まさしきゆうかん
リクエストのテーマは『甘め、前向きエンド』です。
そいでは始まります。
どうぞ。
幼い子どものきゃらきゃらと高い声が続く。
室内に三つほどある段差で、上からボールを投げれば、思わぬ方向に跳ねては転がり、それをあちこち追いかけていく。
まろぶようにしてボールを追いかける姉姫を、弟王子は楽しそうに眺めて、笑いながら手を叩いていた。
「…………なにかしら、王子に陛下の片鱗が見えるのは私だけ?」
「いいえ〜、右往左往する様を見下ろして高笑いするなんて、まったく将来が楽しみなことですね」
「あらやっぱりココもそう思う?」
「っすねー。……それに、ああして姫さまが振り回されているところなんて、お妃様と姿がかぶって……なんだか涙が出そうです」
「やめてよ、私はあんなに不様じゃないわ」
「不様て……おかわいらしいじゃないですか」
「……私のこともそんなふうに見ているの?」
返事は無くにっこりと笑う侍女のココに、アウレリア妃はくるりと目を上に向けて、小さくため息を吐き出した。
もうひとりの侍女エマは大きな露台に面した窓辺、王子の後ろでせっせと小さな姫さまの新しい衣装に花の飾りを縫い付けている。
近衛のルイスは姫さまの後ろで、取りこぼしたボールを待ち構えていた。
しばらく見守っていると、もういや! と小さな姫さまは、癇癪を起こす。
弟王子の相手をしてやっているつもりが、自分が振り回されていることに嫌気がさしてきたらしい。
ぷんすこしている姫さまに王子はしゅんと表情を変えた。
糸玉のような、美しい色どりのボールをルイスが拾って、姫さまに手渡す。
「もう終わりですか? 姫さま」
「ルイがしたらいいの!」
「……王子は姫さまと遊びたいんですよ?」
遊びの始まり、王子はルイスに向かってボールを投げていたが、先読みして簡単に捕球してしまうルイスが気に食わなかったらしい。
ねえさまがいい! と早々に交代を申し付けられた。
「いや! もうしない!」
持っていたボールを王子の方に力いっぱい投げると、王子の頭の上を飛び越えて、窓辺で一度跳ね、露台にそのまま転がり出ていく。
王子がそれを追いかけていくのを見て、ルイスが走り出した。
露台の腰高の手すりには隙間がある。
ボールも、王子もすり抜けそうな隙間が。
どこか引っかかりそうなものの、どんな風に身体を通したのか、王子は猫のようにするりと手すりの隙間からボールを追った。
姿が消えた瞬間に、ルイスは手すりに被さるようにして、王子の背中の辺り、上着を鷲掴みにする。
背後で短い悲鳴がいくつも上がった。
部屋は二階部分。
とはいえこの下階の天井はかなり高いので、地面までの距離はずいぶんとあった。
「エマ!」
「はい!」
「振り上げるから受け取って……」
背後でルイスの剣帯を両手で掴んで引いていたエマは、その手を離すことを躊躇う。
ルイスの上半身は露台の外側、下に向かっている。
片足は完全に浮いて持ち上がっているし、王子を腕一本で、もう片方はどうにか掴んでいる手すりから今にも外れてしまいそうだった。
エマが返事をする前に、ココがこちらに追いつく前に、ルイスは王子を掴んでいる腕をゆっくりと振り出した。
こちらに投げ上げるために勢いをつけている。
「ルイさん、でも!」
「いくよ……いち、にい……」
さんの声と同時に、王子の姿が見えてエマはルイスから手を離した。
王子に手を伸ばすと同時に、ルイスが露台から消える。
しっかりと両手で王子を受け取って、エマはすぐさまその下を覗き込んだ。
「……ルイさ〜ん…………生きてます?」
「……………たぶん」
いててと呻く声が小さく聞こえたので、エマは止まっていた息を小さく吐き出す。
背後で姫さまが泣き始め、王子はきょとんとした顔でエマを見上げていた。
「本当に! 貴女という人は!!…………ぁぁぁああああ!! もう!!」
「…………うるさいですよ」
「誰が!! うるさく!! させて!!」
「ほんとうるさいですねぇ」
「ねぇ?」
ルイスの側でしゃがみ込んで、膝の上に頬杖を突いていたココは、上目使いで横にいるルイスの夫を見上げている。
応急処置をしていたところ、話を聞いたリンドが襲い来る熊のように突進してきた。
ルイスの上半身は整えられた植え込みの中、下半身は花壇の柔らかい草花の上に投げ出された格好になっていた。
下の草木によって衝撃はかなり吸収されたが、背面を強かに打ち、掻き傷や切り傷がかなりできていた。
悪かったのは片足、右のかかとがちょうど花壇の縁石の上になったことだった。
「足が折れているようなので、くっ付けました……もう動かしても大丈夫です。師長様、運んでもらえます?」
「……ルイス……他に痛いところは? 本当に大丈夫なのか?」
「…………はい、たぶん」
「頭も首も大丈夫っぽいです。背中に打ち身ができてると思いますから、お気を付けて」
生け垣の中からルイスを起こして、リンドは横抱きにして持ち上げる。
やはり背中が痛いのか、小さく呻く声が聞こえたので、確認しながら障りのなさそうな辺りに掌を添えた。
「首に掴まれますか?」
「…………はい……お手数おかけします」
「ルイス…………帰ったら……解りますね?」
「うわぁぁぁ…………帰りません!」
「元気な声が出るじゃないか」
「大きな傷はふさぎました。足はくっ付けたばっかりなんで、無理に動かさないようにして下さい」
「すまない……ありがとう」
「いえいえ……薬を用意してから様子を見に行かせていただきますね」
「お願いする」
「ココ……王子と姫さまは?」
「お妃様に大叱られ中でしょうね」
「はは……そうか。私は大丈夫だと伝えて」
「はい、かしこまりです」
城内の廊下に入った途端、話を聞きつけ人々が心配顔で立ち話をしていたが、リンドの腹を立てた様相に誰も近寄れない。
その顔に慣れているリンドの部下だけは平気な素振りで近寄って、ルイスの無事を確認すると苦笑いで見送った。
部屋まで運んで寝室に向かう。
ルイスは寝台は嫌だとリンドの肩を叩いた。
「ルイス?」
「病人みたいで嫌です」
「けが人ですよ?」
「だからあっちでいいんです」
ふっかりした長椅子を指さすので、リンドは大きくため息を吐きながらそちらへ向かい、ゆっくりと丁寧にルイスを座らせる。
背中の後ろにとりわけ柔らかいクッションを置いた。
「横にならなくて良いんですか?」
「今のところ」
「顔を見せて」
ルイスの前に跪いて、頬に両手を添えると自分の方に顔を向けた。
親指で傷の跡をそっと撫でる。
大きな切り傷は魔術で塞いでもらったので、今は薄らとした線が走っている。
すぐに跡形も残らず消えそうな、薄紅の筋が入っているだけだった。
服から出ている首元や手も、念入りに見ていく。
「……もう、大丈夫ですったら」
「何か言いましたか?」
「…………ごめんなさい」
「…………悪いと思っているんですか?」
「心配させたことは。でも悪いことしたとは思ってないです」
「…………正論すぎて返す言葉が見つかりませんね」
不幸な事故を防いだことは、近衛としては褒められて然るべきだ。
自身も転落したにしては軽症で収まったのだから、責められる謂れはない。
「……こう……身体が宙に浮くような感覚は、なかなか無いので面白かったです」
「…………余計なひとことで怒らせないで下さい」
「場を和ませようと」
「ちっとも和みません」
「あら〜……」
部屋付きの侍従が水桶を用意して部屋に入ってきたのをきりに、リンドは話をやめてルイスの長靴に手をかけた。
「自分で脱げますよ」
「黙って世話をされて下さい」
「…………怒ってます?」
「そうですね」
「機嫌直ります?」
「しばらくは無理ですね」
「気晴らしにお仕事に戻られては?」
「それどころではないので」
「なるほど、困りましたね」
「まったくです」
折れた方の足首は、魔術で骨は継いだが何も無かったことにはならない。
どくどくと痛み、熱を持って腫れ上がっている。しばらくは鈍痛が続くので、なるべく使わないようにおとなしく過ごすのが一番早く治す方法だ。
水に濡らした布で足を冷やして、それでもまだ足りないというふうに、リンドは侍従に氷をと端的に言う。
もうルイスは余計な口を聞かずに、静かにされるままになっていた。
リンドは横に腰掛け、ルイスの体をくるりと回すようにして、自分の足の上にルイスの足を乗せた。
背中に手を回してクッションを挟み直す。
ルイスが肘掛に寄り掛かれるように調節した。
「背中はどの程度痛みますか?」
「うーん……何かがどすっと当たった程度ですか」
「何かって言うか、地面ですけどね」
「はは……地面でしたね」
「しばらくはおとなしく」
「もちろんです」
そう言ったリンドが上から覆いかぶさって、ルイスに口付けを浴びせ倒し、手は痛くない方の腿をずっと撫でていた。
それなりに悪いと思っていたので、ルイスは言葉通りおとなしく、甘んじてそれを受けておく。
「貴女のその後先見ずはどうにかなりませんか」
「……待って下さい、私だってそれなりに考えてます」
「他にも方法があったのでは?」
「どっちの手も離れそうだったんです」
「だからといって……大体、貴女は自分の優先度が低すぎる」
「褒めてもらえると思ったのに……」
「……え」
「良くやったと」
「そ……れは」
しゅんと項垂れたように顔を横に倒して、ルイスは口先を尖らせた。
常に見ない表情に、リンドは言葉を喉に詰まらせて、頬の辺りに熱が昇ってくる。
「そんなふうに! かわいく振る舞ったからって!! 絆されると思わないで下さいよ!!」
「…………ちっ」
「ルイス!!」
「王子から手を離せばよかったですか? それとも落ちていくのを黙って見てろと?」
「そういうことを言っているんじゃない!」
「あの場ではあれが最善でした。私は出来る限りのことをしました」
「貴女にご自分の命を軽んじて欲しくない! ケガすらして欲しくないんです!!」
「…………軽んじているつもりはありません。貴方だって同じ場面に居れば同じことをしたのでは?」
「…………そうだと思うから余計に腹が立つ!!」
「……無駄に怒られてませんか?」
「まったくその通りですね!!」
ああもうと大きくひと声吠えて、リンドはルイスをむぎゅむぎゅに抱きしめる。
背中の痛みに小さく呻いたのが聞こえて、リンドは自分が下敷きになるように、位置を入れ替わってルイスを腹の上に乗せた。
「籠に入れて閉じ込めたい……」
「口に出しますか……」
「おっと、つい本音が」
「まぁ、しばらくはそんな感じになりますよね」
「これを機会にゆっくり体を休めて」
「二、三日はおとなしくしてますよ」
「その倍、いや、三倍は」
「ぇぇぇぇええ?!」
「鎖で繋ぎたい……」
「言っちゃうからなー」
長椅子にふたり寝転んだまま、ああでもないこうでもないとどちらも引かず、うだうだと話をしている。
そうしてふたり引っ付いていること自体が久しぶりだったので、リンドは我が妻の感触に気分が持ち直していくのを感じていた。
重みも温もりも、実に気持ちが良い。
ルイスもそれは同じなのか、返答がゆっくりになり、先ほどから瞬きの回数が増えていた。
「少し眠りますか?」
「…………したがかたい……」
「ふは……本当に、貴女という人は……かわいくて堪りませんね」
「しー……しずかに……」
「はいはい」
遠くの方からこちらに向かって近付いてくる泣き声が聞こえて、ふたりは同時に吹き出した。
笑いを堪えて、くくと震えている身体を抱きしめて、リンドはルイスと一緒くたに起き上がる。
きちんと座り直させて、背中に柔らかなクッションを挟み、ふわふわしていた髪を撫でつけて整えた。
いよいよ泣き声が扉の前までやってきた時機に合わせて、リンドが出迎えに立ち上がる。
扉を開くと同時に小さな姫と王子が我先にとルイスに駆け寄った。
「ルイがいなくなっちゃうー」
「なりませんよ」
「いかないでー」
「どこにも行きません」
「ごめんなさーい」
「ごめんなさーい」
「ご心配なさらずとも良いのです」
「甘いわよ! ルイス!!」
「お妃様……」
「ビシッと言わなきゃダメよ、死ぬところだったって!!」
一拍置いて、一段と大きくなったふたりの泣き声が響き、それで部屋の中がいっぱいになる。
小さな姫と王子はルイスにすがり、よじ登って膝の上に座って体にしがみついた。
ルイスはほかほかで柔らかな、小さな体を両腕で抱きしめる。
「私はどこにも行きませんよ」
「……ほんとう?」
「本当です」
「ぼくのこときらいになった?」
「なりません……大好きですよ」
「わたしは?」
「もちろん大好きです」
「ごめんなさい……」
「ぼくもいっぱい、ごめんなさい」
「私の方こそ、おふたりを驚かせてしまいました。ごめんなさい」
あ、と小さく声を漏らしたあとで、リンドはとびきり苦いものを食べたような顔になる。
羞恥に顔が熱くなるのを感じながら、誰にも見えないように顔を逸らした。
今のルイスたちの会話、そっくりそのまま。
自分が言いたかった気持ちで、聞きたかった言葉だったのだと気が付いた。
理屈抜きの、素直で、単純な、心からの言葉。
心配しているようで、相手を責めるような言い方しかできなかった。
自分で自分が情けなくなってくる。
こっそり外そうと静かに後退すれば、目敏いお妃様に見付かった。
にやりと笑ったお妃様のその顔に、リンドはさらに苦い顔を返す。
なんだか悔しいので、いまの会話、きっちり後からふたりきりで再現しようと、リンドは心にしかと誓う。