月の帰還者
「一個の戦力が、それが漂流者であったとしても私達と敵対を続ける事は出来ない。私達の美しき世界の神話は崩壊した。お前の願いを述べよ」
僕にとって、さっきの巨人が有象無象の類には間違いなかった。虫や、細胞や、大腸菌となんら変わらない存在に過ぎなかった。大きさの問題ではなく、関係性の問題こそが一番重要だから。そうすべきだから、そうなったわけで。僕にとってそうあったように。彼らにとってもそうあったのだろう。この世の中には善悪は無い。ただ立場がひたすら違うだけだ。良い事も悪い事もあってこそが人生であるし。
「特にない。さっさと去って欲しいだけだ」
それ以上の願いが、旧人類にとってあるのだろうか。それが全てだと思う。災厄は、早く離れて欲しいもので、それしか人間は願えない。
「わかった。これをもって私達の指向性は永久に変わることだろう」
その天使の言葉を皮切りに周囲の艦隊は次元の裂け目をゆっくりと作って消えていった。
「これから、どうすればいいんだ」
ぽつりと天使が言った。全てを覚えているのだろうか。
「新しい神は、黙示録を望んでない。天界に帰るといい」
後の事は、後の事で、任せればいい。僕の任せられた事はやりきった。
「そうだな」
僕達の前に仰々しい大きな扉が出現し、扉が開くと、天界の玉座が見えた。胎児の見る夢ではなく、いかにもギリシャ神話の玉座っていうほどにだだっ広い玉座だった。僕達はその扉をくぐって天界へと戻ってきた。
「ご苦労様」
王冠を被ったビッキーが言った。王冠が三つにドレスも変えてる。
「月の地下にいる旧人類は?」
「問題無し。侵食から逃れた天使と組んで対抗してたから。月の内部の現在については伝えた。地下は地下なりにそれなりの文明が出来て上がってるし、凱旋も兼ねて後々旅行でもされたらどうですかぁ?」
「…」
ビッキーの軽口にすぐに反応出来る気分じゃなかった。自分が何もか分からなくった瞬間もあったのだ。
「あ」
そう。そうだった。
「考えとくよ」
婚前旅行にはぴったりかもしれない。
「天使の一切は天界から出る事を禁じます」
「了解しました。…今後は?」
「葡萄酒作りをしましょう」
「了解しました」
「ビッキーはどうするの?」
「私も帰ります。玉座は空が望ましい」
「…終わったんだね」
「コレは終わりましたけど、私はむしろここからが始まりかと思います」
キャラ変えてんなぁ。
「どこが始まるの?」
「天界の存在も知れた。天使の姿も目撃された。Realによって他の次元があって、他の世界がある事が認知されてしまう。人間が人間自身で進むべき道を選び歩まなければならない。どう生きるのか、どう在りようを捉えるのか、人間から先に進むのか。テクノロジーの進歩も見逃せない。人間が生み出した人工知能はいずれ人間の設計された能力の限界を超えてゆく。いつも通り、人間には問題が山積みですからね」
「一休みさせてもらうよ」
僕は言った。もう限界は超えてるし、少しゆっくりだってしたい。
「あ。そうだ。今何月の何日?」
「八月十五日ですけどぉ?日本時間で午後九時ですねぇ」
ツキコモリさんとの約束、お盆に映画行こうって言ってた。…まだ一日残ってる。一瞬で心がまた燃えた。地球に、家に、帰ろう。