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二十八 橋場家本丸②

 僕は久しぶりの橋場家にドキドキどころではない。

 非常識の橋場。

 親戚中でそんな風に呼ばれている橋場の本領発揮を見せられた感じだ。

 誘導された左には駐車場なんか続いてないじゃないか!


 駐車場は外と同じ髙い木塀で囲まれているのだが、左側はその木塀が引き戸のようにひらくのだ。

 山口は目を煌かしながら誘導されるままパトカーを運転し、気が付けば僕達の車は中庭の鯉の池近くに停車していた。

 橋場の本宅は昔ながらの数奇屋造りで中庭を囲むような形で建てられている。

 中庭はそれはもう贅を尽くした日本庭園である。

 錦鯉の泳ぐ池には橋まで掛かっているのだ。

 そんな鯉の池に真横に車を止めろと?


「すいません。僕の方から降りれないです。池に落ちちゃいます。」


「ほら、手を。」


 助手席側から運転席側へ移動するのは少し面倒だったので、山口が僕を持ち上げるように僕の移動を手伝ってくれたが、駄賃とばかりにギュムっと無意味に抱かれたのは仕方がないだろう。


「橋場の個人宅、それも本丸の中庭にパトカー入れちゃった刑事は僕が最初だろうね。」


 日本庭園のど真ん中で、富士山型の生垣をバックにして我が物顔で駐車するパトカーは、風情があって素敵だと思う事にした。

 孫の麻子のためにと、日本庭園台無しなウサギやリスに刈られた植木だってあるのだ。

 パンダ一台ぐらいどうってことはないだろう。


「車を停める場所がなかったら外に停めさせればいいのに。非常識な人達。」


 思わず呟いたら山口が噴出してしまった。


「ひどいよ。君がパトカーを中に入れてって言ったんじゃないか。」


「あ、そうだった。」


「玄人様、よろしいでしょうか?旦那様がお待ちですから、どうぞこちらへ。」


 スーツ姿の善之助の個人秘書が縁側に出てきて、僕達に声を掛けて頭を深々と下げるではないか。


「すいません、すいません。」


 僕は彼に恐縮しながら、山口の手を引いて縁側から屋内に急いで上がりこんだ。

 個人秘書は僕に対して深々と頭を下げた。


「お久しぶりでございます。玄人様。」


「ごぶたさしておりました!」


 善之助と同じぐらいの年齢の男は、能の翁のような顔立ちの背の高いハンサムな男だった。

 過去形なのは、今の彼は腰が少々曲がり、顔には翁のような深い皺を刻んでいるからである。

 戦後に家族を失った彼は、善之助の母に拾われて善之助兄弟と一緒に育てられ、成長したその後はこの数寄屋造りの屋敷を管理している本物の執事である。

 実際に、彼は秘書よりは執事と紹介される方を好む。


「山口さん、こちらはこの数寄屋造りの屋敷のぬし様で執事である桑原様です。」


 桑原は上品にふふふと笑った。


「お変わりが無くて嬉しいことです。」


「あなたもお変わりなくお元気そうで何よりです。お爺ちゃんと麻子は如何ですか。」


「本庁から連絡を貰いました後は、警護の者をつけて居間に押し込んであります。」


「相変わらず、やることが酷いですね。」


「こういった時に麻子様の姿が見えないとなると、善之助様が一々面倒ですから。」


 僕達の会話が不思議であるのか、山口がこそっと僕に耳に囁いた。


「ねぇ、この人は何者なの?」


「だから、桑原さんは執事だって紹介したじゃないですか。」


「いや、だからさ。この家は善之助さんが一番偉いんじゃないの?」


 桑原は執事にあるまじきと山口が思うであろう豪快な笑い声をあげながら僕達を先に促し、促されて善之助がいるという居間への廊下を歩きながら、僕は山口にウッドハウスの小説を勧めようと考えた。

 あれには主人に頼られるだけでなく主人に教育までしてしまうジーヴスという名の凄腕執事が登場する。


 執事とは教養と高い実務能力を兼ね備えた人物しか務まることが出来ず、有能すぎる執事は使えている主人よりも金持ちや上の位の家からヘッドハンティングされるほどの人材であるのだ。

 イギリスでは社交界シーズン毎に、ロンドンに邸宅を持っていない貴族が家を借りてシーズンを過ごしていた。

 借りた家に地方から使用人を連れて来たとしても、下働きなどは新たにロンドンで雇い入れなければならない。

 大名行列のような出費とその他の面倒に対応したのがホテルの出現であり、ホテルの支配人は貴族の家の家令か執事の存在そのものであるのだ。


 桑原はこの数寄屋造りの家を愛しており、住む人間も愛しているからこそ執事としてここに居続けるのである。

 数寄屋造りに英国仕様の執事が如何にそぐわなくても。

 僕はそこで足が止まった。

 彼が島田の家に託されたのはそれが理由か、あるいは彼が桑原を知ってその方法で家族として居続けることを選択したのであろうか。


「もういい加減にしてよ!」


「あれ、麻子の声が客間から聞こえる。」


「そうですね。どうしたのでしょう。」


 僕達は踵を返すと、居間ではなく身内の間で非常識と名高い橋場の客間へと向かうことにした。

 歴史のある中庭の一部を潰して増設された大広間はただの客間ではない。

 そこには床の間ではなく能舞台がしつらえられているのだ。

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