05
「――というわけで、学校で近づくのはやめるね。そのかわりにこうして電話とかアプリでは沢山話しかけるから」
一旦スマホを離して苺と表示された場所を指でなぞる。
たかだか学校に来てから1週間も経っていない人間に負けて小学生から付き合いがあるあたしと距離が置くなんてどうかしているとしか言いようがない。
「香子ちゃん?」
「あんた、朝倉に言われた云々は言い訳で、あんたがあたしから離れたいんじゃないの?」
「そんなわけないよ! だって私は香子ちゃんのことが大好きだもん!」
なのに大して知りもしない男の言葉なんかを真に受けて離れようとするなんて……。
「あのさ、香子ちゃんの家にお泊りに行ったらバレちゃうかなぁ?」
「ふっ、どんだけあたしのことが好きなのよ」
「好きに決まってるじゃん、いっつも側にいてくれたのは香子ちゃんだもん」
あたし以外の人間が長く側にいても同じことを思ったのかしら。そう考えるとかなり複雑だし、いつだって苺にとって必要な存在でありたいと思う。
「だけど1番はお姉ちゃん!」
「そりゃ家族には勝てないわよ。でも、あんたにとって2番でいたいわ」
「ふふふ、香子ちゃんも私のことを必要にしてるねー」
「当たり前よ、あんたがいないと勝負を楽しめないし」
でもあたしが朝倉に食いつくと恐らく拗れる。苺にだけこれ以上当たりが強くなるのは絶対に避けたい。いくらポジティブに考えることが得意で多少M属性の彼女であっても重なれば精神がやられてしまうから。
「分かった、だけど必ず連絡してきなさいよ? それじゃあね」
「うん! ばいばい!」
さて、あたしはまあ普通に苺のいない生活を送ればいいわけなんだけど、
「あたしが耐えられるかしら……」
苺がいないと……少なくとも長期間は無理だ。
だからいざとなった時はあたしが朝倉にがつんと言う。苺を朝倉が責めようとするなら庇う、そしてずっと堂々と仲良くする。
とりあえずは耐えてみせる、苺よりも大きいんだから頑張らないと。
6月。
窓の外に向けると灰色の世界が広がっている。
朝倉くんはだいぶ向こうの方に移動し、私の横には朝倉くんに興味を抱いていたあの子がやって来ていた。
積極的に彼のところに行って話しかけているのを見るに、もしかしたら本気なんじゃないかと捉えることができる。
香子ちゃんとは目が合う回数が増したけど、そりゃいまでも友達同士のままなんだから無理もない話だ。もう10年目になる関係なんだから当たり前な話。
「河辺さん」
「うん?」
「学校では話さなくなったけど実は連絡を取り合ってるとかそういうのじゃないよね?」
「え、連絡くらい取り合うに決まってるでしょ? そこまでは言われる謂れはないけど? え、もしかしてあなたは他人の関係に口出せる権利があると思ってるの? なに、神様なの? 絶対的権力者なの?」
彼のせいで学校で仲良く話せなくなったのだからむかつきもする。だからついつい口からどんどんと言葉を発してしまった。周りの子も何事かとこちらを見ている。
「私はね、香子ちゃんのことが好きなの! 朝倉くんも好きだって言うのなら正々堂々努力して勝ち取ったらどうかな? ま、香子ちゃんは物じゃないし譲る気もないけどね! ふんっ、何年一緒にいると思ってるの? もう10年目だからね!?」
私は彼の言葉を真っ直ぐに受け止めた。それにちゃんと守っている、なのにこれ以上言おうとするのは変えないのであれば私だって真っ直ぐに思ったことをぶつけていくだけだ。どうせ嫌われているのだからマイナスがマイナスになるだけでしかない。彼に嫌われようと私にとってなんらマイナスではないのだからよく考えた方がいいけど。
「あんたもしつこいわよ」
「僕はただ……」
「あのねえ、あたしが迷惑に思ってるだとか勝手に判断して他人にどうこう言う権利はあんたにないわけ。大体、こいつをあたしから遠ざけてあんたにメリットがあるの? それともこいつの言うようにあたしのことが好きだとか? そんな可能性は微塵もないだろうけど、あたしを好いているのならこれは逆効果でしかないわよ」
やっぱり香子ちゃんは格好いい。少なくとも私がなにかを言うよりは朝倉くんに届くはずだ。
「……長年関係を続けていたとしてもどうせ裏切られるんだ」
「知らないわよそんなの、あんたはそうだったってだけでしょ?」
「このっ!」
まさか物理的な手段に出るとは思わなかったけど香子ちゃんの前に立つ。その後すぐに頬に衝撃が走った。
もちろん彼が暴力を振るったということで教室内はざわざわとしはじめる。しかしここで意外だったのは私や香子ちゃんを責めるような声が聞こえてきたことだ。
「僕は悪くない……」
「あんたなにやってんのよ!!」
あ……私が変に庇ったせいで香子ちゃんが激昂してしまっている!?
「なにやってんだお前ら!」
それでも彼の胸ぐらを掴むことを彼女はやめない。
「池本落ち着け!」
「だってこいつが! ――分かりました」
「はぁ……なにがあったんだ? ちょっとお前らは自習な。池本、朝倉、河辺はちょっと来い」
「「「はい……」」」
授業時間が始まったというのに廊下へと連れ出された。彼女はまだ納得がいかないようでぶつぶつと文句を言っているが、逆に彼の方は怖いくらい静かで月二先生から見れば犯人は香子ちゃんのように見えるけれど。
「朝倉、お前が河辺に余計なことを言ったんだってな」
あれ、どうして先生はそれを知っているんだろうか。だってその話をしたのは家でだったのに。
「い、いえ、だって河辺さんが池本さんに迷惑をかけていたのは事実で――」
「そんなことあたしは思ってないわよ!」
「池本は落ち着け。とにかく池本が不満を言ったわけじゃないんだろ? なのにどうして朝倉が勝手に判断するんだ?」
先生の言っていることはなにも間違っていない。だからこそ朝倉くんは黙るしかできなかった。その内側でどんなことを考えているのかはまるで分からないが、少なくとも邪魔をしてほしくない。
「いや、お前が池本のことを考えて言ってやったのは分かるよ。河辺ももう少しくらい考えて動くべきだったかもしれない。だけど押し付けがましくなっては駄目だ、分かったな?」
「はい……」
「池本も許してやれ」
「だけどこいつは苺を叩いたのよ!?」
先生に対しても敬語じゃなくなるくらい一生懸命になってくれてるのか。いまこの場で考えることではないのかもしれないけど、そういうのが凄く嬉しかった。
「朝倉だってもうしないだろう、なあ?」
「はい……」
「よし、授業だから戻れ」
香子ちゃんはぶつぶつと呟きながら、朝倉くんはうつむきがちに、私は教室に入ろうとした先生を呼び止める。
「どうした?」
「月二先生が担任の先生で良かったです! ありがとうございました!」
頼りすぎるのは駄目だけど必要なのはやはり大人の力だ。微妙でもやもやとした終わりを迎えただろう結果を簡単に変えてしまった。先生からすれば面倒事を起こされて大変かもしれないけども。
「ははは、そうか、そう言ってもらえると助かるよ。中々新1年生の相手っていうのは大変だからな。ただなあ、河辺が池本以外の生徒といてくれたらもっと安心できるんだがなあ」
「えぇ、香子ちゃんとだけいられれば大丈夫ですよ」
「よし、教師命令だ、池本以外の生徒とも関われ。大丈夫だ、池本といることを禁止したりはしない」
「うーん、私はあくまで来る者拒まず去る者追わずのスタンスですから。ちなみに香子ちゃんが離れた時だけ地の果てまで追うつもりです」
「はぁ……まあいい、教室に戻れ」
「はい」
イライラする。
あいつめ、苺を叩きやがって。
苺はあくまで平気そうな感じでいたけど、到底許せることではない。
だけど握っていた拳から力を抜いてそっと机の上に置いた。
苺のおかげでまとまったようなものだ。
ここであたしが短慮を起こすと彼女に迷惑をかけることになる。
「池本さん」
「あ?」
こいつはよく普通に話しかけてきたものだ。
「……ごめん、もう普通にしていいよ。河辺さんといたいなら一緒にいてくれれば――」
「そんなの当たり前でしょうが。あんたをあたしがぶん殴りたいところだけど、あたしが叩かれたわけじゃないし我慢してるの。だけどそう簡単に近づかれると殴りたくなるから近寄らないで」
「ごめん、だけど普通に友達ではいてほしいんだ。河辺さんにもちゃんと謝るよ」
いつの間にか友達になっていることが引っかかるけど、「……ま、苺が許すならこれ以上はなにも言わないけど」と答えておいた。本当に苺がいてくれて良かったと心から思える件だ。
「朝倉くん、別に謝ってくれなくていいよ?」
苺は苺で大甘すぎる。
「いや……ごめん」
「うーん、でも私が朝倉くんの気分を害すことをしちゃっていたんだよね? それなら朝倉くんが怒りたくなるのも仕方のない話ででしょ?」
「違うんだ……本当は普通に仲良くしたいだけだった。だけど1度も女の子と仲良くなれたことがなくて……ふたりを見てるとこうもやもやして……」
「はぁ? あんたのしていることはただの僻みじゃない」
思わず叩きたくなるような理由を作ったのはあたしだから黙っていようと思ったけどできなかった。苺からは「もう、香子ちゃん!」と怒られてしまったが本当のことなのだから仕方ない。
「……全部池本さんの言う通りだ、なのに叩こうとするなんて最低だよね」
「そういう言葉だけの反省は誰にでもできるのよ」
「じゃあ、どうすればいいかな、どうすれば反省してるって伝わる?」
「あたしじゃなくて苺に聞きなさい」
よく考えてみなくてもあたしが偉そうにできる立場でもない。結局あたしはまだ苺にお礼だって言えてないし、大声だって出してしまった。元はと言えばあたしが煽ったのも悪かったのだ。
「河辺さん」
「うーん、それなら仲良くしてくれればいいよ。難しいことはいらない、クラスメイトなんだから普通にね」
「はぁ……ったく、苺は甘すぎよ」
「だって別に酷いことをされたわけじゃないし」
自分は上手くいかないから理想のような存在に嫌いと言って無理やり離そうとしたのに酷いことじゃないと? ……将来が心配になる子だ。
「担任の先生が月二先生で良かった」
「それはまあそうね」
ただ叱りつける教師じゃなくて本当に良かったと思う。どこから情報を得たのかは知らないが、知っていたからこそあたしや苺が悪者にされず済んだわけだし。中学3年の時の担任なら確実にあたしを悪者にしていたと思う。
「あっ、僕のこと叩いてもいいよ」
「え、友達でいてくれればいいって」
「いや、叩いて」
む、苺の手に勝手に触れるなんて……。
「あははっ、朝倉くんってMなの?」
「違うよっ、でも僕は君に酷いことを……」
「いいっていいって」
なんかこれって本当は苺と仲良くしたかったけど素直になれなかったというだけなのでは? 本当はあたしと距離を作らせたかっただけなのでは?
「手を離せっつの!」
「おわっ!?」「わぁっ!?」
手刀で繋がりを断った。さすがにあれ以上は黙って見ていることなどできない。それに苺の酷いことを言ったやつなんだ、相応しくないのは明白だ。
「苺、帰るわよっ」
「あ、今日は掃除当番があるからちょっと待ってて」
「分かった。それならあたしも手伝うわ、あたしのせいで朝倉に叩かれたんだから」
あ、また言えなかった。だけど「庇ってくれてありがとっ、本当に苺がいてくれて良かった!」なんて恥ずかしくて言えない。
「え、別にいいのに、だって香子ちゃんにはいつもお世話になっているからさ」
「いいからっ。あ。あんたはさっさと帰りなさい、しっし!」
「僕も手伝うよ」
「ほんと? ありがとー!」
むっかつく、どうしてあたしにはいいって言ったのに……。
「じゃあ朝倉は床を拭きなさい、あたしは掃くから。苺はそこに座ってなさい」
「えー、だって私が当番で――」
「朝倉やるわよ」
「うん、頑張るよ」
苺の気に入られようとしているのが丸見え――それはあたしもかもしれないけどそうはさせない。とはいえ、あからさまに邪魔しようとなんてしたらそれでは朝倉と同じことをやることになってしまう。嫉妬で他人の関係にどうこう口出すのは愚か者のすることだ、あたしはあたしの力で苺の隣にいられる権利を獲得する!
「そういえば僕には姉がいるんだけど会いに来ない?」
「は? え、誘ってんの?」
「うん、この前お弁当を作ってくれたって言ったら『会いたい!』って言われてて」
「別にいいわよ? 苺もいいわよね?」
「ぐ~……」
どうすればこの短時間で寝られるのかは分からないけど、まあ起きていたとしても「行くよっ、わ~、朝倉くんのお姉ちゃんってどんな人なのかな? 気になるよね香子ちゃん!」とハイテンションに受け入れていただろうしあまり考える必要もない。
「いいってことにしておくわ。それならこの後でもいいの?」
「うん、大丈夫だよ」
「よし、それならちゃちゃっと終わらせるわよ」
――ただまあ、これがあまり良くない選択ではなかったとこの後のあたしは知ることになるのは言うまでもない。