ほの赤い恋ビト達
新幹線や電車の公共機関はお盆の帰省ラッシュと重なって難しく、なによりもゆっくりできない。婚約というよりも結婚を前提としてお付き合いをさせて頂いている僕達が、あくせくとひいひい言いながらツキコモリさんの実家にお邪魔してそのままご両親にご挨拶なんてちょっとできない。出来ちゃった結婚や駆け落ちをするわけではないので、まだそこまでは対決姿勢というわけではない。しかしながら、実質問題は娘さんをくださいと言うわけであり、これは僕が親側だとしたら戦争だろう。
「ジャンプになっちゃうね…」
「しょうがいないよ」
旅情もへったくれも無い。二人並んでツキコモリさんのご両親への想いをはせながら、ああでもないこうでもないなんて言う会話も無し。結局群馬のご実家へジャンプすることになった。ちなみに現在は新宿のゴジラタワーの屋上にいる。
「あれ?なんか場所が絞れない」
「特殊は地脈を引いてる場所だからね。おおまかなところへ飛んで、そこからは迎えにきてもらおう」
「いいの?」
「大丈夫」
「もしかしてあの関西のヒト?」
「そう」
「苦手だなぁ」
「関西弁苦手?」
「うーん。ちょっとね」
「そうなんだ」
「大阪のヒトって特有なノリがあるからさ。ちょっと九州の田舎の僕の出の僕からするとちょっと合わないって感じちゃうんだ」
あれって思った。本音出して喋ってるって自覚した。もうツキコモリさんは身内感覚なのかなって思っちゃう。
「私は京都生まれだけど、それは分かるよなんとなく」
「え!?京都生まれなんだ」
京都かぁ。行ったことないなぁ。古都かぁ。
「そう」
「いいなあ」
「どうして?」
「だって、出身を聞かれてさ。田舎は佐賀です。よりさ。田舎は京都です。の方がカッコいいから」
「佐賀って言われても場所がどこだか分からない人もいるかもしれないからね」
「う。そ、それはある。僕だって和歌山県出身ですって言われても和歌山がどこかもう忘れちゃってるからね。それ考えれば、佐賀の場所わかんなくっても責められないなぁ」
人がすごい勢いで歩いてる。一体どこへ行くのだろうか。ぼんやりと眺めながらもそろそろかと思う。
「場所が分からないから、おおまかに」
頭の中で、凄まじい勢いで地球儀のようなマップが作られる。そこでは大まかに把握してたり、見たり聞いたりしてるところはジャンプ出来る。雑誌やネットで見た場所でもジャンプは出来る。ただ、ツキコモリさんの実家はおおまかなところぐらいでも分からなかった。特別な地脈のせいか。
「うーん」
大体のところで、スマホを見ながら、ストリートビューで確認しつつ、群馬駅を探す。
「群馬の県庁所在地ってどこ?」
「前橋」
「へぇ…」
「1へえ」
「!」
え?
「…」
この瞬間、僕の頭の中はフル稼働した。結婚を前提にお付き合いさせて頂いている女性は無口で堅いというのが今のところの印象だ。それが突然、1へえとか言われた。これはおそらくトリビアの泉に出てきた『へぇ』の数をより多く獲得するという番組内容の趣旨に沿った単語であり、単位である。僕が先ほどの感嘆詞である「へぇ」に対して『1へぇ』というコメントを返してきた。これまでツキコモリさんとの冒険ですら無かったことである。もう既に僕達の仲が前人未踏の領域まで突入した結果の出来事であり、この初めてのリアクションに対して僕は何らかの『返し』をしなければならない。おそらく、これがカップルにおける一緒にいて『おもしろい』か『おもしろくない』の差であることだろう。結婚となると、もちろんこういうことは凄まじく大変だと思う。ずっと死ぬまで永遠に一緒にいるわけだ。僕の両親の寝室は二人用の大きなダブルベッドだし、海外のドラマや映画だと大抵夫婦は一緒に寝るわけである。むしろ、それが端的に的を得ている。つまり、漠然とした、死ぬまで一緒。というよりも、「おはよう」から「おやすみなさい」までず~っと一緒だという事である。24時間ずーっと一緒。それがフォーエバーなのである。そんな最期を知るまでの永い時間、大切なのは「おもしろさ」だと思われる。ずーっと一緒なのである。飽きたらと仮定すると身震いするほどに恐怖してしまう。こうなると離婚である。空気階段のもぐらですら結婚してから五年後に離婚した。しかも子供は二人奥さんに預けられて。一緒にいて、楽しいとかおもしろいっていうのは最低条件であって、これはなによりも最優先にされるべき二人にとってのキャッチボールのように思える。これをスルーしたらどうする?ありえないし、幻滅されるし、ガッカリされると思う。なによりも一緒にいておもしろいたのしい!を優先すべきだ。よってツキコモリさんの『1へえ』というリアクションも僕が返答をしなければならない最優先事項である。でも、どうすればいい??ぱっと思い浮かんだのは、ツキコモリさんの『1へぇ』発言は僕の感嘆詞から取ったツッコミであるという事。いじられたという認識は無いが、ツキコモリさんにとって「へぇ」はボケに聞こえたのかもしれない。だとするならば、僕の返答は。ボケで返す。これでどうだろうか。具体的には、もっとボケる。「へぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇ」と言いながら右手でボタンを連打する仕草でやってみるとどうだろうか?完璧なボケ返しではないだろうか。R1チャンピオンもキングオブコントも取れる日も近いかもしれない。自分の才能が恐ろしい。もう一つあるとすれば、それは、まさに、ツキコモリさんの渾身の「ボケ」ではないかということ。ツキコモリさんの見たことも無いキャラクターがここにきて片鱗を伺わせているという事になるが、そういうことは棚に置いておいて、ボケられたという認識で捉えるのならば、ここは上手にキレイに。「トリビアの泉だね」と言う。さらりと言う。カッコよくさらりと言うのである。「そう」って答えが返ってくるだろうけど、僕はそこから「おもしろいよね」とか言うのである。「最高だよ」なんて返してもらえるかもしれない。上手なキャッチボールである。まさに付き合いだしてういういしい微笑ましいフィアンセ達である。さて。簡単な応酬を二パターンほど考えたが、どれが果たしてもっとも「おもしろいか」である。おもろいは何よりも優先されるべきなのだ。二人にとっては肝心要のスタートダッシュ。出鼻はくじけない。ちょっと考えたら分かることである。ボケ返した方がおもろい。「おもろいやんかー」って感じだろうか。よし。ここまでの思考回路、実に0.2秒ッ。
「へぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇ」
エアボタンもこの際壊れてもいいほどに連打する。
「…」
ツキコモリさんは無表情で僕の必至の連打を黙って見てるだけである。
「…」
ボタンを押すのを、止めた。
「…ごめんなさい、こういう時なんて言えばいいか分からない」
「…笑えば、いいと思うよ」
そう言って、その凛々しくて、どこか孤高の彼女が表情が少しだけ緩んで、にんまりしていった。はにかむっていうのはこういうことを言うのかもしれないけど、それが堂に入ってて、思わず見とれてしまった。僕も少しだけにんまりしてから、手を取って群馬へ飛んだ。こういうのが、ずっと続けばいいと思う。
「…」
でも、ツキコモリさんの「1へぇ」発言。どうにも気にかかる。人生は性格で決まるし、人物のキャラクターっていう第一印象はずっと残る。それは人間が本質的に表面上しか付き合いの無い都合の良い大人な付き合いであり、それが全てであるとも言われてる。でも、結婚したら?そういう話とはまるで根本から違ってくる。見せたい部分や見られたい部分から、見られたくない部分も見られてしまう部分もあるわけだ。表面上の付き合いから立体的な付き合いになっていき深みが出てきてやがて等身大の人間になってゆく。誰もがそうだと思う。僕もまた、最近自分の気付いた自分勝手でわがままで亭主関白な部分が出ちゃってショックを受けた事だってあった。自分自身ですら存外自分の性格というヤツを正確に理解しているわけではないように思える。ツキコモリさんはどうだろうか。実際のところは、どうなのだろうか。これからは見たいだけの部分ではなく、見てしまった部分への対応力も求められる。結婚前でもこう。そして結婚したら。僕はその事実に気付いて、ただ生唾を飲んで戦々恐々としながらも、空間をぶち抜いて高崎駅までやってきた。そしてそれは、僕もツキコモリさんも同じことなのである。受け止め方に注意しなけならばならない。