異世界はミュージカルに限る
ウォークマンは最高だ。
眼が疲れやすい俺は読書や映画をじっくり楽しむことができない。では、そんな俺は何を楽しみに生きているか。それは、音楽に他ならない。音楽は良い。クラシックを聴けば壮大な世界に没入することができるし、ジャズを聴けば身体が自然と動き出す。ウォークマンは外出先でも高音質で音楽を供給してくれる。だから俺にとってはウォークマンが最も偉大で、かつ優れた機械なのである。
そんなことを思いつつ、いつものようにイヤホンで音楽を聴きながら高校からの帰り道を歩く。今日はレイ・チャールズを聴く。何度聴いても、良いものは良い。そうしていると、身体がムズ痒くなってくる。踊りたくて、歌いたくて胸が苦しくなってきた。しかし人目もある手前、ここでそんなことはできない。
衝動を抑えきれそうもないので、ちょっと軽やかに、跳ねるように歩いてみた。瞬間的にムズ痒さは発散できたが、全然足りない。それどころか中途半端だった分むしろ悪化したかもしれない。やはり早く家に帰って存分に歌う方が身体によさそうだ。
はやる気持ちに背中を押されて、信号が青になるとすぐに駆け出した。横断歩道の途中で右から何かが迫ってきている。それがトラックだと気がついた時には、もう遅かった。
長い間、ずっと眠り続けていたような気がする。真っ暗で、無臭で、音のない場所で、一人きりで眠っていた、そんな気がする。ゆっくりと目を開くと、そこは教会の礼拝堂のような雰囲気の場所だった。目の前で王冠を頭に乗せた老人が俺を見ている。老人の周りには黒い制服を着た神官と思われる男女がいる。俺の周りは西洋の甲冑をつけた騎士が囲み、その外側には同じ格好が左右それぞれ一列に並んでいた。
状況が上手く把握できていないために何も言えないでいると、俺の周りにいた騎士たちは王の下へ向かい、こちらを振り返る。そのうちの一人が手を叩く。するとすべての騎士たちは一斉に足を踏み鳴らし、手を叩き始めた。甲冑はすれて打楽器のような音を立てる。ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ズンズチャ。繰り返し刻まれるリズムの中で、王は右手を杖に乗せたまま微動だにせず、俺から視線を移すことはない。西洋人の深い堀の奥の目は、間違いなく俺に語り掛けていた。「早く歌え! そして我に歌わせろ!」と。アイコンタクトで王の意思を読み取った俺は深く息を吸い込む。そして流れ続けるリズムに身体を同調させていく。ズンチャ、ズンチャ、ズンチャ、ズンズチャ――ここだ!
「皆さん は・じ・め・ま・して ここはど・こ・です」
「ここは ム・ジ・カ・お・うこく よくぞ来・た・勇者♪」(勇者ー)
「それで ゆ・う・しゃ・な・俺に なにを・ご・所望?」
「どうか ま・お・う・を・倒して 国民・の・ため♪」(民のためー)
どうやら俺は勇者として召喚され、魔王を倒すことを要望されているらしい。不満はない。なにせ一度死んだ身だからだ。それに――なんだこの素晴らしい状況はッ!?
騎士たちが正確に刻み続けるビートッ! 俺と王の軽妙な掛け合いッ! 神官たちによって適所にはめ込まれるコーラスッ! さらにこの教会は緻密に設計されたコンサートホールのように美しく音を反響するではないかッ! 俺は感動しているッ! そうか、これが……これこそが音楽だったのかッ! 太古の昔、人間の生活は全て、ミュージカルだったのだッ!
「うけたま・わ・り・ま・した みこころ・の・ままに」
「もう歌はやめろ」
えっ……王よ。あなたは先ほどまで語尾に音符がつくほど楽しそうに、そのバリトンの声を震わせていたではないですか。なにがご不満だったというのです。もしかして……俺の歌が上手すぎたのか?
「そうではない。まぁ、お主が上手いのは認めるが」
思考が顔に出ていたのか、極ナチュラルに王は俺の心の声に返答してきた。
「普通に会話した方が早いのだ、圧倒的に」
「ですよね」
王は首の後ろの白髪を撫でながら一つ咳ばらいをして、俺を呼び出した経緯を説明し始めた。
ムジカ王国は魔王城から一番近いところに存在する国で、この国の周囲の森の魔物は強力な個体が多い。その危険性と引き換えに質の良い魔物の素材が取れるため、ハンターがこぞって集まり、魔物関連産業で栄えている。
最近になって魔王は積極的に人類を侵略する動きを見せている。魔族が領地に押し入ってくることもあり、小規模な戦争状態にあるらしい。魔王を討伐して平和を取り戻したいが、それには圧倒的な力が必要になる。そこで白羽の矢が立ったのが、異界から人間を呼び出す教会の秘儀である。異界から来た人間はもれなく素晴らしい能力で世界を救ってきたため、いつしか勇者と呼ばれるようになった。俺はムジカ王国で二人目の勇者らしい。何でも一人目は三百年も前に呼び出され、農業革命を起こしたとか。
「じゃあ、とにかく俺は魔王城に向かえばいいんですね」
「そうだ」
「俺にも勇者の力はあるんでしょうか。今のところ何も感じないですけど」
「ある。文献によれば、『ステータス』と叫ぶことで勇者の能力が明らかになるということだ」
「……叫ばなければならないのですか」
「文献によればな」
『ステータス』とは自分の能力を数値化することで、強制的に客観性を担保する荒業。そんなことが俺に、人間にできるのだろうか。
「ステータス!」
恥を忍んで叫んだおかげで目の前に黒い画面が出て……こない。俺は叫んだ体勢のままで固まる。
「どうじゃった」
「何も起こりませんね」
王は「ま、そういうこともあるじゃろう」と軽く流した。
突然教会の外から鐘の音が聴こえた。四回一セットが一定の間隔で繰り返される。王が「窓を開けろ」と指示した。窓が開かれると、外の音がクリアに聞こえるようになった。鐘の音の後に、人間が地を踏む音と手拍子。ドンドンドンパッ、ドンドンドンパッ。
強い強い魔物がやってくる
怖い怖い魔族がやってくる
世界の果てまでも(どれだけ逃げても)
奴らは追ってくる(光の速さで)
強い強い魔物がやってくる
怖い怖い魔族がやってくる
石壁を砕いて(良い子は出ておいで)
街に火を放つ(隠れても無駄だよ)
強い強い魔物がやってくる
怖い怖い魔族がやってくる
……
緊張感のあるメロディーで魔物と魔族の襲来を伝える歌が歌われていた。やはり、国民もミュージカルな人間なのだ。俺は窓に向けていた視線を王へと戻す。何やら周りの人間と話し合って、それが終わると騎士たちが向かってくる。
「勇者よ、さっそく魔物および魔族を排除し、その力を証明しろ」
「いやステータスすら見れないんですけど!?」
「だからこそじゃ。なに、心配するでない。死にかけてもきっとなんかすごい能力が覚醒して最終的にはめでたしめでたし、となるはずじゃ。……文献によればな」
「雑すぎませんかね!?」
大体さっきから言うその文献とはなんだ。重要な書物として扱われているが、ライトノベルの中でもライトフライ級のような気がしてならない。
王は「話は終わりだ」と告げて手を挙げた。周りを囲んでいた騎士たちが俺の両腕をがっちり掴んで、引きずられるようにして連れていかれる。
「どうしてこうなった……」
俺は騎士たちに引っ張られながら街に出た。街のメインストリートはなかなかに栄えていて、様々な商店が軒を並べている。その中でも気になったのは、靴屋だ。タップダンス用の靴が前面に押し出されている。騎士に聞いたところ、この国ではタップダンスが義務教育らしい。まったく、なんてゴキゲンな国なんだ。
「来たな」
騎士の一人が呟く。通りの向こうから集団が歩いてくる。人間とは違う雰囲気で、恐らくあれが魔族なのだろう。
彼らは足を交差させて歩きながら、右手で指を鳴らしている。一定の速度で歩き、顔がはっきりと見えるくらいで足を止めた。先頭にいる少女はショートパンツにぶかぶかのパーカーを着ている。彼女の真っ赤な髪の間からは捻じれた銀色の角が生えている。顔は病的な白さで、眼玉は赤い。ポップな吸血鬼の容姿のテンプレートを踏襲した美しい彼女は、隣のシマウマ顔の魔族に目配せする。シマウマが頷き、息を吸い込む。
「DJドラゴン! come on!」
緑色の爬虫類顔魔族はドゥクドゥクドゥクとスクラッチ、ビートボックスによるトラックが始まる。それと同時に少女は口を開く。
yo
まずは先制攻撃
勇者なのに顔は正方形
にじみ出ているパンピー臭
あいにく
当てやすいハイキック
uh
一応しとく宣戦布告
塗りつぶしていく点字ブロック
これから人間は魔族の下僕
少女は体を上下に揺らしながら、手を忙しく動かす。無駄な動きが多い。
点字ブロックはなにかの隠喩かと思ったが、恐らくただ韻を踏むためだけの言葉だ。別に点字ブロックの利用者は色が変わっても困らないのに、それをあえて塗るのが風流なのだろう。きっと。
しかし、顔が正方形なのを指摘するにとどまらず、ハイキックに丁度いいとまで言われたのは、正直傷ついた。そこで後ろの騎士が噴き出したのは絶対忘れないでおこう。
隣の騎士が渡してきたつばの折れていない帽子をかぶり、アンサーを返す。
yeah
まず点字ブロックは塗るな
俺の顔が正方形
言う前にとれ言葉の整合性
yo
見せつけるぜラップスキルを
俺はディスよりも優しいキスを
荒れた世界に一滴の水を
顔は正方形でも心はピストル
クソッ! 全然ディスれてない。心はピストルってどういう意味だ。
俺が自らの脳内に溢れ出すやたらと抒情的なリリックに悪戦苦闘してラップをしていたのに、意外にも反応は悪くなかった。少女は「優しいキスを」の後にヒューと口笛を吹いたし、魔族サイドも盛り上がっている。
確かにあなたの言う通り
でもお説教ならもうこりごり
よりどりみどりでもセンスない罵倒
なら足りてないのは天賦の才だろう
人間には限界がある
けど魔族にはないから絶対優る
所詮人間は進化したサル
努力しても立つだけ死亡フラグ!
ギアを上げてきた。韻の踏み方も内容も申し分ない。しかし、人類代表として負けるわけにはいかない!
俺は要らない天賦の才は
必要なのは種族のサイファー
確かに人間には限界がある
でも何度も繰り返すトライアル
そうじゃなきゃ今でも夜は暗いはず
このスタイルでマイク繋ぐ未来の世代に
負のスパイラル裂いて紡ぐ愛ある世界史!
ビートが止んだ。
「先攻のお嬢様が良かった人は声を上げてください」
大音量で声が上げられる。もちろんそれは人間側からも聞こえる。皆、純粋にバトルを楽しんでいたのだ。
「後攻の勇者殿が良かった人は声を上げてください」
倍以上の歓声が街の通りに響き渡った。
「勝者は勇者殿!」
少女はこちらに手を差し出す。俺はそれをがっちりと掴んだ。少女の目はわずかに潤んでいたが、気丈にそれを拭うと「綺麗に締めてよ」と言った。わかってるさと、目で返事をする。ウイニングラップのビートが流れ始める。
uh
ここにたどり着くまで辛い時もあった
なにをやってもなんか中途半端
途中で投げ出して逃げてばっか
嫌になって手を出したハッパ
効き目切れると後悔はマッハ
そんなときはいつも自分を呪った
でも今はその俺が勝ったラッパー!
あった
俺の胸に太陽
千の理屈よりも一つの愛を
温かくなった my soul
今日はどうもありがとう
俺の即興のラップを聴いて、涙を流している者がいた。もちろん俺は麻薬なんて見たこともないし、そんなに挫折ばかりの人生を歩んだわけでもない。それでも彼らの心をバイブスで揺らしたのは事実だし、それは誇っていいことなんだと思う。
瞳の色だけでなく白目の部分も赤くした少女は、俺をじっと見つめてから魔族の方に向き直る。
「私しばらくこの人に付いてく」
「お嬢様!?」
「行くって言ったら行くから」
シマウマが俺を睨みつける。その目は「お前からも何か言え」と語りかけていた。
「いやぁ……。まぁその、俺は魔王倒そうとしてた奴だぜ? そんな奴と一緒に居ていいのかよ」
「あなた、言ったよね」
少女の赤い瞳が鋭く俺を射抜く。
「必要なのは種族のサイファーだって」
「……あぁ」
「私たちがそれを始めなきゃいけないと思う」
「……」
異文化共存を進めていくのは簡単なことではない。さらに種族が違うなら、それを成すには地獄の門を通る覚悟が必要だ。俺にそんなことができるのか? 『ステータス』すら開けない俺に。
そこまで考えて自嘲する。「俺は要らない天賦の才は」とさっきは言っていたくせに、いざとなったらこれだ。本当に情けない。それこそ、俺が作り出した架空のラッパーと同じくらいに。
――でも同じなら、きっと最後には勝つことができるはずだ。
「わかった」
「なッ」
シマウマは目を見開いて何かを言おうとするが、少女の顔を見て止める。そして大きくため息をついた。
「よろしく頼みます。お嬢様を……。姫を」
「は?」
ん? 姫ということは王の娘ということで、魔族の王の娘……。
「魔王の娘!?」
「かわいい子には旅をさせろ。我が国の法の一つです」
「どんな法律だ!」
魔王の娘の顔には柔らかな笑みが浮かべられている。
「これからよろしくね。勇者」
差し出された手を拒むことはしない。この場の人間と魔族の間には、音楽を通じて深い絆が結ばれている。少なくとも俺はそう思っている。今だって、それぞれが握手したり冗談を言って笑っているのだから。
そのなんとも温かい雰囲気がこそばゆかったので、俺は逃げるように手拍子を始める。それに気づいた魔王の娘は指を鳴らす。騎士たちは地面を踏みつけ、ゴリラの魔人がドラミングする。DJドラゴンは口でトランペットを奏で始めた。
ねぇあなたはどうしてあなたなの
それは言ってはいけない約束だよ
ねぇ悲しい時にはどうするの
そっと耳を澄ましてごらんよ
ねぇいつかは離れてしまうの
空はいつでも見上げればあるよ
ねぇ二人はこうしていつまでも
そうさ僕らは手を取り合って歌おう
寂しくて
悲しくて
泣いちゃって
歌って踊って
時は過ぎていく
楽しくて
嬉しくて
笑い合って
歌って踊って
時は過ぎていく
人生はミュージカル!
不思議で
愉快で
素敵なお祭り
人生はミュージカル!
不思議で
愉快で
素敵なお祭り
魔族との共生の道のりは、とても困難で険しい道になるだろう。でも、きっと大丈夫だ。俺にチートがなくても、世界には音楽がある。
「人生はミュージカル!」