二 ブルーシートはかく語りき②
僕のいつもの声にピンと来たのか、逃げる間も無く楊が被さるように僕を羽交い絞めにした。
それでも僕はできる限り手足をバタバタと抵抗して暴れるしかない。
黒い靄は死んだモノがあるか関っている印だ。
おまけにあの警察設置のブルーシートの目隠しがあれば、そこの中身に人間の死体があること確実という、完全なフラグが立っている状態だ。
「やめてください。僕、絶対に嫌ですから。僕を放して!レットゥミーゴー!」
「黙れ。社会奉仕の機会を与えて貰えてありがたいと思え。黙ってサクサク歩け。」
十一月に初めて会った時に、なんて優しい刑事さんだと思って慕った自分が呪わしい。
この人は良純和尚よりも人でなしな時もあるのだ。
僕の抵抗などむなしく、引き摺られるように、忌まわしきブルーシートの掲げられている「現場」に連れ込まれようとしている。
だが、この憐れな僕に救いの神も現れた。
現場の見張りの制服警官が、一応は警部補の楊に物申してきたのである。
「楊警部補、あの、それは。」
僕は「それ」でかまわない。
入らないで済ませるならと、そこは流した。
しかし、楊は僕の後頭部を掴んでぐいっと持ち上げて、制服警官に僕の顔を見せ付けるようにしながら抗議までしたのだ。
何て、迷惑な男。
「それは、じゃないよ。これは俺のラブだからね。手放せないの。」
物凄く赤い顔になった制服警官は、顔を歪ませて乾いた笑い声をあげた。
そして、今や僕も非常に顔が歪んでいる事だろう。
顔が自然に歪むほどのおなじみの悪臭、今日は特に酷い臭いだとむせそうになる。
一般人が死臭を嗅ぎ分けられるようになっているって、どうよ。
「さぁ、お前には何が見える?」
僕の両肩に両腕をだらりと下げ、僕に覆いかぶさるようにして後ろに立つ楊が、僕の耳元で囁いた。
そう、僕は見える人なのだ。
両親にさえ気付かれないように、僕は一人でこの力に怯えて生きてきた。
十一月に死体を見つけて、その事件の最中に楊に気付かれたのだ。
さて僕は楊に気付かれた当初、良純和尚でさえ気付かなかったのにと思っていたのだが、いやいや、彼は僕の行動がおかしいと精神医学出の犯罪心理学の教授に実は相談していたらしい。
その教授が僕達を引き合わせた張本人で、武本家の菩提寺の住職様の弟であるので僕の異常行動についての事細かな相談行為は当たり前とも言えるが。
ついでに言うと、良純和尚の言うがまま、僕が復学できるように診断書も書いたお人だった。
一度も会ったことない患者の診断書を書くってどうよって思うが、僕は鬱なので黙っている。
「別に僕を連れてくる必要はないでしょうに。」
僕は目の前にある黒い袋、つまり死体が入れられた遺体袋を見て呟いた。
チャックが開いて中が見えるが、それの中身は全裸の痩せた老人でしかない。
驚愕と恐怖の表情で固まっているが、生前はとてもハンサムな男でもあっただろう。
「なんか、見たことあるような。」
「いいから言ってみろ。」
ところが僕はハッと気が付いてしまった。
以前に死体を見つけた時に、見つけた僕が犯人だと名指しされた過去があるのだ。
過去から学んだ僕は口を閉じたのだが、楊は僕の耳元でふふふと笑った。
「耳たぶをなめようか。」
「きゃう!えと、あれはただの老人です。色白でかなり痩せている高齢の方です。」
「まぁ、見たことあるものだな。で、あれは男?女?」
質問が嫌な感じだ。
僕の目にしている遺体は性別もわからない程のモノ?
え?
十一月に僕が見つけた遺体写真を見せられて僕が絶叫して気絶した時みたいに?
あれはぐちょぐちょで虫塗れの酷いものだった。
「いや!あれの本当の姿を後で見るのは嫌!」
僕は叫んでいた。叫んで逃げようとするのだが、楊は僕を捉えて離さない。
「騒ぐとここでディープキスするぞ。」
「ひゃう。」
僕は完全に恐怖に竦んだ。
楊だったらやりかねない。
甘い外見に騙されるが、この人は完全なる体育会系だ。
ノリこそ全てのメタラーだと公言までしている人ではないか。
「男性です。顔は、…………あぁ!」
「どうした?」
「部外者、それも一般人を現場に連れ込んで何をやっているのですか?」
手厳しい女性の叱責が僕達の会話を途切れさせた。
僕達に、いや、楊に声を掛けたのは十一月の事件以来の田口鑑識官だった。
昨年の十一月に僕が発見した死体の鑑識に現れた人で、自称サバサバ系の女性に特有の粗暴なだけで粘着質な気質が伺え、僕は彼女が苦手だ。
僕の理想の目線が同じくらいをクリアでも、僕が好きには絶対にならないタイプだ。
そんな彼女の外見は、僕と同じ位の身長に目がくりっとして大きく、美人ではない可愛い系の人だ。あの頃はショートカットに化粧っけがなかったが、今や髪はまっすぐに肩ぐらいまで伸ばしており、化粧がとても濃くなっていた。
目よりも大きく黒々と引かれたアイライナー。
失敗したクレオパトラ?
残念な事に独特の化粧法により、既に可愛い系でも無くなっているのだ。
そして、楊に対しての気安さを失い、今や殺気まで立たせているではないか。
彼女の僕を睨む目が怖い。
睨むなら楊だけにして。
そっと後退ると、楊にぐいっと引き寄せられた。
「何、将来の警察官にするべくのリクルートだって。現場見学。」
何事もないように軽く答えると、彼は僕の肩に腕を乗せたままブルーシートの外へ連れ出そうと踵を返した。
「楊警部補、あなたまで出られると困ります!鑑識の私を馬鹿にしているのですか!」
楊の背中にこれでもかとヒステリックな声で言葉を投げる田口に、僕は彼女が僕に向けてくる攻撃的な行動の意味をようやく理解したのである。
「諦めてくれない女は怖いって、田口さんの事でしたか。」
すぐさま楊に頭を叩かれてしまった。
「だって、かわちゃんが。」