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平安の都

“太古の昔、ゆるぎない現在、遥かなる未来”


“慈愛の大地、崇高なる大空、母なる海原、そして無限の宇宙”



“いつの時代にあろうとも、いずこの世界にあろうとも”


“血が流れぬときはなく、魂が燃えない場所はない”



“人は争い、殺し合う”


“これは私が見守ってきた、そんな戦士たちの記録”


“そこには、ロマンも感動もない。ただ、生と死の冷淡な現実があるだけ……”




――平安の都――



…灼熱の大地。

 日差しが照りつけ、赤茶けた大地を焦がす。そこから沸き立つ熱気が、空気をカラカラに乾かし、そして光をゆがめる。

 その歪んだ光景の中に、銀色に光る兜と茶色の鎧、槍をもった兵士たちが揺らいでいた。

 そのローマ兵たちは、土煙りの中、目の前にある高台を見上げた。

 反乱者どもが立てこもる要塞マサダ。


 明日は総攻撃。

 ローマ兵の将軍は、テントの中、葡萄酒を飲みながらマサダ要塞を見上げた。


――反乱者が、この灼熱の要塞に立てこもって、もうどれぐらいになるだろうか。だが、明後日にもなれば、ここもまた、砂漠の一光景に同化するほど、静かになるであろう――。




 要塞内部。


 彼は、錆ついたナイフをもっていた。

 目の前には、子供を抱え、祈りを捧げる女がいた。

 男は、涙をながしながら、そのナイフを振り下ろした。


 男は呆然となりながらも、その血みどろのナイフを見る。粗末で原始的なナイフは震えていた。 

 男は顔をあげる。

 目の前に力なく倒れている人の体。その血の海にあるのは、彼の妻と子であった。

 

 

 マサダ要塞に立てこもった彼らは、必死に抵抗を続けた。

 数の上で、圧倒的に不利な彼らは、ローマ軍に対して粘り強く抵抗を続けた。

 だが、それも風前のともしびだった。

 ローマ軍は丘の上の要塞攻略にあたり、彼らのお家芸である道路工事を行った。

 すなわち、その丘の上への要塞に迫る傾斜路を、同族の奴隷に作らせたのだ。

 その突撃路が完成し、もはやローマ軍の突撃を阻むものはない。

 決断の時だった。

 

 降伏し、一族ともに奴隷として生きるか。あるいは罪人として処刑されるか。

 栄光ある神の国へと旅立つか。



 彼らは後者を選んだ。


 だが、問題があった。

 神は、彼らに自殺を禁じていたのだ……。



 


 白髪の、深い皺の刻まれた目の細い男は、 

「……」

そこでハッとして目が覚めた。

 彼は、ベッドから身を起こし黒いセルフレームの眼鏡を掛けてベッドから起きた。

 

 すでに朝だった。

 年老いた体を起こし、トイレへと行く。

 時間をかけて排尿する。

 ホテルのトイレはなかなか落ち着かない。ましてや異国のホテルともなればなおさらだ。

 そのため、さらに排尿に時間がかかった。

 

 そして、ため息をついてトイレから出て、閉じられたカーテンを見る。薄い光がカーテンの向こうから差している。

 彼はカーテンに近寄り、それをガバッと開けた。

 

 すみ渡った青空。

 茶色から白のその異国の町には、朝だというのに、火傷するほどの熱気が感じられた。

 窓を開ける。

 乾いた空気が、何かの祈りのような声とともに部屋に入ってきて、佐藤公一の頬をかすめた。




 砂漠の道を走る一台のバスが止まる。途中の土産物屋で、トイレ休憩である。

「いやぁ。こう年を取ると、トイレが近くていけませんなぁ」

 佐藤は白い帽子を押さえ、息子夫婦から今回の旅行の記念にともらったデジカメを首から下げて言った。

「ほんとに。しかし、イスラエルですか……、まさかこの年で、こんなところまでくるとは思いもしませんでしたね」 

 佐藤の隣で、緑のベレー帽をかぶる老人が言った。

 佐藤は答える。

「まったくです。ですが、来られた我々は幸運ですよ。花丘さんは前立腺癌で逝ってしまいましたし、墨田さんは痴呆がひどいようでして」


 彼らは、バスの乗り口に向かう。

「そうなる以前に、我々は死んでいたかもしれないのですから……」

「人生は、ほんとにわからんもんですな……」


 そう言いあう彼らがバスに乗り込む脇では、若い日本人女性の添乗員が旗をもって老人たちに「おかえりなさい」という。

添乗員のもつ旗には、「S県S市軍人会、御一行様」とあった。



 バスは、灼熱の大地を発車する。

 土埃の舞う道を走るクーラーの効いたバスの中で、佐藤は、緑のベレー帽に言う。

「しかし、吉川さんは特攻隊でしょう。ほんとに運がいい」

 緑のベレー帽の吉川は言う。

「当時は名誉だと思っていましたがね。出発直前のまわるプロペラが、今でも思い出されます」

「そのプロペラが止まっていなかったら、こうして一等兵の私が少尉殿とお話することもなかったわけですから」佐藤がしみじみとビールの缶をあけながら言い、

「操縦席で待機して、仲間が次々に発進していく中、目の前のあのプロペラが止まった時のこと……、今でも鮮明に覚えていますよ……、私は泣きました。なんで泣いたのか……、今では覚えていませんがね」

吉川が目を細める。


 吉川は、差し出されたビール缶を「結構」と断りながら、枯れ果てた大地の地平線の先を見る。

「戦友が次々に、お国のために死んでゆくなか……、“寮”送りになる前に、再度の出撃を望み……、しかし終戦になった」


 バスは速度をあげる。道端の細々とした土産物やには目もくれず走りぬける。

 吉川は、

「しょうがいないから私は必死に生きましたよ。ですが、私には家族がおりませんので、私が死んだら、遺産は、ぜーんぶお国がお召し上げですよ。あげくお国から後期高齢者の称号までもらいました」

笑いながら言った。


 佐藤はビールを傾けながら訊く。

「“知覧”には行かれたのですか?」

「いや……、むしろ行く勇気がない……」

 吉川は首をふり、そして言う。

「その点、佐藤さんはすごいですよ。硫黄島の式典に参加されたのでしょう? 死地に再び赴くとは」

 佐藤は笑う。

「ええ。なかなか楽しかったですよ。あと、元アメリカ兵とも話しましたよ。つたない英語で」

 バスが、道路の舗装の悪い所を乗り越えたのが、一瞬揺れる。

 佐藤は、揺れた瞬間にビールをこぼしそうになって、慌てて缶からあぶれたビールをすすり、そしてにこりとして言った。

「それでアメリカ兵、あいつら、元気なんですよ。とても我々と同じ老人とは思えないぐらい、でかい図体で。あまりにも悔しかったから、“ふぁっくゆう”言ってやろうかとも思いましたが、国際問題になるといけないから、握手してきました」

 吉川が首をふるう。

「元気ですねぇ、佐藤さんは」

 佐藤は、揺れた瞬間にビールをこぼしそうになって、慌てて缶からあぶれたビールをすすり、そしてにこりとして言った。

「いえ、鈴木さんの……昨年、脳溢血で逝かれた鈴木さんの受け売りですよ。鈴木さん、毎年真珠湾にも行かれていましたからね」



 バスは、とある観光地で止まる。

 吉川は、立ち上がりながら、にこりとした。

「いい時代ですね。鬼畜米英、イエローモンキーと言いあっていた兵士たちが、いまは仲よくおしゃべりできる」

「いい時代です。だが、いつまで続くか……。昨今の日本の若者たちの起こす事件を見ていると、はやくあの世に行きたい気がしますよ」

 佐藤がビールをホルダーに納めながら立ち上がる。

 吉川が言う。

「そう言う人に限って、長生きするもんですよ……」



 その時、佐藤はバスの窓の外をじっと見つめていた。

「……」

 その呆けた様子に、吉川が、

「佐藤さん?」

と言い、佐藤は、

「……あ、ああ、ええ。」

と答えた。



 白い帽子をかぶった老人がバスを降り、そして目の前の丘を見上げた。

 ごくりと唾を飲む老人。そして落ち付かない様子でキョロキョロと周囲を見ている。

 緑のベレー帽の老人が、その様子に気づき、

「佐藤さん、大丈夫ですか?」

という。

 白い帽子の老人は、

「……、え、ええ」

と汗をかきながら答えた。



 死海を臨む丘。


 S県軍人会の慰安旅行の一行はロープウェーで400メートルの高さの丘の上へと行く。

 添乗員の若い日本人女性がアナウンスをしながら歩く。

――死海文書の発見された洞窟……――

――ヘロデ王時代の宮殿の……――



 吉川が、

「やれやれ……、あとは死海観光ですな」

と佐藤に言った時、佐藤は、展示されているパネルの前に呆然と立っていた。



「佐藤さん……?」

吉川が声をかけ、佐藤が、

「……。いえ、なんでも」

そう言って振り返った。佐藤の体は震え、そして一筋の涙が落ちた。



 おちた涙は、すぐに乾いて、跡形もなくなった。

 そこのパネルには、十個の陶片が展示されていた。




――籠城した1000人のユダヤ人たちは、話し合った。

 攻めてくるのはローマ軍本隊ではなく、ユダヤ人奴隷部隊であろう、と。

 このままいけば、同族同士で殺し合うことになる。

 食糧庫は満杯だった。数日は持つかもしれない。

 しかし勝負は見えているうえ、同族と殺しあい、あげく捕虜となるならば……。


 奴隷や捕虜にはならない。

 主なる神以外には主人をもたない。

 彼らは決断した。

  

 だが、自殺も禁じられていた。

 

 そこで家長が、家族を殺した。

 家族に自殺の罪を着せないために。

 そして家長も殺し合った。


 そして10人が残った。

 彼らは900人以上もの死体を確認した。

 水汲みに出た女と子供数人がいなかったが、ここで起きたことの語り部とするため残すこととした。

  

 10人は各々の名前を陶片に書いて、くじとした。

 9人は、くじで当たった者に殺され、そしてくじであたった一人が、自殺の罪をかぶることとなるだろう。



 そして、くじであたったのは“彼”だった。


 彼は、9人を殺した。

 960人分の血の重みが彼にのしかかる。

 愛ある殺人は許される。

 だが自殺は許されない。

 彼は、ただ一人、地獄に落ちることになるだろう。


 

 そして彼は、地獄に落ちるべく、手榴弾の雷管を叩いた――


「……さん、佐藤さん……!」

 そこで再びハッとして佐藤は目を覚ました。そこに吉川の顔を見る。吉川が言う。

「本当に大丈夫ですか? うなされていましたよ……、気分が悪いのですか?」



 佐藤は目をこする。バスの中だった。バスは再び道を走りゆく。

「ああ、いえ、大丈夫ですよ……。ビールを飲み過ぎてしまったようです。」

 佐藤は答えた。




 とある街のカフェ。

 そのカフェのテーブルに、佐藤と吉川はいた。

 自由時間であった。

 軍人会のメンバーは思い思いに観光を楽しんでいる。

 佐藤の妻はすでに他界しており、吉川も家族がいないため、二人はともに行動していた。

 佐藤は、つたない言葉でなんとか注文したコーヒーをすすりながら言った。

「吉川さん、わたしは硫黄島で捕虜になったのですがね……。わたしも吉川さんと同じく死んでいるはずなんですよ」

 吉川も、コーヒーをすすりながらいう。

「珍しいですね……、佐藤さんが、戦場のことを語るのは……」  

 佐藤は、笑顔で首をふる。

「当時……、私の班は上官が死亡しておりましてね。ただ、最期の命令として自決命令が出ていたんですよ……」



……暗闇の洞窟の中で、僅かな火の光の中、佐藤一等兵は自分たちの班を見回した。

 上官は、最後に“玉砕”を命令して死んだ。

 アメリカ軍の艦砲射撃だがなんだがが、洞窟の周囲に降り注ぎ、とても外部と連絡できる状態ではない。


 さらに洞窟の外で爆発がおき、洞窟に地響きが響く。

 暗闇と土煙りのなか、佐藤は決断した。

 この状態ではもたない。助けもこない。食糧もない。生きて捕虜の辱めは受けない……。


 10人いる班員は、自分より若い一等兵、二等兵ばかりだった。班の指揮権は自分にあった。

「自決する」

 佐藤一等兵は言った。その時、佐藤には迷いがなかった。


 自決する武器に迷いがあった。

 銃剣では死ぬまでに時間がかかる。若い兵たちには酷であろう。

 小銃殿もあったが、どうせなら華々しく、一瞬で皆、同時に死にたいものだ。

 なら、爆弾がいいだろう。

 

 他の兵たちは、暗闇の中、凍りついた表情で、汗を流していた。

 死への恐怖か、非国民と言われることへの恐怖か…。

 彼らは、佐藤が出した、唯一残る手榴弾を、無表情に見つめていた。


 班員は輪になって肩を組んだ。

「死んで、靖国で会おう」

 そして佐藤一等兵が腕を伸ばし、

「大日本帝国、万歳!!」

叫び、手榴弾の雷管を地面に叩きつけ、爆発を待つ間に腕を戻して隣の戦友の肩に戻した。


 閃光と爆発が起き、佐藤一等兵は吹っ飛んだ。

 だが……、なぜか彼は死ななかった。破片が足にあたり血が出ているが、致命傷ではなかった。

「……!」

 そして、わずかに残る焚き火の火の中で、彼は地獄を見た。

 他の若い兵たちは、細切れになっていたが、それでも5人は生きていた。


 一人は、しきりに「万歳、万歳!」と叫んでいた。

 一人は、しきりに「死にたくねぇよ、死にたくねぇよ!」と叫んでいた。

 残る3人は、ただ言葉にならない呻きで叫んでいた。



「……っ」

 阿鼻叫喚の洞窟の中で、佐藤一等兵は地面を這いずり、大切に横たえてある陛下からの預かりものである小銃殿を取った。

 仲間をひとりひとり、自らの手で殺したくなかった。

 だからこそ手榴弾自決を図ったのだが……、しかし、彼らを一刻も早く靖国に送るのが自分が軽傷ですんだ理由だと思った。


 佐藤一等兵は小銃殿をとると、言うことを聞かない足からくる痛みを無視しながら、歯を食いしばり、寝そべったまま、上半身をおこした。

 彼は、戦友に向けて引き金を引いた。

「大日本帝国万歳!!」

 銃声が洞窟に木霊し、万歳、万歳、と叫ぶ兵は、頭を吹っ飛ばされて、動かなくなった。

「天皇陛下、万歳!!」

 銃声が洞窟に木霊し、、死にたくない、と叫ぶ兵は、首を打ち抜かれて、動かなくなった。 


「万歳!! 万歳!!」

 佐藤一等兵は、這いずりながら次々に引き金を引いた。

 そして、最後の一人となった。

 銃口を残る一人に向けた時、その兵、原田ニ等兵は、佐藤一等兵をにらんだ。

 彼は言葉なく、ただ、呻き、叫びながら、自身の腸を引きずりながら、佐藤一等兵へと這ってくる。

 

「……靖国で会おう!!」

 佐藤一等兵は、小銃殿の引き金を引いた。

 弾は原田二等兵の肩を打ち抜いた。

 だが、原田二等兵は呻きながら、顔をゆがませながら、佐藤一等兵の足を掴んだ。

 原田二等兵は口から血をだらだらと垂らしながら、佐藤一等兵の上に這い上がろうとする。

 佐藤一等兵も、目を大きく見開きながら、小銃殿を投げ出した。

 そして、原田二等兵の首を絞めた。


 目を見開く原田二等兵。

 その眼をみながら、佐藤一等兵は、目を細めた。 


 そして焚き火に「バンザーイ!!!!」との絶叫がこだました。



 しばらくして、佐藤一等兵は、体を引きずって、放りだした小銃殿を取った。

「小銃殿!! 陛下からの預かりものであらせられる小銃殿を粗末に扱い、大変申し訳ございませんでしたっ!!」

 佐藤一等兵は、小銃に敬礼する。

 そして撃鉄を起こして、銃口を口に咥え、

「ハンハーヒッ!!」

目をつぶって叫びながら引き金を引いた。


 だが、弾は出なかった。

「……」

 佐藤一等兵は、小銃殿の装弾数が5発であることを思い出す。

 佐藤一等兵は、鬼の形相で、小銃殿を地面に丁寧に置き、そして、別の小銃殿を睨む。

「生き残って……、」

 佐藤一等兵は、焚き火の炎が消え行く暗闇の中、叫んだ。

「生き残って……、」



 その時、聞きなれない言葉の叫びと、灼熱の空気と光と、急速に失われる空気に、佐藤一等兵は、

「生き残ってたまるかぁああああああ!!!!」

叫びながら気を失った……。



 白い帽子をかぶった老人は、コーヒーカップを見つめながら言った。

「米軍の火炎放射で酸欠になりましてねぇ……。気づいたときは、捕虜でしたよ……」

 緑のベレー帽の老人が言った。 

「運が良かったですねぇ。殺されずに……。殺されたり放置されたりした捕虜も多かったと聞きますから……」 

 佐藤は、ため息をついた。

「いや、まったくです……」


 しばらくの沈黙ののち、佐藤はつぶやくように言う。

「実を言うと……、私は靖国神社にだけは行ったことがないのですよ……。とても行けない……。一人生き残って、どう英霊たちに顔を向けたものか……」

 吉川が励ますように言った。

「まぁ、こうして生き残って、祖国を豊かにするために働いたのですから……、あちらで彼らも暖かく見守ってくれているでしょう」

「豊か、ねぇ……」

 佐藤はしみじみと言った。

「……年金、後期高齢者、介護保険、教育崩壊、切れる若者……」

 吉川もしみじみと言った。

「……まぁ、老人が生きるには……、地獄ですな……」



 その時、

「コンニチワ、ニホンカライラシタノデスカ」

隣のテーブルに座っていた若い男が、カタコトの日本語で話しかけてきた。


「「え、ええ」」

 吉川と佐藤は、少しびっくりした様子で言う。

 その若者は、

「ワタシハ、ヤコブデス。ダイガクデ、ニホンノベンキョウヲシテイマシタ」

ニコヤカに言った。



 吉川と佐藤は、その人懐っこい若者のヤコブとすぐに打ち解け、話をした。

「Oh! DeadSeaニイッタノデスカ」

 ヤコブが言い、

「ええ」

と佐藤が応え、

「マサダという丘にも行きました」

と吉川が付けくわえる。


 ヤコブが言った。

「Oh、マサダ、ワタシモコンド、マサダニイクノデス」

「へぇ。観光ですか?」

との吉川の問に、ヤコブは誇らしげに答えた。

「イイエ、ワタシ、ソコクヲマモルタメ、グンタイニハイリマス。イノチハリマス。グンタイニハイルトキ、マサダデチカウノデス」

「ああ、なるほど」

 佐藤は、イスラエル軍の入隊宣誓式がマサダ要塞で行われることを添乗員から教わっていた。

「マサダは二度、落ちず……ですね」

 彼は、ポソリといった。


「ヒゲキヲクリカエシテハナリマセン。ソノタメニワレワレハ、タタカウノデス」

 ヤコブの言葉に、吉川が無表情でコーヒーカップを揺らす。

「ほぉ、立派ですね。私も戦時中は、神風特攻隊として……」

「Wow、カミカゼ!? アーユー?」

 笑顔のヤコブがびっくりしたように言ったその時だった。

 その隣のテーブルで少年が立ちあがった。


 

 あどけなさの残るその少年ムハンマドも、故郷を守りたかった。

 それまで平和に暮らしていた家は、イスラエル軍の爆撃で吹っ飛び、父と母が死んだ。

 ムハンマドは、兄弟とともに叔父の家に転がり込んだが、生活は経済封鎖で苦しく、叔父の家にも居場所がなかった。

 ムハンマドは、これ以上、自分たちのような子供を出してはいけない、と思った。

 そして、兄弟の立場を少しでもよくするため、故郷のための殉教者となりたかった。 

 故郷を守った英雄として、神の国へと旅立ちたかった。


 立ちあがったムハンマドは、シャツの下から伸びるコードの先端のスイッチを押した。

 


 ムハンマドは炎に包まれ、隣のテーブルにいたヤコブと吉川も吹っ飛んだ。

 佐藤も吹っ飛びながら、自身を包む爆風を笑顔で見つめていた。




 そして佐藤一等兵は、自身に降り注ぐ光の中に、神々しい女の姿を見た。


 青い鎧に、翼の髪飾りをした女だった。


 佐藤一等兵は、その女の包容を受け止めながら、その体を燃やした。 





“私は、その魂にいいました”


“神々が黄昏を迎えるまで、あなたに栄光の戦場をあたえましょう”

 

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