マーレイの花
お題は『ジュリエットの話』どのような人物なのか。
マーレイ領、最強にして最後の領主、ジュリエット・リー・マーレイの登場です。
『王の庭』卒業に近い日々のお話。
それでは、どうぞ。
櫛風月 序二十二日
曇りのち晴れ。
種の収穫、手紙十四通、紙片が五枚。
詩集を破かれたと難癖をつけられる。
本を汚したり破る行為は何よりも許し難い。
太子から外国の小さな鉢をもらう。
磁器の上掛けが美しい。
先日の切り花は断ったから植木鉢なんだろうか……鉢だけ……真意は不明。
彼の人が歩くと、しゃりんしゃりんと高質な金属が鳴っているような音がする。
実際はそんなものは身に付けていないので音なんかしない。
もしかしたら周りをとり巻いているような光が音を立てているのかも知れない。
そうなら間違いなく幻聴なのだけど。
とり巻く光も幻覚なのだけど。
背後の護衛騎士は特に輝いて見えないから、私がどうかしているのか、太子が特異なのだと推測する。
多分に太子の方に源拠があるはずだ。
そうであるからこそ、お嬢様方が群がっているに違いない。
収穫した種を太子がくれた鉢に撒いた。
北の地方でも上手く命を繋げられるといいと、今は土だけの表面を見てその少し先に思いを馳せる。
ジュリエットは向かってくる太子の姿を見て、これみよがしに大きく息を吸い込んで、腹の底から大量にそれを吐き出した。
太子は背後を少し振り向いて、軽く手を上げて振る。
ふたりいる護衛騎士は、部屋に居る人々を席から立たせて一緒に出て行き扉を閉じた。
室内が静かになるのを待って、その後ゆっくりと隣の席に座る。
「……ジュジュ」
「その呼び名をやめて下さい」
「私のジュリエット」
「太子のものではありません」
「あ、『まだ』だね」
「『ずっと』ですけどね……って、ほんとやめてもらえませんか。すこぶる面倒くさい。甚だ迷惑……どうして皆さまも騎士様も外に出すんですか」
「邪魔者だから」
「影は居るでしょう」
「うーん……言い直そう。目障りだから」
確かに部屋には王太子とジュリエット、ふたり以外には誰も居ないように見える。
気配はそうでも無いが。
なんなら扉の向こう側の護衛騎士以外にも、ささめくような大勢の気配を感じる。
「事実を周知して下さい」
「何の話?」
「貴方に言っているのではありません、影の人にです」
「彼等には心も口も無いからね……もちろん比喩だよ?」
「私に同情はしないと?」
「私の影だからねぇ」
「…………ちっ」
「もう! かわいいんだから、私のジュジュ!」
「煽るのがお上手ですね」
「人心を掌握するのは必須だよね」
にっこりと笑ってこちらを向いている王太子に、ジュリエットは同じ顔をして返す。
持っていたペンを取り上げられて、そのまま手を持ち上げられ、その甲に口付けを落とされた。
わざとらしい大きな音を立てる。
「いつまで返事を書いているの? 私の相手をする気にならない?」
「貴方のせいで日々増える一方です。これこそ止めるように周知して欲しい」
「……楽しんでいるのかと思った。分かった、やめさせよう」
身の程知らずだの、盗っ人だの、不細工だの。果てには呪い殺すだのと、毎日毎日、懲りもせず差出人の記載がない手紙がやってくる。
その全てに目を通して、文字や文法の間違いを直し、点数と所見を一言添えて、書いた本人に返している。
なんなら先生から不要になった『再提出』の判をもらって、朱色で押印して返す。
返された本人たちは驚いて気味悪がっているが、文章や文字の癖がそれぞれにあると頭に無い。
如何にもご自分中心の考えで、その薄っすら馬鹿加減がお嬢様たらしめているとも言える。
「時間を持て余しているのは貴方だけですよ」
「……ふふ。そうだな、ジュジュは私の相手で忙しいものな?」
「その時間も惜しい……放っといて欲しい」
「いやだよ」
するすると撫でていたジュリエットの手にまた口付けをする。
今度は唇を押し付けるだけで、音を立てず、指一本一本に。
「ジュジュがマーレイに帰るまでは私のものだ」
「今もこれからも私は私のものですが?」
「いやだよ」
「…………くそですね」
「ほんのひと時のことだ、堪えてくれ」
「ほんとくそ」
「私も同意する」
火遊びの相手なら自分でなくとも良いはずだとジュリエットは王太子に告げたことがある。
王太子はそんなつもりはないと真剣な顔で返していたが、それでも、ジュリエットも王太子自身も含めた皆が、この関係を『太子のお戯れ』だと思っている。
そうでなければいつか、それも遠くない将来に国が立ち行かなくなるのは明白だ。
ジュリエットはマーレイ領で、北の守護としてそこに立っていなくてはならない。
その器量と能力が充分にあるばかりに。
どこか劣った部分があればと王太子はそれを惜しんだ。
薄っすら馬鹿なただの令嬢ならば、ずっと手元に置いておけたのにと。
でもそうならばここまで心を奪われることは無かっただろうことも分かっている。
ジュリエットを名実共に凌ぐ存在が有りはしないかと探したが、それも叶わなかった。
それならばこの王太子妃候補の選定期間だけでも、残りの時間だけでも。
ジュリエットの時間を奪ってでも、ふたりで過ごしたいのだと真摯に告げた。
「ヒマなら返事を書くのを手伝って下さい」
「私の筆跡でも良いのか?」
「どなたも気付きませんよ……むしろそれに気付いた賢明な方をお妃にしては?」
「うん……なるほどな……いるかな?」
「どうですかね」
「……やっぱり止めさせよう」
「自分の身に降りかからないと考えない性質は将来の国王としてどうかと思います」
「心に留めておくよ」
「そうして下さい……あと、本を傷めるのも厳重に注意して下さい」
「ジュジュがやったって?」
「そうです……腹立たしい」
「ジュジュがそんなことする訳ないのにね……なんて浅はかなんだ……よく言っておく」
「本は知の泉です」
「……解っているよ」
「その惚けた顔を引き締めて下さい」
「……抱きしめても良い?」
「いやです」
「確かにここじゃあね……今夜私の部屋に」
「お断りです」
「もう……かわいいな、ジュジュは」
「…………寒気がしますね」
ぶるりと震えてみせて、びっしりと立った鳥肌がよく見えるように、ローブから腕を差し出す。
王太子は嬉しそうに笑ってジュリエットを横から抱きしめ、頭をぐりぐりとジュリエットの頬に擦り付けた。
「これがなんだかお分かりになる?!」
「…………ぞうきん?」
「 私 の衣装よ!!」
「……へぇ……」
王太子妃第一候補であらせられるところの、宰相閣下の姪御様が、よよと泣く素振りでジュリエットの前にぼろぼろの布の塊を叩きつけた。
緑の草の上に、薄紅色の布がよく映えている。
お天気も相まってなお布地は輝いて見えた。
大きな木陰の下、さくさく心地の良い草に厚手の布を敷いて、そこで昼食後にゆっくりと本を読んで過ごしていたところへの急襲だった。
ジュリエットの膝を枕に、目を閉じてそよ風を楽しんでいた王太子の眉間にしわが寄る。
「貴女が引き裂いたのでしょう?!」
「あ、今日はそういう? じゃあ、そうですね」
「…………!! ……なんて、白々しいのでしょう!! 酷い方ね!! 王太子、何とか仰って下さい、この方、私の衣装を……!!」
「こら。悪い子だなジュジュは、めっ」
「えー。ごめんなさーい」
下から指でジュリエットの顎をくすぐるように撫でると、びしとその手を払われる。
くすくす笑いながら王太子は起き上がり、横から抱えるように座った。
ジュリエットの肩に額をとんと乗せ、ちらりと横目でご令嬢を見上げる。
「この通り、ジュジュは心の底から反省している。だから許せ」
「そんな……王太子!!」
「なんだ?」
「私の大事な衣装を、この女が!」
「この女?」
「下賤の身で、私に嫌がらせを」
「ぶは! …………ぶっ……ふふふ……あぁ、失礼……うく!!」
「太子様!」
「はは……私が笑っている内に消えろ? 目障りだからな……ふは!」
「…………酷い……なぜ貴方様まで私にそのような態度を……」
「酷いのは其方の頭の中身だよ……ああ、もう良いから失せろ」
「あ、こら。なんて悪い子かしら。めっ」
「ああ、すまない、口が悪かったな」
「…………何故そうやって私を蔑ろになさるの?」
見せつけるように丁寧にジュリエットの頬に口付けをして、王太子はご令嬢を真っ直ぐ見据えた。
「それが分からない程に愚かなら候補を辞退しろ」
「王太子様……」
「其方が欲しいのは妃の座だろう……くれてやるから、私の欲しいものにケチをつけないでくれ」
「私は貴方様をお慕いしているのです」
「人を慕う気持ちが解るのなら尚更だ。私の前でこれ以上の無様は許さん」
「…………わかりました」
「下がれ」
「失礼いたします」
離れていく後ろ姿を見送ると、王太子は小さく息を吐いてジュリエットの肩に額を押し付けた。
抱きしめている両腕にぎゅうと力が入る。
「言い過ぎですよ」
「構うか」
「良好な関係を築いて貰わなくては、巡り巡って民が困ります」
「後からいくらでも挽回できる……口先たけで」
「自信がお有りで何より」
「これだけ言っても自身を省みないのだから、この国の女性の気の強さはどうなっているんだ……ジュジュ、お前も含めてだけどな」
「心配なさらなくても、心優しく物静かな女性もいますよ……貴方の周りには居ないだけで」
「なら世の男どもも安心だな」
「そうですね」
それでも各種の嫌がらせは後を絶たず、手紙の類は無くなったが、直接罵られたり、手を出されることが増えてきた。
ジュリエットにとってそれは痛くも痒くもなかったが、それを見ていた王太子は日々苛々を募らせていった。
「ジュジュは腹が立たないのか」
「私をお叱りになるんですか?」
「…………すまん、筋違いだな」
「その通りですよ、まったく」
「よし、全員串刺しか縛り首にしよう」
「わぁぁぁああ、暴君ですね」
「……お前は流刑だな」
「ふふ……文字通りです」
「……ジュリエット、最後の宴も私の相手をしてくれ?」
「もう……本当に最後ですよ?」
「ああ……約束する」
「なら良いでしょう」
「ありがとう」
「こちらこそ、お誘いいただき光栄です」
「衣装は私が用意する」
「…………ローブでほとんど隠れますけど?」
「ローブも私だ」
「あらあら、はいはい」
「楽しみにしていろ」
学院を卒業する前に開催される宴は、学院の生徒のみならず、その親族や、国の重要人物まで列席する盛大なものだ。
王太子が居なければその範囲は父兄に留まるのだが。
会場も学院ではなく、王宮にある一番の大広間で行われる。
そのすぐ側の控え室で、ジュリエットは下着姿で腰に両手を置き、衣装の前で長い長い唸り声を上げていた。
王太子が送り込んだ侍女が心配そうにおろおろとしている。
「これはどうでしょう……流石に着る気になれません」
「そう仰らず……お願いします」
「貴女もどうかと思いませんか」
「お気持ちはお察しします……でも着ていただかないと、その、困るんです」
「まぁ、貴女の立場はそうですよね」
「ご理解いただいて恐縮です……私の首を守ると思って、どうか」
「…………私は必ず渋るからそう言えと?」
「明敏でいらっしゃる」
「お褒めいただきどうも」
「何をしているんだ、待ちくたびれたぞ、ジュジュ」
「……無断で扉を開けますか」
「まだその姿か……案の定ゴネてるな。さあ、私が着せてやるから機嫌を治せ」
「やめて下さい……貴方に着せられる程女性の衣装は簡単にできていませんよ」
「脱がせるのは簡単だぞ?」
「は、は、は。……面白いことを仰る」
「まだ頑張るか?」
「うるさいですね、いいから出て行ってくださいよ」
「早くしろ、待ってるんだからな」
抱きしめようと両腕を開いて近寄って、寸前でその腕を引っ込めた。
やっぱり衣装を着てからだと笑いながら王太子はさっさと隣の控え室に戻っていく。
侍女は心得たようにさあさあと、着やすいように衣装を両手に広げて待っていた。
数人がかりで着付けられ、化粧をされ、ジュリエットは無抵抗で踏んだり蹴ったりされる。
最後に肩にローブをかけられて、フードをかぶせられた。
純白が基調の衣装と純白のレース仕立てのローブは、ひとつも魔術師らしくはない。
百人中百人が婚礼の衣装だと思うだろう。
ジュリエットは衣装を見た瞬間から、王太子に任せたことを後悔した。
できることなら時を巻き戻したいが、そんなことが出来ない自分の力量を心底から呪いたくなった。
「お綺麗です……どうか、この夜をお楽しみください。王太子のために」
「…………貴方のような心持ちの人が着るのが相応しいでしょうに……ままならないですね」
「いいえ、私は貴方様にお仕えすることができれば楽しいだろうに、と思いました」
「そうですか? ……残念ですね」
「ほんとうに」
王太子はジュリエットの姿を見るなり、大股で近寄って、その場で片膝を折り腰を落とした。
ひとしきり美しさを褒め称えて、その手を取り、口付けを落として、どこから取り出したのか指輪をするりとはめる。
「…………うわぁ。悪趣味」
「ふふふ、そうだろう」
手を上に翳して、全く好みでない意匠の指輪をころころと親指で動かした。
「ゆるいですよ」
「ジュジュに合わせたんじゃないからな」
「ああ……巻き上げられる前提ですか」
「そういうことだ」
「……ううん。石は立派なので売っ払おうかと思ったのに」
「それ以上の支援をするから心配するな」
「あ、そうなんですか? 手切金を奮発してもらう気だったんですが」
「それも用意する」
「あら素敵」
「だから巻き上げられた時は、さも惜しんだ素振りをしろよ?」
「お任せください」
「………………ああ、くそ!! 本当にお前が惜しい!! どうして王位継承者はクズ揃いなんだ!! くそ!!」
「…………そのクズのどれかに投げてしまわない所が、貴方が王の器である証ですよ」
「ジュリエット…………どうか息災であれ」
「貴方も……どうか良き王に……微力ながらお支えします。正しく民を導いて下さい」
「………………約束する」
「私とマーレイ領には不可侵でお願いしますね?」
「私が生きている限りは」
「あら、貴方の想いはその程度ですか?」
「はは!…………この国がある限り、と訂正する……本当にお前は良い女だな、ジュジュ!」
「知ってます」
「……心はいつもお前の側に」
「いいえ、それは貴方の民に向けて下さい」
「ここに来て袖にされるのか、私は」
「そう言えばこう言うと、解って言っているクセに……私の所為にしないで下さい」
「…………もう泣くな」
「…………そっくりお返しします」
化粧を直してもらい、フードも美しくかぶり直して、微笑み合う。
ふたりは大きく息を吸い、顔を上げ、腕を組み、胸を張り、堂々たる態度で歩き出す。
それぞれの立場で、これからは別々の道を。
自分の心は遠くに、想い人の側に置いて。
『ジュリエットのお話』でした。
いやぁ……最初は『しっかり姉さん』と『甘えんぼ坊ちゃん』とか考えていたのですが、なんと言うことでしょう。
書き出したらどっかに行っちゃった!!
まぁ、そんなこともありますよね、ドンマイ☆
ジュリエットが惚れるに足るだけの男だったってことで結果オーライ!!
国も安泰!! やったね!!
ダイジェスト感たっぷりでしたことをお詫びしつつ。
次回は我らが繊細ボーイ『ビクターのお話』です。
できれば連休中にどうにかお出ししたい。
しばしお待ちくださいませぃ。