最終章
少年は自分の身の上を嘆くどころか、感謝までしていた。
なぜならば、間抜けな年長の兄弟達は警察から逃げて姿を消したため、怪我をして身動きが取れない自分だけが父親の見舞いと言う温情に報われているのである。
いつまでも年若い彼の父は、二十代半ばにしか見えない童顔の顔を彼に向けて微笑んだが、その顔は兄弟誰もが羨んで憎んだ峰雄と緑丘譲治の顔である。
彼らの顔は双子と言っていいほどそっくりであり、彼等の愛してやまない父親に一番似ていたのだ。
「次はお父様の顔に作り直したいです。」
「君に次は無いよ。腰の骨が折れちゃったでしょう。普通に歩けるようになるまで半年はかかるかなぁ。」
「では、治りましたらお父様の為に。」
「いいや。今すぐ君は僕の役に立てるよ。」
少年は嬉しさに胸を膨らませ、無意識に大きく息を吸っていた。
「げほっ。ぐふぅ。げほぅ。」
突然咳き込んだ少年に対して東は何事もないように微笑んだが、彼の顔はみるみると皺を刻み、黒々とした豊かな髪は色を失い、咳き込みながらも父親の異変に驚く少年の前で、男は若者から老人へと変化していくのである。
「力を使うと、蓄えていたエネルギーが減るから困りもの。そろそろ君達の飼育にも飽きたしね、僕のエネルギーになってもらうよ。」
咳き込む少年は咳き込むだけでなく体のそこら中から煙が立ち上り、今や、ぼんやりと青い炎に包まれてもいるのである。
「ふふ。僕が君達を別人に変えるのはね、家畜が主人に似るのは不遜だからだよ。」
老人の肌は少しずつ若さを取り戻し、しかし、先ほどまで少年が幼いころから知っていた青年の姿では無かった。
それは彼らの前から姿を消して、一人勝ちをしていた樺根真の顔なのである。
緑丘とよく似ているが、それよりも癖が無く誰にも親近感が湧く顔かたち。
少年が嫌って馬鹿にしていた男の顔だ。
「違う。僕が成長したその時の顔だ!」
少年は声を出せなかったが、頭の中で彼が叫んだ言葉を聞いたかのように、東は嬉しそうに何度もうなずいたのだ。
理解しただろう、と言う風に。
「緑丘も峰雄も僕に似ているが、僕よりも顔に強い特徴があったからね。あの顔に皆が注目するでしょう。僕のいい隠れ蓑であり、盾だ。それで可愛がってやっていたのに、増長したのか勝手に動いての、あのざま。僕は長生きをする手前、人目に付きたくないのに。だから、君達はもういらない。家畜は家畜らしく僕の栄養になりなさい。」
東は目の前の少年がもはや命のない屍に変化していることに気が付くと、踵を返して病室の戸口に行き、大声で叫んだ。
「誰か!人が死んでいる!」
戸口にいた警備員から医者や看護師、あらゆる人間が病室になだれ込み、ベッド上の人体発火現象としか言い表せない遺体を前にして、なだれ込んだ者達はなすすべもない悲鳴だけを病室に轟かせていた。
東はその悲鳴を背中に受けながら揚々と病院の受付を通り抜け、春の日差しが注ぐエントランスに足を踏み出そうとした。
しかし彼の行く手は、受付のベンチから立ち上がった男によって遮られた。
「あら、久しぶりかな。」
東は作り笑顔を浮かべて友好的な声を出しながら、自分よりも少々低い背の男を見下ろした。
しかし、豊かな銀髪をオールバックにし、カシミアの黒いコートの内側に宝塚のスターのような煌くビーズを刺繍されたベストをのぞかせている白いスーツの男は、東に対してあからさまに小物に向ける視線を返しただけだ。
それから、何も言わずに東を立ち止まらせていた威圧を解き、さぁどうぞと言う風に目線だけで促したのである。
「お前も同じ穴のムジナだろうに。」
東は捨て台詞をその男に吐くと、さっさと踵を返して病院の駐車場へと歩いて行った。
彼の車は、ベンツのSクラスのオープンカーだ。
自慢の白く輝く車にあと一歩のところで、東はさっと後ろを振り返った。
病院のエントランスには、自分を足止めした黒いコートの男が彼をじっと見つめている。
見つめているだけではない。
高齢といえども皺も殆どないせいか、若かりし時と変わらない、世界中の誰をも魅了できる甘い微笑みを浮かべているのである。
否、男はみるみると若返り、東がなりたいと願ったこともある、あの素晴らしい顔へと変化したのだ。
男がこれみよがしに左手を東に挨拶をするかのように軽く上げると、黒い双頭のカラスが舞い降りて男の左肩に乗り移った。
そして、その鳥が彼の肩の上で松明のように燃えてから姿を消すさまを目の当たりにするや、東は連続放火事件があそこまで大きな爆発を伴った理由を理解したのである。
「畜生!あいつが俺の子供達を唆して牧場を台無しにしたんだな!」
そして東は理解した。
彼の愛してやまない買ったばかりの高級外車に乗れば、そこで自分が車もろとも爆破されるだろうということを。
彼は怒りに震えながら、自分が情けないと考えながら、自分の足を使ってその場を、それも言葉通り尻尾を巻いて逃げ帰るしかなかった。




