PTPシート
多分、第2巻の発刊時には今回のお話のタイトルは別のものに変っていると思います。
「薬の量はまだ減らせないって?」
もう何度か顔を合わせた白衣の女性が手元の紙を読みながら聞いてくる。老眼なのか、掛けていた眼鏡を空いた方の手で少しだけ持ち上げて、裸眼で細かい文字を読もうと目を細めている。
「らしい……ですね」
「そう。若いのに大変ね」
そんなことを言った次の瞬間には番号札を渡されて、椅子に掛けて待つように促される。大変ねだなんて言ってはいるけれど、それは結局のところ仕事の役割として出る言葉で、あるいは社会的な同情から吐き出される言葉で、実際はそこにどのような感情も無い。
若いうちからこうやって病院に通っている人間に対して大変ねと声を掛けてあげる事の出来る自分自身に酔っているだけ。駄目だ。こんな事は考えるべきではない。
とにかく少しでも気を紛らわせようと携帯電話の電源を点けると、吉乃からメッセージが届いていた。名古屋に行く用事があるから会わないかといった内容だった。
薬を受け取り、赤マルがギリギリ一カートン買えないくらいの金額を支払う。次に来るのは三週間後になるらしい。薬の量は減らせないけれど、通院の頻度は随分と減った。
過呼吸で倒れてからかなりの日が経っている。あの時、私は突如として迫りくる希死念慮にパニックになり、自分でも理解できない沢山の思考を頭の中で繰り返した結果、その副次的なもので過呼吸となり、意識を失った。
たまたま警察署の近くで倒れた事もあって、直ぐに人に見つけられて病院へ運ばれたらしい。治安の良い街に住んでいて良かったと、自分に起きた状況を聞かされた際にぼんやり思ったものだ。
「久しぶり~」
名古屋駅の金時計を指定され、そんなに人が多い所で果たして落ち合えるのかと心配したけれど、ボーっと時計の時刻を眺めていた私を吉乃はあっさりと見つけ出した。私が逆の立場だったら、果たして直ぐ見つけられるだろうか。
「うん。久しぶり」
軽く挨拶を交わし、駅の地下街にあるコメダへ移動する。吉乃はクリームオーレ、私はミルクコーヒーのアイスをそれぞれ注文した。
「体調はどう?」
運ばれてきた水で口を濡らし、吉乃は探るように聞いてくる。いつも通りの様子で、本当に私を心配しているのだと分かる。
「良くなってるよ。病院に行く頻度も減って来たし」
私は、自分の体に起きた事を吉乃にだけは話している。本当は吉乃にも話すつもりは無かったけれど、目が覚めた時に病室に吉乃がいたのだから、誤魔化しようがない。というか、あの時初めて、私は正常ではないのだと知った。
「自律神経失調症と言う言葉を知っていますか?」
あの時の、淡々とした調子の医師の声がまだ頭に残っている。
「今のあなたはまだ予備軍です。抑うつ状態と表現する方が正しいかもしれませんね」
このまま治療をせずに進めば、最終的に自律神経失調症や躁鬱になるのだと言われ、まさかそんなモノが自分の日常に紛れ込んでくるだなんて思っていなかったから、正直言うと困惑した。
私に足りていないのはコンビニのホットスナックでも煙草でもなく、朝に起きて太陽の日を浴びて、日没とともに眠りにつくような規則正しい生活と十分な睡眠、それからバランスの取れた食事だったようだ。けれど、実感が涌かない。
胸に手を当てて思考を巡らせてみるが、私の体はニコチンを摂取したことによる思考の狭窄と、コンビニのホットスナックの使い古された油しか必要としていないみたいだ。
そもそも、あまり食事を必要としない質だというのに、さらにバランスの取れた食生活までしてしまえば、私はどうなってしまうのだろう。
今の時点で既に四十数キロしかない体重がもっと減ってしまう。行く末に、私は紙になって風に吹かれて、この広い空を漂う事になるのかもしれない。
嘘だよ嘘。流石の私もそこまで純粋ではありませんとも。
私は今、二つの薬を飲んでいる。躁と鬱の振れ幅により自傷行為に走ってしまわない感情の起伏を緩やかにする薬と、人としての正しいリズムで生活ができるよう、睡眠の質を高めるための睡眠導入剤。
今でこそ慣れてしまったものだけれど、初めて睡眠導入剤を飲んだ時は、私でも夜が更ける前に眠りにつくことができ、日の出と共に目を覚まして朝マックを食べる事ができるのかと感動したものだ。それと同時に、私たち人間の体は薬一つでこれほどまで簡単に操る事が出来てしまうものなのかと恐怖を覚えた。
今、私の生活は薬で作り上げられている。薬によって眠らされ、薬によって感情を制御されている。だとしたら、私たち人間の感情とは一体何なのだろうかと考えさせられる。けれど、そんな思考でさえ薬で制御されてあっという間に霧散してしまう。
きっと、私は今歯車になっているのだ。この世界を構成する部品として、正しく噛み合っているのだ。
望んでいた物がこんな形で手に入るとは思っていなくて、いざ手に入ると何ともあっけないもので、私は言葉にできない虚無感に支配される。けれど、その虚無感でさえも薬によってあっという間に上書きされてしまう。
「治ってきているなら良いけれど、あまり無理はしないでね」
きっと、吉乃の言葉は心からの言葉なのだと思う。
私のような人間を目にした時、真っ先に手を差し伸べられるというのが吉乃という人間だ。打算ではなく本心から心配の言葉を口にするのが吉乃と言う人間だ。
もう、私が知る朝日吉乃ではないけれど、その根本はきっとまだ変わらない。優しくて、他人をよく見ていて、明るくて、子供っぽくて、それでいて私よりもずっとずっと大人な人間だ。
「……うん。ありがとう」
私は吉乃を傷つけたくない。少なくとも、吉乃という善性に対して向き合う時だけは、私も善性を身に着けていたいのだと、そう思うのだ。
もし、あまり無理はしないでねと言ったのが吉乃ではなく他の人間だったのなら、私はどのような反応を示していただろうか。薬で、上手く頭が回らない。
「吉乃はさ、いま大学生だよね?」
ふと気になって聞くと、少しだけ不思議そうな表情を経て吉乃は「そうだよ」と頷く。「どうしたの急に」と小さく笑う。
「……いや、大学生ってどんな感じなのかなって気になって」
「どんな感じって、普通だよ普通。高校生の時となんも変わんない」
長い時間をかけて通学し、高校の時よりも長かったり短かったりする授業を受けて、友達と遊びに出かけたりアルバイトに出かけたり。服装が指定のものから裁量に委ねられる形に変化があるだけで、そのほかは何も変わらない。
変わった点を強いてあげるのであれば、いつも一緒に居る相手が高校の時と変わったくらい。
要約すると、吉乃はそんな感じの事を言っていた。
それよりも気になったのは……
「吉乃って、いまバイト何してるの?」
私の記憶が正しければ、吉乃は高校生時代。制服が可愛いとかそんな理由で、家からも学校からも離れた位置にあるカフェでアルバイトをしていた。
一度も行ったことは無かったけれど、働いている様子を撮影した写真を見せてもらった事がある。もちろん、揶揄いに行った他の二人が盗撮したもの。
その制服は吉乃にとてもよく似合っていたけれど、正直に言うと可愛いかと言われればよく分からなかった。制服が可愛いからと言う理由でアルバイトを選ぶその感性も、私には……。
最近、吉乃と頻繁に会うようになって気が付いたけれど、あれは吉乃なりの上手い言い訳だったのだと思う。
きっと、そのカフェをアルバイト先に選んだ本当の理由は、家族にも学校にも見つかりにくい場所にあったから。
私たちの通っていた高校は、表向きはアルバイトが禁止だ。家庭の特別な事情がある場合に限り、学校に届け出を出すことで公式に認めてもらう事ができる。けれど、その特別な事情は明確な条件が明らかにされておらず、実際にその制度の適用を受けている人がいるなんて話も聞いたことが無い。
事のつまり、私たちの通っていた高校の生徒でアルバイトをしている生徒は、皆が校則違反者になるわけだ。あの吉乃が、善性の塊である吉乃が、校則違反をしていたワケだ。
いや、まぁ今時の高校生は校則の規制など無視してアルバイトの一つや二つをしている方が健全ではあるのだけれど、それでもやっぱり、改めて考えても吉乃が校則を破ってアルバイトをするのはらしくないと感じる部分がある。
それを吉乃自身も分かっていたのか、制服が可愛いからと言う吉乃っぽい理由を作り上げて周りには話していた。
なるほど、そう考えると私は随分と昔から、盲目的に吉乃を見ていたのかもしれない。危ない危ない。昔ばなしに意識が引っ張られていた。
「逆に、何してると思う?」
吉乃がクイズ出題者に変身した。最近、私の周りにはクイズ出題者が多い事で。
「何かヒントとか無いの?」
「ヒントかぁ」
どうしたものかとワザとらしく悩んで見せて、吉乃は言う。
「一つだけではありません」
「急に難問に……」
もはやヒントではないヒントに翻弄される私。
吉乃をまじまじと見て考える。何のアルバイトが吉乃らしいのだろうかと。
「……ユニクロとかじゃなくて、earthとかそっち系のアパレルで働いてそう」
完全に、一ミリの言い訳をする余地もなく偏見だ。いや、事実に基づいた推測なので偏見と言うのも少し変な話ではあるのだけれど。
会う頻度がそれほど多くは無いとは言え、吉乃が同じ服を着ている所を見た事が無い。もしかしたら、私の記憶違いで全然そんなことはないなんてコトもあり得るワケだけれど、まぁ少なくとも覚えている限りではないのだから、無いと断言して良いと思う。
同じ服を着ているところを見た事が無いという事は、それだけ沢山の服を持っているという事か、定期的に服を総入れ替えするレベルで買い替えているという事なのだと思う。たぶん。
単に服に興味があってそうしているという事も考えられるけれど、決まって吉乃っぽい服ばかりを買い集めているのには何か事情があるのではないだろうか。いやいや、買う服などその人の趣味に寄せられるだろうと言われたら全くもってその通りなのだけれど、話が進まないので見ないふりを。
あくまで噂で聞いたことがある程度だけれど、アパレル店員は商品の宣伝もかねて自社製品を積極的に買わなければならないそうだ。
何が言いたいかと言うと、吉乃はアパレルでアルバイトをしていて、アルバイト先の商品を推奨されて沢山買っている。吉乃がいつも吉乃っぽい服装をしているのは、アルバイト先のブランドの系統が吉乃っぽい服ばかりを取り扱っているから。
以上が私の推理である。証明完了。Q.E.D.という奴だ。
頭を使ったら喉が渇いたので、ミルクコーヒーで潤す。
「アパレルはやってないんだぁ」
およそ原稿用紙一枚程度の私の推理はあっさりと否定されてしまう。恥ずかしい。頬が熱くなったので、冷ます為にミルクコーヒーを飲んで体温調整を図る。
「じゃあ、高校の時のカフェのアルバイトをまだ続けていたり?」
「残念! あそこ、一年くらい前に老朽化でビルが取り壊しになって、そのままなくなっちゃったんだ」
制服が可愛かったのになぁ。そう言いながら、吉乃はクリームオーレのソフトクリームを銀色のスプーンで救って口へ運ぶ。甘いという率直な感想がその小さな口から零れ落ちる。
「ねぇ吉乃。流石に分からないからもう少し何かヒントを……ほら、ジャンルとか、エリアとか…………」
「ヒント言っちゃうと直ぐに答え分かっちゃうんだよねぇ」
そう言いながら、吉乃は銀色のスプーンでソフトクリームを崩し、カフェオレ部分へと溶かしていく。
「えぇ~」
それでは全く以って正解の導きようがないではないかと考え、別の角度から質問をする事にする。
「えっと……それは、同級生の誰かがやっていたのと同じ種類のアルバイトですか?」
「アキネーターだ!」
言ってすぐ、吉乃は考える。人差し指で頬を軽く自ら叩きながら。うん。実にあざといモノで。
「たしか……ハイだったと思う」
「それは同じクラスですか、違うクラスですか」
質問してすぐ、イエスかノーで答えられない質問だと気が付いた。吉乃に言われたからか、私も私をアキネーターだと思っているみたい。とりあえず、腕を組んでおく。
「違うクラスです!」
「えっと……同じ学科でしたか?」
「えっとぉ、ハイ……かな?」
なるほど、同じ学科なのであれば、少しだけ答えが絞れる。
私たちの通っていた高校は、全部で三つの学科しかない。中でも私たちの学科は一番学力が低いけれど、代わりに一番人数が多い学科だった。同学年の内、半数が私たちの学科だったのだ。
これで、答えがおよそ六分の一にまで絞られているワケで、人数にして実に八〇名から心当たりを探っていけば良い。
「その人は、男子ですか」
腕を組んだまま、片手の人差し指を立ててアキネーターのあの魔人になりきる。今度は心がけて、イエスかノーで答えられる質問にした。
「はい。男子です」
なるほど。男子生徒という事は…………駄目だ。他のクラスの男子生徒との接点があまりにもなさ過ぎて、心当たりの「こ」の字も見つからない。
とりあえず、分からないなりに情報を絞っておく。
「その人は、A組の生徒でしたか」
「いいえ。B組の生徒でした」
なるほど、全く分からない。
「その人は学校内で有名な人でしたか」
「どちらかと言えば有名だったと思います」
「どちらかと言えば!?」
それはつまり、言う程は有名ではないという事ではないだろうか。
私たちの学年には、部活動等で全国的にも有名になった生徒もいれば、悪い噂で有名になった生徒もいる。そのような環境下でのどちらかと言えば有名は、もうほぼほぼ無名と言っても差し支えないのではないだろうか。
一気に回答の難易度が上がった気がする……
「ゴメン、ギブアップ」
暫く悩んで答えに辿り着くことができなかったので、私はあっさりと音を上げる。組んだ腕を解いて、私は青の魔人からただの人間に早変わり。
吉乃は私の言葉に気を悪くするわけでもなく、首を傾げながら「あれぇ、接点なかったかなぁ」と思い出すように明後日を見る。
「廣瀬君。覚えていない?」
ほら、覚えているでしょ?
そんな言葉が聞こえそうな調子で吉乃は正解の人物名を口にするけれど、私の辞書にヒロセクンという名詞は刻まれていない。名前にもピンと来ていないし、顔も輪郭も全く思い浮かばない。
「……ゴメン、まったく覚えていない」
何で有名だったのか聞いたけれど、まったくピンとこないエピソードを吉乃の口から聞いて中途半端な生返事をしてしまう。具体的には、サッカー部の生徒でいつも生徒指導の先生に怒られていた的な、そんな感じの……
顔や髪型、輪郭などの特徴を聞いたけれど全く以って思い浮かばない。
私の手元にそろった情報を組み合わせると、サッカー部の問題児でハリネズミのような髪型の、背の低い褐色肌のやんちゃっ子という人物像が出来上がるワケだけれどその人相図が出来上がったところで本当にピンとこない。
誰だ、廣瀬。
「吉乃はよく覚えているね」
率直な感想を口にすると、吉乃は照れたように笑った。
これも吉乃の良い所だと私は思う。あまり関わりのない子の事も大切なコトとしてみんな覚えている。向日葵のような笑顔に人懐っこい性格、女の子らしい骨格と背丈、柔らかい髪。それらに並ぶ、吉乃らしい所で、良い所。
…………少し、前の事を思い出した。
私が初めて吉乃に自分を曝け出した時のことを。
吉乃はあの時言っていた。人に嫌われるのが怖いのだと。
もしかしたら、吉乃の向日葵のような笑顔は、人懐っこい性格は、誰のコトも些細なコトも覚えているその記憶力は……全部____
「そういえば、結局バイトって何をしているの?」
いい加減に答え合わせをさせてよと頼むと、吉乃は袖を捲り、腕を曲げ、こぶの出来上がらない柔らかな二の腕を見せながら自慢げに言う。
「焼肉屋さん!!」
ジェスチャーと回答が絶妙に噛み合っておらず、私の思考は一瞬だけ置いてけぼりになる。何とか捻り出した言葉は……
「…………っぽくねぇ~」
言ってすぐ、あまりに失礼な言葉を口にしてしまったのだとハッとする。私の言葉は、私の嫌いな先入観で人をレッテル貼りするそれと何ら相違ないではないか。
もし相手が私だったら、私の発言にムカついているハズだ。
どう言葉を取り繕えば帳消しにできるのかと逡巡。けれど、私の悪あがきを待たずに、向日葵は咲く。
「でしょ!」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに吉乃はそう言った。
彼女の反応の意味が解らなくて、私は固まってしまう。蛇に睨まれたわけではないのに。
「私ね、大学生になる時に変りたいって思ったの。大学デビューって奴かな?」
だから、今までの自分では絶対にやらなかった事をやろうと、一歩を踏み出してみようと、そう思ったそうだ。
その記念すべき第一歩目が、自分には絶対に向いていないと思ったお店でアルバイトする事。それが、今のバイト先の焼き肉屋なんだそう。
ジーパンに制服の黒いTシャツを着て、よくある居酒屋のワンパターンなエプロンを付けて、頭にタオルを巻いて大きな声で接客をしているらしい。
何日か連続でシフトに入った時は調味料と煙で鼻がバカになって、暫くはどこに居ても何をしていても焼肉屋さんの匂いを薄っすら感じるのが面白いとのこと。
ダメだ。そんな吉乃の姿が全く想像できない。
その事実が何とも面白いと感じる反面、失望している私がいた。
吉乃は大人になっているのだと、その事実を改めて突き付けられる。口に引く紅も前より濃いものになっている気がする。
無意識に、吉乃のコップに目線が飛ぶ。
白いストローは…………
「焼肉屋は分かったけれど、他は何してるの?」
確か、吉乃はアルバイトは一つだけではないと言っていた。二つなら二つと言うだろうし、一つだけではないという言い方をするのだから、三つ以上の複数のアルバイトをしているのだろう。
あの吉乃が他に何のアルバイトをしているのかという興味は心の底からある。それは、吉乃を知りたいという純粋な感情かと問われると怪しい。
ゴシップに心が惹かれるような感覚に近いのだろうか。
私は逆にその感覚が解らないから、答え合わせのしようが無いけれど。
「ミツキちゃんから私のことを色々と聞いてくれるようになって、私すっごく嬉しい」
そんな言葉を挟みながら、吉乃は答えを教えてくれ。「他にはね、少しだけ家庭教師をやったり、デバックをやったりしてるよ」
主に現代文の専門として、高校生を相手に家庭教師をしているとのこと。吉乃が現代文が得意だなんて知らなかったな。でも、吉乃が家庭教師をしているのはなんだか想像ができる。吉乃らしいや。
デバックは発売前のゲームやパチンコなんかの演出を確認して、動作がおかしなところを報告するってアルバイトらしい。吉乃の口からゲームだとかパチンコだとかの単語が出てくるのが意外過ぎて、私は少しの間、吉乃が話す内容を理解するのに手間取った。
一番好きなアルバイトは家庭教師らしい。生徒のために頑張って準備をして、その結果として成績が上がると、誰かの役に立てたのだと実感できるからだそう。その次が焼肉屋で、最後がデバック。
デバックのアルバイトはひたすら画面をスクロールして左クリックしての繰り返しらしくて、時間の流れが十倍に感じるらしい。もうすぐこのアルバイトは辞めて、別のアルバイトを探すつもりとのこと。
私は以前よりも、高校生の時よりも、吉乃とずっと言葉を交わすようになった。あの時とは違って二人で時間を重ねて、吉乃のことを以前よりもずっと知っている。
高校を卒業したあの時は、こんな未来が待っているだなんて思わなかった。
まだ、胸の内に巣食う苦しさは消えていない。
消えていないけれど、今はなんだか、私の歯車に吉乃の歯車が優しく寄り添ってくれているような気がする。
「今日は会えて良かった」
互いにグラスが空になったので、私たちはほどほどに店を出る。
流石に、待ちの行列を見て空のグラスを揺らし続ける事ができるほど、私は自分らしく生きているワケではないのだから。
「うん、私も」
去り際、会えて良かったと言ってくれた吉乃に、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。
「何かあったら絶対に相談してね。ミツキちゃんのためなら直ぐに駆けつけるから」
袖を捲り、腕を曲げてこぶの出来上がらない柔らかい二の腕を見せる吉乃に、私は「ありがとう」と素直に伝える。
次の言葉を吐き出そうとして、止めた。理由は何だろうか。
「また名古屋に来るときは教えてよ」
その時はまた遊ぼうと伝えると、吉乃は私が大垣に来るときはちゃんと連絡が欲しいと言った。断る理由も無いので、「分かったよ」と返す。面倒でやり過ごすだとか、そういった意図の言葉ではない。本心からの了解だ。
吉乃を駅の改札まで見送り、その背中が見えなくなるまで小さく手を振る。
持ち上げ、揺らす右手の一方で、左手は居場所を求めるようにズボンのポケットへ逃げ込んでいく。指先にチクりとした薄い痛みが走り、私はその犯人を握る。
ポケットから引きずり出して、その姿を駅の照明の下に曝す。
コレの名称は、PTPシートと言うらしい。
プラスチック成型部分を押すことで、開口部を覆うアルミ箔が破れ、中に収納された薬剤を一錠ずつ取り出すことのできる文明の結晶。
照明の下に曝されたPTPシートは、既にアルミ箔が破れている。手違いで破れたとかではなくて、既に中に薬剤の姿は残されていない。だって、最初に水が運ばれてきて直ぐ、私はそれを口に含み、飲み下したのだから。
アルミ箔にはラツーダ錠と書かれている。
私はそれを、二粒飲み下した。吉乃にも、先生にもバレない様に。
久しぶりに吉乃に会えて良かった。本当の本当に、心からそう思っている。
この感情は嘘偽りのない感情なのだと、胸を張って私は言える。
あえてグラム数は書きませんでした。




