表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

プッシー

Edith Piaf L'ACCODEONISTE


http://www.youtube.com/watch?v=V-4PmgXBJKo&feature=related

(ようつべ)




“太古の昔、ゆるぎない現在、遥かなる未来”


“慈愛の大地、崇高なる大空、母なる海原、そして無限の宇宙”



“いつの時代にあろうとも、いずこの世界にあろうとも”


“血が流れぬときはなく、魂が燃えない場所はない”



“人は争い、殺し合う”


“これは私が見守ってきた、そんな戦士たちの記録”


“そこには、ロマンも感動もない。ただ、生と死の冷淡な現実があるだけ……”





――プッシー――



 破壊つくされた石造りの町。

 その一角で、女の歌が響いていた。

 エディット・ピアフ、「アコーディオン弾き」である。


  街一番の娼婦。

  彼女は、アコーディオン弾きに恋をする。

  彼を見つめるために、今日も場末のダンスホールに足を運ぶ。

  決して踊ることなく、ただ、アコーディオン弾きを見つめる……。 



 破壊され尽くし、天井が抜けた建物の中で、アメリカ兵たちが数人、そのレコードの歌声に耳を傾けていた。

 あるものは、その歌声をうっとりとした表情で聞き、あるものは不安げに周囲をきょろきょろとみている。

 ただ、誰もフランス語の歌詞の内容はわからなかった。 


 ジョンソン軍曹はたばこをふかしながら、甘く、そして大人の気品のあふれる女の歌声に、ため息をついた。

「“奴”の部隊か?」

「でしょうね」

 伍長が返す。

 ジョンソン軍曹はたばこを投げ捨てると、トンプソンサブマシンガンをちらっと見ながらいった。

「野郎め……、ナチのくせに粋なことをしやがる……」



「どうします」

 伍長はM1911A1ピストルの残弾数を確認しながら言う。

 ジョンソンは言った。

「無視だ……。俺たちをおびき出す罠だよ……」

 

 殺伐とした雰囲気の中、ジョンソンは、双眼鏡を取り出すと、周囲の警戒を行った。



 この街に入って4日目。ドイツ軍の防衛部隊の指揮官は、狡猾な男だった。


 神出鬼没のその男は、ゲリラ戦術が得意とみえ、行軍するジョンソンの部隊に何度も奇襲をかけた。

 対するジョンソンもゲリラ戦にはゲリラ戦ということで、廃墟の街を静かに移動する。


 この数日、ドイツ軍もアメリカ軍もお互いの位置を見失っていた。

 ただ、不気味なほど静かな廃墟の街で、重く張りつめた緊張だけが走る。


 突如としてかかったレコードは、敵の罠だった。

 レコードの音源に敵軍が接触したのは確かだろうが、それを確かめに行ったら最後、待ち伏せにやられるのは分かり切っている。


「ま、敵さんからのプレゼントと思って、ここはゆっくりと音楽鑑賞といきますかね」

 伍長が煙草をくわえながら、M1911A1の分解点検を始めながらいった。


 隊員は緊張を解き、煙草を吹かす。

 ジョンソンも、サブマシンガンにセーフティをかけると、あくびをして、瓦礫の散らばる床に寝転がろうとした、


 その時、ハッとしたジョンソンは起き上がり、サブマシンガンの安全装置を解除しながら構える。

 伍長以下、隊員全員に緊張が走り、M1小銃とBARが構えられる。


 と、

「にゃぁ」

との鳴き声とともに、白い仔猫がストンと床に着地した。


「……」

 ジョンソンはかぶりをふるってサブマシンガンをおろした。隊員たちも、ため息をついて銃をおろす。


 仔猫は、しっぽをうねうねと振りながら、口をあけて、ふたたび、「にゃぁ」と鳴いた。



 ジョンソンは真横に腕をのばした。

 傍らの伍長の口元にくわえられているたばこに腕を伸ばすと、それを奪い、

「しっ」

といった猫に投げつけた。


 仔猫は一瞬、飛び退く。だが、投げられたたばこに興味をひかれて近づく。だが鼻先で、それが食べ物ではないと悟ると、恨めしそうにジョンソンを見る。

「……」

 ジョンソンはヘルメットを指でコンコンと叩きながら、無視するように目をそむけ、その場に座った。


 緊張をといた他の隊員も、その廃墟の床に腰を下ろす。


 ジョンソンは目を閉じた。と、

「軍曹……」

伍長が言う。ジョンソンが、

「たばこは、つけといてくれ」

と言い返した時。

「いえ……」

との伍長の声と同時に、

「にゃぁ」

との声が響いた。


「……」

 ジョンソンが目をあけると、小さな白い仔猫が、トトトとジョンソンに足元へと寄って来ていた。

「……」

 ジョンソンは微動だにせず、目だけで白い仔猫を見た。

 青い目の仔猫だった。その青い眼を見つめるジョンソン。

 仔猫は、まっすぐにジョンソンの茶色の瞳を見つめ、

「にゃぁ」

と鳴いた。

 


 ジョンソンはため息をつき、傍らにおいた自身の荷物に手を伸ばす。

 そして、レーションを取り出した。

「プッシーキャットめ……」

 忌々しそうに言うジョンソン。


 その間、白の仔猫は、行儀よくそこに座っていた。

 ただ、しっぽだけを、エディット・ピアフの歌声に合わせる様に、うねうねと動かしていた。




 

 7日目。

 敵の部隊は一向に姿を見せなかった。ジョンソンの部隊は移動した。

 彼らはカフェの廃墟に身を潜めた。

「軍曹! みてください」

 カフェが完全に無人かどうか確かめるため、奥に入った兵が、オクラホマ訛りで言いながら戻ってきた。

 彼は袋を持っていた。

「なんだ?」

というジョンソンに、そのオクラホマ訛りは抱えていた袋を開けて言った。

 香しい芳香が漂う。

 オクラホマ訛りは、悪戯っぽく言った。

「コーヒーです。上物ですよ……」

「……」

 ジョンソンが首を振ったその時、カウンターにトラップが仕掛けられていないか調べていたテキサス出身の兵が言った。

「軍曹……」

 彼はニヤニヤとしながら、指をさす。

 ジョンソンがその指をさす方をみると、金色に磨き上げられたコーヒーメーカーがそこにあった。

 ジョンソンはため息をついた。


 

 水道が生きていたため、水には困らなかった。

 兵士たちは、カフェの奥に身をひそめながら、文明の香りに酔いしれる。


 ジョンソンは、カフェの裏手、塀に囲まれた空間で、ヘルメットを枕に休んでいた。

 と、

「にゃぁ」

との声がする。

 ジョンソンは目を開ける。

 砲弾で空いた壁の隙間から、白い仔猫が入ってきた。

「また、お前か……」

 微動だにせずジョンソンが言う。

 白い仔猫は、

「にゃぁ」

と返した。

 

 そして、仔猫はトトとジョンソンによってきて、ジョンソンのブーツに背中を擦りつける。

「ったく……、おねだり上手め……」

 ジョンソンは、腕だけを伸ばし、リュックをあさくる。レーションを取り出そうとして、一枚の写真がリュックからこぼれおちた。

 ジョンソンは、その写真を見る。

 ジョンソンに肩を抱かれた女性と、女性の手を握る小さな女の子の写真だった。

 白黒の写真の、その女の子の目を見る。そして、足もとの仔猫を見る。

「にゃぁ」と鳴く白い仔猫の青い目を見つめる。

 ジョンソンは、写真をリュックに投げ入れると、レーションを取り出した。

「ほれ、メアリー」

 ジョンソンはレーションを開けながら言った。



「軍曹、敵の位置ですが……」

 しばらくして、伍長がカフェの裏手に顔をだした。そして、言葉の途中でつぐんだ。

 軍曹は眠っていた。

 その胸の上に組まれた腕には、サブマシンガンではなく、目をつぶって丸まっている白い仔猫が抱かれていた。




 9日目。

 ジョンソンは、路地を静かに、警戒しながら前進していた。

 路地のあちこちには、脇の建物から壁が崩れおちている。

 前方はもちろん、その建物にもゆっくりと気を配る。

 隊員たちもジョンソンに続く。

 

 割られたガラスのショーウィンドウと、その中のボロボロに焼け落ちたマネキン。

 その前を通るアメリカ兵。

 略奪を受けたのか、缶づめとキャンディが散乱する雑貨屋。

 その前を通るアメリカ兵。

 鍋がひっくり返り、慌てて逃げたその時のまま、時間が経過した様子が裏口から覗ける家屋。

 その前を通るアメリカ兵。


 破壊された日常の光景を、彼らは、全神経をびんびんに張りつめさせながら、汗を垂らして前進した。



 その時、ジョンソンは足を止めた。

 彼らが進んできた路地が大通りに交差する手前だった。

 後続のアメリカ兵も足をとめ、一斉にM1小銃とBARを構える。

 ジョンソンはごくりと唾をのむ。サブマシンガンの安全装置は外されている。

 それを構えながら、わずかに感じた気配の様子をうかがう。


 その時、トトと白い仔猫が、目の前の大通りに姿を現し、ジョンソンたちの前を横切った。

 その途中で、白い仔猫はジョンソンに気が付き、足をとめて「にゃぁ」と鳴いた。


 ジョンソンは、

「……やれやれ」

と、ため息をついた。

「おいで、メアリー」

と言ったその時、

「エヴァ!」

との声を聞き、同時に姿を現した灰色の服の男と目を合わせた。




 ドイツ陸軍ルドルフ・フォン・ミッタマイヤー少尉は、ゲリラ戦のプロだった。

 彼が率いるドイツ軍部隊は、廃墟に潜み、辛抱強く敵が網にかかるのを待った。

 が、敵のアメリカ兵もまた、静かで忍耐強く、なかなか尻尾を出さない。

 その日、ミッタマイヤー少尉は、部隊を南西に移動させていた。 

 大通りを静かに移動していた。

 すると目の前に、白い仔猫が現れた。


 その仔猫は、ここ数日おきにあらわれ、餌をねだる仔猫だった。

 緊張の連続の中、彼らはその仔猫に癒されていたのだった。

 とくにミッタマイヤーは、その仔猫の青い眼を、故郷の恋人の目に重ねあわせ、その仔猫をかわいがった。

 恋人にちなみ、エヴァとの名前までつけた。


 神経を張り詰めながら移動する彼らの前に突如現れた仔猫に、ミッタマイヤー少尉は、一瞬、緊張の糸を切らして、「にゃぁ」となく仔猫に近づいた。

 そして、アメリカ兵と鉢合わせとなった。





 硝煙が晴れる。

 新たに瓦礫が散らばる大通りと路地の交差点。



 どこからか、エディット・ピアフの歌う「アコーディオン弾き」が聞こえてくる。


  やがて戦争がはじまり、ダンスホールのアコーディオン弾きは兵隊にとられてしまう。

  彼が戻ってきたら、二人で店をもとう……。

  そんな夢を持ちつつ、娼婦はダンスホールへ足を運ぶ。

  踊ることはなく、ただ、彼を待ち続けるために。

  だが、彼は帰ってこない。

  年月が過ぎ、彼女の夢は散り去った。

  年老いた娼婦は、今日もダンスホールへ足を運ぶ。

  別のアコーディオン弾きが、曲を奏でている。

  彼女は全てを忘れようと踊り始める。

  だが、涙が涙がとまらない。

  彼女は踊り続ける。

  音楽を止めて!と心の中で叫びながら……



 ジョンソン軍曹は、目を開けた。

 彼はうつぶせに倒れていた。

 起きあがろうとしたが、起き上がれなかった。

 自分の周りに血が広がっているのを認める。

 その血の先に、灰色の軍服の男が、同じように倒れているのを認めた。


 白い仔猫は、二人の間で、どっちに餌をねだろうか迷っている様子だった。


「にゃぁ」となく仔猫を見つめながら、ジョンソンは笑った。

 ふと見ると、ドイツ兵もまた笑っているのに、ジョンソンは気づいた。



 その仔猫の前に、松笠状の物体が転がり、そして爆発した。





 そしてジョンソンとミッタマイヤーは、自身に降り注ぐ光の中に、神々しい女の姿を見た。


 青い鎧に、翼の髪飾りをした女だった。


 ジョンソンとミッタマイヤーは、その女の包容を受け止めながら、その体を燃やした。 





“私は、その魂にいいました”


“神々が黄昏を迎えるまで、あなたに栄光の戦場をあたえましょう” 





撤収〜!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ