって、田舎根性丸出しにしなくてもいいじゃないか。もう吉幾三の時代は終わったんだ。
「ベンツより、もっと格好良いの買おうよ」
ハッキリ言ってやった。ツキコモリさんの実家の前の日本庭園を通る。小さい橋を通った時、ししおどしが鳴った。
「ベンツがいい」
「…」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッッ!!!
「そ、そうなんだ」
「そう」
例え僕が、この宇宙で最強の存在だとしても。例え僕が、この地球の救世主だとしても。
「…」
僕は自分の買う車の車種すら選べず、最悪の一手を打とうと言うのか。最強でも、救世主でも、僕は田舎根性丸出しでいろって言うのか。それこそ田舎の劣等感を克服できないではないか。こんなんでも、そんなんもできないのか。僕の慟哭は心の奥深くから吠えても喉を通って口まででかかることはない。全てが闇の中で、男はいつだって背中で泣いてるのだ。
「…」
「嫌なの?」
急に立ち止まられて、そう言われた。日本庭園の真ん中、洒落た茶屋の前で。
「嫌じゃないけど…」
「ちゃんと言って。もう分からないから、心の中の事は、全部ちゃんと伝えて」
…。もう?…もう?もう分からない。もしかして、ツキコモリさん。まさか、ずっと、いや、そうなのか。もしかして、心の中が読めるのか。読めたのか。
「いや…別に」
「…」
日本庭園綺麗だなぁとか思ってたけど、ちらっと横を見るとツキコモリさんが僕の目を見て言うので。言ってやった。ベンツこそが、田舎者のコンプレックスを象徴する悪しきシンボルなのだということを。田舎者の矜持は、そんなみみっちいコンプレックスなんて粉砕してしかるべきなのだと。ド田舎ならド田舎なりの矜持があるはずなのだと。東京なら軽自動車でも構わない、渋谷とか広尾とかのペントハウスが欲しいなら軽自動車の方が利便性が高いだろう。でも、ベンツは嫌だという事を。
「…そう」
すごく悲しそうな顔をされて言われた。ミッヒーのマスクがちょっと邪魔だ。
「じゃあ何がいいの?」
「普通の…。特別高いんじゃなくって、普通の新車でいいんだ。田舎者だからって、見栄を張る必要なんてないんだ!」
涙が出てきた。
「劣等感に支配される時代は終わった。見栄もステータスも無い、普通の…」
「分かった。…うん。そうかもしれない。ベンツは、よそう」
「ツキコモリさん…!」
この分かり合えたこの瞬間がたまらない。ハッピー脳内物質がぶしゃぶしゃ出てきやがってらっしゃる。
「…ありがとう」
日本庭園を抜け、ツキコモリさんの経営する旅館本館ではなく、別の実家へと歩いてく。並んで歩く時顔を見たけど、やっぱりツキコモリさんはベンツがいいのかって顔をしてる。それとも、これからの挨拶の緊張だろうか。
「…」
立派な日本家屋が見えてきた。
「!」
立派な日本家屋の隣の駐車場。三台ある車は三台ともベンツのロゴが立て掛けられている車だった。
「…」
…ダメかもしれない。一瞬気が遠くなって感じたシンプルな感想だった。