約束を果たす者
深夜、夜更け。救急車のサイレンが鳴り響く夏の夜にどこからともなく吹いてくる寂しげな風。それがどこかの家の風鈴を一層引き立たせて鳴らす。もう、どこか夏は終わったのだと心のどこかで悟っていた。今年はいつの間にか夏が始まっていて、気付いたらもう終わってた。それがいつも通りで、毎年の事で、当たり前のことではあるのだけれども。毎年の事のはずだった。ツキコモリさんと出会って、ヴァミリオンドラゴンに出会って、Realに出会って、人生が一変した。魂に刻まれた夏だった。
「じゃ。私この動画編集するから」
そう言ってまつりさんは帰っていった。僕って、芯の部分で残念なんだなって改めて自己分析をする。こんなんじゃダメだ。ツキコモリさんの前では、ちゃんとしゃんとしてないと。
「もう夜だけど…」
深夜だけど、電話がしたい。非常識この上ない事ぐらい知ってるし、僕が親御さんだったらこの時間に電話してくるヤツを娘の交際相手として決して認めないだろう。殴るかもしれないし、歯を数本ぶち折るかもしれない。それでも、それでも!
「この勢いがなきゃ、僕は多分ずっと一人だ」
許されるわけはないと分かってるのにやってしまう。まるでアニメみたいだと思うけど、アニメみたいなことをやってのけたのだからしょうがない。
「…」
固定電話からツキコモリさんの番号にかけた。
「…もしもし」
多分一秒もかかってない。未来予知。そうじゃないとしてもディスティニー信じちゃってるよ。ツキコモリさんが、でた。
「もしもし」
「東雲末樹です…夜分失礼します。あの、その、お、お時間大丈夫ですか?」
「大丈夫。どうして電話をかけてきたの?」
そんなことを言われた。
「声がききたくなって」
そんなことを言い返した。
「…他の女の子と大冒険したって聞いた」
え?
「あ。えっと。別に、そんなこと大したことじゃないよ。性格男みたいなヤツだし、そういう異性として一緒に行動したわけじゃないし、そもそも、否応なくああなっちゃったわけだし。あんなの…」
バチンと音をたてて目の前が真っ暗になった。
「え?」
静寂。どこでもいつでもあらゆるところで聞こえるクーラーの室外機の音だって聞こえやしない。
「ブレーカーが落ちたのかな…」
つーつーっという音すら鳴らない。電気が落ちて全ての電化製品が機能を失っていた。
「ぬぬぬ…」
ここ一番、ひょっとしたら人生で一番大切な場面かもしれないっていう時に。なんてこったパンナコッタ。しぶしぶブレーカーを復旧しにいく。
「よし」
レバーを上げると、再び電源が入った。電気の照明がばちりとついた。僕のシャツは気付けば背中が汗でびっしょりだった。
「もう一回」
再びツキコモリさんへコール。
「もしもし」
「もしもし」
なんか、一緒の時間に一緒になって一緒の言葉を発してる。それがなんだかちょっぴり嬉しい。
「ごめん。ブレーカーが落ちたみたい」
「そう」
「うん。あのさ」
僕の心が跳ね馬に湧き躍った。心臓の高鳴りを感じた。
「…いや。あのさ」
僕の空間超越能力があれば、空間をぶち抜いてツキコモリの場所まで行ける。間違いなく行ける、必ず行ける。でも。行ってどうする?こんな時間にこんな時、一方的に、自分勝手のまま、女性の家へ伺うなんて。無神経も不躾も程がある。倫理的にアウトの発想だろう。僕はちょっとでも自分で言いかけて自分自身を恥じた。僕はちょっと思い上がってる。のぼせてる。調子に乗ってるのだ。
「明日、新宿で映画、どうかな?」
言った。やった。マジで言ってやった。もう夜なんだ。ちょっとばかしの勢いぐらい、大丈夫だろうさ。軽はずみな口調で、ヘヴィーな心を抑えて言った。
「…」
目を瞑った。彼女からの言葉を待つばかりだ。これでオーケーと言ってくれるなら、結婚もとい、婚前契約を結べる可能性が出てくる。付き合うだのああだのこうだの、そういうのが僕の人生に降臨してしまう。
「…」
待ちましょう、いつまでも。
「…」
僕は目を瞑ってカッコよくそのままの勢いでずる下がりで座り込んだ。
「…」
おかしいな?一分ぐらい経ったような。
「…」
あれ?長くない?三分経ったような。
「…」
ちょっ。マジ悩み?ひょっとしてもしかして、え?……ダメ!?
「…」
十分が経過した。僕の目から涙が溢れていた。なんで。なんですぐ答えてくれないんだよ。どうしてだよ。駄目ならダメでいいじゃん。用事優先でいいし、法事とかお盆だから家の用事とかあるんならそう言ってくれればいいじゃん。なんで、そんな、こんな。
「…」
目を開けた。真っ暗だった。ブレーカーが落ちていた。
「なぁんでだよぉぉおおお~~っっ!」
僕はただ、独りの舞台で藤原竜也を演じていた。こうでもしないと、僕の心が保てない。
「…」
運が悪すぎる。僕何かしたか?
「…」
心当たりが多過ぎるので考えるのを止めた。
「…」
真っ暗の中で冷蔵庫を開けてコーラの2リットルのヤツを手に取ってそのまま喉に流し込んだ。
「…」
そしてブレーカーを上げて、もう一度固定電話に向かって、もう一度番号にかける。
「も、もしもし…」
「もしもし、マッキーなんか声が怖いよ」
「ごめん。コーラ一気飲みしちゃって」
「…ごめんなさい、そう言われてなんて言えばいいか分からないの」
「笑えばいいと思うよ」
「全然笑えない。死ぬよ?」
ヱヴァネタが通用しなかった事に、僕の心がちょっとキタ。こういうの分かり合えるのって凄いと思うし、旦那さん奥さんで共通の趣味があって似たような見識があれば、夫婦生活ははかどるだろう。そういうのことこそ、人生の質をきっと高められて、死ぬ時最高だって思えるんじゃないだろうか。非常に残念な事実が発覚してしまった。ツキコモリさんは、オタクじゃない。いや。ネガティブ思考は良くない。僕の悪い癖だ。ひょっとしたらただ単純にスルーしてしまってる可能性だってあるし、気付いてない可能性だってある。可能性はゼロじゃない。いつだって可能性は無限大なのだ。
「ごめん…。ちょっと、運が無くってさ。二回もブレーカーが落ちちゃって」
「そうなんだ。神様に悪い事でもしちゃった?」
「心当たりが多過ぎて考えたくないよ…」
「そうなんだ…」
「そうそう。えとさ。あの、明日。どうかな?」
「大丈夫だよ。明日新宿で。会いに行くよ、新幹線に乗って」
…。
「そうなんだ。分かった。明日、新宿で」
そうして、誰からともなく通話が終わった。
「…」
何も考えられない。成し遂げた。成し遂げたんだ!やりました!やっぱりマッキー天才でした!
「…」
そのままの勢いで、シャワーも浴びて、歯も磨いて、ちゃんとベッドで眠った。明日に備えて、どこのだれでもするように、明日に備えて、夢いっぱいに。
「あれ?」
朝。雨が降ってた。天気予報じゃ日本晴れだったのに。
「あ」
ネットの天気予報では、突如として太平洋から現れた台風が、日本列島に襲い掛かってくる旨の警告が告げられていた。
「なんでだよ…」
新幹線は運航休止となっていた。
「ひどいよ…。こんなのってあんまりだよ…」
ついでに映画館も全館休館となっていた。完璧にとどめを刺された、オーバーキルである。




