二十八 橋場家本丸③
橋場家の能舞台のある客間に招待された者は、明治の石炭王の高取伊好の屋敷のようだと、流石の橋場建設の本宅だと持て囃す。
しかし、そこはそんな素晴らしいものでもない。
実際は目に入れても痛くない孫の麻子の発表会用の舞台でしかないのだ。
彼女がバレエを習えばここで舞わせ、小学校でお芝居の主役になれなかったと泣けば、劇団の子役を脇役に手配してここで主役を演じさせた、という魔の部屋だ。
なぜ魔なのかというと、無理矢理座らせられる客として招かれるのが親族の他に善之助の部下達だからだ。
僕は二・三回ほど招かれて麻子のお披露目を孝彦と観賞したと、当時のことを思い出しながら懐かしい部屋を見回した。
麻子は当時のように舞台の上におり、善之助は客席となる座敷の方に警備の者と一緒に立っていたが、過去の誇らしげな顔と違い、顔には脅えや焦りを浮かべていた。
善之助は僕らの到着に振り向いて顔を一瞬だけ輝かせたが、彼の顔には僕との再会を喜ぶほどの余裕がない。
麻子が一人で立っているのではないからだ。
僕と同じくらいの年齢の女性と舞台の上にいるのである。
そしてその女性は女性にしてはかなり背が高く、一五〇センチあるかないかの麻子と並ぶと一見親子のようでもある。
「麻子、君は一体何をしているの。」
麻子は僕を目にすると、喜びどころか目を吊り上げた。
「クロちゃんには関係ないでしょう!」
彼女は僕が相変わらず嫌いなようだ。
父である孝雄によく似た顔立ちの彼女は、橋場家独特の顔立ちといえるのであるが、本人にとっては筋張った顔立ちが美人となりえないとコンプレックスでもあるらしい。
母親が美人モデルであるという点も彼女が自分の外見に不満を抱く理由の一つかもしれないが、彼女は小柄でも体は均整がとれており、運動センスはもとより素晴らしい才能を数々持っているのだ。
善之助が舞台を作って非常識お披露目会をしたくなるほどの、だ。
しかし、彼女が言うには、無能でも音痴でも僕のような顔になる方が良いとのことだ。
「ねぇ、今がどんな状況なのか教えていただけますか?」
緊張感でみなぎる客室で、気の抜けた軽い声を出したのは山口だ。
そして、僕が驚いたことに、彼は、なんという事だろう、王子様であった。
その他大勢に見える振る舞いを解けば、山口は整った顔立ちの美青年でしかない。
彼が自分の美貌を隠しているという事は美貌の力を知ってもいるという事で、今、彼は、彼なりの最高の笑顔で広間にいる全員に向けているのだ。
溜息を吐いてしまった僕としては、彼が全員の心を一瞬で掴んだ、と太鼓判を押す。
もしかしてこの笑顔で良純さんも堕とされたのか、と言うほどの笑顔なのだ。
「僕は刑事です。神奈川から善之助さんと麻子さんの安否確認に参りました!」
教師の質問に答える生徒のように、右手を挙げて客間にいる全員に宣言する彼の姿は頭が悪そうで、でも、そこも王子ぽくって彼の計算だとよくわかった。
「ねぇ、君達は何が嫌なのかな?」
山口は素敵スマイルのまま麻子と家庭教師らしき女性に尋ね、彼女達は恥ずかしそうというよりも王子に呼びかけられて嬉しいという感じに顔を真っ赤に赤らめた。
けれどそれだけで、山口に答えることなく、二人はもじもじとして下を向くだけだ。
「便所に行くにも護衛が付くから嫌なんだとさ。」
「おじいちゃん。」
壇上の麻子は真っ赤な顔をして善之助に憤り、麻子の後ろにいた女性が麻子の肩に手を当てて自分に引き寄せて、僕が以前に聞いた事のある声に似た声を出した。
「麻子は思春期の少女なんですよ。せめて女性の護衛にするとか。」
「だって、優さん。」
「え?」
「どうした?クロト。」
僕は山口に振り向き、この事態を打破すべく彼に期待を掛けることにした。
「山口さん、僕の手を握って貰えますか?」
山口も周囲もおかしな顔をしたが、それでも山口は僕の手を握った。
「山口さん。周囲を見回して間違い探しが出来ますか?」
僕の見えている風景と本当に見えるはずの風景は違う事が多いと山口が教えてくれた。
いま僕が見えている風景がそのままならば問題はないけれども、違っていれば善之助も麻子も危険だ。
不安になりながらも山口を見上げたら、おもしろいよと、彼は目を輝かせている。
彼は僕に目線を寄越し目元だけで微笑んだかと思ったら、僕を振り切り、一瞬で舞台に上がり、その動作のまま麻子に寄り添う女性を叩き潰してしまった。




